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ブルーサファイア様の記事引用失礼します。2022年1月20日付けの記事です。『深刻な問題』今回のH親王の進学問題は、結構深刻な問題を秘めているようです。悠仁さま15歳は即位前にいかなる教育を受けるべきか〈“名門校・筑波大学附属高校へのご進学問題…ameblo.jpA宮家の姉たちの学習院に在学中の大暴れの内容と、Hが学習院に受け入れられなかった経緯が書かれていて、2022年当時知る機会を逃した事柄なので再確認のために一部引用させて頂きます。以下引用天皇が心得るべ
本日もご訪問いただきありがとうございました。やっと募集要項の発送が終了しました。先生方のお手元に届くのもあと少しです。お昼は、天天有のラーメンで・・・今日はお昼から、月に2回の吉田山荘の書のお稽古の日です。本来のお稽古日が1週間遅れになったので、前回から3週間近くが経ちました。前回、うかがった時には、吉田山荘の桜がまったく咲いていませんでしたが、今日は、もうすっかり桜は散ってしまっていましたが、青紅葉がとってもきれいでした。窓の外の青紅葉を背景に・・・今日は、先生(大女将)もとっ
本日もご訪問いただきありがとうございます。今日も朝から一生懸命、研修会の募集要項の印刷です。連休前にはお届けできるように頑張りますね。お昼は、大豆ハンバーグとウインナーのロールパンサンド、レーズンヨーグルトブルーベリージャム添え、アールグレーのミルクティー。1ヶ月ぶりに百人一首の会です。残念ながら吉田山荘の桜はもう散っていました。先生と一緒に・・・先生は着物も帯も小物もとっても淡い色合いで統一された春らしいお召し物。帯びには蝶が飛んでいます。とっても素敵ですね。吉田山荘の大女将が
「穢れ」と「言霊」の謎:その57「言の葉:ことのは」という美しい日本語がある。秦基博の曲名や自然食品を扱うカフェのことではない。新海誠監督のアニメには『言の葉の庭』という作品もある。「言の葉」という言葉を調べると、以下のように書かれている。1ことば。言語。「同じう言ふことのはも、いみじう尊し」〈源氏物語〉[訳]声をそろえて言うことばも、たいへん尊い。2歌。和歌。「やまとうたは、人の心をたねとして、よろづの—とぞなれりける」〈古今集・仮名序
日曜日の午後、教会で「短歌の会」を行いました。教会員のAさんが短歌の先生なので、いつかやりたいね、と話していたのですが…なにしろ、ボクシが「短歌を一句」と言うような人間でして…俳句は「一句」、短歌は「一首」と数えるそうです…常識ですね道のりが遠かったのです…さて、Aさんの「短歌の会」は、そんな初心者のためにまず「短歌とは」から…超要約すると…短歌とは?俳句と共に、日本語の定型詩として最も広く知られているものである。その歴史は
2024.4.20一日一季語春深し(はるふかし)【春―時候―晩春】美しき人は化粧はず春深し星野立子「化粧はず」は「けわわず」妙齢の艶を感じる。高浜虚子の次女。虚子に師事し、初の女性主宰誌『玉藻』を創刊・主宰した。虚子一族で特に評価の高い人物。女性俳人では同時期に活躍した中村汀女・橋本多佳子・三橋鷹女とともに四Tと称された。星野立子の名を冠する俳句賞として、星野立子賞・星野立子新人賞が設けられている。⇒画像をクリックするとブログ記事が読めます。【傍題季語】
と言いますが、このような人に殺されたくないですね。八墓村要蔵の舞多治見要蔵が踊っております。youtube.com願わくば花の下にて春死なんこの如月の望月の頃実家の父が好きだった和歌ですが、、、その願いはかなえられませんでした。お父さん、あたしたちには、そげんかっこよかことはできんとばい。ならば、私も死ぬまでじたばたするしかなか。がんばるけんね。かーらーのーこのくらい踊れればなぁ!いいなあ。
『伊勢物語』の第82段です。桜に関する有名な和歌の贈答があります。桜が散るのを見て嘆く歌を詠んだ在原業平に対して、「桜は散るからこそ良いんだよ」という歌が返ってくる。桜が散る写真はスマホの写真フォルダにありませんでした。生活圏で見られる桜は、今年は既に散りに散っておりますが、写真に撮るような綺麗な感じでは最早なく。笑さておき、桜って確かに咲いたと思ったらすぐに雨が降って散っていきますよね。春に三日の晴れなし昔から言われることですが、春の天気はそも
本日もご訪問いただきありがとうございます。午前中は、全国の教育委員会の住所を調べたりしていました。お昼は、焼きたてトースト、ほうれん草のバター炒め・ハムエッグ・レーズンヨーグルトブルーベリージャム添え、アールグレーのミルクティー。NHK大河ドラマ「光る君へ」にしっかりはまっています。死期が近づいた兼家は、妾の道綱母のもとを訪れます。そこで、昔彼女が詠んだ和歌を口ずさみます。兼家の死後、道隆の時代になります。道隆の息子の伊周のお嫁さん探しのための和歌の会。そこに、紫式部と清少納
いよいよ最終章に突入した「鎌倉殿の13人」。主人公・北条義時の顔つきはどんどん貫禄が出てきました。(というよりもどんどん人相悪くなってるような)とうとうパパ時政も退場してしまいました。義時は北条が政治で御家人を束ねていこうとしていきます。さてさて、そんな中で我らが実朝くんです。青年になった実朝くんは、時々泰時に視線を送るようになりました。史実では実朝くんはまだ中学生くらいの年齢。オジサンばかりの御家人たちの中で若い泰時に親近感を感じていたのかなと思う時もありました。しかし実朝くん
高階貴子は藤原道隆との娘・定子が一条天皇の中宮となったが、最期は一家が没落している。高階貴子の最期を詳しく見ていこう。高階貴子の生年は不詳だが、高階成忠の娘として生まれている。貴子は二十歳のころに父のすすめで、円融天皇の後宮に出仕している。和歌のみならず漢文にも才能を発揮した貴子は、「本格的な文筆家で、少々の男性たちよりも優れている」と評判となった。そして女官のナンバースリーの地位である掌侍に出世した貴子は、高階の高をとって「高内侍」と呼ばれた。そんな容姿端麗の才女を、若い貴族たちが
前に書いた雅子さまの夢をみた話ですが、書いていなかったんで書きます。夢の中で登山鉄道界隈のどこかのお店で雅子さまが織部焼きの抹茶茶碗を手にとられこの鮮やかなグリーンは、苔が萌えているように鮮やかで綺麗ですねとおっしゃっていたんです。で、手にとってあった雰囲気とぴったりの器を探したらありました服装は、ベージュのパンツスーツにブルーのブラウスでした。麗しい笑顔と立ち振舞いにうっとりしてしまいました。そして苔がむすは知っていましたが苔が萌えてと言う表現は、恥ずかしながら知りませんで
『ホツマツタエと祓戸四神の内緒話』さて、古史古伝『ホツマツタエ』を読むと、古事記の違和感、古事記には描けなかった内容が散りばめられている。太陽神『アマテル(天照)大御神』が女神ではなく男神であ…ameblo.jp↑のつづき。さて、引き続きホツマツタエのお話を抜粋しながらお届けしたい。『ワカ姫』という女神がいた。この女神は、イサナギ・イサナミという両神の第一子として産まれたが、この両神ともに、この年は『天の節(厄年)』てあった為、両親の厄災が産まれた子にも降りかかることを恐れた。その
令和4年10月1日~11月23日にかけて、遊就館にて「宗良天皇と楠木正成公ー英霊との精神的な絆」という企画展が開催されています。こちらの企画は、日本青年協議会としても後援をさせていただきました。展示の主催者は書道家の永山玳潤(たいじゅん)氏と、写真家の廣田(ひろた)勇介氏で、国家の危機に際し私達の父祖たちはどのように生きたのかを南北朝時代に活躍した宗良親王と楠木正成公に求め、そのご足跡を書と写真でたどる展示となっています。↓靖國神社HP新着情報詳細|遊就館|靖國神社明
5月27日海老澤宗香茶道教室お稽古日ですまた新しく2名の生徒さんを迎えました生徒さんの暮らしに役立てていただくために次月の歳時記のお話をいたします6月には「夏越しの祓」という大切な行事があります「年越しの祓」とセットで1年の半分ずつ穢れを祓うのです茅の輪や欠かす事のできないお菓子「水無月」の由来をお話しましたそして5月27日はなんと百人一首の日小倉百人一首を選定した藤原定家の日記「明日記」の1235年5月27日に百人一首に関する記述があることから制定さ
今日も花の色は色褪せてしまった・・・春の長雨が降ってる間に・・・わたしの容姿が衰えたように・・・さて、誰の和歌でしょう花の色はうつりにけりないたずらにわが身世にふるながめしまに小野小町簡単だったかな百人一首を知ってればこの時期の歌だからねそういえば最近、たまごの辞世の句が流行ってるとかちりぬべき時しりてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ細川ガラシャ(明
「いろは歌」と「即身成仏」の謎その4空海を追っていたら「八咫烏」が登場したが、まさか柿本人麻呂の謎を追いかけても「八咫烏」が登場するとは全く考えてもいなかった。柿本人麻呂の終焉地と伝わる島根県の益田市には鴨島の人丸社の後身「高津柿本神社」(たかつかきのもとじんじゃ)がある。この神社が鎮座する場所は、益田市高津町鴨山(高角山)という。「鴨」は島だけでなく山にもなっているのだ。「高津柿本神社」の社殿"鴨山の岩根(磐根)し枕(ま)ける吾をかも知らにと妹が待ちつつあるら
「穢れ」と「言霊」の謎:その56この世のあらゆる「もの」には心が宿り、霊が宿るとされている。「もの」とは単なる物質ではない。だが、原始キリスト教徒・秦氏が仕切る大和朝廷に歯向かった「物氏」(ものし)は、まずは従属民として「部」(べ)の民とされ「物部氏:もののふし」とされた。物部氏は軍事を担っていたが、軍事は「死」と「血」の穢れがまとわりつく職業であり、桓武朝においては平安京遷都の直前、正式な軍隊が廃止されてしまう。勇敢な「もののふ(武士)」だったが、言霊の呪術である「べ」という濁
町田市内で頻繁に出向く神社のうちのひとつ、町田天満宮さんへご挨拶に行ってきました🌈町田駅から徒歩圏内、アクセス良好な場所に鎮座していて境内から横浜線を眺められるため、鉄道好きな子どもにとって(そうでなくても)のオアシスです✨御祭神は菅原道真公🖌️日枝社と飯綱社も併せて奉斎されてます✨平安時代の学者・政治家の菅公は三大怨霊に数えられていますが、こちらの境内は穏やかな空気感なんです💗真っ直ぐ延びた参道には、沢山の狛犬さんと、シュッとしたお顔の牛さんが2頭。みなさんに撫でられてテカテカの
紫式部は藤原道長の妾であったと、日本の初期の系図集「尊卑文脈」に記述されている。そのため紫式部は、道長の正妻・倫子と何度か顔を付き合わせて対決する場面に遭遇している。紫式部と倫子のその後を詳しく見ていこう。藤原道長は987年永延元年、22歳の時に左大臣・源雅信の娘・倫子と結婚している。倫子はこの時24歳で、道長よりも2歳年上の姉さん女房であった。道長は倫子と結婚し婿入りすることによって、土御門邸という広大は邸宅と莫大な財産を相続し、権力者への足掛かりをつかんだ。五男坊の道長は、父・兼
最近、古文の記事が減っているのでいかんいかんと思いつつ。手近にあった『伊勢物語』から適当に記事を選ぼうとパラパラめくっておりました。そういえば梅雨入りも近づいてきて雨が増えてきたなあ、ということで。雨に少し関係ある107段です。昔、高貴な男がいた。その男のもとにいた女を、内記であった藤原敏行という人が求愛した。しかし、女は未熟だったので、手紙もしっかりとは書けず、言葉の使い方も知らず、まして和歌など詠まなかったので、その主人であった男が下書きを書き、女に清書をさせて送ってやっ
私の故母親は昭和7年(1932年)生まれで名前は美智子と言います。戦前は長野県諏訪市で育ちました。上に二人の姉、下に二人の妹(私の叔母)がいて、いずれも名前は○○子と言います。母親の誕生前後4-5年ぐらいの間に5人姉妹が誕生したわけです。さて…何時の時代から女性名に〇子と付けるようになったのでしょうか?春秋戦国時代の中国では孔子や孟子など高名な儒学思想家に付ける名前でした。日本では飛鳥時代の聖徳太子や彼に任命されて隋に渡った遣隋使小野妹子が有名ですがいずれも男性名です。検索す
7月22日海老澤宗香茶道教室のお稽古教場の襖を簾に替えました京都では「建具替え」といって夏の間障子や襖をよし障子など風が通る建具に替えます私が勤めていた中村外二工務店でも6月になると順次お客様のもとに伺い建具替えを行いました9月になると元に戻しますがこの際に建具の滑り具合や不具合を調整します模様替えだけではなく建物のメンテナンスも兼ねているわけです毎月生徒さんの暮らしに役立てていただくため次月の歳時記のお話をしています来月8月のテーマは「八朔」八朔は
三千年前の日本では、現在までつづいている年中行事がすでに行われていたことは、以前にも書かせていただきました。カナサキさんのおうちでも、お正月には年の始めのおもち(初日もち)を食べ、三月三日には、桃の花を飾り、五月五日にはアヤメを見ながら、ちまきもちを楽しみ、七月七日には七夕を祝い、九月九日には、菊の花や栗でお祝いしました。また、ワカ姫さまは、成長とともに、ますますお歌の才を発揮され、カナサキさんを喜ばせました。「ヒルコさま、今日は、回り歌というものを作ってみませんか」
本日もご訪問いただきありがとうございます。今日は、朝から、大学から法人の決算報告書を提出するようにとの連絡がありその対応に追われていました。お昼は、カナッペ風のオープンサンド(ローストチキン・チーズトマト・ゆで卵・豚カツ・シナモンバナナ)、バナナヨーグルトブルーベリージャム添え、アールグレーのミルクティー。私たちは、NHKの大河ドラマ「光る君へ」にはまっています。道長とまひろの逢瀬にはもう感激!!このあたりはフィクションだと思っても、うっとりしましたね。そして、道長が恋焦がれるま
このブログは「平安時代ブログ」を標榜して始めたブログ。なので、外しては語れない人のひとりが「桓武天皇」。「鳴くよウグイス平安京」794年「平安京遷都」から、平安時代が始まるわけですからねー。桓武天皇が即位するに至るまでの長く険しい道について話は、別の日に譲るとして。今日は桓武天皇の後裔について、語ってみたいと思います。桓武天皇の後裔と言えば、なんといっても「桓武平氏」。高棟王(たかむねおう)と高望王(たかみおう。高見王と同一?)の兄弟が、天長2年
先日の川崎大師(平間寺)で開催された「川崎大師ご供茶式とお茶会」で、平間寺茶道教室の濃茶席床には、霊元天皇の御宸翰(ごしんかん)漢字混じりの変体仮名なので少し難しいが、さあ、これを読んでみよう。最初の二行は漢字なので、和歌の最初の行最初の2文字は、少し崩し字、変体仮名を勉強していると分かる。能⇒二文字目は、なかなか漢字が頭に浮かばないので、苦労するかも。登⇒三文字目は、それが文字なのか点なのか判断が難しいかもしれないが、これはよく出てくるので、覚え
先日の川崎大師(平間寺)で開催された「川崎大師ご供茶式とお茶会」で、平間寺茶道教室の濃茶席の霊元天皇の御宸翰(ごしんかん)の詠早春和歌今回は、和歌の三行目であるが、最初の字は、「さ」なのだが、その元になった漢字は・・意外と知られないが、これは左⇒次の文字が問題で、続け字のためどこまでが一つの文字か、なのだが、慣れないと「くしに」と読んでしまう。「しに」と読める部分は、実は、ひと文字で良⇒となると、2文字目が「く」久⇒ということで、1文字目
久しぶりに初心者かな書道生徒さんのいろはのお稽古ですかな線のおけいこいろは文字のお稽古文字の形だけでなく筆使いの基本を学びながら、一文字一文字をたくさん書いて練習します漢字にはね、はらい、とめの基本があるようにかなには順筆(スーっと筆先から入る線)逆筆、当たり筆、返し筆の基本がありますのでこれらを習得しながらかな文字を学んで行きます元々かなは中国から渡ってきた漢字を省略変化させて出来上がっていますですから元の
先週ドライブの途中で万葉の森に立ち寄ってきました万葉の森というだけあって平安時代の歌や事柄などの説明書きが沢山ありました曲水を模した池?がありました「曲水の宴」曲水の宴とは、平安時代に流行した貴族文化で参加者は曲水の庭園の上流より流される酒盃が自分の前を過ぎる前にお題に沿った和歌を作りお酒を頂くというルールの歌会との事です関西では京都の上賀茂神社で平安装束の方々が行われているニュースが毎年流れていますね実家の庭にも一重の山吹がありました江戸時代の伝説ですがお勉強になりました資料館