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倉敷(タ)へと廃車回送されたDE10-1164私達も帰りついでに倉敷(タ)へと移動してチョッと撮影貨物駅と水臨の車庫を兼ねた倉敷貨物(タ)構内で機関車の入換を行った後ゆっくりと車庫へと押し込まれる1164号機DD200-601に押されて車庫へと向かう1164号機後ろには水島臨海鉄道に残る今も現役の国鉄気動車キハ30-100DD200側にチラリと見えるのは部品取り用のキハ30-98車庫に押し込まれてここに留め置きされる1164号
数日前に御福餅の包装に4個入が出来た事を知る。まだJRの前だった国鉄時代は名古屋駅ホーム売店には赤福餅の販売が無く、不思議と御福餅が並び間違えて買ってしまう人も居た。鉄道弘済会の売店はかなり国鉄の影響力も在って、赤福餅が駅売店では置いて居る店舗が少なかった。そんな昭和の時代から伊勢の名物赤福餅が、名古屋駅の新幹線ホーム売店で売って居ない時代を知る小僧から見ると令和時代になって逆に御福餅が名古屋駅新幹線ホーム売店で買え無いが時代に。知ら無い方も居る
今日はKATOの車掌車ヨ5000の話です。デッキ部に手すり表現が無いのに気付いて..自分で入れてみました。難しいんですが結構引き立ったかも😁。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。ED75129+ED75727牽引の車扱貨物列車に加え、D51953+D51467牽引の石炭貨物列車を出して来ました。時代が合わない組み合わせですが😅、どちらも国鉄時代のイメージ、しんがりにヨ5000を連結しているのが共通点でした。KATO8046-1が2両在籍しています。
先日、大人の休日パスで乗車していた時です。その時は大人の休日パスの期間だったためか新青森発のはやぶさはほぼ満席状態。因みにはやぶさは全席指定席ですが新青森から盛岡駅までは大人の休日倶楽部パス(大人の休日パス)でも開いている座席に乗車することは出来ます。一方、盛岡駅から東京駅までは指定席券を購入していないと乗車する事は出来ません。新青森方面から盛岡に到着したはやぶさですが、車内放送でひっきりなしに「このはやぶさは全席指定席です。大人の休日倶楽部パスでは乗車する事が出来ません。」と放送を
55.10ダイヤ改正を目前に控えた9月下旬、大学の前期試験が終わるや否や、夏に続き再び九州へ向かった。今回のメインターゲットはダイヤ改正で混合列車とキハ82系が廃止される肥薩線大畑(ほかに鹿児島本線485系ボンネット、日豊本線寝台特急富士)である。旅の二日目の夜、西鹿児島からの夜行急行かいもんのハザで未明の鳥栖で降り、熊本に引き返した。そして、肥薩線経由の急行で大畑に着いたのが09:46。しかし、残念なことに雨が降っている。夏の九州も雨に祟られることが多かったが、今回もそうなってしまうのだろう
JR田沢湖線(盛岡駅〜大曲駅)は現在、秋田新幹線が乗り入れる区間の一部に組み込まれ、標準軌の線路に新幹線車両が運行される近代的な路線となっています。しかし路線は基本的に単線で、岩手・秋田県境を含む赤渕駅〜田沢湖駅の間は18.1kmもの駅間距離があり、この区間での列車交換の必要性から、岩手県側に大地沢(おおちざわ)、秋田県側に志度内(しどない)という2か所の信号場が設けられています。新幹線車両が走る区間に列車交換のための信号場があるというのも珍しいですが、この2つの信号場、路線開通と同時に昭和
天王寺駅に停車中の113系「春日色」私が高校生だった時の1982年に撮りました。大阪環状線から関西線経由奈良方面行きの快速といえば「大和路快速」、1973年の関西線電化から113系での快速運用が始まりました。当時の113系といえば湘南色や横須賀色のイメージが強かったのですが、前年にデビューした阪和線の水色と同じ塗分けで、こちらは朱色を纏ってデビューをしました。この朱色のカラーは「春日色」と呼ばれ、奈良の春日大社の鳥居や建物の色をイメージして採用されたようです。けっこうこの色が好
武庫川橋梁への坂を上る7000系(西宮北口-武庫之荘)1984年撮影写真は「御影」止まりで幕が無いため白幕になっています。最近、のせでん向けへの改造が話題となっている7000系、、省エネ車両として1980年に誕生した阪急7000系、6000系をベースに作られたのでかっちゃん的には外見の見分けがつきません。近年になって編成の組み換えや廃車、リニューアルされた車両など多種多彩な形式になっています。写真はまさに「原型」で屋根部分も白くなかった頃のものです。やっぱりオリジ
車庫に向かう1700形+630形混ぜこぜの回送1981年撮影630形関目駅1981年撮影1983年(S58)12月に架線電圧が600Vから1500Vに昇圧されましたが、少し前から6000系の導入が進められており、1500V昇圧切り替え時には旧型車の大半が引退しました。晩年の1982年頃はラッシュ時に多くみられた旧型車両の通勤輸送風景、クーラーが無かっただけに夏は厳しかったでしょうねぇ。この他にも「40年前の国鉄・私鉄」の写真などをyoutube
国鉄時代乗客から合理化反対とスローガンが貼られた中央線快速の103系です。見ての通りスローガンが貼られてます。西武6000系に菱形パンタグラフに戻せシングルアームをやめろスプレーで描いて欲しいですね。
瓦町駅に停車中の30形(左)と3000形(右)1982年撮影左の30形はもと京浜急行電鉄230形で、写真の33号は京浜電鉄→東急電鉄→京浜急行の経歴を持つ車両でした。右の3000形は琴平電鉄開業時(1926年)から活躍しており、写真の325号は2006年まで活躍していました。懐かしい車両ですが、昔の瓦町駅も懐かしく長閑ですね。この他にも「40年前の鉄道」をyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ幸いです。是非ともお立ち寄
須磨浦公園駅を出発した2000系アルミ車1981年撮影山陽電車と縁の深い川崎車輛(現在の川崎重工業)で1962年に製造されたオールアルミ製車両の2000系(5次車)です。今では当たり前となった鉄道車両のアルミ化の先駆けともいえるこの車両、当時は川崎車輛による試験的車両としての位置付けでもあったそうです。1990年に廃車(除籍)となりましたが、東二見車庫の構内に現在も保管されており、イベント時に公開されることがあるそうです。この他にも「40年前の国鉄・私鉄」の写真などをy
社会人3年目(1986年)の春に予想される地方勤務の前に心残りがないようにと、人事発令までに懸案となっていた撮影地を何ヵ所か訪れた。そのうちの一つが東海道本線早川〜根府川間にあるカーブしたコンクリート橋である。この橋梁は「玉川橋梁」というのが正式名称らしいが、当時はそんなことも知らず、「石橋の鉄橋」と呼んでいた。ここは学生時代に何回か訪れたことがある。いずれも日の高い時間帯で、日の出直後の斜光線を受けて走りゆくブルートレインなどを撮影することはなかった。この橋梁は海側から見ると凸状になってい