ブログ記事3,745件
過去の女性天皇は聖徳太子と共に国造りをした推古天皇を筆頭に、皇極天皇、斉明天皇(皇極)、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇、称徳天皇(孝謙天皇)明正天皇、後桜町天皇と10代、計8人いらっしゃいますが、最近あることに気付きました。それは、女性天皇が出る時代の歴史ドラマが最近NHKでも民放でも徹底的にやらない、ということです。ドキュメンタリーならあるけれども、私が知っている女性天皇が出てくるドラマは、高島礼子さんが女性天皇を演じた古代史ドラマスペシャル大化改新(2005)と、同じく古代史
おはようございます!音大生と都立高校に通う子の母のブログお読み下さりありがとうございます!さてさて昨日、土曜日は高校授業公開日でした!3年生は最後の公開日下の子のクラス保護者の仲が良く子どもたちも仲良しですおまけに学年のなかでも優秀な生徒が揃っているらしいのです下の子は理系科目のみならず文系科目でもそこそこでしたが3年生から理系を選択しましたなのでいちにち中ほぼ物理そんな日もありますが文系選択の保護者の方に聞きましたらいちにち中ほぼ世界史😱古代史、
前回からの続きです。『『サイトウ』の起源⑪謎の『アワ』について『赤』の古代史』前回からの続きです。『『サイトウ』の起源⑩「音読み」「訓読み」の日本語の世界「アワシマ」信仰の謎』前回からの続きです。『『サイトウ』の起源⑨『鉄の女神…ameblo.jp前回は、漢字がもつ『音読み』『訓読み』から生じた日本語の『ぶれ』についてみてみました。長年、古代史を調べられた安井歓夫さんは、その著書の中で兵庫県南東部にある『六甲山(ろっこうさん)』の地名起源について『音読み』『訓読
第13話|鯛、酔う海【あらすじ】濘田門に至った皇后一行は、船上で和やかな宴を開く。皇后が海へ酒を注ぐと、群れ集まった鯛が酔って浮かび、漁師たちは「聖王の賜物」と歓喜する。豊かな海と土地に祝されるなか、皇后は人々の笑顔を見つめながら、新たな縁と繁栄の兆しを胸に刻む。――――――【本文】難波津から穴門へ向かうこの内つ海は、東西に長く伸びています。東と西に潮の出入り口があり、およそ六時間ごとに潮の向きが変わるのです。息長帯姫《おきながたらしひめ》たちは潮の
ご訪問ありがとうございます。さて今回から武烈天皇ですが、まずは「武烈天皇紀」の冒頭、この前飛ばした総評の部分を見ることにしましょう。小泊瀬稚鷦鷯オハツセノワカササギ天皇は、仁賢天皇の皇太子である。母を春日大娘カスガノオオイラツメ皇后という。仁賢天皇7年、立ちて皇太子となる。長じては刑の判断や執行を好み、法令に詳しかった。日が暮れるまで政治を行い、無実を見抜き、訴えは退けるにしても情はおありになった。と、ここまで見るといい人に見えますが、これは「法治主義」です。法がすべてで、儒教のよ
このブログを含む各SNSは私個人の投稿です。古代史研究会、音楽交流会の詳細はメッセージボードをご覧ください。注意喚起一部配信者による神社ツアーなど、神職さんのいない場所で解説するなどの高額のイベントにご注意ください。神社とは全く関係のない人たちです。こんにちはいつもブログを読んでいただきありがとうございます前回の投稿と関連しますが、あらためて日本の歴史、信仰について疑問におもうことなど今回もAIを活用して一問一答形式で議論をまとめてみました。ご興味ある方はご覧ください質
ご訪問ありがとうございます今回から「日本書紀」も「敏達天皇紀」に入りますが、この辺りから、異母姉妹や叔母、姪との近親婚が増えてきます。なぜかというと、「嫡子」欽明天皇以来、天皇の血統がとかく重視され、「嫡子」つまり、雄略・仁賢・継体天皇の血を引く欽明天皇の血統が重視されていき、皇后も皇族から選ばれて、その子がまた血統を受け継ぐ、「嫡流」が形成されるからです。金色が嫡流だと思ってくださいそういう意味では、敏達天皇は継体天皇の嫡孫でもあり、母石姫皇后(宣化皇女)を通じて、継体天皇の最
ご訪問ありがとうございます。実は次回の継体天皇の出自について30年ぶりくらいに岡田精司氏の「継体天皇の出自とその背景」を読み返しましたところ、「上宮記逸文」の分析において、同じ論旨になっているところが多々ありましたので、前回と前々回にその点を加筆致しました。ご了承を御願い申し上げます。さて、前回の凡牟都和希王がめちゃくちゃ難問でしたので、今回はさらりと(^^;)目次「上宮記逸文」の検証母々㤙己麻和加中比賣雄略天皇の母系一族「上宮記逸文」の検証まずは読み下し文を再掲します。前
古代史に詳しくなりたいみくるです寒い日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。こんな静かな冬の日は、温かいお茶を飲みながら大好きな漫画を読み返すのが至福のときです最近、里中満智子さんの『天上の虹』を改めて読み返していたのですが、以前訪れた奈良県桜井市の「談山神社(たんざんじんじゃ)」での感動が鮮明に蘇ってきました。今日は、その時出会った素敵な母と子の物語のお話です。運命を自ら切り拓いた女性、鏡王女談山神社の奥にひっそりと佇む「恋神社」。そこに祀られているのは、藤原鎌足の妻であ
生まれも育ちも奈良県で、神社仏閣巡りが好きなみくるです今回は、日本の初代天皇である神武天皇にまつわる超重要スポット、等彌神社(とみじんじゃ)についての熱い想いをご紹介します。好きでよく参拝している神社さまです鳥見山信仰の源流へ奈良県桜井市に鎮座する等彌神社は、神武天皇が皇祖神を祀った「鳥見山」の麓にあります。一般的には紅葉が有名ですが、古代史好きとしては、こちらの「上津尾社(かみつおしゃ)」と「下津尾社(しもつおしゃ)」の構造に隠されたミステリーに大興奮でした特に、祀られている神様の
「人間」は英語で「human」ですが、この単語の元はラテン語の「humanus」です。また、最初の人間「Adam」はヘブライ語の「アダマ(赤い土)」が元になっています。これは聖書の創世記に神が土の塵からアダムを創造したからと考えられています。「土の塵」は「dustoftheearth」なんですが、これは粒子の細かい粘土だろうと私は考えます。それに近いラテン語の「humus」の意味が「土(腐植土)」なので、それから英語の「human」に当たる「humanus」が派生し、さらに「homo
日頃YouTubeを見ていると、時々そうなんだ位の情報がありますが今回、ムーの編集長三上さんがとんでもない発言をされてました三上編集長は、UFOの事とか専門と思いきや、古代史にもめちゃくちゃ精通していて凄いとは思っていたのですが、今回あるYouTube番組で古代史がひっくり返るような発言をしていました✨️信じるか信じないかは、視聴者次第だと思います💦ある方の番組で三上さんが神社解説されていたのですが出雲大社は、旧約聖書の神ヤハウェを祀っていて伊勢神宮は、新約聖書イ
前橋・駒形神社(2025-12撮影)・・・・・・・・・・・・❖・・・・・・・・・・・・前567ブログでチョイ触れた[牧]について東国(上野国・武蔵国)エリア界隈からもう少し齧ってみることに《牧と豪族&軍馬》ある時期から豪族の権威力の源は馬産が示す「牧」でもあった上毛野氏然り秩父氏然りそこでまずは「牧の歴史」をチョイ覗いてみた(1)牧の始まりは、古墳時
作成したのは「社家」から「武家」への流れを説明する【省略系譜】です世代毎に人物を並べると調べるのに限界があるので省略しています。「生源寺」から熊本藩士に繋がる関係は熊本藩や細川家の資料があるので簡単に分かります。日吉大社社家【生源寺】の省略系譜賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)※賀茂氏の先祖神。神武東征の際に八咫烏に化身して神武天皇を先導したとされる。↓鴨賀島(かもかしま)※崇神天皇の時代に鴨賀島が比叡の山上におられた大山咋神を麓にお祀りしたのが日吉大社の始まりとされる。
高校時代、駿台世界史予備校問題集の解答解説でよく世界史を勉強したものだ今の世界史知識のベースになっている(完全に趣味でしかないのだがさて、一口にメソポタミア文明とは言っても、流れや王朝の興亡があるチグリス川・ユーフラテス川の氾濫がもたらす恵みにより、流域には都市国家が勃興するいわゆるウル・ウルク・ラガシュなどがそれであるなかでもウル第1王朝がその始まりとされ、彼らはシュメール語と楔形文字を使用した(余談だが大学の教養講義で古代史の教授から古代エジプト文字・楔形文字・象形文字・中世の
ご訪問ありがとうございます長らく登場し、仏教を日本に伝え「欽明天皇紀」といいながら、欽明天皇より目立っている百済の聖明王ですが、悲劇が襲います。目次餘昌の出撃聖明王の戦死倭国軍の活躍聖明王戦死の報告餘昌の即位屯倉の設置目次を開く餘昌の出撃餘昌ヨショウは新羅を討つことを謀ると、重臣たちは諌め、「天はいまだ味方していません。恐らく災いが身に及ぶでしょう。」と言った。餘昌は、「老人たちよ、何を怯えるのだ。私は大国ヤマトにお仕えしているし、何を恐れることがあろうか?」と言っ
古代史漫画が好きなみくるです奈良県桜井市の静かな住宅地の中に、聖徳太子の「上宮(かみつみや)」伝承地とされる「上之宮遺跡」があります。ここは、太子が斑鳩へ移る前に暮らしたと伝わる場所。園池や石敷き跡が残り、往時の邸宅の姿を今に伝えています。柔らかな光が差し込む池跡を見ていると、山岸涼子さんの漫画『日出処の天子』の一場面がふと脳裏をよぎります。日出処の天子(完全版)1Amazon(アマゾン)Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る彼の孤高と、美しくも儚い古
うぁかたけぃるの物語で少しだけ上代日本語の発音に触れました。たけぃるとは死後300年後に雄略天皇と勝手に名づけられましたが、本当の発音が、うぁかたけぃるというものであったと比定されています。そんな古代の日本語については、一般的に現代人が聴き取って会話が成立するのは江戸時代まで、と言われています。特に平安期の日本語になると、全く別の言語といっても過言ではないくらい聴き取りが出来なくなってきます。そんな一例を、一文の発音で遡って例示してみましょう。なかなか興味深いもので
なぜ、仲哀天皇は和歌山の地に宮を置いたのでしょうか。徳勒津宮は、『日本書紀』にその名が記されているものの、なぜこの場所が選ばれたのかについては、詳しく語られていません。しかし実際に現地を歩いてみると、その理由を考える手がかりが見えてきます。本記事では、徳勒津宮の立地と周辺の痕跡を手がかりに、この宮が持っていた意味を、あらためて考えていきます。目次【序章】忘れられた行宮【第一章】水門という記憶【第二章】中之島という地形【第三章】瀬戸内とつながる文化【第
ご訪問ありがとうございます前回ぐらいから「百済本記」に依らない、国内の記事らしきもの(おそらくは各氏族の言い伝え)が増えてきています。何かしら、成文化されたものが残っていくのか…それとも半世紀後の「国記」「天皇記」で、採択されていくのか…(50年前なら言い伝えもけっこう正確でしょうし)記事の内容も細かくなっているように思います。ただ「欽明天皇紀」の前半部が、ほぼほぼ聖明王の関連で、欽明天皇の影はめちゃくちゃ薄いwということを考えると、この頃はまだ国内の政治の記録も外交の記録も残ってお