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≪トロッコ・レールやU字支洞も≫拙著「四国の鉄道廃線ハイキング」収録の国道194号の前身、加茂土工森林組合馬車軌道は元々、千町(せんじょう)鉱山の鉱石運搬のため、大正期、日本窒素肥料㈱が八之川から船形まで敷設した馬車軌道が前身である。鉱山は標高360m前後にあり、主要坑道は内部に手押しトロッコ・レールが敷かれ、索道場まで運搬し、そこから索道で谷川を越えた向こう岸の八之川へと下ろし、馬車軌道で船形へ輸送、そこで通常の荷車の馬車に積み替え、西条市街へと運んでいた。が、鉱脈が良くなかったせ
【3】より続く。こんな一画にさしかかった。広かったはずの路盤の内側が流されて崩れた場面。その山側には砂防を兼ねていたとおぼしきコンクリ壁が。もはやパンパン状態。昭和の構造物か?路盤を崩したのは、「上」からの流水による洗堀。「上」と書きたいほどにこの道、一貫してなかなかの勾配が続く。もう一度地理院地図をご確認いただきたい。歩き始めた地点が標高263m、ゴールが371mと、約1.5kmで108m登る。つまりだいた
【4】より続く。蕪坂隧道の反対側に到達した。市街地側を後にしてから44分経っていた。2枚の看板含めて概ね同じような雰囲気だが、細かく見ると市街地側にはあった扁額スペース的な出っ張りがない(ならばあれはやはり扁額だったのではないかと)。それとポータル上のコンクリ土留めのサイズや、水抜き穴の存在などが相違点かな。余談だが、抗口前の電柱脇に立っていたポールは、電電公社のものだった。珍しいものなのかどうかは不明。では再び…お邪魔しまっすー(
お天気に恵まれた2月3日、横須賀古地図くらぶで古代東海道の様子が色濃く残る葉山の木古庭地区の散策を行いました。出発点は池上隧道そば、木古庭に通じる古道入口です。平安時代初めまで、東海道は三浦半島を通っていて走水から房総へ海を渡っていました。後に「鎌倉道」「西の浦賀道」にもなり、今では県道横須賀葉山線として大楠山と三浦アルプスに挟まれた谷合いの道はずっと交通の要衝です。今回散策した辺りは曲がりくねって高低差もあるオリジナル古道の様子を欲張って残しています。水の澄
★紅葉・黃葉のyoutube動画:➡こちらです人気ブログはこちら➡【動画】古道・廃道ランキング1位人気ブログはこちら➡
【3】より続く。明るい雰囲気でスタートを切った、蕪坂越えの反対側。先に何やら見えてきた。接近してみれば、市街地側でも見た「この先走行注意」だった。まあ「この先」を見るに、やっぱり「注意」レベルじゃなさそうなんだが。こいつの登場を合図としたかのように、ここまでうっすらと残っていた轍が消えた。けど依然として、古道の香りがしない。なんだろうなあ、いまいち盛り上がらない感じ。この景、一瞬だけオッ
年始は静かに過ごさせていただきました。海沿いを一路南へ目的地に着いてから、マイナスイオンが充分に満ちた古道を静かな道をゆっくりと歩きました。古道の両側には、立派な杉の木が聳え立っていました。杉の木と比べると、歩く方達がとても小さく見えます。樹齢およそ800年の杉の木1本1本に触れながら、自然の温もりと生命の力をたくさんいただきました。ひたすらゆっくりとゆっくりと歩き続けました。心と身体の疲れを、ゆっくりと癒やす事が出来ました。
元荒川小学校跡に車を停めさせてもらい,、西条と土佐を結んだ街道沿いにあった荒川の李集落に行って来ました。大福寺荒川小学校跡地から李集落跡に古道を行った。李集落に以前住んでいた方が案内してくれるので心強い。歩道(旧道)を通っていくが、ちょっと寄り道してまずは八幡神社へ行ってみた。神社へ行くのに、たいてい階段を上って高いところに行く所が多かったが、この八幡神社には、階段を
こんにちは🎵友達のお母さんの手作りの笹巻き頂きました⤴️お手製のお味は絶品✨とっても美味しかったです(≧▽≦)きなこも蜜も付いていてすぐに食べれるようにとの気遣いも嬉しいです💕署名の紙を10枚おみやげとともに持参してくれました。快くご協力くださった有志の皆様ありがとうございますm(__)mこの場を借りて御礼申し上げます(人•͈ᴗ•͈)今の時期コレを食べると春が来たんだなぁ〜と感じる故郷の味ですよ~🎶鶴岡では灰汁を入れた黄色い笹巻きがスタン
千葉県には城下町佐倉から千葉市寒川港を結ぶ佐倉街道があります。年貢米を運ぶために整備された道です。先日、千葉市の郷土史講座に参加し、佐倉街道よりももっと古い「佐倉古道」を歩きました。千葉市泉市民センターからコミュニティーバスに乗り、千葉市若葉区谷当町へ。秩父供養塔「秩父三十四番観世音供養塔大正二年十二月」と正面に刻まれ、右側には「内田塩古道」、左側には「千葉街道」、裏面には「坂戸馬渡佐倉之道」と刻まれています。
旧石鎚村中村集落内を通り抜けて、山上に続く道を上がっていくと、谷ヶ内という集落跡がある。初めて中村集落へ行ったとき、そこに暮らす曽我部M氏に谷ヶ内集落に行く道を尋ねた。谷に沿ってある道を行けば谷ヶ内集落跡に行ける、と指さしながら教えてくれた。後日、天気の良い日を選んで行った。諏訪神社前にある駐車場に車を駐めて、そこからは歩いて行かなければならない。中村集落までの山道は、手入れされていてきれいだった。曽我部氏が住んでいる所より上にある道は山肌を横切っていく道で、道上から土砂が崩れ落ちてきて
最近Vau〇dyの灯火をよく聴く男、蕨です。今回は鹿児島城下と山川を結ぶ旧街道の一つ、山川路の中でも比較的有名な区間を取り上げます。山川路はこちらでも少し触れましたが、現在の国道226号線の前身にあたる旧街道です。鹿児島城下から谷山の松崎までは主に谷山街道や谷山往還と呼ばれ、その区間は現在の県道20号線や国道225号線と並走しています。今回はその中でも比較的旧街道としての姿が強く残る区間、五位野-平川の区間を取り上げます。いつか全線取り上げたいとも思っています。地図赤線が今回探
こんにちは🎵一万円コースのお客様のお料理ですっっ旬の美味しいものをご用意させて頂きました⤴️その昔羽黒山ご改組さまの蜂子皇子が聖徳太子のご加護により都から落ち延びる際にお付のものとして庄内の奥にある立谷沢川のほとり鉢子集落に住み着いたご先祖さまを持つお客様です✨最初に来られた時お名前を聞いてそちらの集落の関係者?と思い伺うとそうだとのこと!!由緒正しきお家柄なんですねぇ〜なんてお話したのですよ!それから御親戚に来られる時にはご利用してくださるようになりました🎶
鹿児島市の伊敷と坂元を結ぶ県道の入り口付近、日当山はかつて陸軍歩兵の射撃訓練所があった地域です。今回はそんな日当平の古道の一つを探索しました。地図の赤線が今回探索した古道です。場所は伊邇色神社のふもとになります。古道の入り口。入り口脇の住宅の庭にはなにやら石碑がありました。道路とは関係がなさそうなので今回はスルーします。入ってすぐに軽自動車がギリギリ通れるか通れないかの幅員となりました。そしてあたりと比べると一段高い場所を古道は通っています。道脇には廃屋が。
こんばんは風のマーサです😊前回は山国井戸(京都市右京区京北井戸町)から石仏峠までを紹介しました。今回は、すでに林道となった雲ヶ畑(京都市北区)側の峠道を進み魚谷峠へと向かいます。(上写真、雲ヶ畑側の道)雲ヶ畑側の峠道(林道)を緩やかに下っていきます。路面は荒れています。灰屋川に沿って進んでいます。灰屋川を渡ります(下写真)水が路面にまで流れていた(汗)そして、この先は登りとなります。つまり魚谷峠へと登っていくのです。一方で、その手前から灰屋川に沿って進むと(
こんばんは風のマーサです😊少し以前のことになりますが今回は石仏峠、魚谷峠についてお話します。実際の古道歩きのルートとしては京北井戸町→石仏峠→魚谷峠→雲ヶ畑と歩きました。山深い道のりですが、一応は全ルートが京都市内です。さっそくバスで井戸バス停まで向かいました。そこから徒歩で山越えをします。京北井戸町(山国井戸)にはかつて京から若狭へと続いた若狭街道(小浜街道、雲ヶ畑街道)が通っていて、まず初めに京に向かって、そのルートを進むことにします。バス停から東に進むと
本日は凍死です!福島女性教員宅便槽内怪死事件1989年2月28日(火)夕方6時頃、福島県田村郡都路村古道の便槽内で起きた奇妙な変死事件になります男性(26歳)が女性教師(23歳)の単身用住宅にあるくみ取り式トイレの奥底から死体で発見されました事件は自ら侵入した「凍死」と断定されております。一応は解決済み事件となっているのですが、世間では不可解な”未解決事件”とも疑われております不可解な死因に対して不思議に思ったKさんの仲間達&お父さんが当時、警察に真相究
こんばんは風のマーサです😊今回は旧八草峠について紹介します。現在の地図では、その存在もルートも忘れ去られていますがかつては近江地方と奥揖斐地方とを繋ぐ交通路でした。具体的には金居原(滋賀県長浜市)と川上(岐阜県揖斐川町)とを繋いでいます。また古くは川上よりも峠側に八草村が存在したらしい。(上写真は八草峠旧国道ルートからの眺め)さて八草峠の古道探索の記録を書いていきます。まずは今回の探索に至るまでの経緯から〜ある日、愛読書?の<県道マップル25>滋賀県道路地図を何
前回、多田神社(中野区)に行った際に、Googlemapに「国府道」という名称が記載されていた気になっていた。手元の古道の書籍やネット検索でも直接的な情報が得られない。また、Googlemapの根拠も確認しようがない。まずは実査してみた。地下鉄丸ノ内線の方南町を起点として、googlemapで「国府道」の記載を追っていくと、概ね方南通=国府道であり、西は大宮八幡宮周辺で終わる。その先は「人見街道」。人見街道は歴史が古く、この先は府中市の浅間山のあたりに行きつく。一方で、東側はどうな
福岡県の青龍窟が良いと聞いたので、下調べや予備知識がほとんどないままに参拝しました。(最近、当日まで旅の下調べをしないことが増えました。旅慣れているからか?感覚で行くべき所にうまく導かれるようです)青龍窟へは、山道を進みます。案内板の左からの道は、令和5年5月上旬では崩落危険のため通行止めでした。❌反時計回りで青龍窟と白山多賀神社までは行けます。マップだと登り口はココGoogleMapsFindlocalbusinesses,viewmapsandgetd