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こんにちは。お正月にスキーの前に、奈良井宿にある奈良井氏居館跡へ、散歩がてら訪れました。『年末年始遠征☆野麦峠のアイスバーンで腰に来た!!』こんにちは。30日の仕事納めで、夜から出発しようかと思ったけど、疲れで寝てしまい挫折。31日は自分にしては早目の朝6時に岐阜を出立。半分以上走った馬籠宿で休憩…ameblo.jp今まで奈良井宿には何度も訪れた事はありましたが、奈良井氏居館跡なんてあるの知らなかったです。きっと最近整備されたんだと思います。奈良井宿のメインの通りからそれて
毎度、当ブログへお越しいただき、ありがとうございます。今回は庄内平野を代表する近世城郭、山形城跡を紹介します。山形城跡平面図(現地の解説板から)お城の跡は私もあちこち訪ねますが、私以上にお城マニアといわれる人はたくさんいらっしゃいます。山形城跡もそういった方々がその歴史を紹介していますので、歴史の解説はそちらに譲ります。私が訪ねる理由といったら「なぜ、文化財に指定されているのか」を実地で見聞するためですから、早速お城の跡を訪ねてみましょう。
昨日は、栃木県市貝町にある「観音山梅の里」に行ってきました。村上城という山城跡にある梅園です。木が低い位置にあるので、梅の花が目の前で見られます。とてもきれいですねふっくらとしたつぼみも可愛らしい🥰山城跡なので、こんなところもありますクマ騒動があってから、山には全然行ってないので、こんな階段は久しぶりに登ります白寿観音像神々しいですね千手観音堂に寄ってから山頂を目指しました。山頂にとうちゃ〜く🗻ぐるっと空堀があります。すごい〜さすが山城跡ですね🏯山頂の梅もとってもきれ
上竹城(浅口市金光町上竹・高原)故事来歴は伝わっていない。『金光町史』本編には「上竹の城山」と記載。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第2冊備中編より)緩傾斜の北四郭下がって北三郭帯曲輪状の北二郭主郭主郭の北土塁主郭の東土塁一段高くなっている主郭上段主郭北東腰曲輪北東竪堀主郭東帯曲輪主郭南帯曲輪上段主郭南帯曲輪中段主郭南帯曲輪下段緩傾斜の南二郭上竹城遠望軌跡ログ実地踏査を基に作成した概略図浅口市・浅口郡里庄町の城
香登城(備前市西香登・香登本)和気郡西香登村に所在する城館として、『備前記』・『備陽記』・『撮要録』では浦上左衛門が居城した「古城山」または「古城跡」、『吉備温故秘録』では、浦上右衛門、高取左衛門進宗政が居城した「古城」などの記載が認められる。一方、和気郡香登村では、浦上宗久、高取左衛門が居城した城館として『和気絹』は「香々登城」、『備陽国誌』は「古城」、『東備郡村誌』は「古城墟」と記され、『吉備前鑑』は高取左衛門宗政が居城した「古城跡」などの記載が認められる。なお、『宇喜多能家寿像賛』によれ
幡豆寺部城は徳川家康の舟手衆として活躍した幡豆小笠原氏の居城。天正18年(1950)の徳川家康の関東移封に従って小笠原氏も上総国に移ったため、廃城になる。現在城址は公園として整備されており、曲輪、土塁、堀などの遺構が残っている。駐車場は5台くらい停められる目の前が入口進んで行くと堀が現れる二の丸から本丸へ蘊蓄30分もあればゆっくり廻れる城跡
関川城(備前市三石)和気郡三石村において、『備前記』は村南の「出丸」に尾玉刑部少輔が、『備陽記』は村南の「出丸」に毛利家の尾玉刑部少輔が、『備陽国誌』は「鶯の丸」に村宗の老臣小玉刑部が、『吉備温故秘録』は村南の「出丸」に毛利家臣の尾玉刑部少輔、浦上家臣が、『東備郡村誌』は三石城の別堡の「鶯の丸」に浦上村宗家臣の小玉刑部が居城とある。こうした記載は本城跡を示す可能性があるが、検討を要する。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)北六郭北六郭隅の稲荷社北五郭(曲輪Ⅱ)北五郭南
愛知県安城市の本證寺(ほんしょうじ)は、三河一向一揆のとき、一向宗側の拠点・三河三ヶ寺のひとつです。>>本證寺の地図三河一向一揆の後、本證寺は破却されましたが、徳川家康から再興を許可され、江戸時代には寺院として整備されました。その本證寺の内堀は蓮の名所でもあるのです。江戸時代にすでに名所に!これは本證寺にある三河三ヶ寺野寺本證寺全図。江戸時代に再興を許可された本證寺ですが、すでに堀には蓮がたくさんあります。しかし昭和の頃からこれら蓮も少なくなり、堀からほとんど消え
麦飯山城(玉野市槌ヶ原字麦飯山)天正10(1582)年の八浜合戦の際に毛利方の穂田元清が布陣したと伝えられる城であり、主戦場とされる常山城跡、両児山城跡方面をよく見通すことができる。一方で、城主について、『和気絹』・『備陽国誌』・『中国太平記』などでは明石源三郎とし、天正4(1576)年に毛利方と戦ったとあるが、それを裏付ける同時期の資料に欠ける。なお、西郭を横田山城(または雨乞山城)、東郭を麦飯山城と呼び分ける見解もある。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)西出丸?尾根
野山城(加賀郡吉備中央町北)別名:古和田城『古戦場備中府志』によると、永禄11(1568)年の宇喜多との合戦には、野山宮内少輔圧勝が三百騎を従えて守ったとされる。野山氏は奥州藤原の血を引く伊達弾正正朝が弘安年間に野山に移ってから地名をもとにそれを名乗ったという。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第2冊備中編より)第三郭(曲輪Ⅲ)東部第三郭(曲輪Ⅲ)北部第三郭(曲輪Ⅲ)西部第三郭(曲輪Ⅲ)南部第三郭南東腰曲輪東竪堀北東竪堀第二郭(曲輪Ⅱ)東部第二郭(曲輪Ⅱ)西部第二郭の西
静岡県袋井市にある岡崎城跡。説明文によると、小笠山丘陵の南西山麓端にあった二つの曲輪からなる小さな城。城主は地元の武将、四ノ宮右近と伝わっており、横須賀城や馬伏塚城(まむしづかじょう)とともに高天神城攻略のための補給基地だったとされる。天正9年(1581年)高天神城が落城した後は廃城になった。土塁の横を進んでいくと二の曲輪。二の曲輪にある北八雲神社本曲輪には、土塁や空堀が残っている。
城の尾山城(久米郡美咲町藤田上・藤田下)『東作誌』には「城の尾山」として城主不詳とする。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第3冊美作編より)北東帯曲輪井戸?溜池?の跡の残る北腰曲輪西帯曲輪主郭主郭の南土塁緩傾斜の南二郭?東麓の宝篋印塔城の尾山城遠望軌跡ログ久米郡美咲町の城
昨年12月上旬、「佐倉城址公園」(千葉県佐倉市)に行きました。「佐倉城址公園」には櫓、天守などの建物は残っていませんが空堀や土塁などが残っていて、城跡の雰囲気が感じられます。「国立歴史民俗博物館(通称:歴博)」国立歴史民俗博物館(歴博)は、「佐倉城址公園」の中にあります。「国立歴史民俗博物館」バス停に丸形郵便ポストが置かれていました。佐倉(さくら)にふさわしく桜色に染められていて桜の花びらが描かれていました。「馬出し空堀」「姥が池」悲しい伝説のせいなのか姥
河津桜が咲く松ヶ埼城跡へ。土塁と桜が楽しめる幸せいっぱいの場所。こんなににぎわっているとは。「幸せ絶好調」とか言いながら、写真を撮る人々。桜を見るのも嬉しいですが、嬉しそうな人々を見るのもお花見の醍醐味です。帰り道、大堀川レクリエーション公園に謎の土盛り発見。その東、あけぼの三丁目の野馬土手の下を通り、二重土手?土手見も楽しいです。桜の春が始まっています。