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1965年女学生の友今年7月に亡くなられた和泉雅子さん。以前から載せようと思っていた記事があり、この機会に載せる事にしました。1965年に月刊平凡に載った「お宅拝見」と言った記事です。雅子ちゃんのご実家は、元々銀座にあり、銀座生まれ銀座育ちでしたが、この当時は新しい四谷のご自宅の紹介です。地下鉄の四谷三丁目駅そばですから、銀座へ出るのも便利ですし、まだ高校生だった雅子ちゃんの通う「精華学園」は新宿ですから便利ですし、新宿からは京王線で調布にある日活撮影所へも便利な場所
3年前に投稿したブルーのヤマハSA-50B、思いの他多くの方に閲覧頂いているようです。有難うございます。『ヤマハSA-50B』本日は1960年代にヤマハから出ていたエレキギターSA-50Bのご紹介。「昔持っていたギターその2」でご紹介したSA-50の後継機種です。『昔持っていたギ…ameblo.jpこのギターは当時、GS(グループサウンズ)などのミュージシャンが使用していたことで有名です。ほとんど拾い物で恐縮ですが、下記ご紹介。1.ザ・タイガース:森本さんが弾いているのはア
今更です!すみませんずっと…お知らせしようと思いながら…気がついたら…明後日…3/22(日)までの開催でした〜北海道新聞の記事から〜和泉雅子さん追悼展2026年3/1(日)〜3/22(日)士別市西士別町2554士別市立博物館日本人女性として初めて北極点に到達した…俳優・冒険家で、昨年7月に77歳で亡くなった和泉雅子さんをしのぶ追悼展。北極遠征の訓練を士別で行った縁から、まちづくり応援大使も務めた和泉さんの歩みを、遠征中の写真など約50点とともに伝える。極地の風景写真
公開年月日:1966/6/25北海道の山村で育った親友の舟木さんと山内賢さん。高校を卒業して山内さんは船乗りになると横浜に向かいます。先に出た山内さんを追って舟木さんも横浜に、船乗りになる為に向かいます。ここで又、日活映画らしいギャングによる密売の話が出て来てややっこしくなる訳です。(笑)監督は「哀愁の夜」に続いて西河克己監督。山内賢さん、和泉雅子さんと共演の多い二人二人に、日活のベテラン俳優の二谷英明さんも出演しています。主題歌友を送る歌挿入歌今日かぎりのワルツ
閉館が決まった銀座シネパトスは、最後のステージを迎えました。①~映画でよみがえる昭和~銀幕の銀座懐かしい風景とスターたち②名画座リクエスト特集③インターミッション(銀座シネパトスを舞台とした最後につくられた作品)2013年2月2日から閉館を迎える3月31日まで、多くの作品が上映され、銀座シネパトスファンが沢山訪れます。2013年は、すでに銀座シテパトスの閉館が伝えられて、銀座三原橋地下商店街のある通路には、メモリアル展示が始まっていました。この閉館に合わせて作られて
愛知学院愛知高等学校時代の舟木一夫古い資料の中には、スターの学生時代の姿が沢山残っています。舟木さんや我々ファンの同世代には、懐かしい芸能人たちがいる訳ですが、そうしたスターたちの学生時代を追ってみる事にします。吉永小百合吉永小百合さんの学生時代は、「精華学園」でも載せましたが、やはり1960年代の雑誌の中でも群を抜いて記事が多く、中学、高校、大学とその時代によっての資料があります。代々木中学時代と早稲田大学時代精華学園高校時代代々木中学卒業から都立駒場高
<第13回>――1969年7月から9月までやはりTBSで放送された「バリバリ娘奮闘記」で、経師屋の親子役で前進座の中村翫右衛門(かんえもん、当時68歳)さんと初めてご一緒させていただきました。最初は偉い方だとは知らず、変な名前の人だと思ってやっていたんですよ。ライティング待ちしている時、大好きな歌舞伎の早口言葉を聞かせたくて、「『外郎(ういろう)売り』って知ってる?」と言って大声で高々とやっていたら、周りの人が驚いて「あの父親役をやっている方、誰だか分かっているの」って聞くから、「知らない
和泉雅子さんがお亡くなりになったのは7月9日に事でした。さすらいが初めて雅子ちゃんとお逢いしたのは中学三年生の時です。それから時が経ち、お会いする機会が何度かあり、気さくにお話させて頂いていました。「マコのよもやま話」は、7月19日に「連載29先輩すご~い!」が最後でしたが、生前に書き留めていた原稿を引き続き掲載と言う事で、やっと10月に入り掲載されました。マコちゃんを思い出しながら読んで頂ければと思います。日本老友新聞TBSの連続ドラマで、なんと、柳家小さん師匠と共演した
エデンの海-1963-この映画はYouTubeで観る事が出来る…かも知れません!1963年8月31日公開解説『エデンの海』は、1946年に発表された若杉慧の小説。3度にわたり映画化され、舞台化、テレビドラマ化もされている。1950年版に続く2度目の映画化は「泥だらけの純情(1963)」の馬場当が脚色、「伊豆の踊子(1963)」の西河克己が監督し、撮影は「午前零時の出獄(1963)」の萩原憲治が担当したストーリー瀬戸内海に望む女子高校に、東京から青年教師南条が赴任してきた。明るい
<第7回>――日活で私が主役をやったのは4作目の「ひとつのいのち」(監督・森永健次郎。1962年1月27日公開)。貧しさに打ちひしがれていた少女が、1人の青年との愛によって立ち直るという純愛映画で、共演は私世の3歳年上の高橋(英樹)君。高橋君は高校在学中に日活ニューフェイス5期生で入社したの。中尾(彬)君は同期ね。事故死した赤木(圭一郎)さんの代役として「激流に生きる男」に抜擢されたの。高橋君って身長は181㌢だけど脚が短くて、土管に手足って感じでしょ。だからダックスフンドってあだ名を
和泉雅子さんを悼む亡くなる1週間前に電話でお話ししたばかりでした冒険家で女優の和泉雅子さん死去日本人女性で初の北極点到達|NHK【NHK】日本人の女性として初めて北極点に到達した冒険家で女優の和泉雅子さんが、今月、原発不明がんのため亡くなりました。77歳でし…www3.nhk.or.jp朝日新聞などの報道によりますと、日本人女性として初めて北極点に到達した冒険家で俳優の和泉雅子さんが7月9日(水)午後1時3分、原発不明がんのため東京都内の自宅で亡くなりました。77歳で
<第26回>――帰国後も相変わらず講演活動を続け、1987(昭和62)年夏にグリーンランドにある“地球最北の村”と呼ばれるシオラパルクに行きました。人口は50人余りの村で、イヌイットの人々が暮らしているんですが、文藝春秋からそこに住む日本人、、大島育雄さんの本を出版したいので協力して欲しいと頼まれたんです。大島さんは私と同い年。若い時から北極に行きたくて日大山岳部に入ったんですが、もう北極点への遠征が終わっていた。がっかりした彼は愛知県犬山市の民俗博物館・リトルワールドで北極の民具を集
「舟木一夫シアターコンサート2025in新橋演舞場」の4日間がスタートしました。新橋演舞場の入り口には、「本日初日」と「満員御礼」の看板が、何か美しく飾れれています。舟木さんご自身が「一番好きな小屋は新橋演舞場」と仰る通り、舟木さんの演舞場での公演は、いつもどっしりと構えられた舟木さんにえ会える場所です。そうした期待も大きく入場します。初日だけは、開演時間が遅く15:00からです。通常コンサートであれば、1時間40分程度の公演時間ですが、シアターコンサートの新橋演舞
<第8回>――ハマヤン(浜田光夫)と共演した「非行少女」(監督・浦山桐郎。1963年3月17日公開)は、私の代表作の一つです。日活入社2年目で聖華学園高等部の1年、15歳でした。前年の11月初めから北陸の内灘(石川県)の海岸のロケでクランク・インしました。まもなくお正月という時期で、ハマヤンも私も正月映画など他の2本か3本の作品を抱えていましたから、2週間くらいでいったん中断して、私は「空の下遠い夢」と「海と鷹」「男の紋章」を撮ったんです。とにかく、午前中は社会派の映画、お昼からはヤク