ブログ記事2,108件
長尾駅に停車中の木津行キハ40(1両)と片町行101系1981年撮影学研都市線の愛称で親しまれているJRの片町線、学研都市線の愛称は1988年に付けられたのですが実は長尾‐木津間が電化される1年前だったんです。長尾‐木津間が電化されたのは1989年(平成元年)で、それまでは短い気動車がのんびりと行き来していましたが1997年の東西線開業によりこの路線も大きく変わりました。廃止となった片町駅は隣の京橋駅とは違いローカル色が漂った風情のある駅でしたねぇー、、この他にも「40年前の
しばらく前にEF8181号機が廃車のため土崎工場入りしたという。ED75758号機を次位に従え、自走して奥津城に向かったらしい。EF81がデビューしたのが1968年、81号機は1973年製だから、50年以上の長きにわたり第一線で働いたことになる。電化区間であれば交直や周波数を問わずどこにでも入線できる、まさに万能機として長寿を全うしたといえる。とはいえ、僕はEF81ファンではない。なぜか関心を寄せることはなかった。そういう意味では、ED76やEF60・EF65一般型と同じである。前面非貫通
京浜工業地帯を走る鶴見線系統に残る旧型国電の撮影に出かけたのは1977年4月7日だった。当時高校生の僕は(鉄道研究会ではなく)写真部に所属し、モノクロフィルムは自家現像をしていた。そのネガファイルに日付が書かれているので間違いないと思う。しかし、撮影メモなどは取っていないので、どういうルートでどういう行動をしたのかは覚えていない。ネガに残るカットの順に行動を推測するしかない。鶴見線を走る電車が新性能化されたのが1980年1月だから、そろそろ旧型国電が置き換えられるという噂が出ていてもおかしくな
久~し振りのアップです。飯田線213系の続編投稿もほったらかしでNゲージをいじっていました。今回のネタは国鉄時代の交直流電車401系。401系と言ってもTOMIXの立派な401系ではありません。その昔、踏切事故にあったなどと酷評だったマイクロエースの401系。ヤフオクで安く出ていて、あまりにも可哀そうなので、リニューアルしてみる事に!という事で、毎度おなじみイキナリのいじった後の姿がコチラ。そうです。欲しかったのは、401系ではなく地元九州の421系低運転台車!白線消したり色
JRの乗車券を購入するため、渋谷駅のみどりの窓口に行きました。みどりの窓口を訪れるのは、かなり久しぶりで、おそらくここ7〜8年は無かったと思います。渋谷駅はいつ行ってもどこかが工事中で、迷路のような遠回りの通路を通り、ハチ公口から西口に回り向かうことになります。私は鉄道関係の仕事に就きたいと思ったことはほとんどありませんが、国鉄時代のみどりの窓口で、マルス(パタパタ)を扱い、指定券を発行してくれる駅員さんのことが、とてもカッコよかったと、印象に残っています。希望する列車の指定
大学生活の4年間、櫛の歯が欠けるように国鉄ローカル線が廃止され、周遊券や青春18きっぷを手に「国鉄全線乗車」の旅に出かけました。北海道内のローカル線では、1日僅か2往復の湧別駅でも駅員が常駐しており、折り返し時間の6分間で、下車印と入場券を収集していました。万字炭山、渚滑、北見相生、幾春別、歌志内、上砂川と数々の下車印・・・いずれも駅も、訪問から1~2年後には消えてしまいました。今よりも格段に使い勝手が良かった「青春18きっぷ」は、周遊券が使えない区間で重宝しました。1枚の「青春18き
2025年8月、所用で福岡に帰省しておりました。東京に戻る便が夜だったので、朝から夕方にかけて、大人の日帰り旅行に行きました。博多から佐賀を通り、有田から松浦鉄道線に乗車、その後念願の筑肥線の完乗を果たす、という流れ。キハ125形、ロマンシング佐賀ペイント列車で唐津までやってまいりました。ここから唐津線の終点、西唐津まで向かいます。特に用事はないのですが記念乗車ってやつですね。列車で唐津に来たのは小学生以来ですから、あれから40年近くも時間が経っていました。。。そして、40年
名古屋駅に到着したパノラマカー1983年撮影名鉄名古屋駅の風景を撮っていたので、、、行先案内が「ブラウン管モニター」だった頃が懐かしいですね。ごちゃごちゃ感は昔も今も変わりませんこの他にも「40年前の国鉄・私鉄」の写真などをyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ幸いです。ぜひとも遊びに来てくださいませ。是非ともお立ち寄りくださいませ。ただ今、ネガスキャンを進めてますので今後もどうぞよろしくお願いいたします。もしよろし
僕の鉄道趣味人生の中で、昭和50年代(1975〜1984年)は暗黒の時代だったと思うし、そのことはだいぶ前の当ブログにも記したことがある。『鉄道趣味の暗黒時代』1975(昭和50)年12月に国鉄の営業路線から蒸気機関車が消えて以降の昭和50年代(1975-1984年)をふりかえってみると、鉄道趣味、特に国鉄車両の写真…ameblo.jp昭和50(1975)年のスト権ストに始まり、数々の不祥事が相次いで報道され、国民の国鉄に対する否定的な見方は強まるばかりであった。政治的には国会で国鉄の分割民
昨年、、、、いつだったか?購入して長らく保管状態だったこちらを開封しましたので、ご紹介します。と、言う事で、ようやくうちにも『ゴハチ』導入です。3040-1EF5866竜華機関区この人気の高い『EF58』は様々な仕様で展開されており、今回新たに加わった竜華機関区仕様を導入しました。いつものイラストも竜華機関区仕様で記されています。いよいよ開封です。大窓ひさし付き金型はこれまでと変わらずなのか、安定の『ゴハチ』です。取説で
前回の記事で、113系などの直流新性能近郊型電車に向けて「シャッターを切ったのは極めて稀である」と記した。東海道本線などでEF58を待っているときですら113系はほとんどといってよいくらい撮っていない。しかし、同じ東海道本線でも関西方面にEF58を撮りに遠征したときなどは、首都圏に比べればかなり多く撮影しているようだ。やはり関西という異国!?の地では物珍しさも手伝って、113系といえども結構まめに撮っているという印象だ。手元に残る撮影メモで一泊二日以上で関西方面に遠征した回数を調べてみると、
D51で運行されたD51ばんえつ物語です。この頃は線路際の障害物もなくスッキリと撮影することができ大人気の撮影地でした。雪を纏った飯豊山と右奥にはたわわに実った柿の木がありました。晩秋の小布施原。白煙が棚引きます。2006年11月25日磐越西線D51ばんえつ物語今日の1枚は1973年に倶知安機関区で撮影した79616です。機関区裏手の引き込み線にはキ100などのラッセル群が留置されていましたが、冬の到来を前に各地に送る準備をしていました。機関区裏手にはこんなのも留置されていました。