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風も穏やかで、陽射しもたっぷりあって。たぶん・・外を歩くと暑いやつ。めずらしく・・6時に起きた。子供はすでに出社。配偶者はウォーキングか?とりあえず誰も居ない。もちっと寝るか?とも思ったけど、なんか外の空気が冷たくて目が覚めてしまった。とりあえず・・洗濯。「いってきます~」と子供からのLINE。起きたときに目につくところに猫のぬいぐるみが置いてあった。毎日の光景。なんか・・よい。・・・今日は外出の予定もないし?もともと在宅ワークだった配
新造直後で回送中のひとコマ大阪駅1979年撮影真っ赤なボディーが特徴だった50系客車、旧型客車を置き換えるために1977年から約5年間の間に953両製造されましたが、この頃すでに電車や気動車化が進んでおり、わりと短命だった客車です。一部の車両は無理やりディーゼルエンジンを載せて気動車化された際物もありましたが、コスト面で割に合わず少数に留まっていますね。。けっこう斬新なカラーだったので当時は「レッドトレイン」って呼ばれて話題になりましたねぇー。写真は新造直後で回送中の
おはようございます今朝のブログは、昨日の今日は何の日というお題に関したことを、丹後に家族と暮らしていた時に書いたブログとともに書きます鉄道に乗って出かけたい場所は?とのことですが何度も書いてるが、俺は小学2年で始めてカメラでSLの写真を撮影して鉄道が好きになり、その後は小学5年の夏休みに大阪の藤井寺の実家から、国鉄の小人料金のワイド周遊券を手にした俺は、四国へと鉄道ひとり旅にでたのであるそこからはひとり鉄旅を繰り返し、大阪芸大で写真学生だった頃には、沖縄も含めて47都道府県に足を下ろして
季節外れにならないうちに今回も2機同時に検査に入ります。応援凸&ご訪問感謝励みになりますにほんブログ村鉄道ブログランキングTOMIX12104JREF64-1000形(1030号機・双頭形連結器付・長岡車両センター)TOMIX12103JREF64-1000形(双頭形連結器付・新潟車両センター)この角度で見るとほぼ同一仕様の二機ですが、細かいところで差異がある…はずです。(←マテ)左が12103新潟車両センター右が121041030号機長岡車両センタ
大阪駅に到着した「つるぎ」1981年頃撮影この頃、関西からの夜行列車といえば九州方面へのイメージが強かったのですが、1980年代は北陸・東北方面や信州方面などへの夜行特急や急行が運転されていました。当時の日本海縦断の夜行特急といえば「日本海」と「つるぎ」で「日本海」は青森行き「つるぎ」は途中の新潟行きでした。現在は北陸新幹線の列車名として活躍しています。ちなみに「つるぎ」の列車名は、立山連峰の剱岳(つるぎだけ)から採用されています。この他にも「懐かしい鉄道」をちょっとだけyo
大阪駅に停車中の荷物列車昭和を駆け抜けた名機関車の一つ「EF58」はもともと凸型のスタイルで31両が製造、続いて増備された32号機以降は写真のような箱型となっています。のちに凸型だった1-31号機も箱型に改造されて32号機以降と同じスタイルになりました。このEF58は1946年~1958年の間に172両造られ、東海道や山陽本線を中心に各地で活躍しました。写真は俗に言う「大窓形」で一番美しいスタイルのEF58だと思います。しかし、パンタグラフが下枠交差型なのがちょっぴり残念。。
1988年、3セク直後の真岡鉄道に来ました。国鉄時代に真岡線には完乗しましたが、「事業体が変わったら再び乗車する」というマイルールにより再度の乗車。お陰で北海道から九州まで、随分と散財しましたが・・・以前と全く変わらない茂木駅構内に、何故かキハ20が置かれていました。昭和の風景に不釣り合いなのが「軽快気動車」のモオカ63でしたが、この車両が廃車となって既に20年が経っています。
「青春18きっぷ」で飾磨港線、鍛冶屋線、北条線、三木線を乗車し、加古川駅には高砂行きの2両編成が乗り換え待ちでした。(1983.3.17山陽本線加古川駅構内)加古川から15分で終点高砂に到着、5分後の折り返し列車で加古川へ戻りました。平凡な風景に全く記憶が無いものの、野口駅で接続する別府鉄道の気動車が車窓から見え、キハ20の窓を開けて1枚だけ撮れたのが収穫でした。(1983.3.17別府鉄道野口駅構内)
2600系四条駅1981年撮影三条に向かう3000系特急四条駅1981年撮影風情ある鴨川沿いを走っていた地上時代の京阪電車です。残念ながら1987(昭和62)年に地下化となり、軌道跡は一般道路(川端通り)になりました。この他にも「40年前の国鉄・私鉄」の写真などをyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ幸いです。是非ともお立ち寄りくださいませ。ただ今、ネガスキャンを進めてますので今後もどうぞよろし
1973年3月、家族旅行で京都を訪れた折、梅小路蒸気機関車館に寄りました。当時は、16形式16両のうち12両が動態保存で、その大半が有火状態でした。訪問時点では、近畿圏内で紀勢本線や関西本線ではSLが現役でしたので、無理をすれば現役SLを観る機会もあったのですが、そこまで頭が働きませんでした。機関区内を一巡し、構内の片隅にいるナンバーがペンキ書きのC11311が妙に気になりました。ネットで検索すると、訪問時点では休車状態で、その後「本州内で最後の在籍SL」だったとのことです。何と、保存
国鉄時代の修学旅行電車と言えば155系や159系のイメージが強いですが、後年に167系電車がありました。167系は1965年に国鉄最後の修学旅行用電車として製作された系列で、155系や159系に準じた作りとなっていますが、座席が3人から2人掛け掛け、155・159系よりも出力の高い主電動機と勾配抑速ブレーキ付きを搭載、外観上の違いは、客扉が1000ミリ幅から700ミリ幅、塗装の塗り分けなどが主な違いです。晩年は「アコモ改造車」として塗装変更と座席を簡易リクライニングシートに交換されました。
福塩線には、いつまで乗り入れてくれるのかな?115系電車が次々に定期運用離脱、廃車私の高校時代に投入された電車よく働きました2016年4月2日撮影福塩線備後本庄~横尾間調べるとこのD13編成は2024年6月14日廃車とALL黄色にコストダウンのため塗り替えられたのは残念でしたが、この季節にはお似合いでしたここの菜の花も今はもうほとんど残ってません
東海道本線(立花-甲子園口)武庫川橋梁を渡る「ク5000形」1978年頃撮影高度成長期の真っ最中の1960年代後半頃から鉄道貨物による自動車輸送が本格的に始まりました。当時は高速道路が整備されておらずキャリアカーによる長距離輸送がほとんどありませんでした、最盛期は1970年頃で拠点も29箇所ありましたが1980年代に入ると徐々に数を減らしていき1985年に全廃されました。全廃後に何度か復活されたりしたこともありましたが現在はほぼトラック輸送にシフトしています。写真は
地上線時代の岸里付近を走行する「きのくに」1981年撮影(私が高校生の時に撮影)かつて南海難波駅から白浜方面への急行「きのくに」が運転されていました。車両は、ぱっと見「国鉄キハ55型」で、キハ5501・5551形と名乗っていました、まぁーキハ55の設計から製造なんで似てるんですけどね。この列車の運用は難波から和歌山までは特急として走行、和歌山からは国鉄の急行「きのくに」と併結して白浜まで走っていました。残念ながら車両の老朽化や紀勢線の電車化にともない1985年3月1
大阪駅に停車中のキハ81博多行き「まつかぜ1号」1981年頃撮影昔の「まつかぜ」って12時間以上かけて博多まで行っていた凄い列車でした。しかも福知山線~山陰本線経由で、、、まぁ~全区間乗り通す人はいなかったでしょうねぇ。この他にも「懐かしい40年前の鉄道」の写真などをyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ幸いです。ただ今、ネガスキャンを進めてますので今後もどうぞよろしくお願いいたします。もしよろしければご登録お願い致し
茨木駅に停車中のクモヤ145けん引の113系1982年頃撮影クモヤ145形は101系から改造された事業用電車です。写真のクモヤ145-7は中間車モハ101からの改造のため、新たに運転台が取り付けられました。この形式はのちに主電動機が交換され元の番号+1000となりクモヤ145-1007になっています。写真はいつもの茨木駅で113系「阪和色」と「春日色」が混結されていた時のひとコマです。この他にも「懐かしい鉄道」をちょっとだけyoutubeにて紹介しています。※
「風合瀬」という駅名に惹かれて下車したところ、期待通りの荒涼とした風景、駅前に数軒の民家があるのみ・・・(1977.12.31五能線風合瀬駅)小高い丘の上から普通列車を撮影すると、次に乗る下り列車まで3時間以上空いてしまいました。国道沿いの大衆食堂を見つけ、ラーメン1杯で3時間粘りたい旨を店主に懇願、食後に頂いたビスケットを齧りながら列車を待ちました。(1977.12.31五能線風合瀬〜大戸瀬)
(飯田線田切については、3年ほど前に記事を投稿したが、その改訂版としてお読みいただければ幸いである。)飯田線の田切〜伊那福岡間にある中田切川に架かる鉄橋のあたりは、同線の中で最も知られた撮影適地だと思う(個人の見解です)。1975〜76年の蒸機全廃が迫りつつあった頃、ポストSLの被写体として飯田線に残る輸入電機のED18・ED19をとりあげた記事が目につくようになった。それらの記事の中で撮影に向いた場所として必ず紹介されていたのが中田切川橋梁だった。1981年初に僕が初めて飯田線を訪れた
茨木駅に停車中のクモヤ91けん引の583系1982年頃撮影車両基地での電車の入換や工場入出場時の牽引車として活躍していたクモヤ91、この車両は旧型国電72系の車体を1967年に改造して造られた事業用電車(職用車)で4両すべてが向日町運転所に配置されていました。当時はインターネットなどの情報が無かったのですが、写真の茨木駅によく停まっていることが多かったのでよくチェックをしに行きました。このクモヤ91形、JRに引き継がれた車両もありましたが1999年に最後の1両が引退し
当日、229レ室蘭発岩見沢行き普通列車に乗車、中間地点の苫小牧駅で13分間の停車。この停車時間で給水と石炭寄せが行なわれ、同業者に混じってカメラ片手に一連の作業を眺めました。(1975.7.20室蘭本線苫小牧駅構内)牽引機はC57135、のちに日本一有名な「シゴナナ」になるとは•••出発時刻が迫ると投炭が始まり、黒煙が勢いよく昇ってきたので、客車へと急ぎました。
今日はKATOから発売されたばかりのホキ9500と既存のホキ2500の話です。ED16やEF64牽引の青梅線貨物列車に連結~既に両数が揃っているのに2両だけ追加したのは、車掌車とのカプラー高さを合わせる為と、国鉄/JR時代を場合分けするための車両を持つのが目的です。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。KATO8066-2ホキ9500日本石油輸送を買いました。予約品が到着した形です。ホキ9514とホキ9518の2両セット、早速既存のホキ2500編成に混ぜて連
きょうは特急白鳥が1961年10月1日に運行開始した記念日です。(2001年3月2日廃止)写真は国鉄時代に新潟駅で写した特急白鳥です。まだ上越新幹線が開通する前です。
大阪駅を出発する名古屋行き急行「比叡」1980年頃撮影1両目が165系、2,3両目が155系、4両目から後ろが153系大阪駅1952年に名古屋~大阪間の準急として誕生した「比叡」、東海道新幹線の開業後も急行として活躍していましたが、1984年2月に廃止となりました。おもに153系の運用でしたが晩年は165系や155系が使われることもありました。写真は165系、155系、153系の混ぜこぜ編成です、デカ目がいい感じですね。155系(2.3両面)だけ非冷房なので
御殿場線は、山北駅を過ぎるあたりから山深くなり、谷峨駅の前後はカーブが続く山間地帯でした。当時の普通列車はスカ色の73系で、全金属から32系改造までの種々雑多な車両でした。谷峨駅を出た下り列車は原型に近い4両編成で、オール3段窓で統一された編成は、晩年の南武•鶴見線では見たことがありません。
天王寺駅に停車中の113系「春日色」私が高校生だった時の1982年に撮りました。大阪環状線から関西線経由奈良方面行きの快速といえば「大和路快速」、1973年の関西線電化から113系での快速運用が始まりました。当時の113系といえば湘南色や横須賀色のイメージが強かったのですが、前年にデビューした阪和線の水色と同じ塗分けで、こちらは朱色を纏ってデビューをしました。この朱色のカラーは「春日色」と呼ばれ、奈良の春日大社の鳥居や建物の色をイメージして採用されたようです。けっこうこの色が好
おはようございます、ぺぺです。いつもご覧いただきありがとうございます。本日9月30日は寝台特急「彗星」廃止の日(9月30日発10月1日着)って事で。9月30日は「彗星」が夜空へ消えた日……関西と九州を結んだ青い流星の物語9月30日と聞いて、普通の人なら「月末やなぁ」「明日から10月やなぁ」くらいかもしれません。しかし、鉄道ファンにとってこの日は特別な日なんです。そう……寝台特急「彗星」が最後の旅へ出発した日です。2005年9月30日。京都駅を出発した青い車体のブルートレ
妻の実家で見つけた、かつて国鉄時代の伊勢・鳥羽を走っていた国鉄参宮線の実物の行先板をオークションにかけたんです。これは義理父が昔国鉄の駅舎の掃除をした時にもらってきた物らしいんです。すると14900円で競り落とされました!びっくりです。僕にはただの鉄板にしか見えませんが。コレクションしてる人には価値があるんですね。もうひとつはフィギュア。検索するとワンピースSCulturesBIG造形王頂上決戦4バギーだって。これも義理父がUFOーキャッチャーで取ったものみたい。捨てれ
1980年3月14日発の夜行列車で西に向かった僕と鉄友の二人は小郡(現新山口)で山口線の普通列車に乗り換えた。東京からブルートレインに乗ったのか、新大阪から“雲仙・西海”に乗ったのかは記録も記憶もなく定かではない。1年間の浪人生活を終え、早速鉄ちゃんをやろうと、まだ入試結果の発表前というのに、先に入学していた彼を誘って山陰地方を巡る旅に出かけたというわけである。さて、山口線を仁保で降りた二人は集落道を歩き、築堤をよじ登って線路端に出た。そこはキネ旬の『蒸気機関車』誌に蒸機現役時代の写真が掲載
食堂車のセットメニュー青椒炒肉セット38元(950円)。ご飯、スープはおかわりできるピーマンと青唐辛子が入っているようだ。時々ピリ辛がある。刻みニンニクがいい香りつけをしていて食欲が進む。おかわりをしてしまった。優雅な食堂車ちゃんとオーダー通ってから作っていた。メニューはこんな感じ。廉価な弁当は25元(625円)から。買えば食堂車で食べる事もできる。セットは32元(800円)〜雄太な景色を見ながらの食事は楽しい列車が入線してきた向こうのホームには合肥発大連行き。様々な所からいろん
尼崎駅を出発した宝塚行きの103系1981年撮影福知山線の尼崎~宝塚間が電化されたのが国鉄時代の1981年、最初に導入されたのが黄色の103系でカナリア色と呼ばれていました。当時、関西地区の国電カラーで無かったのがこのカナリア色、初めて見たときはちょっぴり感動しました。写真は誕生直後に撮影、わざわざ自転車で30分かけて撮りに行きました。この他にも「40年前の鉄道」をちょっとだけyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ幸