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本日もご訪問いただきありがとうございました。やっと募集要項の発送が終了しました。先生方のお手元に届くのもあと少しです。お昼は、天天有のラーメンで・・・今日はお昼から、月に2回の吉田山荘の書のお稽古の日です。本来のお稽古日が1週間遅れになったので、前回から3週間近くが経ちました。前回、うかがった時には、吉田山荘の桜がまったく咲いていませんでしたが、今日は、もうすっかり桜は散ってしまっていましたが、青紅葉がとってもきれいでした。窓の外の青紅葉を背景に・・・今日は、先生(大女将)もとっ
じゅんちくわ、今週はGW前のラストスパートは5日ではなく4日でしたーというのも今日は人間ドックでお休み。最近胃カメラは鎮静剤を使うので楽ちん。そして帰宅後、数時間仕事をして夕方からお茶のお稽古に出かけました。うちの社中は通常のお稽古の中で茶事の稽古もやっていただくのですが今日の稽古はその茶事。懐石は先生が用意してくださったものを最後生徒で仕上げをお手伝い。鯛の向付、焼き物の鰆の西京焼きとかヨモギ餅の汁ものやら帆立の椀物などなど美味しかった。じゅんちくわは濃茶の亭主だったので客
2024.4.20一日一季語春深し(はるふかし)【春―時候―晩春】美しき人は化粧はず春深し星野立子「化粧はず」は「けわわず」妙齢の艶を感じる。高浜虚子の次女。虚子に師事し、初の女性主宰誌『玉藻』を創刊・主宰した。虚子一族で特に評価の高い人物。女性俳人では同時期に活躍した中村汀女・橋本多佳子・三橋鷹女とともに四Tと称された。星野立子の名を冠する俳句賞として、星野立子賞・星野立子新人賞が設けられている。⇒画像をクリックするとブログ記事が読めます。【傍題季語】
「穢れ」と「言霊」の謎:その57「言の葉:ことのは」という美しい日本語がある。秦基博の曲名や自然食品を扱うカフェのことではない。新海誠監督のアニメには『言の葉の庭』という作品もある。「言の葉」という言葉を調べると、以下のように書かれている。1ことば。言語。「同じう言ふことのはも、いみじう尊し」〈源氏物語〉[訳]声をそろえて言うことばも、たいへん尊い。2歌。和歌。「やまとうたは、人の心をたねとして、よろづの—とぞなれりける」〈古今集・仮名序
ブルーサファイア様の記事引用失礼します。2022年1月20日付けの記事です。『深刻な問題』今回のH親王の進学問題は、結構深刻な問題を秘めているようです。悠仁さま15歳は即位前にいかなる教育を受けるべきか〈“名門校・筑波大学附属高校へのご進学問題…ameblo.jpA宮家の姉たちの学習院に在学中の大暴れの内容と、Hが学習院に受け入れられなかった経緯が書かれていて、2022年当時知る機会を逃した事柄なので再確認のために一部引用させて頂きます。以下引用天皇が心得るべ
今日は一日雨が降りました。静かなおとなしい雨です。朝ご飯です。和歌のおじさんがお歌と写真を送ってくれました。静と降る雨の中でも華々しやわらに薫るつつじ風道返し歌です。外つ国の君よりはるかに隔たりて尚も募るは会いたい想い10時のチーズと生姜湯です。昨夜読み終えた本ですが、とても面白かったです。お嬢さんの事故とか脳死など暗くて面倒な話題なので、面白くなさそうだなあと思いながら読み始めましたが、そこがすごく面白かった。さすが、この人は筋の
本日もご訪問いただきありがとうございます。今日も朝から一生懸命、研修会の募集要項の印刷です。連休前にはお届けできるように頑張りますね。お昼は、大豆ハンバーグとウインナーのロールパンサンド、レーズンヨーグルトブルーベリージャム添え、アールグレーのミルクティー。1ヶ月ぶりに百人一首の会です。残念ながら吉田山荘の桜はもう散っていました。先生と一緒に・・・先生は着物も帯も小物もとっても淡い色合いで統一された春らしいお召し物。帯びには蝶が飛んでいます。とっても素敵ですね。吉田山荘の大女将が
一日中曇りの横浜です。寒くなかったけど、傘持参の外出でした。朝ご飯です。和歌のおじさんがお歌と写真を送ってくれました。今朝の部屋花頂きし朱のつつじこの華やかさ貴美居る如く返し歌です。心地よく手入れをされた庭園につつじ満開伸びやかに咲くリラ星人さんからは藤の写真、愛知県津島市のお友達からの画像だそうです。お見事です。10時のチーズと生姜湯。生姜湯は毎日味が違います。今日はマイルド。本日は、友人に注文していた素粒水の浄水器が届き
「いろは歌」と「即身成仏」の謎その4空海を追っていたら「八咫烏」が登場したが、まさか柿本人麻呂の謎を追いかけても「八咫烏」が登場するとは全く考えてもいなかった。柿本人麻呂の終焉地と伝わる島根県の益田市には鴨島の人丸社の後身「高津柿本神社」(たかつかきのもとじんじゃ)がある。この神社が鎮座する場所は、益田市高津町鴨山(高角山)という。「鴨」は島だけでなく山にもなっているのだ。「高津柿本神社」の社殿"鴨山の岩根(磐根)し枕(ま)ける吾をかも知らにと妹が待ちつつあるら
源氏物語イラスト訳のあいですイラスト解釈では、イラスト訳で伝えられなかった文法事項や背景などを、随時お話ししています。まだまだ拙いブログですが、少しでもお役に立てる記事にしていきたいと思います。では今日も、一気に行ってみましょぉ~♪ヽ(○・▽・○)ノ゙これまでのあらすじ天皇(桐壺帝)の御子として生まれ、才能・容姿ともにすぐれていたにもかかわらず、亡母(桐壺更衣)の身分の低さにより臣籍降下して源氏姓を賜った光源氏。ただ今、「3.空蝉(うつせみ)」の巻です。光源氏は、紀伊
起きたら、雨でした。静かに降っていました。今日は、20度に届かないややひんやりした日です。朝ご飯です。和歌のおじさんがお歌と写真を送ってくれました。幾重にも花びら織りて降る雨にひとひらふたひら訣れ散りぬる返し歌です。降り続く雨も君と二人なら相合傘で愉しかろうに今日から使う備忘録です。欲しかったのより小さいので、すぐ終わりそう。昨日植えたばかりのベランダの野菜、なんだかずいぶん大きくなった感じがします。たった一日なのにねえ。10時
いよいよ最終章に突入した「鎌倉殿の13人」。主人公・北条義時の顔つきはどんどん貫禄が出てきました。(というよりもどんどん人相悪くなってるような)とうとうパパ時政も退場してしまいました。義時は北条が政治で御家人を束ねていこうとしていきます。さてさて、そんな中で我らが実朝くんです。青年になった実朝くんは、時々泰時に視線を送るようになりました。史実では実朝くんはまだ中学生くらいの年齢。オジサンばかりの御家人たちの中で若い泰時に親近感を感じていたのかなと思う時もありました。しかし実朝くん
師弟の凱歌の5月3日2023年5月3日池田先生の会長就任63周年「創価学会母の日」35周年きょう5月3日は「創価学会の日」。1951年(昭和26年)5月3日に戸田城聖先生が第2代会長に就任。60年(同35年)の同日には、不二の弟子・池田大作先生が恩師の後を継ぎ、第3代会長として世界平和への大長征を開始した。本年で63周年を迎える。また池田先生の提案で制定された、35周年の「創価学会母の日」であり、女性部発足2周年である。幾重にも師弟の栄光が刻まれた「5・3」を記念し、池田先生は全国・全世
奈良へ、2日目は吉野山、3日目は西の京・平城京へ。・吉野①天武天皇の歌碑今回奈良に来た目的の1つは吉野山に来ること。吉野駅前に天武天皇の歌碑があります。「よきひとのよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ」2年前の二十五絃箏ソロリサイタルの際、歌を伴う作品で、万葉集を題材としたもの、ということで新曲を北爪道夫先生に委嘱初演しました。その時にも使われた和歌です。・吉野②義経隠れ塔吉野山奥千本の入り口、金峯神社の側にある「義経隠れ塔」義経が
本日もご訪問いただきありがとうございます。午前中は、全国の教育委員会の住所を調べたりしていました。お昼は、焼きたてトースト、ほうれん草のバター炒め・ハムエッグ・レーズンヨーグルトブルーベリージャム添え、アールグレーのミルクティー。NHK大河ドラマ「光る君へ」にしっかりはまっています。死期が近づいた兼家は、妾の道綱母のもとを訪れます。そこで、昔彼女が詠んだ和歌を口ずさみます。兼家の死後、道隆の時代になります。道隆の息子の伊周のお嫁さん探しのための和歌の会。そこに、紫式部と清少納
前回のあらすじ中宮様から歌を詠むことは免除された清少納言。その頃、中宮の兄・藤原伊周が庚申の徹夜の準備を張り切っていました。夜が更けるころに、内大臣伊周様は題を出して女房に歌を詠ませなさったわ。みな顔をしかめながら苦心して歌を作り出すけれど、私は中宮様の近くに控えて、お話を申し上げたり、歌と関係のないことばかり言っていたのを、内大臣様がご覧になって、「なぜ歌を詠まずにひどく離れて座っているのだ。題を取れ」といって題をくださるけれど、「中宮様のお許しを得て、歌は読まなくてよいこと
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》816小式部内侍身まかりて後(のち)、常に持ちて侍りける手箱(てばこ)を誦経(ずきやう)にせさすとてよみ侍りける和泉式部恋ひわぶと聞きにだに聞け鐘(かね)の音(おと)にうち忘らるる時の間(ま)ぞなき☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆小式部内侍が亡くなってのち、いつも持っていました手箱を誦経の布施にさせるというので詠みました歌和泉式部恋い悩
皆さん、お疲れ様です『桜咲く!』~学び応援project~キャリアカウンセラーの宮若さくらですこのブログでは法政大学通信教育部を卒業したキャリアカウンセラーの宮若さくらが、通信制大学で学ぶ学生さんに向けて情報を発信しています。お気軽に「いいね!」「フォロー」よろしくお願いします新入生の皆さんは今、『いったいどの科目からやれば』最初の関門にいらっしゃるのではないでしょうか学ぶ目的にもよりますし、私は商業学部のことしかわからないので
京都市東山区にある得浄明院で授与されていた三時知恩寺の源氏物語にちなんだ絵に和歌を添えた御朱印は、まだ途中ですが都合により取り止めになったと連絡をいただきました。得浄明院では4月21日から5月5日まで一初の花の特別公開を予定されています。5月1日から5日までは小林良正さんが来られて光照院の絵入りの可愛い御朱印を直書きされる予定です。3月14日の善導忌には京都市上京区にある三時知恩寺に小林良正さんが来られて御朱印を担当される予定です。
本日もご訪問いただきありがとうございます。今日は、朝から、大学から法人の決算報告書を提出するようにとの連絡がありその対応に追われていました。お昼は、カナッペ風のオープンサンド(ローストチキン・チーズトマト・ゆで卵・豚カツ・シナモンバナナ)、バナナヨーグルトブルーベリージャム添え、アールグレーのミルクティー。私たちは、NHKの大河ドラマ「光る君へ」にはまっています。道長とまひろの逢瀬にはもう感激!!このあたりはフィクションだと思っても、うっとりしましたね。そして、道長が恋焦がれるま
昨日は、NHKの大河ドラマ「光る君へ」から源氏物語の光源氏のモデルの一人とされている源融(みなもとのとおる)の和歌百人一首14番「河原左大臣」として、「陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに乱れそめにしわれならなくに」陸奥で織られる「しのぶもじずり」の摺り衣の模様のように、乱れる私の心。いったい誰のせいでしょう。これを取り上げたが、この和歌は、当時から相当に有名だったらしくて在原業平が主人公とされる「伊勢物語」でも取り上げられていて、
まえから読んでもうしろから読んでもおなじ文を「回文(かいぶん)」といいますが、ホツマツタヱではまえから読んでもうしろから読んでもおなじ歌を「回り歌(まわりうた)」というようです。そんな、回り歌をはじめてじぶんでつくることができたので紹介させてください。『わかひめのけなけさむしのとをにしにをとのしむさけなけのめひかわ』わかひめのけなけさむしのとをにしにをとのしむさけなけのめひかわ「ワカヒメの健気さ虫の音(徒)を西に弟
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》808恒徳公(こうとくこう)かくれて後、女のもとに、月あかき夜(よ)、忍びてまかりて、よみ侍りける藤原道信朝臣干(ほ)しもあへぬ衣(ころも)の闇(やみ)にくらされて月ともいはずまどひぬるかな☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆恒徳公が亡くなってのち、女のもとに、月の明るい夜、ひそかに訪れて行って、詠みました歌藤原道信朝臣悲しみの涙を干すこと
町田市内で頻繁に出向く神社のうちのひとつ、町田天満宮さんへご挨拶に行ってきました🌈町田駅から徒歩圏内、アクセス良好な場所に鎮座していて境内から横浜線を眺められるため、鉄道好きな子どもにとって(そうでなくても)のオアシスです✨御祭神は菅原道真公🖌️日枝社と飯綱社も併せて奉斎されてます✨平安時代の学者・政治家の菅公は三大怨霊に数えられていますが、こちらの境内は穏やかな空気感なんです💗真っ直ぐ延びた参道には、沢山の狛犬さんと、シュッとしたお顔の牛さんが2頭。みなさんに撫でられてテカテカの
おはようございますあいです。・・・・・・・・・・・・・・・【原文】闇のうつつにはなほ劣りけり。※むば玉の闇の現は定かなる夢にいくらもまさらざりけり(古今集恋3-647読人しらず)・・・・・・・・・・・・・・・今日は「挿入歌」のお話です☆ーーーーーーーーーーーーーーー【これまでのあらすじ】いつの時代でしたか、多くの妃がはべる中、桐壺更衣ただ1人を愛した帝がおられました。更衣は3歳になる光の宮を後に遺して、お亡くなりになりますが、帝は彼女に対する想いが募るば
藤原隆家は兄の伊周とともに、藤原道長との権力争いの末、花山法皇に矢を射って流罪となった。藤原隆家の最期を詳しく見ていこう。藤原隆家は979年天元2年、藤原道隆と高階貴子の間に四男として生まれた。天下の「さがな者」とささやかれた中関白家の御曹司が藤原隆家である。さがな者とは「性悪者」「荒くれ者」という意味で、隆家は若い時は手に負えないやんちゃ者だったようだ。隆家は弓の腕もなかなかだったらしく藤原道長が書いた御堂関白記には次のように記述されている。「宮中行事の弓場始では権中納言がよく射た第
1【古今和歌集・巻第一・春歌上】ふる年に春たちける日よめる在原元方(ありはらのもとかた)年のうちに春は来(き)にけりひととせを去年(こぞ)とやいはむ今年(ことし)とやいはむ=====【日本古典文学全集(小学館)の訳】=====十二月中に立春を迎えた日に詠んだ歌在原元方年内だというのにもう春の訪れだ。春が来た以上、過ぎ去ったこの一年を去年と呼んだものだろうか。それとも、正月が来るまでは今年と呼ぶべきだろうか。======================
「穢れ」と「言霊」の謎:その56この世のあらゆる「もの」には心が宿り、霊が宿るとされている。「もの」とは単なる物質ではない。だが、原始キリスト教徒・秦氏が仕切る大和朝廷に歯向かった「物氏」(ものし)は、まずは従属民として「部」(べ)の民とされ「物部氏:もののふし」とされた。物部氏は軍事を担っていたが、軍事は「死」と「血」の穢れがまとわりつく職業であり、桓武朝においては平安京遷都の直前、正式な軍隊が廃止されてしまう。勇敢な「もののふ(武士)」だったが、言霊の呪術である「べ」という濁
日曜日の午後、教会で「短歌の会」を行いました。教会員のAさんが短歌の先生なので、いつかやりたいね、と話していたのですが…なにしろ、ボクシが「短歌を一句」と言うような人間でして…俳句は「一句」、短歌は「一首」と数えるそうです…常識ですね道のりが遠かったのです…さて、Aさんの「短歌の会」は、そんな初心者のためにまず「短歌とは」から…超要約すると…短歌とは?俳句と共に、日本語の定型詩として最も広く知られているものである。その歴史は
紫式部は藤原道長の妾であったと、日本の初期の系図集「尊卑文脈」に記述されている。そのため紫式部は、道長の正妻・倫子と何度か顔を付き合わせて対決する場面に遭遇している。紫式部と倫子のその後を詳しく見ていこう。藤原道長は987年永延元年、22歳の時に左大臣・源雅信の娘・倫子と結婚している。倫子はこの時24歳で、道長よりも2歳年上の姉さん女房であった。道長は倫子と結婚し婿入りすることによって、土御門邸という広大は邸宅と莫大な財産を相続し、権力者への足掛かりをつかんだ。五男坊の道長は、父・兼