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ご訪問ありがとうございます今回は欽明天皇の治世が長いので、登場人物の世代をできるだけ確定しておきたいと思います。何で?こういう面倒なことをやるかと言うと(;^_^A前の「飛鳥の夢」というシリーズで、この時代を書いたときにこの人こんな若かったんや~💦とかこの人以外後継者なかったんや~💦など、いわゆる「一般的イメージ」とずいぶん違うぞ(-""-;)みたいなことがめちゃくちゃあってそれは子供向けの歴史マンガから、学術論文に至るまで‼️広範囲に及んでいたのです( ̄▽ ̄;)それをき
決定版阿波の古代史邪馬台国は阿波だったAmazon(アマゾン)謎なんです。井川神社のご由緒が。。。そして、その謎がまさかと思ったのですが、もしかすると、かもなのです。井川神社は愛媛県四国中央市岡銅、法皇山脈の北斜面中腹にある延喜式神明帳よりも古い、延喜元年(901年)に成立した三代実録にも名の残る式外社です。実は実家の近くにありますが、こんな山深いというか、小高いところに由緒ある神社があることは全くしりませんでした。社名:井
ご訪問ありがとうございます。ここから皇統がかなりややこしくなります。雄略天皇がいろいろ粛清しちゃったので(;^_^A天皇候補が激減するんですよね。白髮武廣国押稚日本根子シラガノタケヒロクニオシワカヤマトネコ天皇(白髪シラガ皇子=清寧天皇)は、大泊瀬幼武オオハツセノワカタケ天皇の第三子で、母を葛城韓媛カツラギノカラヒメという。天皇は、生まれつき髪が白く、大人になってからは民を愛された。大泊瀬天皇=雄略天皇が諸々の皇子の中で特に(白髪皇子に)霊異を感じておられるところであった。(雄略
欠史八代ともいわれる、第二代から九代までの天皇。その第二代天皇かむぬなかわみみのみことですが、名前の漢字は二種類あります。日本書紀:神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)古事記:神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)ここでは、古事記の表記を使わせていただきます。その第二代綏靖天皇(神沼河耳命・カムヌナカワミミノミコト)には三人の兄がいました。ひとりは、長男の手研耳命(タギシミミノミコト)母は吾平津媛(アヒラツヒメ)、父は初代神武
四柱推命×吉方位×産土神社開運法で人生のステージアップを応援!四柱推命鑑定士の福宮早織です。ブログへのご訪問ありがとうございます。(このブログは「天命開運」でGoogle検索できます)______________日本の始まりはシュメールとエジプト⁉️2026年2月11日(水)に「ワクワク古代史セミナー」をエンサロン(大阪•中崎町)で開催いたします!歴史好きな方、神話や古代文明にワクワクする方に、とっておきの内容です♪
一年三ヶ月ぶりのブログの更新です。前回紹介した外猫の風来坊マロンは姿を現わさなくなりました。家猫のまりは来月で4歳になりますが、小柄なので子猫のような可愛らしさです。おひさしぶりでーす。ロングかぎしっぽでーす。にゃーんだ、これ?新刊を出版しましたので、ご案内します。天皇家のご先祖さまの物語なので、愛子さまに一冊寄贈しました。◎堀田はりい著『新・卑弥呼物語-卑弥呼と壹與の女王国』◎2026/1/7発売(本体1350円【税込み1485円】四六判122ページ発行:つむ
ご訪問ありがとうございます。さて今回から武烈天皇ですが、まずは「武烈天皇紀」の冒頭、この前飛ばした総評の部分を見ることにしましょう。小泊瀬稚鷦鷯オハツセノワカササギ天皇は、仁賢天皇の皇太子である。母を春日大娘カスガノオオイラツメ皇后という。仁賢天皇7年、立ちて皇太子となる。長じては刑の判断や執行を好み、法令に詳しかった。日が暮れるまで政治を行い、無実を見抜き、訴えは退けるにしても情はおありになった。と、ここまで見るといい人に見えますが、これは「法治主義」です。法がすべてで、儒教のよ
ご訪問ありがとうございます。「顕宗天皇紀」はあと少しです(^^)冬10月6日、群臣と宴会をされた。この時に天下は安寧太平で、民は労役もなかった。年ごとに稔りが増え、国民はたいへん富んだ。稲は1斛サカ=1石=10斗(約180L)に対して銀銭1文であった。馬は野を覆うばかりに多くいた。今の単位では米150kgが1石だそうで、この頃銀貨とか貨幣があるわけないのでわかりませんがw徳川幕府の一分銀は江戸中期で10,000円~15,000円、今の10kg4,000円(150kg60万円)と比べる
ご訪問ありがとうございます。今回からは「安康天皇紀」になります。とりあえず最初のところから読みましょう。穴穗アナホ天皇=安康天皇は、雄朝津間稚子宿禰天皇=允恭天皇の第二子である。一云、第三子也。母を忍坂大中姫命といい、稚渟毛二岐皇子の娘である。(允恭天皇)42年春正月、天皇が崩御された。ここまでは既出ですね。さて、次から木梨輕皇子の話の続きなんですけど、禁断の恋のために人心が離れ、挙兵した挙げ句、伊予に流され、あとを追ってきた輕大娘とともに死を選んだという悲劇物語に比べるとなんかつ
9位→7位上昇✨磯田先生のご本と先月からベスト10内でずっとチェイスしている🤗読者さま方々のおかげ💕ありがとうございますm(__)m✨初版完売📖重版も残りわずか❗学術論文にも匹敵する「査読」も通した「事実誤認なし」のノンフィクション❗これだけの初公開が一冊に(下線は【Youtube】動画あり)o1.ヒミコ三代とその血脈o2.ヤタガラスの娘は出雲最期、そして大和最初の妃神o3.大祓は古代三大氏族へ向けられた呪詛o4.アマテラスは男神?女神?決着o5.日本総鎮守と
生まれも育ちも奈良県で、神社仏閣巡りが好きなみくるです今回は、日本の初代天皇である神武天皇にまつわる超重要スポット、等彌神社(とみじんじゃ)についての熱い想いをご紹介します。好きでよく参拝している神社さまです鳥見山信仰の源流へ奈良県桜井市に鎮座する等彌神社は、神武天皇が皇祖神を祀った「鳥見山」の麓にあります。一般的には紅葉が有名ですが、古代史好きとしては、こちらの「上津尾社(かみつおしゃ)」と「下津尾社(しもつおしゃ)」の構造に隠されたミステリーに大興奮でした特に、祀られている神様の
決定版阿波の古代史邪馬台国は阿波だったAmazon(アマゾン)(お知らせ)25年3月15日、私を古代史の世界へまた引き戻してくれた古代史人気YOUTUBERのANYAさんが、本を出版されます。私も今こうやって古墳や神社を回っていると、ついつい四国がヤマト王権の始まりだったとしたら、どういう位置づけになるのか、というか、何か痕跡はないのか?という視点で見るようになりました。とても分かりやすく説得力のある面白い本です。ご興味ありましたら是非ぽちって見てください。とい
「人間」は英語で「human」ですが、この単語の元はラテン語の「humanus」です。また、最初の人間「Adam」はヘブライ語の「アダマ(赤い土)」が元になっています。これは聖書の創世記に神が土の塵からアダムを創造したからと考えられています。「土の塵」は「dustoftheearth」なんですが、これは粒子の細かい粘土だろうと私は考えます。それに近いラテン語の「humus」の意味が「土(腐植土)」なので、それから英語の「human」に当たる「humanus」が派生し、さらに「homo
宇土半島(熊本県)基部をベースにしていた火の君一族(多氏)は、熊本県域・九州内はもとより日本各地へ進出・移住していった。それには3つの背景がある。①自らの勢力の拡大によるものー肥国(肥前・肥後)内においてー②ヤマト王権との関係によるものーヤマト王権による国内統一の実働部隊としてー③磐井の乱(527年)ー制圧された磐井に代わって北部九州へ進出ーこれまで書いてきたように、火君(ひのきみ)は肥君(ひのきみ)であり、肥は「ヒ」「クマ」と読む。従い「クマ」は火君(火君一族)を指し、地名の「クマ」
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。本日は崇峻天皇の系図を見ていきたいと思います。崇峻天皇は諱を泊瀬部皇子と言います。用明天皇崩御後に丁未の乱が起こると、蘇我馬子側に参戦して物部守屋討滅に協力し、馬子らによって擁立されて即位しました。しかしその後、馬子と対立し、馬子配下の東漢直駒によって暗殺されて崩御しました。崇峻天皇は日本史上、臣下によって暗殺され
ご訪問ありがとうございます。さて今回から武烈天皇ですが、まずは「日本書紀」を見ることにしましょう。小泊瀬稚鷦鷯オハツセノワカササギ天皇は、仁賢天皇の皇太子である。母を春日大娘カスガノオオイラツメ皇后という。仁賢天皇7年、立ちて皇太子となる。長じては刑の判断や執行を好み、法令に詳しかった。日が暮れるまで政治を行い、無実を見抜き、訴えは退けるにしても情はおありになった。まあまあ、熱心に政務を執っているように見えますが、この後少し評価が変わります。又、頻繁にいろいろな悪行をなさり、一つの
ご訪問ありがとうございます。さて、いよいよ「上宮記逸文」の後半を見ていきましょう。目次継体天皇の父系、オホホド王家継体天皇の母系、三尾氏三尾氏の本拠地三尾君氏と三国真人三尾角折君高嶋宮の意味目次を開く継体天皇の父系、オホホド王家此意富富等王娶中斯知命生兒乎非王娶牟義都國造名伊自牟良君女子名久留比賣命生兒汗斯王娶伊久牟尼利比古大王生兒伊波都久和希兒伊波智和希兒伊波己里和氣兒麻和加介兒阿加波智君兒乎波智君娶余奴臣祖名阿那爾比彌生兒都奴牟斯君妹布利
前橋・駒形神社(2025-12撮影)・・・・・・・・・・・・❖・・・・・・・・・・・・前567ブログでチョイ触れた[牧]について東国(上野国・武蔵国)エリア界隈からもう少し齧ってみることに《牧と豪族&軍馬》ある時期から豪族の権威力の源は馬産が示す「牧」でもあった上毛野氏然り秩父氏然りそこでまずは「牧の歴史」をチョイ覗いてみた(1)牧の始まりは、古墳時
ご訪問ありがとうございます。「雄略天皇紀」はけっこう長いので、さっそく読み進めましょう。3年夏4月、阿閉臣アベノオミ國見クニミまたの名を磯特牛シコトヒが、𣑥幡タクハタ皇女(伊勢斎宮)と湯人ユエ(皇子女の養育の一族)の廬城部連イオキベノムラジ武彥タケヒコを誹謗中傷して「武彥が、皇女を犯して妊娠させました。」と言った。湯人ユエで武彥の父の枳莒喩キコユは、此の流言を聞いて、自分に禍いが及ぶのを恐れて、武彥を廬城イオキ河(三重県津市雲出川)に連れ出し、水に潜って魚を捕るように騙して、不意