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高松駅で出発を待つキユニ261982年撮影昔は高松駅より各方面に列車が出ていました。このように荷物車が先頭に立っているとカッコいいですね。この他にも「40年前の鉄道風景」をちょっとだけyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ幸いです。是非ともお立ち寄りくださいませ。ただ今、ネガのスキャンを進めてますのでどうぞよろしくお願いいたします。もしよろしければご登録お願い致します。(いち早く更新の情報がわかります)昭和
2019年3月まで広島地区のJR沿線では旧国鉄時代の車両がいっぱい走っていました。車輛に施された塗装もさまざまで、次に来るのは何だろう?とちょっぴりワクワクしながら電車待ちしていたものです。それが全車両新型のステンレス製の電車に置き換わってしまい、赤い電車ばかりが目につくようになって一気に熱が冷め、線路近くでカメラを構えることはほとんどなくなりました。旧国鉄時代の車両形式のひとつに113系があり、中国地方では唯一岡山地区で運用されていましたが、今月とうとう終焉を迎えるようです。
ショック!地元で愛されているお店の閉店以前ブログで紹介した仙台駅1階にあるパスタハウス「トライアングル」『やっぱり美味しかった♪仙台名物「トライアングル」の特性スープスパゲティ』仙台名物「トライアングル」の特製スープスパゲティ今日は仕事帰りに仙台駅1階にあるパスタハウス「トライアングル」へ行ってきました地元民にはお馴染…ameblo.jp地元に愛されているお店でしたがな、なんと!8月末をもって閉店する
12月24日クリスマスイブ。こちらは17年前に磐越西線で撮影したSLX'masトレインです。2008年12月21日磐越西線SLX'masトレイン蒸機の思い出今日の1枚は、1975年12月24日50年前の夕張です。この日は国鉄蒸機本線運用最後の日、私は夜行列車を利用して早朝に夕張へ着きました。そこにいたのはカマボコドームに船底テンダの戦時型D511086号機でした。楽しいはずのクリスマスイブ、この日は私にとっては生涯忘れることのできない悲しいイブとなりました。
高松駅で出発を待つキハ58「急行あしずり」とキハ20「普通列車」1982年撮影まだ瀬戸大橋がなかった頃の本四連絡は宇高連絡船で、四国の玄関口高松駅より各方面に列車が出ていました。この頃の特急はおもにキハ181系、急行はキハ58,28,65,55などが運用されていました。急行にはヘッドマークが掲出されており、行き先に因んだ愛称が付けられていました。この他にも「40年前の鉄道風景」をちょっとだけyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じ
真岡鐵道のSL新年号、復路上り列車の撮影開始です。久しぶりに猫さんとこにお邪魔しました。白煙でしたがなかなか良い煙でした。復路の2箇所目は太陽が低いこの時期ならではのシルエット狙いでこちらへ。連写でとうぞ。2025年1月11日真岡鐵道SL新年号1972年8月27日に岩見沢第一機関区で撮影したD511149号機です。この頃はD51や9600、C57がまだウヨウヨ在籍していました。
八高線を走行中のキハ35900番台通勤型気動車の「異端児」ともいえるキハ35900番台、外吊り扉のスタイルだけでも十分「異端」でしたがステンレス車も存在していました。この900番台、誕生時は無塗装で異彩を放っていましたが、晩年は鋼製車に合わせた朱色に塗られてしまいました。まさに気動車版の103系ですね。。この他にも「40年前の国鉄時代」の写真などをyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ幸いです。是非ともお立ち寄りくださいませ
しばらく間が空いてしまい失礼いたしました。新庄駅で大休止をした管理人ですが、いよいよ復活した区間に足を踏み入れます。この車両で新庄~院内間は復旧に当たり電化設備を返上したので、気動車による運転になっています。それも秋田からGV-E400を持ってきて運用。上りの朝の列車と下りの夜の列車は、秋田~新庄間を通し運転するので、恐らくそれで車両基地との出し入れをするのでしょう。ちなみに、この区間でGV-E400を充当することが可能になったのは、津軽線末端区間(中小国-三厩)の廃止が確定し
昭和のひとコマキハ55唐津線山本駅なんか青春ドラマのひとコマって感じで、中村雅俊さんの歌が合いそうですね(笑)この他にも「40年前の国鉄時代」をちょっとだけyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ幸いです。是非ともお立ち寄りくださいませ。ただ今、ネガスキャンを進めてますので今後もどうぞよろしくお願いいたします。もしよろしければご登録お願い致します。(いち早く更新の情報がわかります)昭和の鉄道風景【阪神電
今日はKATOの12系、整備した予備車3両をどう使うか?の話です。増結して6+6の12連、’85年頃の表題列車;急行ばんだい・ざおうを再現します。実車写真を交えて記載、走行動画も出て来ます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。通常はJR東日本時代;9両編成の急行ざおう81/82号運転ですが、整備した↓増4~6号車、急行ばんだいのサボシール(自作)を貼った車両を増結して12連に..(写真左が増4号車)『12系客車増結対応~6号車の次が増4号車[鉄道模型]』今日
冬の西陽が辺りを黄金色に染めていました。土浦からの貨物を牽いてきたのはトップナンバーの1号機でした。EH500-1は久しぶりでした。蒸機の思い出今日の1枚は、1974年に石北本線美幌峠で撮影したC58牽引の貨物列車です。
台車に着ける乗務員ステップ。乗務員ドア真下の台車にステップを取り付けますが、穴の径と挿し込むパーツの太さとが微妙に合っていないという違和感があります。リリースされた時期が古いのもあるかもしれませんが、工作精度が甘い…と。信頼と実績のMadeinJAPANではないのが残念…乗務員ドアの手すりの穴が浅いのか、手すりが浮いたようになるのが気になります。乗務員ステップをアクアリンカーで接着。振動部分なので走行中にパーツが緩んで抜けることもあるかも
今日はかなりマニアックなお話になるため、興味の無い方はスルーして下さい😅私は最近、仕事で京成本線の京成関屋駅付近に出没しているのですが、それを関西在住の友人に話たところ、友人曰く、「そう言えば、関屋のスユ37はまだ残っているの❓️」と訊ねてきました。(京成3700形・京成関屋駅にて)友人に内容を詳しく聞いてみると、その場所にはかつて、東武線の引き込み線が延びており、千住貨物駅があったそうです。その跡地の一角に、分断された旧型客車の廃車体(スユ372004)が置かれているらしく、マニ
ああ、今日はお休みですが、およそ8年ぶりの歯医者さん!医者は嫌いじゃないけれど、歯医者さんだけはねぇ。麻酔が効かないとヤなので、珍しく昨日は禁酒したし。朝起きて、ブログ書いてますが、気分はドキドキ状態です~混雑した名古屋駅の売店で、並んで買いました。「復刻弁当」1040円懸け紙がちょくちょく変わるそうで、今回の絵柄は、古き良き時代の蒸気機関車「C53」でした。昔の国鉄時代の基本がしっかり備わった内
新大阪駅を通過する復路の東京行「つばめ」1981年7月26日撮影1981年の7月に国鉄が臨時列車として東京-大阪間にリバイバルトレイン「つばめ」を1往復運転しました。使用された車両はお召し機EF58-61牽引の14系座席客車で、なんと食堂車も連結されていました。(食堂車はオシ14)当時はけっこう話題になっていたので私も復路の東京行を撮りに行きました、最初は大阪駅に行きましたがホームが人人人でいっぱい!!とても撮影できる状態ではなかったので隣の新大阪駅で撮りました、新大阪駅も
大阪駅で出発を待つ糸魚川行き夜行急行「立山」1980年頃撮影1980年頃の関西発着の夜行急行はおもに九州山陰方面「雲仙、西海、阿蘇、くにさき、だいせん」東北信州北陸方面「きたぐに、ちくま、立山」東京方面「銀河」などの運行がありました。ほとんどの夜行急行が客車列車だったのですが大阪を23時過ぎに出る糸魚川行きの「立山」は電車の夜行急行でした。ヘッドマークがいい感じですね~。この他にも「40年前の鉄道風景」をちょっとだけyoutubeにて紹介しています。※みなさまが
国鉄列車の便所(トイレと言わない)汚物💩そのまま線路に垂れ流しだった幼児の頃、SL-D51の鈍行客車や急行電車の汚い便器から!線路が大きく丸見え⚡️ガタンコ゚トン♪音も恐怖でしたSLの特急つばめ旧型客車を●復元するなら歴史として🌧️太い垂れ流し管を付けるべきこの実物を保管してる方は、ゴミを売る通販場所となったヤフオク出品してみよう私は人の真似やマニュアル通りが嫌いなのですが、鉄道模型で汚水流し管をウェザリングしてるの私だけだと思います。なのでS30年代の花形★特急こだま★つばめ★
武庫川橋梁への坂を上る7000系(西宮北口-武庫之荘)1984年撮影写真は「御影」止まりで幕が無いため白幕になっています。最近、のせでん向けへの改造が話題となっている7000系、、省エネ車両として1980年に誕生した阪急7000系、6000系をベースに作られたのでかっちゃん的には外見の見分けがつきません。近年になって編成の組み換えや廃車、リニューアルされた車両など多種多彩な形式になっています。写真はまさに「原型」で屋根部分も白くなかった頃のものです。やっぱりオリジ
しばらく前にEF8181号機が廃車のため土崎工場入りしたという。ED75758号機を次位に従え、自走して奥津城に向かったらしい。EF81がデビューしたのが1968年、81号機は1973年製だから、50年以上の長きにわたり第一線で働いたことになる。電化区間であれば交直や周波数を問わずどこにでも入線できる、まさに万能機として長寿を全うしたといえる。とはいえ、僕はEF81ファンではない。なぜか関心を寄せることはなかった。そういう意味では、ED76やEF60・EF65一般型と同じである。前面非貫通
8月16日に東武鉄道で撮影してきたSL大樹です。こちらは大樹1号のファーストショット。杉に囲まれた直線をゆっくりと近づいてきます。機関車は緑プレートを付けた325号機でした。2025年8月16日東武鉄道SL大樹蒸機の思い出今日の1枚は、室蘭本線のC5757号機です。1974年9月に栗丘-栗山で撮影。
SLばんえつ物語、5年前のラストランです。ヘッドマーク無しで門デフ装備。晩秋から初冬への季節の移ろいを呈していました。門デフ装備の貴婦人のこの角度が大好きです。夕日に門デフのシルエットが浮かび上がりました。2020年12月5.6日磐越西線SLばんえつ物語今日の1枚は1974年3月に旭川機関区で撮影した79616号機です。この罐は私が倶知安在住の頃は毎日のように見ていた元二つ目重装備機です。旭川に来てから二つ目ではなくなりました。
関目駅を通過する1700系1981年撮影増設された中央扉が両開きだった1700系1981年撮影京阪特急の専用車両として1951年に誕生した1700系、当時としては有料特急並みの豪華さで人気があったそうです。のちに1800系列の増備などにより1965年頃から一部の車両をロングシートなどへの変更による一般車化が進められました、一般車化に際し2扉のままではラッシュ時に対応できないため中央部分に両開きの扉が追加されています。両開きになったのは窓配置の関係と乗降時間の短