ブログ記事4,927件
水別れ公園から出撃し、いそ部神社で戦勝祈願し、人工滝のとこで秋を感じ、登山道を進撃すると2度も道を間違えた挙句ヘビに通せんぼされ、沢沿いを歩いてたらコケてレンズフードが割れてしもて意気消沈。激斜面を登って士気も撃沈しかけたところ竪堀に遭遇して精気回復。竪堀を横断するとようやく城域に突入した様子で士気アゲアゲとなってきたところです。石生西河原城後半戦と題しながらの本戦編参ります。ド派手な竪堀を横断すると間もなく尾根に辿り着いたかな。上に見えてるのが尾根の西先端部で、そこから清水山とか
二股台奥陣城(鳥取市馬場町・栗谷町・上町)鳥取城包囲陣の一つ。各陣城の境界が不明なので、仙石秀久陣城、堀尾吉晴陣城、羽柴藤五郎陣城、二股台陣城、二股台東陣城、二股台奥陣城、舞上陣城と七つ連なった概略図西十三郭西十二郭西十一郭西十郭西九郭二股に別れる通路西八郭西七郭西七郭の東櫓台西七郭の南土塁西六郭西五郭西四郭西三郭西三郭の北土塁西二郭主郭主郭の謎の溝謎の溝軌跡ログ鳥取市の城
こんばんはヨッサンです久しぶりに日曜日出勤しました三連休の中日が仕事だと休んだ気がしない!!月曜日祝日ヘロヘロの身体にムチ打って小田原城へ朝9時半三の丸外郭新堀土塁駐車場に到着小田原城から見て西側(箱根方面)にあります見晴らしの良い無料駐車場ですマイナースポットなのでいつでも空いてそう駐車場のすぐ北側に小峰御鐘ノ台大堀切東堀があります大きな空堀の底を散策する事ができますよ😆空堀の底は若干湿っていましたが快適に歩けました気持ちの良い道終点の小峰御鐘ノ台東堀
主郭と西郭の間に立つ田上山砦説明板「天正11年(1583)4月羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った賤ケ岳の戦いで、秀吉の弟、羽柴秀長が、標高323mに田上山陣城を構えた」羽柴秀長の直筆の書面を見たことがありますが、秀吉より闊達というか、どっしりした書体で書く人だなぁという印象。書いた場所や状況が慌てていたところで書いたのかもしれませんが。秀吉のほうが、丁寧に繊細に書いてあった書面を見たとき、公家文化の中で鍛えられたのかなぁと思ったり。書体は、書いた場所や状況で変わりますから
小串城(岡山市南区小串)別名:丸山城・小串台場元亀3(1572)年、高畠和泉守築城。台場は文久3(1863)年、岡山藩の海防強化施策に基づき建設。近世地誌類には、小串次郎左衛門秀行、小串三左右衛門、小串五郎兵衛秀信、高畠和泉守、高畠市正などが居城したと記す。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)稲荷大明神南石垣?主郭主郭の西土塁主郭の東土塁小串城遠望軌跡ログ岡山市中区・岡山市南区・旧児島郡灘崎町の城
赤尾山城(赤磐市殿谷字赤尾山)別名:赤磐郡熊山町0028標高100mの山頂部。30m×30m以上の広い平坦地が存在。背後の山塊から平坦地へ至る尾根筋は、馬の背状でかつ急峻。殿谷城跡と一体的か。近世地誌類には、城主不詳または小野田左馬進が居城したと記す。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)北東六郭北東五郭北東四郭堀切状の窪み北東三郭横堀状の北東二郭東帯曲輪北東二郭主郭主郭の北東土塁南西二郭南西二郭の北下の西三郭赤尾山城遠望軌跡ログ旧赤磐郡熊山町の城
間近で見るとこんなふう!マジか!道路に倒れる前に伐採された。根元は二本、一本はだいぶ前に伐採されたようだ。事故のおこらぬように清めの塩も。三の丸土塁巽門の老松。まだこの付近の土塁には太い木がたくさんあります。
大平田城(北東)(鳥取市青谷町善田)詳細不明。南九郭南八郭南七郭南六郭南五郭南四郭南三郭南西五郭南堀切南二郭主郭主郭の南土塁東二郭東三郭北二郭北三郭北四郭北五郭北西六郭北西七郭北西八郭北八郭北九郭北東十郭北十郭北十一郭北十二郭北十三郭北十四郭北十五郭大平田城遠望軌跡ログ旧気高郡青谷町の城