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古事記は初めは原住民史だった古事記は「骨事記」である奈良時代の忌部広成は「上書古語拾遺初旬」に、「けだし上古之世まだ書き残す文字有らざりしならん。国々に次々と相い伝えたるものならん」と太安万侶の古事記を説明している。安万侶の古事記表文に、「諸家の持ちたる処の帝記及び本辞はみな、まちまちで正実とは違ってきているので、旧辞を検討して誤っている処は削除して正しき記録をせんとす」と初めに書き、「阿礼に勅語して帝皇の日つぎや先代の旧辞を誦み習わせしめるは、名は文命より高く、徳は天乙にまされりと
ご訪問ありがとうございます。ヤマトタケルシリーズで見たように「古事記」の作者はヤマトタケルに異常な思い入れがあるのでw九州や東国の征討はヤマトタケルにおまかせ❗なのですが、「日本書紀」には景行天皇の九州征伐が入ります。ところがヤマトタケルと比べると全然おもしろくないのです💦けれどもこの征討こそは、わたしは邪馬台国と関わると思うので、ちょっと丹念に見ていきましょう。12年秋7月、熊襲クマソがそむいて朝貢をしなかった。8月15日、天皇は筑紫ツクシ(福岡県)に発たれた。9月5日、周芳スオ
古代縄文から弥生時代に京都丹後半島に王国がありました。その名もタニハ丹後、丹波、但馬、京都から兵庫にかけて王国がありました。丹波は現在、タンバと読みますが古代は丹後をタニハと呼んでいたと考えます。そのタニハ国の都が天橋立がある丹後半島の宮津ではないかと考察しています。日本の古代史に興味がない人には全くつまらない話しですよね🤣しかし、古代史好きや神社好きにはやはり丹後半島は知らないといけない場所なんです。なぜ?丹後、丹波、但馬にタニハ国があったのか?諸説あります。出雲口伝(出雲
関裕二さんの『蘇我氏の正体』に続き、『藤原氏の正体』『物部氏の正体』を読み終わりました。日本史の教科書で習う古代史とは一味も二味も違い、もし関さんの説が本当だったら歴史はもっと人間臭く、ドラマチックに想像でき、正解がないだけに人の心を惹きつけてやまないのだと感じます。藤原氏の正体(新潮文庫)Amazon(アマゾン)157〜4,200円Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る物部氏の正体(新潮文庫)Amazon(アマゾン)100〜4
ご訪問ありがとうございます。今回から、景行天皇に入りました。まずは本文を読んで行きましょう。大足彦忍代別オオタラシヒコオシロワケ天皇は垂仁天皇の第三子である。母は、丹波道主タンバノミチウシ王の娘の日葉洲媛ヒバスヒメ命である。垂仁天皇の37年に皇太子となられた。時に、年21であった。(垂仁天皇)99年春2月、垂仁天皇は崩御された。(景行天皇)元年秋7月11日、皇太子は皇位につかれた。よって世を改められた。この年、太歳は辛未カノトヒツジにあった。2年春3月3日、播磨稲日大郎
阿武山古墳封印事件藤原鎌足といえば中大兄王子と蘇我入鹿🐬を宮中で誅殺したクーデター(乙巳の変)の首謀者として有名な歴史上の重要人物の1人だが、その鎌足の墓の存在はあまり知られていない。いや、知らされていないと言ったほうが正解かもしれない。墓が発見されたのは、1934年(昭和9年)京都大学地震観測所の工事の際に偶然見つかった。墓には数々の貴重な遺品と、骨・肉・毛髪が残る成人男性の完全なミイラが埋葬されていた。その出立ちから当時の権力者であり、相当高貴な人物と思われる。発掘時は世紀の大発見!
日本の古代史は「古事記」「日本書紀」(記紀)に負うところが多いですが、これらの史記は奈良時代の舎人親王ら皇族をはじめ太安万侶や藤原不比等ら官僚たちが、時の権力者や関係者に忖度しながら天皇の正統性を国内外に示すために編纂したもの。つまり、不都合な真実は神話の中に隠蔽しつつ、当たり障りなく纏め上げたため必ずしも史実を忠実に伝えているとは言い難い。その内容を記紀以外の一次資料と併せて比較検証し、忖度のベールを慎重に剥がしていくことで初めて真実の歴史に近づけるのです。寺社仏閣の入口に掲げられた由緒書の
神功皇后は、龍神と深く関係がある。彼が持つのは海の潮を操る二つの珠。★目次☆1志賀海神社の安曇磯良神☆2高良神と神功皇后☆3饒速日命と御炊屋姫☆4祇園祭の龍神*安曇磯良神☆5八大龍王社*浦島太郎は神を示唆☆6伝承が繋ぐ神と珠と乗り物☆7能と平家物語龍宮と呼ばれてる社は、福岡の志賀海神社。祭神が綿津見神=海神。別名、安曇磯良神(あずみいそらかみ)。社家は安曇氏であり、彼が祭神と同神となる。志賀海神社「新撰姓氏録」には、安曇氏の始祖
やはりそうなんかなぁ?世界文明の起源は日本だった!?シェアします→http://tenson4089.blog.fc2.com/blog-entry-594.html------------転載--------------世界文明の起源は日本だった!2014/11/05<世界文明の起源は日本だった!>1、日本で世界最古の文字が発見された今世界の考古学会が,日本で文字が書かれた"ペトログラフ(岩絵)"が発見されたことに注目しています。米国文化学会やカナダ文化学会、オース
九州王朝説聞いたことがあると思いますが古代縄文弥生時代、九州に王朝があり、出雲ではなく、北九州に大国主が統治し、国譲りも北九州だったとする説があります。個人的には基本的に考えが違うのですが、違うからと言って否定や受け入れないというのではなく、どのような考察なのか?知ることが重要だと思います。いかんせん縄文から奈良時代にかけては歴史的資料が少なく仮説や妄想のし放題です。そこがまた楽しいのですが…そこで九州王朝説を調べていくと最近YouTubeの検索で登場する百嶋神社考古学研究なるものを
目次【日本建国史の大真実】第1章〜アマ族の渡来とスサノオのオロチ退治〜【日本建国史の大真実】第2章〜スサノオの九州進攻とアマテラスとの和合〜今回の記事で、世界初公開となる大真実を暴露することになるので、命を賭けて読者の皆様に届けようと思う。前回のおさらい。177年頃スサノオ(55)、日向《ひむか》国に入り九州を統一。アマテラス(24)とスサノオの婚姻によって、日向王朝と出雲王朝が和睦(出雲《いずも》・日向連盟の成立)出雲王朝のスサノオと日向王朝のアマテラスの結婚によって、出雲
目次【日本建国史の大真実】第1章〜アマ族の渡来とスサノオのオロチ退治〜【日本建国史の大真実】第2章〜スサノオの九州進攻とアマテラスとの和合〜【日本建国史の大真実】第3章〜裏天皇・タカミムスビの正体と忌部氏の呪い〜【日本建国史の大真実】第4章〜消された初代天皇・ニギハヤヒの日本建国〜【日本建国史の大真実】第5章〜オオクニヌシの不断と出雲・日向の暗雲〜【日本建国史の大真実】第6章〜継承者・タケミナカタの反骨と国譲りの真相〜【日本建国史の大真実】第7章〜次代天皇・イワレヒコ
滋賀県野洲市小篠原字大岩山出土■「銅鐸」の認識についてのコペルニクス的転回まだ多くの人々に知られていないようだが、「銅鐸」は「簡易天文観測装置」であるとする説がはやし浩氏により2013年にユーチューブアップにより発表された。装置の設置の仕方や使い方などについて、「上部のつるつる面(「銅鐸」学では「舞」の部分)の水平をとること、装置の「鈕」(ちゅう)と呼ばれる部分を正確に南北方向に向けること、そうしておいて、つるつる面に落ちる太陽光の影を見て太陽の南中時の高度を測り、人々は季節を
アマツミカボシ(天津甕星)!!それは日本神話で唯一の悪神、そして、星の神である!!とにかく、この神(人物)は謎が多い。しかし、なぜ日本神話でもメジャーな神として上がってこないかが不思議なほど、その正体は燦然たる輝きを放っている。星に例えるなら、金星だろうか。明けの明星、宵の明星という異名があるように夜明け、あるいは日暮れにしか姿を現さないがゆえに、その輝きは強烈な印象を残す。神としての性質でいえば、西洋のルシファーにとてもよく似ている。どちらも、神=支配者に反逆したことによって「
[山蔭流]YouTubeで最近、たまにお見かけする山蔭流を引き継がれた表博耀氏ですが、偶然、古神道に詳しく、独自の流派も築いておられる私の知人T氏の知り合いでした。昔、表氏があるビジネスを海外展開する時に、相談を受けたようです。T氏は「山蔭流を正式に引き継いだのですね」と言っておられました。また、お面をつけてYouTubeに登場する土御門兼嗣氏もT氏の知り合いということで、世間の狭さを感じます。広義でいうところのスピリチュアル界隈そのものが、ファジーな部分を多分に
『日本書紀』を読んでいると、不思議な数字に気が付くことがあります。『日本書紀』編纂時に現れるのは、天武天皇の崩御日と川嶋皇子の薨去日が同じ9月9日という不思議な一致です。川嶋皇子は、天武天皇が国史編纂の詔を出されたときに、筆頭に名前を記されている皇子です。その川嶋皇子が、天武天皇が崩御された5年後の同じ日に亡くなっています。神武東征に関連して、神武天皇が東征出発前に語られた言葉の中に、1792470年という数字が登場します。東征出発の年が、瓊瓊杵尊が天孫降臨してから17
新・神々の履歴書第9回神様に相性はあるか?下「伊勢神宮―外宮の神様と内宮の神様」こんにちは、マユリです。前々回、「神々に合う合わないはあるのか?」で語ったように、神様にはいくつか系列があります。その主なものは、大和朝廷系のユダヤ系の神々で、もう一方は、大和朝廷伝来以前から元々日本で祀られていた非大和朝廷系の神々です。マユリのところに来られるクライアントさんの中にも、「大和朝廷系の神々は大好きだけど、もう一方の神々はどうも落ち着かないーー」方や、その逆のパターンの方
こんにちは😃年の瀬ですね。旅行から帰ってきました。我が家は大掃除もぶじに終わり、門松と鏡餅を飾り、お屠蘇を作っておせちも取りに行きました。今年もこのブログを見てくださって本当にありがとうございました。皆さまのおかげです。どうぞ来年が皆さまにとって良い年でありますように✨✨さて、わたしはひとつやり残したことがあります😅わたしも最近まで気が付かなかったのですが💦一枚のプリントを、とある神社の宮司さんからいただいたのですが、ご朱印帳に入れたままちゃんと読んでいなかったのです。開くと
眠くなるまでのひととき、録画してあった番組を観る。NHKスペシャル、『謎とロマン古代史ミステリー』口開けに考古学者が言った。近年の古代史跡の貴重な発見について「開いた口が塞がらない」番組を見終わってからもそれが引っかかってもう一度最初から見直してみた。確かに彼はそう言っているしご丁寧にその文言が字幕にもなっている。彼は近年の古代史の発見について素晴らしい、驚くべきことだ、という意味で使っているようだ。引っかかったのはそれが誤用だからだ。本来呆れてものも言
【note:夢求三昧マガジン】【体験記】ジャワ島にマヤ文明そのままなピラミッドがある謎~マヤ人の末裔がジャワ島に移住?続きは下記の画像をクリックで、探求三昧ブログ本部へジャンプ。【note:夢求三昧マガジン】【体験記】ジャワ島にマヤ文明そのままなピラミッドがある謎~マヤ人の末裔がジャワ島に移住?地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログwww.tankyu3.com
こちらはインスタで見つけて、作っていただいた勾玉ネックレスです。勝手に「アマテラスの首飾り」と呼んでいます以前からゴージャスな勾玉ネックレスが欲しかったのですが、なかなか気に入った物にお目にかかれませんでした。こういうのは持ってたんですが。(因みに白い方は、息子が小学生時代に作った物です。)↓しかしインスタで見つけてるんるんただ、本物の翡翠や瑪瑙を使用でけっこう良いお値段だったので💦💦安い材料でお願いできませんか?💦💦と頼んだらインド産の比較的安価な翡翠がある
ご訪問ありがとうございます古神道研究家・スピリチュアリストの暁玲華ですホームページはこちら鎮宅霊符カード(voice)【賢見神社に参拝へ】17日は、徳島の賢見神社へ行ってきました。この神社は犬神に代表される、動物霊などの憑き物落としが専門の神社です。5月に行った時は夕方でお祓いは郵便でお願いしたので今回こそは祈祷を受けたい!とお昼頃に行ってきました。目的は、憑き物落としというよりは祈祷時の祝詞です。実は、この神社の祝
****************************************イワクラセミナー3****************************************2024年5月4日14:002024年5月4日にイワクラセミナー3が姫路市で開催されました。GW中にもかかわらず、たくさんの方にイワクラセミナー3にご参加いただきありがとうございました。イワクラセミナー1と2では、これはイワクラ、これはイワクラではないという、イワクラの定義を中
友人が撮った美しい京都(たぶん祇園白川4月6日iphone14で撮影とのこと)撮影、上手いな…✨桜の時期、土日は見事に雨(-.-)でお花見には行かなかったけれど、それまでに近所の公園や通勤途中の景色でも十分🌸楽しめました♪(よきよき!)ソメイヨシノが散っても、八重桜そして、つつじや藤…日本の春って、やっぱりすごいよ…✨🔷🔷🔷🔷🔷🔷🔷🔷🔷さて、1度描いてみたかった!(*単なるマンガ絵ですが…)ヤ
五月二日(皇紀2684年)、前日の雨空とは打って変わって、五月晴れとなったので、【ToLandVlog】(人気ユーチューバー)にて紹介された、八鉾神社(やほこじんじゃ)と古烏神社(こがらすじんじゃ)へ、チャリンコ遍路にて参拝に向かうことにしました‼🍀八鉾神社:祭神、大国主命(オオクニヌシノミコト)=八千矛命(ヤチホコノミコト)=大己貴命(オオナムチノミコト)♥YouTube:#伊射奈美神社(イザナミノミコト)第一回阿波古代史プロジェクト「高天原から伊耶那美眠る高越山」~東
その1で述べたように、八咫烏は賀茂大御神。上賀茂。賀茂別雷。ところが、祖父であるはずの賀茂建角身命を八咫烏と呼ぶことが多い。つまり、下賀茂は賀茂御祖。賀茂別雷の祖。祖(おや)と呼ぶが祖父である。母もいるので親でもあるが、母と祖父がいる下賀茂。ここには父はいない。賀茂大御神の祖父は賀茂建角身命(三嶋溝橛)。母はタマヨリヒメ。父は誰かわからない。武内宿禰によれば、「神武天皇の母は(玉依姫タマヨリヒメ)。賀茂大御神の母も活玉依姫(玉依姫タマヨリヒメ)。神武天皇と賀茂大御神とは兄弟で、表の神
ここまでは、賀茂社伝承における建角身命の足跡を辿ることで、大和の葛城地方に行き着くことができた。しかし、山城の賀茂氏にとって、葛城は故郷の地と呼んでいいはずなのに、葛城の鴨社では出雲の神々が祀られていました。そして大和には、山城の賀茂氏とは違うもう一つの賀茂氏が存在したのです。天神「賀茂県主」神魂命の孫、武津之身命の後なり(山城国)天神「鴨県主」賀茂県主と同祖(山城国)皇別「鴨県主」開化天皇の皇子、彦坐命の後なり(左京)皇別「鴨君」出自は開化天皇の皇子、彦坐命なり(摂津国)
★菊花紋はユダヤの紋章か?エルサレム市内のヘロデ王の門に刻まれ、ヘロデ王の棺にまで、ちゃっかり描かれている「菊花紋」。菊花紋といえば、天皇及び皇室の「十六八重表菊」が有名だが、古代イスラエルと日本の皇室は関係があるのだろうか?ヘロデ門とヘロデ棺の菊花紋イラン・イラク戦争の時、サダム・フセイン大統領が十六菊花紋の指輪をしていて、ヨーロッパの記者が、日本の皇室の物と似ているので尋ねたところ、フセイン大統領は「この紋章は、我が国の祖先が世界最古の文明を築いたシュメール王朝時
日本紀に「葛野主殿県主部」とあり、旧事紀では「葛野県主部」や「葛野鴨県主」と記すが、これらは、山城の賀茂氏が「カモ県主」と称する以前に名乗っていた氏姓です。日本紀の編纂は、古事記成立の経緯と似ていて、もともと天武天皇が、乙巳の変(645)により焼失してしまった天皇紀や国記などの歴史書の復元を目的として、天武天皇十年(681)、川嶋皇子らに詔して「帝紀及び上古の諸事を記し定めしめたまふ」のに始まり、養老四年(720)、舎人親王により完成が奏上されたものです。しかし、乙巳の変以後、天智朝及び
物部氏の祖はニギハヤヒとされる。ニギハヤヒは謎の多い存在だと言われているが、それは意図的に隠されてきたからだろう。ニギハヤヒは大国主だ。大国主はサナンダ・クマラという宇宙の存在が転生した人物。サナンダは複数の意識次元に存在している。そのうちの一つの存在が、シリウスの龍族のニギハヤヒになる。ニギハヤヒという名を名乗って地球に存在したことがあるのかはわからないが、祭神名として出てくる饒速日は、このシリウスの龍族のニギハヤヒからとったものだと思われる。一つ前の記事