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今日はKATOの車掌車ヨ6000です。再販されたものを購入、早速自己流のアレンジを加えています。DCCでは両側のテールライトが点灯しちゃうのでスイッチ取付、手すり表現追加、自作室内灯入れ、カプラーの交換などです。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。仕上がったヨ6522です。国鉄時代に貨物列車の最後尾に連結され、車掌さんが乗務した車掌車です。早速製品の状態から色々変わっています😁。KATOの8064;実は再販を見落としていて、発売の少し前に慌てて予約したものが到
おはようございます。先程、友人との情報交換で初めて知ったのですが、伊豆急下田止まりの伊豆急行線、かつて石廊崎まで線路を延ばす計画があったとのことです。現在は道路で換算して片道18.8km、所要時間46分の道のりです。地図で見た限り、海岸沿いに線路を敷くには非常に難工事となりそうですが、実際に完成すると素敵なオーシャンビューの車窓が楽しめそうですね。また、今では観光路線として重宝しそうにも思えますが、国鉄時代に採算性が取れないとのことで着工には至らなかったのかもしれません。
今日はかなりマニアックなお話になるため、興味の無い方はスルーして下さい😅私は最近、仕事で京成本線の京成関屋駅付近に出没しているのですが、それを関西在住の友人に話たところ、友人曰く、「そう言えば、関屋のスユ37はまだ残っているの❓️」と訊ねてきました。(京成3700形・京成関屋駅にて)友人に内容を詳しく聞いてみると、その場所にはかつて、東武線の引き込み線が延びており、千住貨物駅があったそうです。その跡地の一角に、分断された旧型客車の廃車体(スユ372004)が置かれているらしく、マニ
JRの乗車券を購入するため、渋谷駅のみどりの窓口に行きました。みどりの窓口を訪れるのは、かなり久しぶりで、おそらくここ7〜8年は無かったと思います。渋谷駅はいつ行ってもどこかが工事中で、迷路のような遠回りの通路を通り、ハチ公口から西口に回り向かうことになります。私は鉄道関係の仕事に就きたいと思ったことはほとんどありませんが、国鉄時代のみどりの窓口で、マルス(パタパタ)を扱い、指定券を発行してくれる駅員さんのことが、とてもカッコよかったと、印象に残っています。希望する列車の指定
社会人3年目(1986年)の春に予想される地方勤務の前に心残りがないようにと、人事発令までに懸案となっていた撮影地を何ヵ所か訪れた。そのうちの一つが東海道本線早川〜根府川間にあるカーブしたコンクリート橋である。この橋梁は「玉川橋梁」というのが正式名称らしいが、当時はそんなことも知らず、「石橋の鉄橋」と呼んでいた。ここは学生時代に何回か訪れたことがある。いずれも日の高い時間帯で、日の出直後の斜光線を受けて走りゆくブルートレインなどを撮影することはなかった。この橋梁は海側から見ると凸状になってい
御坊付近を走行する「くろしお」1973年撮影パンダの中国返還で残念なことになっている南紀白浜、今となっては高速道路の普及で日帰りも可能となりました、しかし道路整備が整っていなかった昭和時代はほとんどの旅行客が鉄道での移動でした。当時、関西からの特急は「くろしお」、急行は「きのくに」でした。ディーゼル音を響かせながら走る姿はなかなかカッコよかったですねー。この他にもちょっとだけYouTubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ幸い
6月21日と22日の2日間で撮影したSLもおかの後補機をDLもおか風にアレンジしてみました。実際の撮影順は逆になります。DLが先頭で走っていると思って見ていただければ楽しいかも。赤い凸は緑に実によく映えます。早苗ちゃんはこんなに大きくなりました。ここでは後追い風に撮ってみました。少し高いところから。赤い花を前ボケに使ってみました。稲の緑の絨毯がとても綺麗です。合歓の花が咲いていました。DE10も50系も今では貴重な存在です。こちらはお馴染みの場所ですね。笹原田の田圃はすっか
日付か変わり、ゴールデンウィーク明け最初の出勤日となりました。今日くらいは、休み明けなのでリハビリのような感じで仕事をこなしたいと思いますが、そうはさせてくれないでしょうね(笑)。ということで、本当は4月に入線していましたが、ブログ記事の更新が滞っていたため、今頃の報告となりますが、待望のTOMIXさん製のキハ20(モーター付き)が入線しました。再生産を暫くしていなかったこともあり、中古市場でも比較的高値で手が出なかったため、今回のリニューアル再生産は、ちょっと嬉しかったです。前面、側面
中央本線高尾駅(イベントのため14系客車が連結されています)戦後、旅客列車牽引用として誕生したEF58に対し、貨物列車牽引用として製造されたEF15です。デッキタイプの機関車ってカッコいいですね。。実はこの写真「モノクロ(白黒)」だったのですが、パソコンを使ってカラー化した写真です。この他にも「懐かしい40年前の国鉄・私鉄」の写真などをyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ幸いです。昭和の鉄道風景【阪神電車が好きなかっちゃん
木津駅に停車中のDE10+DD51重連の荷物列車1981年撮影1981(昭和56)年の懐かしい木津駅の一コマです。関西本線、奈良線、片町線が乗り入れていましたが当時は3路線とも非電化でけっこうローカルなイメージが強かったです。ローカルなイメージとはいえ列車や貨物の往来が結構あったので楽しい駅でもありました。写真は突然やってきたDE10とDD51重連の荷物列車で、興奮を抑えながらシャッターを切っていた記憶があります。「やっぱり重連はカッコイイ」ですね。。この他にも「40年
一般客目線での回答になるけれど、ファン目線ならなお国鉄時代の方が楽しかったのは言うまでもない国鉄時代(特に1970〜1980年代)の鉄道サービスは、「不便だった」という評価と「実はそれほどでもなかった」という評価が両方存在します。ネットや一部の鉄道ファンでは「国鉄は不便だったのに民営化で良くなった」という意見が根強い一方、実際のデータや当時の比較を見ると、**全体として「不便だった面は確かに多かったが、定時性・価格面では今より優位だった部分も大きい」**というのが実態に近いです。以下に
数日前に御福餅の包装に4個入が出来た事を知る。まだJRの前だった国鉄時代は名古屋駅ホーム売店には赤福餅の販売が無く、不思議と御福餅が並び間違えて買ってしまう人も居た。鉄道弘済会の売店はかなり国鉄の影響力も在って、赤福餅が駅売店では置いて居る店舗が少なかった。そんな昭和の時代から伊勢の名物赤福餅が、名古屋駅の新幹線ホーム売店で売って居ない時代を知る小僧から見ると令和時代になって逆に御福餅が名古屋駅新幹線ホーム売店で買え無いが時代に。知ら無い方も居る
こんにちは。オケタ模型です。本日の入線はkatoの、「オハネフ1255(夜行鈍行「はやたま」assyパーツ組み)」その②です。※ブログ容量の関係で、2回(その➊・その❷)に分けて掲載します。〈前回の記事(その①)は↓↓↓コチラ〉『KATOオハネフ1255(夜行鈍行「はやたま」assyパーツ組み)」入線‼️その➊』こんにちは。オケタ模型です。本日の入線はkatoの、「オハネフ1255(夜行鈍行「はやたま」assyパーツ組み)」その➊です。※ブログ容量の関係で、2回(
東京駅に停車中の伊豆急下田行き183系「踊り子」1982年4月撮影東京から熱海伊豆方面へのリゾート特急と言えば「踊り子」、今現在も運行されみんない愛されていますね。踊り子と言えば緑のストライプがアクセントだった185系が有名ですが、一時期183系での運用がありました。写真は東京駅に停車中の183系です、オリジナルの国鉄型スタイルがキマってますねー。この他にも「懐かしい鉄道」をちょっとだけyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じてい
1975年、北海道SL撮影行で初めてキハ22を見ました。板張りの床、二重窓などの寒冷地仕様に興味深々でした。(1975.7.21夕張線追分〜東追分)確か、キハ12にも乗った記憶がありますが、何故か撮らず仕舞い・・まぁ、いずれにせよ夕張線のようなローカル線でも、3両編成の普通列車に多くの乗車が居たのが、今となっては考えられない光景ですね。(1975.7.21夕張線追分〜東追分)その後、高校と大学浪人生活を経て、9年後に北海道を再び訪問。塗装は「首都圏色」になれど、道内の主力気動
1965年頃の撮影譲り受けたネガから1枚。。当時、東京~伊豆急下田・修善寺を結んでいた急行「伊豆」です。1964年11月に登場。登場からしばらくは157系電車が使用されていましたが、1969年4月のダイヤ改正で誕生した特急「あまぎ」に157系を譲り、以降は153系での運用になってしまいました。写真は157系時代の姿、たった3年半のデラックス急行でしたね。。この他にも「40年前の鉄道風景」をちょっとだけyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー
ショック!地元で愛されているお店の閉店以前ブログで紹介した仙台駅1階にあるパスタハウス「トライアングル」『やっぱり美味しかった♪仙台名物「トライアングル」の特性スープスパゲティ』仙台名物「トライアングル」の特製スープスパゲティ今日は仕事帰りに仙台駅1階にあるパスタハウス「トライアングル」へ行ってきました地元民にはお馴染…ameblo.jp地元に愛されているお店でしたがな、なんと!8月末をもって閉店する
台湾の物価上昇は、世界的に普通だと思う。横這いでも急上昇でもない。最優等生なのは台北市内バスかな。30年間ほぼ上がっていない。韓国の上昇速度は日本に無いレベル。40年前に初めて旅行した時は、市内バスが100ウォン台、ラミョン(即席麺に具が乗って出てくる)が400ウォンだったから、今の10分の1かな。日本はと言えば、僕が若かった頃は、今の台湾並みの速度で上がっていた。ビックラこいた1位は、国鉄初乗り運賃が、30円からいきなり60円になった時かな。終戦直後のハイパーインフレ
前回の記事で、113系などの直流新性能近郊型電車に向けて「シャッターを切ったのは極めて稀である」と記した。東海道本線などでEF58を待っているときですら113系はほとんどといってよいくらい撮っていない。しかし、同じ東海道本線でも関西方面にEF58を撮りに遠征したときなどは、首都圏に比べればかなり多く撮影しているようだ。やはり関西という異国!?の地では物珍しさも手伝って、113系といえども結構まめに撮っているという印象だ。手元に残る撮影メモで一泊二日以上で関西方面に遠征した回数を調べてみると、
この日は3路線を掛け持ちで撮影してきました。先ずは関東鉄道常総線で単行キハの水鏡を撮影。2本目の列車、この時間になると風が出始めて水面が波立ち水鏡にはなりません。このあと東武のSL大樹を撮影するため鬼怒川へ向かいました。東武鉄道SL大樹1号の1箇所目です。良い煙でやってきました。鯉のぼりと水田の水鏡を入れて。2箇所目です。ここは最近あまり煙を出していないようですが、残念ながらこの日も薄煙でした。SL大樹1号の3箇所目は鬼怒川の鉄橋で。風で煙が倒れました。このオレンジ色のヘッドマークはか
皆さんこんにちは。甲子園口駅2番線に停車する583系。臨時列車「ナインドリーム甲子園」新大阪発甲子園口行です。筑波の科学万博でもありましたが、583系を使用した列車ホテルでした。高校野球観戦客を目的に設定。でもこの年の春と夏だけの運転だったのではないかと思います。春期間運転の時の時刻表新大阪22時10分発、大阪22時15着発車は23時59分の甲子園口行大阪では1時間45分の停車。その後は、朝までどこに止まっていたかは、覚えていないのですが、おそらく宮原区に止まって
昨年、、、、いつだったか?購入して長らく保管状態だったこちらを開封しましたので、ご紹介します。と、言う事で、ようやくうちにも『ゴハチ』導入です。3040-1EF5866竜華機関区この人気の高い『EF58』は様々な仕様で展開されており、今回新たに加わった竜華機関区仕様を導入しました。いつものイラストも竜華機関区仕様で記されています。いよいよ開封です。大窓ひさし付き金型はこれまでと変わらずなのか、安定の『ゴハチ』です。取説で
常磐線で撮影したEH500牽引の安中貨物です。この日の機関車はキンタトップの1号機でした。2016年11月10日常磐線安中貨物蒸機の思い出今日の1枚は、1973年に倶知安機関区で撮影した二つ目キューロク79613です。
鉄道博物館収蔵の101系クモハ101-902車内に掲出されている国鉄時代の東京近郊路線図を見てみます。概ね1969年〜1972年頃に掲出されていたものです。細かく見ていくと···埼京線(1985年開業)はまだ無くて、池袋〜赤羽は赤羽線です。根岸線もまだ洋光台止まり。大船まで全線開業を果たしたのは1973年です。五日市線の秋川駅はまだ西秋留駅。秋川駅と名前が変わったのは1987年3月31日、つまり国鉄最後の日。1973年に開業する武蔵野線はまだ無くて、国分寺〜東京競馬場前の中央線下