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ひざしがまぶしいホーホケキョきょうことしはじめてウグイスがなきました邪馬臺(台)国と邪馬壹(壱)国、臺(台)與と壹(壱)與の発音等について私の考えをお話しします。邪馬台国の名は『後漢書』や『三国志』などの中国の史書に出てきますが、史書の表記は邪馬臺(台)国か邪馬壹(壱)国。台は臺の新字体で壱は壹の新字体。邪馬臺国も邪馬壹国も全国的に邪馬台国で定着していますが、私は臺も壹も「と」と発音するのが適切かと思っています。ネットで「臺(台)」の字を中国語発音で調べると、中国福建省で「と」
ご訪問ありがとうございます。さて今回から武烈天皇ですが、まずは「武烈天皇紀」の冒頭、この前飛ばした総評の部分を見ることにしましょう。小泊瀬稚鷦鷯オハツセノワカササギ天皇は、仁賢天皇の皇太子である。母を春日大娘カスガノオオイラツメ皇后という。仁賢天皇7年、立ちて皇太子となる。長じては刑の判断や執行を好み、法令に詳しかった。日が暮れるまで政治を行い、無実を見抜き、訴えは退けるにしても情はおありになった。と、ここまで見るといい人に見えますが、これは「法治主義」です。法がすべてで、儒教のよ
『鴨(賀茂)一族を求めてエピソード0』日本の歴史に興味がない人が意外に多いのは学校教育、特に戦後のGHQ政策で天皇や神道を排除してきた影響があります。理由は天皇を現人神にし、国民を神道という宗教を…ameblo.jp『鴨(賀茂)一族を求めてエピソード1』『鴨(賀茂)一族を求めてエピソード0』日本の歴史に興味がない人が意外に多いのは学校教育、特に戦後のGHQ政策で天皇や神道を排除してきた影響があります。理由は…ameblo.jp『鴨(賀茂)一族を求めてエピソード2』『鴨(賀茂)一族を求
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビア、今回は万葉の女流歌人の系図を見ていきたいと思います。はい(´Д`)。今回は大伴坂上郎女の系図です。大伴坂上郎女は奈良時代の歌人で、『万葉集』に女性の中で最多の歌を残したことで知られています。額田王とともに、『万葉集』の代表的な女流歌人と言っても良い存在です。ではそんな大伴坂上郎女の系図を見ていきましょう。大伴坂上郎女は大納言・大伴安麻
決定版阿波の古代史邪馬台国は阿波だったAmazon(アマゾン)(お知らせ)25年3月15日、私を古代史の世界へまた引き戻してくれた古代史人気YOUTUBERのANYAさんが、本を出版されます。私も今こうやって古墳や神社を回っていると、ついつい四国がヤマト王権の始まりだったとしたら、どういう位置づけになるのか、というか、何か痕跡はないのか?という視点で見るようになりました。とても分かりやすく説得力のある面白い本です。ご興味ありましたら是非ぽちって見てください。とい
ご訪問ありがとうございます。今回も外交関係のようで、あまりそうではない(^^;)たぶん、いずれかの氏族の「家記」のようなものかと💦「日本書紀」の編纂時には、いろんな記録や言い伝えが残っていたのでしょう。3月、天皇は新羅を親征なさろうと思われたが、神が天皇を戒めて「行かれてはなりません。」とおっしゃった。天皇は是によって、行くことを果たせず、紀小弓キノオユミ宿禰スクネ・蘇我韓子ソガノカラコ宿禰・大伴談オオトモノカタリ連ムラジ・小鹿火オカヒ宿禰(紀氏)らに命じ「新羅は、もともと西
ご訪問ありがとうございます。今回は東アジアを揺るがした大事件です。「倭の五王」の興王の時の出来事ですが、やはり20年ほどずれて雄略20年(実際は興王の晩年、倭王武の即位以前の475年)に記載されています。20年冬、高麗コマ王=高句麗王(長寿王)が大軍を発して、百済クダラを滅ぼした。そこで逃げ延びた少数の人々が、倉下ヘスオトに集っていたが、食糧も尽き、深く憂い泣いていた。その時高麗の諸将は王に「百済の考え方は我々と違うので、相対するたびに私は不覚を取って失敗いたします。恐らくまた、蔓草
日月の八十(鳩)真示紀元二千六百八十五年目の超能力文芸社一般への発売は3月から(Amazonとかの予約は2月下旬くらいから)になるようです。今回の内容のほとんどは古代史です。表紙の写真ははっきり写りませんでしたが、私が撮ったUFOなのです。・中国史、朝鮮史と日本書紀を合わせて年代を合わせたところ、驚くべきことがわかりまして、な、なんと、応神天皇と仁徳天皇の即位していた年代がひっくり返ってしまいました!気比神宮で応神天皇と名前を取り換えた神とは仁徳天皇だったのです!
ご訪問ありがとうございます。PCピグ時代に作った竜宮城です今回は、「日本書紀」にあり、丹後国に伝わるという「浦島太郎」の物語を、見ていきたいと思います。まず基本的な「浦島太郎」といえば小学唱歌の昔昔浦島は助けた亀に連れられて龍宮城へ来て見れば絵にもかけない美しさ乙姫様の御馳走に鯛や比目魚の舞踊ただ珍しくおもしろく月日のたつのも夢の中遊にあきて気がついてお暇乞もそこそこに帰る途中の楽しみは土産に貰った玉手箱帰って見れば.こは如何に元居た家も村も無く路に行きあ
ご訪問ありがとうございます。「雄略天皇紀」は相変わらず外交的な記事ですが、その出典については渡来系氏族の言い伝えや家記によっている感じの記事が多いです。岩波古典文学体系本の頭注によると、史料について批判的な分注が多いのが特徴で、後世に加えられたものとは考えがたい、ということもあり、ここの担当者は、かなり文献を多岐にわたって調べて書いているのでは?と感じます。そのせいでマンセー記事がなくて雄略天皇は何かあれば刀を振り回す人((ヾ(≧皿≦メ)ノ))のイメージになっちゃったんですが💦10