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こんにちは🎵一万円コースのお客様のお料理ですっっ旬の美味しいものをご用意させて頂きました⤴️その昔羽黒山ご改組さまの蜂子皇子が聖徳太子のご加護により都から落ち延びる際にお付のものとして庄内の奥にある立谷沢川のほとり鉢子集落に住み着いたご先祖さまを持つお客様です✨最初に来られた時お名前を聞いてそちらの集落の関係者?と思い伺うとそうだとのこと!!由緒正しきお家柄なんですねぇ〜なんてお話したのですよ!それから御親戚に来られる時にはご利用してくださるようになりました🎶
やほほーーーーーーーーひこの前、娘がストレスで吐き気や下痢がひどく仕事を休みたいと、言ったので。。。給料日前の最後のお小遣いを使い。。。カルピスを買って🤣(安っ)明日お家であそぼー(✪▽✪)ってワクワクしてたなりが…日給をとるか、カルピスをとるか。。。娘は、悩み🤔給料はでかぃ。。。でも、給料日前のカルピスの思いもでかぃ。。。🤔カルピスは、2本もかちたんだよ??(✪▽✪)とそそのかしてみたなりが。。。仕事へ行っちゃったぁー(ノД^、)σちぇーっwwwさて、本題へま
山中を歩きまわっていて時計を見ると「はやこんな時間」、とハットすることが多い。山中にいると時間が経つのは速い、と思うことはしばしばある。下途中之川の学校跡や周辺の散策はそこそこにして、上途中之川へと行った。ここから上途中之川へと続く道は、狭くて凸凹路、水の流れる小谷を渡るところもある。丸木を束ねて架けた比較的きれいな橋があった。上途中之川にログハウスを建て、畑を耕し野菜を作り、木の苗を育てたりしながら、ときどき寝泊まりしている人が居るという。電気はそこまでもう来てないようだ。きれい
「姫街道大里峠」(おおりとうげ)。東名高速下り252.2kmポスト近く。高速からは見えないけど。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)三ヶ日町宇志)駐車場なし。トイレ・自販機なし。昭和44年(1969)に開通した東名高速道路により分断された姫街道。本気で姫街道散策をする方でなければここに来ることは無い峠。しかも草をかき分けて入ったとしても行き止まりだそうです。ただ何かしらの古道の雰囲気が残っているみたいなので冬の時期に来てみればいいかも。「
【4】より続く。サクサク歩いて、スタート地点へ。忘れてはいない。ちゃんと参拝しないとね。久しく(数ヶ月以上は)人の手が入っていないような感じ。辺鄙なところにあるお宮でもしっかり手入れされているケースも多いだけに、ちょっと寂しかった。倒木が寄っかかった石段を登り、ささやか~な祠へ。連載最初には村社的な、とか書いたが、とてもそんな規模じゃないな。祭神の名前もなく、鳥居に扁額もなく、当然由緒書や案内看板もない。なんとも寂しいの
2日目最終日です朝、5時30分に同室の人に起こされる。爆睡してたみんなは朝方もう一度お風呂😌♨️に入ったらしい...ワタシは一瞬ここはどこ?😱の世界だったw朝ごはん~😋少し雨☔が...少し強い雨☔が...世界遺産です。登りもそこそこあったけど今日はそこまできつくはないって、慣れただけらしい(笑)そしてゴール!八咫烏です。脚が3本熊野本宮大社時間があったので、
お天気に恵まれた2月3日、横須賀古地図くらぶで古代東海道の様子が色濃く残る葉山の木古庭地区の散策を行いました。出発点は池上隧道そば、木古庭に通じる古道入口です。平安時代初めまで、東海道は三浦半島を通っていて走水から房総へ海を渡っていました。後に「鎌倉道」「西の浦賀道」にもなり、今では県道横須賀葉山線として大楠山と三浦アルプスに挟まれた谷合いの道はずっと交通の要衝です。今回散策した辺りは曲がりくねって高低差もあるオリジナル古道の様子を欲張って残しています。水の澄
★紅葉・黃葉のyoutube動画:➡こちらです人気ブログはこちら➡【動画】古道・廃道ランキング1位人気ブログはこちら➡
公式ブログをはじめました。現在は、過去記事のアーカイブをおこなっています。2018年2月の伏見稲荷大社から神社めぐりをはじめて数か月後には「ホツマツタヱ」に出会っていたようです。大神神社と山の辺の道1奈良の三輪山(みわやま)へ行きました。日本屈指のパワースポットである大神(おおみわ)神社の御神体となっているお山です。navihico.com大神神社と山の辺の道2三輪山から奈良市までつづく古道を、山の辺の道(やまのべのみち)というようです。延長は26キロもあるとい
かれこれ一週間近く経ってしまってるけど、やっと書くことが出来ます!4月13日はあのあの憧れの古道ヅナ峠越えへ!『鎌倉みちを追って…1216』いつだったのかしら。わたしがこちらに辿り着いてしまったのは。鎌倉みちえええええ?そうなの?その時驚いたのは、『鎌倉道』と『鎌倉街道』はべつなの?という事だっ…ameblo.jp例によってあの犬友からの連絡。『ヅナ峠へ行こうかと思って』行きます!行きます!三国峠に一台🚗を置いて、湖畔のキララに一台。2台で行かなくちゃならないんだよ
新年一発目の更新はバリバリ地元ネタとなります←東急により昭和50年代ころから急速に開発されたこま武蔵台ニュータウン(日高市武蔵台)の造成前は、田畑や山々が連なっており現在では見る影もありません。造成以前の航空写真(1964年撮影)出典:国土地理院ウェブサイトよりそしてこの団地内には造成以前明治30年ころに作られたという古道が通っていたとされ、今昔マップ上においても昭和16年の版まではっきりと書かれており隧道を示す)=(の記号も見ることができます。今回はこの隧道擬定地と古道、駅計画地、さらに
朝、子供達を送り出してから家のことをして、朝ごはん食べて準備して、午前9時。母さん元気に原付ツーリングの1日が始まります家の鍵は子供達に渡してあるので、「学校から帰ったら自分で家に入って宿題やってゲーム1時間して待っていること」と言い渡してきたので安心してゆっくり過ごせますだーというわけで、少しでも裏道から久万高原町へ上がるべく、国道を避けて避けて走る松山市久谷町。松山市の南の端っこです。彼岸花が咲く季節になりました。「三坂道路」は125cc以下は走れない専用道路なので、
春に宿毛市内を通った時、国道増にあったヤマサキヤさんが閉店しているのを見て、あれだけおいしいのになぜだろうと思っていたのですが、宿毛駅裏に移転されていたのですね~~!金次郎でラーメンをいただいた後、久しぶりに立ち寄りました。左・クリームパン右・スコーン(土日限定)もちもちのバゲットも買いました。薄い生地に、コクのあるカスタードクリームたっぷりのクリームパンが旨いスコーンもバターの風味たっぷりで濃厚駅傍なので、さらに繁盛しそうですねこの日は秋~冬に歩いてみようと思っ
前回、多田神社(中野区)に行った際に、Googlemapに「国府道」という名称が記載されていた気になっていた。手元の古道の書籍やネット検索でも直接的な情報が得られない。また、Googlemapの根拠も確認しようがない。まずは実査してみた。地下鉄丸ノ内線の方南町を起点として、googlemapで「国府道」の記載を追っていくと、概ね方南通=国府道であり、西は大宮八幡宮周辺で終わる。その先は「人見街道」。人見街道は歴史が古く、この先は府中市の浅間山のあたりに行きつく。一方で、東側はどうな
オタナイ村を訪ねて32キロのラン&ウォークの旅。いまから400年前オタナイの沼を中心にアイヌ部落(オタナイ村)が栄えていた。生活は漁業を主に狩猟で生計を立てていた。近くに新川が流れていることからサケの漁獲は大きかったと思われる。慶長年間1596年(約400年前)福山の住人、八木勘右衛門がオタナイ村に入り和人として初めて漁業を営む。和人はアイヌ人をなかば奴隷のように扱い、権威をふるっていた。アイヌ人は顔に似合わず、気がすごく優しい。反発することは殆どない。和人に娘や女房を愛人にさせられても