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寺山城(岡山市北区御津矢原)『虎倉物語』によれば、永禄11(1568)年に宇喜多直家が玉松城攻めに際して「矢原の寺に御陣所」を敷いたと伝えられる。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)南西帯曲輪帯曲輪状の南五郭南四郭土塁囲みの南東四郭南東四郭の北東土塁南東五郭南東六郭自然地形の南東七郭南東三郭の石垣南東三郭南二郭主郭主郭北東下段帯曲輪状の北東二郭寺山城遠望軌跡ログ旧御津郡御津町の城
高畠城(玉野市上山坂)児島郡上山坂村では、『備前記』・『備陽記』・『吉備温故秘録』は高畠右近が、『備陽国誌』・『東備郡村誌』は高畠和泉守が、『撮要録』は高畑和泉守、高畑右近が居城した「古城山」などの城館を記しているが、本城跡はこれらに比定される。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)荒神社東出丸東出丸の西土塁北東二郭北東腰曲輪北東二郭主郭主郭の西土塁主郭の北土塁南二郭南三郭南三郭の南土塁南四郭南堀切南五郭南六郭南七郭南二郭の北西虎口主郭西帯曲
八幡山城(赤磐市仁堀中・仁堀東)畑和良によれば、元禄2(1689)年に書かれた『小坂家記』によると、浦上宗景の家臣小坂弥三郎が「備前ノ内赤坂郡仁保村八幡山と申城」に在城したという。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)八幡宮南東竪堀南西二郭南帯曲輪南西堀切南西堀切からの北竪堀南西二郭(曲輪Ⅲ)南西二郭の西土塁主郭(曲輪Ⅱ)主郭北櫓台(曲輪Ⅰ)主郭東帯曲輪北三重堀切(南)北三重堀切(南)からの西竪堀北三重堀切(南)からの東竪堀北二郭北三重堀切(中)
午前中にPCのメモ帳にブログの下書きして、別のことしていてそのままPCを閉じたらPCが強制終了されていて、後はブログに投稿ってところまでいってたのに全ての内容が消えてしまいました。名前を付けて保存してなかったのがいけないけど、最初から書き直しています。内容すら忘れちゃっています。今回も、川越城の続きです中ノ口前のブログで城内の玄関を紹介した、規模の小さな玄関を外側から撮影しています。規模が小さいとはいえ、十分に立派なんですけどね台所(料理之間)緑の塀に囲まれていて、中
城平山城(出雲市斐川町阿宮小字上阿宮)別名:葛西城城平山城は出雲市斐川町阿宮にあり出雲葛西氏の居城です。当城については『城郭放浪記』及び『西国の山城』でも取り上げており、こちらを参考にしていただければと思います。『斐川の地名散歩』でも紹介されていますが、代々の系図を見たことが無いためどのような人物がいたのかよくわかりません。私としては塩冶頼泰の妻は葛西清親の娘であることはわかっています。その後裔の塩冶高貞の存在は有名です。(※源行近のブログより)大嶽山光明寺および周辺案内図(左上に城
和田谷7城館群の北端の公方屋敷支城跡(『甲賀の城郭Ⅰ和田城館群』パンフレット)公方屋敷支城跡縄張図和田川公方屋敷支城跡お屋敷敷地内を登城することになりそうですお屋敷のご主人が外で作業をしていらっしゃったので、赤い屋根の倉庫脇から許可を得て登城させていただきました。お忙しいところ、ありがとうございました芝がきれいにお手入れされていたので、形状がはっきりわかります。が、急傾斜なので、ツルっと滑った御仁がおりましたのよ和田川の方を振り返ると、殿山