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真夏の白昼夢それは昭和47年8月27日のこと浜田区に居たD511の梅小路入りを記念して出雲市ー米子間に四重連の記念列車が仕立てられたのです。記念列車とは言えスジは未だ浜田区のC57の通常運用だった546レで米子まで行き、復路は通常DF50牽引の533レのスジが充てられました。もうこの頃になるとイベント列車なら12系客車が使われることも考えられましたが、定期列車のスジで運転されたこともあり鋼体客車を使われたのも嬉しい出来事でした。D511を先頭にした四重連がヤマタノオロチ伝説の斐伊
それでも今回は、早く気が付いてよかったですな。脱線してからじゃ遅いですから。雨が降ればOKなんだけどね。ーーーーーーーーーーーーーータイ国鉄の線路、猛暑で歪む2024年5月4日https://www.thaich.net/news/20240504zs.htm2024年4月末、タイ南部ナコンシータマラート県にて、極端な高温によりタイ国鉄の線路が歪む事案が発生しました。線路が歪んだのはロンピブン駅とカオチュムトン接続点の間です。この現象により、線路を冷却し、正常な状態に復元するた
海外からの観光客が大勢来て迷惑を被っている人達がいるので、観光客用の高い値段設定をしようと考えている飲食業の方もいると聞きます。円安ですから高い設定にしてもドル、ユーロ圏、人民元の人にとっては安いのでしょうね。以前も書きましたが、相変わらず主に海外からの観光客向けのお得な新幹線を含めたJR乗り放題パスがあります。『JAPANRAILPASS』と言います。こんな価格設定になってます。利用資格は「短期滞在で日本国を訪問される外国人等」と10年以上海外に住んでいた(?)日本人です。詳しくは
先日の記事なんですけどね。『イカロス出版“N6月号”』最近Amazonで買い物する機会が何度かあったんですが、その度にアプリからオススメされて我慢できなくなったのがこちらです。イカロス出版“N6月号”こんな表紙…ameblo.jp思いもよらないペースでいいねを頂戴しておりまして、やっぱりみんな好きよね〜♪なんてニヤニヤしております。N.(エヌ)2024年6月号[雑誌]Amazon(アマゾン)さてさて、ブルトレブームより絶妙に下の世代なワタクシなんですが、20系は好きなもののやはり1
購入順に紹介している「模型紹介シリーズ」、2013年11月に発売したHG製品。今回は「103系初期車・非冷房スカイブルー」(TOMIX製)になります。こちらの103系は初期も初期、「丸目1灯」「非冷房」「前面通風ダクト付き」の製品として、山手線のウグイスと一緒に発売。最初の103系のHGシリーズとなりました。しかし値段が高かったこともあり発売時は見送り、先月登場した「103系武蔵野線(元青梅線)」を購入する際に、特価だったスカイブルーも4両だけ購入。青梅線の初期導入仕様に仕立ててました。
短命シリーズ、久しぶりにやります!1年ぶり40回目の今回は、北海道、函館本線で活躍したSL列車、急行ていね号を取り上げます。私自身この列車が活躍しているころに産まれておりませんが、各種資料で語られるていね号は、函館本線の通称山線区間の一部をC62重連で牽引された列車として有名だったようです。C63-3発車のコピーflic.krもとはアイヌ語、札幌にある地名から命名列車名の「ていね」は、「濡れている処」を意味するアイヌ語に由来し、札幌市にある標高1,023mの手稲山に
1987年の国鉄分割民営化から、いよいよ35年が経とうとしています。その前に国鉄改革の一環として、『国鉄再建法』に基づいて赤字路線の整理が行われ、『特定地方交通線』として多くの路線が失われていきました。国鉄時代に存廃が決着しなかった路線についてはJR各社に引き継がれ、民営化後3年が経った1990年までの間に残り全線が第3セクター鉄道もしくはバスに転換という形で、特定地方交通線として廃線第1号となった1983年の白糠線から約6年半で赤字路線の整理を終える事になり、実に3000㎞余りのローカ
こんにちは、9月も今日で終わり、明日から10月になりますが9月を振り返ってみるとほぼ真夏のような気候でした。まだまだ残暑が厳しそうですが今日はKATOから発売された211系0番台(国鉄仕様)15両セットを購入しました。こちらになります。品番:10-1850211系0番台(国鉄仕様)15両セット15両セットと言う事で基本編成と増結編成が1セットとなっています。私の地元を走っていた思い出の車両です。合わせてTOMIXのM-13モーター(機関車用)とパンタグラフも購入しました。
貨車や荷物車のお話が続いたのですが、今回は少し趣向を変えて、専用線のお話をさせていただこうと思います。最近は、専用線自体が少なくなってしまいましたが、今から30年以上前の昭和59(1984)年2月、国鉄がヤード系輸送を廃止するまでは、多くの私鉄でも貨物輸送は行われていました。関西地域だけを取っても、狭軌の南大阪線や南海電鉄、小さなところでは有田鉄道や紀州鉄道、野上鉄道でも貨物輸送を行っており、国鉄の貨車が直接乗り入れていました。野上電鉄南海電鉄、こちらでは住友金属向けの輸送がありましたので
みなさんこんにちは。今日の話題です。大阪日日新聞電子版2020(令和2)年2月27日付け20面(地域総合面)より。「国鉄時代から活躍の201系全車両引退へ」…という見出しに、大阪人のわたしとしては、少しく驚いたという話題をお送りしたいと思います。記載にありますように、この「緑一色で正面顔に白線」が特徴の「201系」は、現在「JRおおさか東線・大和路線(関西本線)」で運用されている車両です。昭和50年代半ばから、当時としては画期的な省エネルギーの電車
こんにちは、デイヴです。鉄道ネタで、大阪の地下鉄ばなしを展開中です。大阪の地下鉄は、昭和50年代、すなわち1970年代中頃から、車内アナウンスは、車掌の肉声から早くも男声のテープ放送に切り替わっていました。今は女声のテープ放送になっていて、日本語での次駅案内の次に英語放送もある丁寧さ。走行位置から割り出して放送を開始する仕組みですが、当時は、車掌室にプレイヤーのプレイボタンがあって、車掌さんが手動でボタンを押していました。しかも運転席の対面にある助士席側の再生装置には、昔のカラオケ
下山事件(その1)すごい番組NHKスペシャル「下山事件」戦後未解決事件の「下山事件」の極秘情報から真実を浮かび上がらせました。この頃、日本はまだアメリカの占領下にあった。GHQ(連合国軍最高司令部)は、停滞する日本経済の立て直しを理由に国鉄(現JR)に10万人の人員削減を求めた。社会不安が広がる中、国鉄の下山総裁が謎の死をとげ、9日後には三鷹事件が起きる三鷹事件の翌日、当時の吉田首相は「三鷹事件は一部の労組、共産主義者の扇動によるもの」との声明を発表。下山総裁の死も、過激な共産主
ひさびさの短命シリーズとなります。35回を数える今回は、国鉄からJRにまたがる時期に活躍した、特急雷鳥号の一部の編成に連結された和風グリーン車、だんらんを取り上げます。1985年3月に登場、1989年3月にスーパー雷鳥登場にともなう「発展的消滅」のため4年間の短命となりましたが、当時の国鉄の創意工夫を感じられる意欲作でした。和風車両だんらんとは?国鉄の特急電車の代名詞であった485系交直流電車の食堂車サシ481形を改造して登場したのが、サロ481形500番代です
仙台駅にて、仙台・米沢-秋田・青森間を陸羽東線経由で運行されていた急行千秋です。3~5号車からなる、普通車のみの3両編成。米沢発の方は2両編成で出発、山形-新庄間は5両編成。合流後は5両編成で青森に向かいました。こちらはその「千秋」に新庄まで併結された後、陸羽西線から羽越本線経由で羽後本荘まで運行されていた、急行もがみです。1、2号車からなる、普通車のみの2両編成。米沢発の方も2両編成、計4両編成となります。
明日は1月7日です.本日はKATOから発売されたオシ17を紹介します.1960年代までの特別急行・普通急行列車には欠かせない車両でした.10-14226号車当初は「かもめ」などの特別急行列車用の食堂車として使用されていました.筆者は持っていませんが,青大将の製品にも入っています.10-13018号車1960年代には普通急行列車に使用されるようになりました.この時期が最も輝いていた時期かもしれません.50652018号車過去に単品売りされていたものです.非常口はなくなってい
こんばんは~。yasooです。お盆休みも最終日となってしまいました。昨夕、嫁&子供達が映画を見に行くと言い出し、家族揃って京都イオンに向かいました。映画館で家族と別れ、自由な2時間に行く所と言えばポポンデッタしかありません😁恐らく半年以上ぶりの店舗はリニューアルされてまして、30分ほどぐるぐる見てまわり、収穫無しかなと思った時に棚の上に居るコイツを見つけてしまいました😅KATO7009DF502006年LOT以前から探していたのですが、茶色や四国バージョンしか出会いが無かった
今日はNゲージ鉄道模型、381系特急電車の話です。JR仕様製品のTc車を中心に手を加え、国鉄時代の特急”やくも”にアレンジしてみました。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。前回の記事↓と類似アングルからスタートですが、ヘッドマークガラスのHゴムがグレーになり、JNRマークが入るなど国鉄スタイルらしくなったと思います。KATO10-876”しなの”セットの中間車と10-1868”くろしお”の先頭車Assyを組み合わせた9連です。1981年の登場から5年ほどで短編成化
探索日2017/05/061962年7月15日の信越本線高崎~横川電化時にスイッチバック廃止引き上げ線上にあった松井田駅は約2km高崎寄りに移転西松井田駅の開業は1965年西松井田駅ここが東西スイッチバック線の分岐点になる道路右沿いが西側引き上げ線跡民家のならびが引き上げ線跡道路のむこう沿いが廃線跡国鉄の境界標大理石か?境界標右が旧線路用地上本町公民館の位置が西側引き上げ線末端更地が旧鉄道用地末端から旧松井田駅方面を見る
Bトレインショーティーの事実上の終売で、途絶えていたNゲージでのショーティーモデルの世界バンダイに勤めてらっしゃった方が独立されて、新たに“ますこっとれいん”という名前で帰ってきました。渋いセレクト+お値段が…ってところはネックでありますが、かつて事実上の第一弾であった事業者限定版の江ノ電2種からずっと私鉄ネタ中心にBトレを買っていた人間としてはやはり見逃せないということで、新たなシリーズの門出を祝うような形で買ってきてしまったので組み立て前にざっと眺めてみます。
今日はNゲージ鉄道模型、ようやくKATOの381系くろしおが発売になりAssyパーツが到着しました。国鉄仕様化を予定していますが、ひとまず組んで100番台先頭の特急”やくも”として運転、雰囲気を楽しんでみました。ヘッドマーク照度に関してあら?というのもありました😅。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。クハ381-100番台先頭で運転です。KATO10-876特急しなので運転して来ましたが今回クハを0→100番台に交代して国鉄時代の特急電車”やくも”化を予定してい
こんばんは~。yasooです。本日は、久しぶりの鉄道模型記事です。TOMIX92452国鉄485系特急電車(初期型)当車両区にTOMIXの485系国鉄色ボンネット車両は、初入線なんです。なぜか、489系のボンネットばかりだったんですよ。(見た目には違いがわかりませんが😁)中身基本セット4両に増結(T)とサロを追加し、7両編成としています。これで、ある特急を再現します。ライトのチェック中古品の入線ですが、パーツも未取付で新古車状態でした。安定の485系HGですね。デフォルトで
今回は1981年頃に撮影した上毛電鉄デハ101をご紹介させていただきます。今はピカピカの茶色塗色となっているデハ101ですがこの頃は黄色塗色でした。10年程前に似たような写真をアップしたことがありましたがそれとは別の写真です。タンク車(形式不明)を牽いていますがこの列車は混合列車ではなく貨物列車、デハ101は機関車代わりの運用でした。JR東日本国鉄上毛電鉄デハ101デハ104タンク車貨物列車撮り鉄鉄道
仙台-青森間の東北本線で運行されていた急行「くりこま」です。寝台急行「新星」で早朝仙台駅に着き、ようやく対面しました。これは仙台7:00発の「1号」。何と全席指定。しかも盛岡までの所要時間が2時間20分程、青森までが4時間50分程と、当時の特急並みの速さ。日本全国探してもちょっと類を見ない急行でした。使用されていたのは定番だった455系電車。6両編成、うちグリーン車が1両。東北新幹線開業に伴い、この年の11
211系電車(田町車両センター・東チタ所属、N1編成)、東海道本線821M・普通列車平成17(2005)年6月27日、東海道本線・東京駅にて撮影。昭和61(1986)年の春から田町電車区に配属された国鉄211系電車のトップナンバー編成。国鉄~JRに移行した最初の3年間は、東海道本線・東京~浜松間で活躍。東京14:43発の329Mで浜松へ下り、東京23:48着の338Mで帰京していました。記憶している限りでは、東京を朝6時半発で下って東京~沼津間を1往復。そのあと、昼下がりの
毎日連休中の私には大型連休は関係ないけど、3日連続テニスの練習は疲れた。特に暑さが厳しく体が慣れていない。コートの中にある藤棚、3面のコートの間に2か所植えてある。私が中学を卒業して入学した国鉄関東鉄道学園にあった藤棚でかなり古い。今年はあまり咲いてなく寂しい野鳥探しは相変わらず芝川をウロウロしているが、葉っぱが生い茂ってきて探すのが難しい。珍しくオナガドリが集団で騒いでいた。飛んでいるのは見かけるがアップでは初めてで、結構いい色して綺麗。翼を広げ良い
「紀伊半島一周第2レグ目指せ住吉高灯籠」作戦実施まで2週間となりいよいよ大詰めである。沿道各地の事前リサーチが愉しい時期なのだが、中でもイチオシ訪ねたいところがある。有田川鉄道公園だ。有田川鉄道公園・有田川町鉄道交流館|有田川町観光協会鉄道公園入口では、まず「D511085」がお出迎え。公園内は芝生が広がり、天気の良い晴れた日は、家族連れなどでゆったりとした時間をお過ごしいただけます。公園内の鉄道交流館では有田川町の風景を再現したジオラマが人気。ま[…]www.aridagaw
国鉄~JRの113系電車が私にもたらすイメージは、「うるさい」「揺れる」「遅い」である。従って私は同系には良い印象を持っていない・・・とは私が鉄道への興味が深くなった15歳以降のこと。私の小学生時代における113系は、「阪和線新快速ブルーライナー」に代表されるセミクロスシート俊足列車のイメージ、いやそればかりか「休日に大阪環状線を走る快速電車」「関西線電化の旗手」でもあった。はっきりいって冷房の有無など関係無かった。後年嫌というほど見る湘南色にしても、昭和50年3月ダイヤ改正前に阪
今日のアップ作は1986年7月に撮影した桜島線の画像です。1986年当時の桜島駅と非冷房の103系6連です。現在の桜島駅のホームと201系です。(2013年)1986年当時の桜島駅の駅名標です。(以下は全て1986年に撮影した画像です)桜島駅の先にあった桜島埠頭の専用線(本当は国鉄が所有していた軌道なので正しくは国鉄の側線)です。ポイント(転轍機)は電気転轍機ではなく手動式です。撮影はしていませんが、少年時代に桜島埠頭のSL(小型タンク機)を、この近くで見た記憶があります。桜島駅から
こんにちは、仕事開始の日が少しずつ迫っており気が重いですが今日は先日購入したKATOの113系湘南色の整備を行いました。付属の部品の取付のみで加工は行っておりません。こちらになります。品番:10-1586113系湘南色7両基本セット品番:10-1587113系湘南色4両増結セット品番:10-1588113系湘南色4両付属編成セット付属品ライトスイッチ用ドライバー、ジャンパ栓、胴受、前面表示(無地)、前面幌、行先表示シールが付属されます。行先表示シールに「品川」、
45年前(1979年)の春、初めて大阪に連れて行ってもらって撮影した写真をUpします。だいぶ間が開いてしまいましたが😅、今回は国鉄に加え、阪神、京阪電車です。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。前回↓に続き、引き続き大阪駅を中心に撮影しています。381系特急電車~間もなく”やくも”での活躍が終わろうとしていますが、写真の貫通形”しなの”が元祖でした。1往復だけの大阪始発は1990年にも撮影の機会がありましたが、この頃からあったんだな~。下りの列番(奇数)のまま名古屋