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新年明けましておめでとうございます!…と書けないぐらいご無沙汰の更新となりました…(相変わらずマイペースですいません)今年もよろしくお願いします!初詣は、調布市にある「深大寺(じんだいじ)」に行きました。そして妻・知人夫妻の4人でカフェで一服してきました。鬼太郎茶屋-調布駅前天神通り商店街-タイムスリップしたかのような昭和レトロな空間に妖怪たちが息づく不思議な世界へようこそ。懐かしさと怪しさが交差する、ちょっぴり不思議なひとときをお楽しみくだ...kitaro-c
ご訪問ありがとうございます。この前は名前からうかがえる仁賢天皇の実像を探ってみたわけですが、今回は仁賢天皇の宮と系譜を見てみようと思います。仁賢天皇元年春1月5日、皇太子は石上広高宮イソノカミヒロタカノミヤ(奈良県天理市)において即位した。或本(別伝)に云わく、仁賢天皇の宮は二箇所あった。一つ目の宮は川村(兵庫県三木市?)に、二つ目の宮は縮見の高野(兵庫県三木市)にあった。その宮殿の柱は今に至るまで、朽ちていないという。顕宗天皇の宮も、別伝で或本に云わく、(別伝)弘計天皇=顕宗天皇
◯先日から、携帯に、NHK出版新書の「新・古代史〜グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権」のコマーシャルが度々、入るようになった。何でも、この本がベストセラーとなっていると、大々的に喧伝している。◯「新・古代史〜グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権」と言う表題からして、すでにあやしい。それでもNHK出版新書だと言うのだから、信用して買って読むこととした。本の帯には、「日本」という国は、いかに誕生したかと銘打っている。更に、帯の裏には、私たちが暮らす日本という国。
私は現在古代史の中で喘いでいる。ちょっと横道にそれて「津田左右吉事件」の顛末迄足を突っこみささやかな勉強をした。一部有罪となられたものの控訴審が結審しない中終戦を迎えると、津田教授の御説も又輝かしい歓迎の渦に飲み込まれた。私は少々手順を間違え、津田教授の昭和21年発刊の「世界」第3号の「日本歴史の研究における科学的態度」や、同4号の「建国の事情と萬世一系の思想」が入手不可能な状態をよいことに、頭書の「日本国家の起源」(井上光貞著)の購入手続きをとった。津田教授
寒空に引きこもって、里中満智子さんの『天上の虹』を読み返しているみくるですいつもお読みいただき、ありがとうございます🌿少しずつ進めてきた「談山神社(たんざんじんじゃ)」の参拝レポート、ついに完結編をアップしました最終回となる今回は、この神社の名前の由来となった歴史の核心部……。中大兄皇子と藤原鎌足公が「大化の改新」の密談を交わしたとされる、「談所の森(だんじょのもり)」への登山レポートです。神明神社の傍らから続く山道は、境内の華やかさとは打って変わって、深い静寂に包まれていました。石
今年が午年だから、私が年男だからこの馬の絵をご紹介しているのではない。この馬は、明治6年熊本の江田船山古墳から出土した「獲□□□鹵大王」と金象嵌された鉄剣にある魚・鳥と共に刻まれたものである。私は随分以前の午年の年賀状にこの馬を使った記憶がある。この「獲□□□鹵大王」の銘は、反正天皇だとされて長く正解を得なかったが、昭和43年稲荷山古墳から出土した金象嵌鉄剣の「獲加多支鹵大王」から「雄略天皇=稚武=わかたける」であることが判明した。当時古代史など全く興味がなかった私も、新
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。本日は崇峻天皇の系図を見ていきたいと思います。崇峻天皇は諱を泊瀬部皇子と言います。用明天皇崩御後に丁未の乱が起こると、蘇我馬子側に参戦して物部守屋討滅に協力し、馬子らによって擁立されて即位しました。しかしその後、馬子と対立し、馬子配下の東漢直駒によって暗殺されて崩御しました。崇峻天皇は日本史上、臣下によって暗殺され
ご訪問ありがとうございます。古代史上のけっこうな大事件「筑紫君磐井の乱」です。目次「日本書紀」の記述「古事記」「風土記」の記述岩戸山古墳石人・石馬の分布「日本書紀」の記述前回「日本書紀」にすっ飛ばしてある8年間に、新羅が加羅を侵略して占領されたのですが、ここで初めてその事実がでてきます。21年夏6月3日、近江毛野オウミノケナ臣は兵士6万を率いて任那に行き、新羅に奪われた南加羅アリヒシノカラ・喙己呑トクコトンを取り返して復興し、任那に併合しようとした。その頃、筑紫国造ツクシノ
ご訪問ありがとうございます。「雄略天皇紀」は相変わらず外交的な記事ですが、その出典については渡来系氏族の言い伝えや家記によっている感じの記事が多いです。岩波古典文学体系本の頭注によると、史料について批判的な分注が多いのが特徴で、後世に加えられたものとは考えがたい、ということもあり、ここの担当者は、かなり文献を多岐にわたって調べて書いているのでは?と感じます。そのせいでマンセー記事がなくて雄略天皇は何かあれば刀を振り回す人((ヾ(≧皿≦メ)ノ))のイメージになっちゃったんですが💦10
ご訪問ありがとうございます。今回は吉備の話なのですが、吉備というと古代は今の岡山県、広島県東部を中心にした大地域でした。のちに律令制の時代に備前・備中・備後・美作ミマサカと分かれますが、さすがに4分割された地域は東北以外はありません。広いというより強大であったからのようです。古代の吉備地域8月。官者トネリ吉備弓削部虛空キビノユゲベノオオゾラが緊急の用事で家に帰った。吉備下道臣前津屋キビノシモツミチノオミサキツヤ或本に云わく国造吉備臣山キビノオミヤマが、虚空を留めて使用