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こちらはオハフ33のいわゆる戦後型です。戦後型は1947~48年に製造されたグループです。KATOの5128-4「オハフ33ブルー戦後型」側面から見ると戦前型と比べるとスマートな感じがしますね。左が車掌室側です。車番はオハフ33383です。347以降が戦後製造ということで。ドアはHゴムのドアに交換された後に姿を模しています。所属は「福フチ」となっています。台車の形状も違うんですよね。こちらはTR34です。リベットもなくスッキリしています。戦前型はリベット
今回は2週間ほど前に入手したクリアファイルをご紹介いたします。381系特急「やくも」とヘッドマーク&方向幕ですが写真ではなくイラストです。「マリンやくも」は知りませんでしたが高松まで行っていたのですね。381系は、昭和時代に「しなの」を撮影したことがありましたが、「やくも」は撮影したことがありません。おそらくこのまま終わってしまうような気がします。国鉄JR西日本国鉄特急色381系特急やくもヘッドマーク方向幕撮り鉄鉄道
今回は「○年前の今日」シリーズから、3年前の今日(2021年4月24日)撮影したEF6627号機をご紹介いたします。この日のシャトル便73レの牽引機はニーナが充当されていました。この撮影の翌日(4月25日)、東京都に3回目の緊急事態宣言が発令されました。6月20日に解除されましたが、7月12日には4回目の発令がなされ、オリンピックも緊急事態宣言下で行われましたね。コロナ対応で批判されて嫌になったのか菅首相は9月30日に4回目の緊急事態宣言を解除すると10月4日に退陣しま
ご覧くださりありがとうございます今回は2024年6月14日で定期運用終了が発表されています381系国鉄色編成に乗車したいと思います2024年4月現在273系の運用も増えてきておりGW以降は381系を楽しむ事も難しくなってくると思われます最近引退が進んでいる113系との並びこの日は大雨で撮影中も雨に濡れていましたでは乗車国鉄車の国鉄特急色が見れるなんて思ってもいませんでした乗車感的にはあまり国鉄の雰囲気を感じさせない内装となっていますJR東の185系などな匂いから国鉄車と言うのを感
懐かしモデルモハ114-800番台。マイクロエースの製品です。ジャンクで1両だけ買ってきました。相方のモハ115はいません。800番台のもの珍しさでついつい・・・特徴的なパンタグラフ付近の低屋根部分。妻板部分から屋根にかけて、こっちから見ると悪くはありません。非パンタ側の妻面は普通屋根です。貫通扉の色入れもしてあるのは親切ですねえ。パンタ横にあるルーバーとランボードはもうちょっとメリハリが欲しい・・・パンタの畳み姿勢は綺麗なんですよ、マイクロエースのは。お
国鉄だけが、民営化に際して職員の振り分けが行われた国鉄が1987(昭和62)年4月1日にJRに移行したとき、一部の国鉄職員は清算事業団職員として、残ることとなりました。国鉄の場合、一足先に民営化されたNTT(日本電信電話会社)やJT(日本たばこ産業株式会社)が職員がそのまま民間会社に移行したのと異なり、国鉄職員を以下のように三つに分類して、言った経緯があります。すなわち、国鉄から新会社に採用される人、国鉄時代に民間会社や、他省庁に転職する人、清算事業団職員として移行し、その後再就職として民
北の大地の奥深く、湖に沈む朽ちかけた橋がある全長130メートルの橋は水嵩の変化で、現れたり消えたり・・・幻の橋と呼ばれるそのすべてを見ることが出来るのは、遅い春と短い夏8月、アーチが連なる美しい橋のかたちが現れていた・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・先日HDDレコーダーに「ニッポン印象派鉄路の記憶」という番組が録画されてました「廃線」キーワードによって、2017年の再放
急行銀河とカヤ21急行銀河が昭和51年2月に、特急つるぎが、24系25形に置き換えられることとなり、「寝台特急つるぎ」の編成を譲り受けて、銀河が、急行で初めて20系使用を使用することになりました。これが、20系の急行使用の最初になります。(ちなみに14系寝台車は、試作編成が急行瀬戸で先行使用しています)20系と客車は、元々95km/hでしたが、ヨンサントウの改正で、ブレーキ装置を改造、110km/h運転が可能となりました。実際の改造は、1965年度新製の20系特急客車からには取付けら
こんにちは、10月に入り少しずつ涼しくなってきました。今日は3連休の中日ですが今回の記事は先週購入したKATOの211系の整備とTOMIXのパーツを使用したEF67-100のアップデートの記事です。こちらになります。品番:10-1850211系0番台(国鉄仕様)15両セット品番:0616M-13モーター(TYPE1)品番:6701PS22CN形パンタグラフまずは211系から整備を行います。付属のパーツの取付のみでシールの貼付は行なっていません。胴受、電連、無線ア
私は、国鉄旅客用蒸気機関車の最高峰C59形が動態復活することを願ってやまない。国鉄の大型旅客用蒸気機関車といえば、C61・C62が動態保存されている。C61・C62も嫌いではないけど、国鉄旅客用蒸気機関車のフラッグシップはC59だと思う。余剰となったD51・D52のボイラーを流用して完成したC61・C62は異形のハイブリット機だと思う。やはり、嫡流はC59だ。もう、国鉄の蒸気機関車全廃時に生まれていた人は少なくとも50歳以上ということになる。物心ついていた人なら60代
国鉄の末期には、急行の特急への格上げや、寝台特急の削減により、特急・急行型電車に大量の余剰車が発生しました。だからといってそれらの車両は製造から20年も経過していない若い車両も多く、余剰になったからといって簡単に廃車にするワケには行きません。そのため、地方の幹線で普通列車用として活用するための改造が行われ、新形式車両もいくつか登場しています。その一つが、北陸エリアに導入された419系。北陸本線を中心に運用され、米原寄りのクハ418形と直江津寄りのクモハ419形は中間車に平面タイプの運転台ユニッ
今まで時々Nゲージの線路関係について書いてきましたが、だいぶバラけていたのを一度まとめてみようと思い、大げさなタイトルをつけてみました。ブログで一度は書いたことがある内容も多いので総集編みたいですがこれから鉄道模型をやられる方むけにかみ砕いた内容です。比較対象は・KATOユニトラック(右側)・Tomixファイントラック(左側)美里山倶楽部はKATO大好き人間ですが、今回はニュートラルな見方でいきたいと思います。出来るだけ数値化して、実際測定したり、走らせたり、両社カタロ
唐津車両センター所属103系1500番台電車のE12編成に、このほど施されました「国鉄塗装」となりました姿に関しましてご紹介しておりますが、前回は去る8月1日に行われました、小倉総合車両センターから西唐津駅・唐津車両センターへの配給回送の模様を、西唐津駅で収めていた話題をご紹介しておりました。このE12編成は、筑肥線の電化開業40周年を記念して復刻塗装されたものでしたが、この「国鉄塗装」は、電化開業されました昭和58年より平成初頭まで見られていた塗装でありまして、平成初頭からもわか
みなさま、こんばんは。昨日は、「特急まつかぜの受難」ということで書かせていただいたのですが、当時の試乗記(鉄道ピクトリアル昭和36年12月号)に載っていましたので、その内容に基づきお話をさせていただこうと思います。昭和36年10月1日、国鉄の期待をこめて誕生した特急かもめ・白鳥・まつかぜ、の気動車特急ですが、白鳥と比べると地味な印象は拭えず、6両編成の特急は少し寂しそうでした。当日の編成は、米子方からキハ827+キハ8026+キシ807+キハ8053+キハ8027+キハ8240の6両編成
廃止になりまして35年になります、筑肥線姪浜~博多間廃線跡探訪の話題をご紹介しておりますが、前回NO.2340(その1)では、姪浜駅(画像1)から旧西新駅(画像2)間の廃線跡に関しましてご紹介しておりました。ご覧の皆様の中でも正直「えっ?」と思われた方もいらっしゃったのではないかと思いますが、実は筑肥線は現在の形となりましたのは昭和58年3月からでありまして、それ以前は非電化で博多~姪浜~筑前前原~旧東唐津~山本~伊万里間が1本につながっていた路線でもありました。しかし、昭和58年
皆さんこんにちは。前回の記事にいただいたコメントの中で583系日本海が話題になりましたので。Yahooブログ時代に記事にしたような気もするのですが。大阪駅4番線。1985年の夏です。臨時寝台特急日本海54号です。臨時列車で583系日本海が走りました。大阪ー青森間での運転で夏休みの繁忙期に運転されました。20系とともにまだ特急として走れていた時代。急行きたぐにが583系に置き換えられた頃には、この臨時日本海も急行あおもりとなりましたね。明日
瑞巌寺から出てくると目立つ石碑が鉄道殉職者弔魂碑です。鉄道100周年を記念して1972年に建てられたもので、国鉄の仙台鉄道管理局が建てたことがわかりました。瑞巌寺のすぐ前です。それにしてもなぜここに建てられたのかよくわからないです。松島付近の東北本線は難工事もあったような気もするが、、。現地ではよくわからなかったですが、C57の動輪なんだとか。カステラくんたちを撮ってあげましたかなり目立つ記念碑で、近くで撮りにくかったので、離れて記念写真。瑞巌寺から
いつも”重単5175”をご訪問頂きありがとうございます。今日はNゲージ鉄道模型、思い立ってKATOの103系電車を導入してみました。購入から暫く経っていますが、ようやくDCC化を終えて試運転にこぎ着けました。201系オレンジ、カナリアに続く3本目の国鉄形通勤電車です。少なっ!😅。JR形も皆無だし..(汗)。買ったのはKATOの10-1743C、1744C×2の10両です。この製品は模型入門用の位置づけなのか?安価な設定です。が、その分色々ある..(汗)、大部分がかなり古い設計そのま
(前回記事の続き)(113系と115系1600番台@岡山駅)★過去記事↓国鉄型車両の宝庫、岡山へ【最終章・岡山の国鉄型電車①】『国鉄型車両の宝庫、岡山へ【最終章・岡山の国鉄型電車①】』(寝台特急「サンライズ瀬戸」と津山線快速「ことぶき」@岡山駅)東京駅寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」この日の「サンライズ瀬戸」は、JR土讃線・琴…ameblo.jp最後の活躍国鉄型113系・115系・381系特急やくも【最終章・岡山の国鉄型電車②】『最後の活躍国鉄型113系・1
20系ブルートレインはKATOの製品としては歴史のある製品です。初代製品からフルリニューアルを経て現行品に近い形になっていますが、その後も小改良を加えながら現在もバリエーション展開や時々再生産がされている製品です。なんと言ってもNゲージの世界では未だかつてKATO以外から20系客車が発売されたことがない(TOMIXのカニ25は20系として扱わないとして)珍しく競合製品のない系列です。代表的な形式だけでなく、ナハフ21やナハネフ20などニッチな形式が製品化されていてほぼ全形式がラインナップさ
もう大分前の新製品になりますが…出た際に結構話題になった“TOMIXの”201系205系に続いて、鉄コレで出しちゃったから無理だと思ってた案件がTOMIXから製品化となりました。201系は既にKATOの国鉄仕様を持っていますが、現行水準の金型で出るTOMIX製品も欲しいなと思い予約引き取り自体はすぐにしたのですが、仕事が忙しくレビューは後回しにorz一時的に仕事の忙しさが一段落しましたので、今更ながらですが眺めていきましょう。パッケージ特に飾り気
こんばんは、ななせです♪台風がいつになく強い勢いで吹き荒れていますね。関東地方でさえこれだけ強いのですから、中心地付近はもっと凄いのでしょうね…という事で、風音がうるさくて眠れないので本日入線した車両の整備についてお送りします。今回は待ちに待ったTOMIX製「国鉄1031000系通勤電車」。前に出た冷改仕様から更に時代を遡った地下鉄乗り入れ仕様です。増結セットの数…私は予約組ではないのでタムタム開店時間帯に突撃し、一番乗りで手に入れる事が出来たのです
訪問日2015/08/09三沢駅近くに存在した、東北本線と貨物列車を受け渡すための連絡線十和田観光電鉄は1986年に貨物営業を終えているので、連絡線もその際お役御免になったと思われる※Wikipediaには「貨物輸送廃止後は、まれに甲種輸送で車両を輸送する場合に使用された」との記述がある※言うまでもないやろけど十和田観光電鉄本線も2012年3月に廃止されているここに連絡線があった奥が三沢駅左奥は十和田観光電鉄の三沢駅跡貨物ホームか踏切跡ここに三線の線路が
583系旧製品の復活第三弾は、「内装の貼り付け」になります。前回先頭車だけ先に貼り付けましたが、残りの中間車の貼り付けも終了。ブルトレの「解放B寝台」を貼られたことがある方ならわかると思いますが、これも両数が有れば時間がかかる作業で、途中「A寝台」も繋げられていないことから、単調作業になりました。一応、寝台セットの状態も再現できますが、今度は「中段の再現」が無理なので、結局座席仕様となりました。関連記事『【模型紹介】329583系「はくつる」旧製品の復活01~考察&食堂車の内装追
今日はNゲージ鉄道模型、KATOより最近再販されたワキ5000の話です。増備車として4両を入手、改番やバリエーション付けなど整備をやりました。コキ5500の話も少し出てきます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。KATO8010ワキ5000を4両増備しました。1500両以上が生産された国鉄時代の有蓋車、JRになってからもその姿を見ることが出来ました。40年前;1983年のカタログに品番810として掲載されています。車番も表記類も当時のまんま..息の長い製品
(2005年12月17日@我孫子駅)本日は日付ネタとして415系の日になります。その話をしたいと思います。もともと常磐線の近郊区間直通としての顔だった「通称白電」。近郊型の中では爽やかな白に青帯で、なんとなく新しく見えた車両でした。私が最初に就職した会社は、日立製作所の仕事が多く「土浦」や「大甕」などに、泊まりがけで出張することも多かった。そんな中「行きは特急」帰りは「鈍行」に乗り、ちゃっかり特急料金を請求していたのが懐かしい。そんな感じで415系は結構乗った想い出があります。写真
鳥栖~長崎間を結びます長崎線と言いますと、その鳥栖~長崎間は152キロに及びます路線でありますが、これまでも当ブログでもご紹介しておりますように、現在電化区間は鳥栖~肥前浜間のみでありまして、以降の区間に関しましては非電化となっております。電化区間に関しましては、特急列車の場合、鳥栖~江北間で佐世保線に乗り入れます西九州新幹線のリレー列車であります885系電車・787系電車・783系電車で運行の「リレーかもめ」や、885系電車・783系電車の「みどり」、783系電車の「ハウ
晩生内駅出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』晩生内駅(おそきないえき)は、北海道樺戸郡浦臼町字晩生内にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲130214[1]。歴史1935年(昭和10年)10月3日:国有鉄道札沼線石狩当別駅(現・当別駅)-浦臼駅間の開通[JR北2]に伴い、同線の駅として開業[2]。一般駅[3]。1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海
脚本安達奈緒子『松本清張と帝銀事件前編』🍀2023年1月9日🍀松本清張の小説は読んだ事ないのですが、事件考察は好きで日本の黒い霧は結構読みました。下山事件とか細かくておもしろかったです。帝銀事件の小…ameblo.jp『松本清張と帝銀事件後編』🍀2023年1月10日🍀『松本清張と帝銀事件前編』松本清張の小説は読んだ事ないのですが、事件考察は好きで日本の黒い霧は結構読みました。下山事件とか細かくて…ameblo.jpこちらも有名な未解決事件、下山事件のドラマでした。今回もほぼ
いつも”重単5175”をご訪問頂きありがとうございます。今日はNゲージ鉄道模型、KATOから新発売のワム80000とED750後期形、予約品が到着しました。やって来た新製品を並べてみました。まだ未整備です。ED75は品番3075-2が2両、ワム80000は10-173814両セット×2と、80862両セットの計30両、一気にドッと来た感じです。青いワム380000も混ぜる手もありましたが、全車茶色のワム280000としました。ワムハチの導入目的は旧製品(品番8039左