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楽しかった旅もそろそろ終盤に近付いてまいりました三輪駅に向かう道すがらさとみさんがお気に入りの場所へと案内して下さったのですがそこの景色がもう本当にあまりにも素晴らしくて…✨👀✨👇️本当に彼女とお会い出来なかったら、ここには辿り着けなかったかもしれません☺️👇️✨今地図で調べると、井寺下池…なのかな?水面に映る太陽と古墳に沈みゆく夕陽…ただただ呼吸するのも忘れそうなほどに美しいこの金色(こんじき)の空間を眺めていました✨🌇✨写真ではこの魅力的な空氣が伝わるかなぁ
どーもー古代史オタクです♪ついに古代史の謎解きが自分なりに解決しました!最後のピース探し地に熊野を選んだ自分を褒めたい!縄文からの神話がある程度整理出来ました!!高天原はどこ?天照大神、月読、スサノオは誰だったのか?天孫降臨とは?国譲りとは?神武東征とは?そして、邪馬台国の卑弥呼は誰なのかもついにわかりました!たぶんブログには書かないと思いますが自分なりに満足してます!熊野と徐福とスサノオそして神仏習合…空海も天才的な歴史改竄者でした!秦氏と八咫烏🤭賀茂がない建角
ご訪問ありがとうございます。前回は応神天皇は神功皇后とのペアにおける母子神の御子神としてのイメージが強いということを述べさせていただきました。次に応神天皇の后妃・皇子女を見ておきましょう。二年春三月庚戌朔壬子、仲姫を立てて皇后と為す。后、荒田皇女・大鷦鷯天皇・根鳥皇子を生む。是より先、天皇は皇后の姉高城入姫を以て妃と為し、額田大中彦皇子・大山守皇子・去來眞稚皇子・大原皇女・澇來田皇女を生む。又の妃、皇后の弟(妹)弟姫、阿倍皇女・淡路御原皇女・紀之菟野皇女を生む。と高城入姫、仲姫
・日ユ同祖論の中の疑問点、「そもそも、なぜ日本にまでやって来たのか?」“出口聖師が、明治時代から古事記を一つの神書としていろいろ解説すると、社会から迷信者の如く笑われたものだが、筆者が入信した頃も、神諭(その頃は神諭とは言わずお筆先と言った)だけで、霊界物語はまだ発表されていなかった。従って、朝から晩までお筆先一点張りであったが、大先生(聖師)が古事記を読めと言われて、お筆先の次に古事記が神書として拝読させられた。また聖師も古事記の解釈をされ、しきりと古事記は神書であると読むように教えら
私たちは、宇佐神宮の奥まで、どんどん歩いていきました。境内は、とても広いです。「日の丸」が、掲げられていました。神社の大きさに関係なく、国旗が、掲げられている所は、格式のある所みたいです。あと、天皇陛下が、公式と非公式で、参拝しに来る所に、国旗が掲揚されているそうです。休憩所の近くに、橋がありました。よく見ると、橋の下には、「U]の文字に見える模様がありました。「USA(宇佐)」の頭文字、「U」の意味かな?
長野県霧ヶ峰にある旧御射山遺跡は、旧石器時代からの遺跡。真ん中には木に囲まれた小さな祠、旧御射山社があります。そこから、お水も湧いているんです。11/17のイベントのこと。さて、ここからは、ちょっと不思議番外編。今回は、この1年ユメミライカフェさんでお世話になったので、感謝もあり、オーナーさんやご縁のある方たちと打ち上げ茶会を。真剣に喋っちゃってますが(笑)私の後ろにある額のこと。智月さんの「夜の森」今年の5月、ウエサク満月の日に私のもとへ来たのですが、当時のことをブログに書いて
ご訪問ありがとうございます。応神天皇(Wikipediaより)今回は番外編で、応神天皇の「古事記」「日本書紀」における立ち位置をチェックしておきましょう。まずは応神天皇の両親からですが、仲哀天皇の子で、母が神功皇后。仲哀天皇はヤマトタケルの子供ですが、成務18年生まれで、ヤマトタケルの存命中(景行41年に死去)に生まれてないというトンデモ設定です(o゚Д゚ノ)ノこのブログはもともとヤマトタケルの謎を解明しようと始めたものですし、半生以上をかけてヤマトタケルを推して来たわたしですが、
ご訪問ありがとうございます。今日は記事自体は短くして、「応神・仁徳同一人物説」についても検証してみたいと思います。さて、この前の「隼別皇子の反乱」もですし、「応神天皇紀」の大鷦鷯オオササギ尊と紀木菟キノツクノ宿禰の命名の話(二人とも生まれた時に鳥が飛び込んだ。)とか、なんだか鳥の話が多いのが仁徳天皇(大鷦鷯尊)なのですが、またまた鳥関連です。41年春3月、紀角ツヌ宿禰を百済に遣わして、始めて国郡を分けて治め、郷土の産物を詳しく記録した。是の時、百済王の一族の酒君サカノキミが無礼であ
「乙巳の変」中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した事件今私達の知っている知識及びアカデミズムから与えられれている情報全てが嘘で、人類を不幸にする為だけの道具です。では現代日本(世界)の本当の構造はどになっているのだろうか、真の支配者とは、世界の秘められた歴史とか真実の姿とはどのようなものなのだろうかといつも考え続けています。その中でずっと古文献(主に竹内文書)40説、などを中心に考察して来ましたが、最近は「ひまちゃん」グループの考察にめぐり合って、今までなかなか分からなかった部分が自分な
阿波古代史プロジェクト~阿波に広がる古事記の世界~第一回高天原から伊耶那美眠る高越山http://youtu.be/GaAIhqAZCY4出演三村隆範/北原凜子第二回天照大神生まれし阿波の橘http://youtu.be/MPz5ZYhDV1I第三回天岩戸は神山で開いたhttp://youtu.be/lbDf0zvcjFo第四回八岐大蛇は高志のオロチhttp://youtu.be/POu39KVasbc第五回蒲生田の素兎と大国
はい!奈央です。今日は、福岡県田川郡赤村の内田駅という所に来ています。皆さんこのGoogleMap中に何が見えますか?こんな具合に枠を付けたらわかりやすいかな?そう!前方後円墳の形です。これが今、話題になっている福岡県田川郡赤村の巨大前方後円墳の候補なんです。航空写真の計測から、全長450mもあるそうです。日本最大の古墳大仙陵古墳(仁徳天皇陵、墳丘長525m)に次ぐ大きさなんだそうですよ。すごいー!古墳の大きさランキングDailyPorta
実は、我が家は蘇我氏でして、その関係で、「口伝」が残っていたりします。結構、長いんです。蘇我氏は、先祖が不明とされ、古事記の神様にも繋がらないわけです。本当は、スサノオの子孫なんですね。だから、藤原氏には都合が悪く消しさった。実際は、渡来人でもなく、大和に住んで居たんです。高天原は、金剛山ときいてますし。「古事記」とは結構違うわけです。蘇我馬子や聖徳太子が作った天皇日嗣と聞いてます。蘇我氏は、天皇のように威張ったわけでもない。蘇我入鹿はめちゃくちゃ頭が良かったんです。
ついに「儺の國の星」復刻版が発刊されました。ご存じない方、唐突にごめんなさい。真鍋大覚氏著「儺の國の星」は、星々の古名から歴史を紐解いている、福岡県那珂川市が発行する貴重な本です。2022年1月7日に「儺の国の星拾遺」のほうは購入することができたのですが、「儺の国の星」のほうは再版が決まっていませんでした。『儺の國の星・儺の國の星拾遺』ご訪問ありがとうございます🙏住んでいる市の図書館に『儺(な)の國の星』という真鍋大覚さんが書かれた古代史を那珂川市図書館から取り寄せてもら
YouTube更新しました。今回は奈良県御所市の白鳥陵と橿原市の橿原神宮より「ヤマトタケル・日本武尊・倭建命・その表記の違いに隠された真実」についてお届け。宜しければご覧ください。#奈良県御所市#白鳥陵#古墳#琴弾原白鳥陵#ヤマトタケル#日本武尊#倭建命#古事記#日本書紀#橿原神宮#神武天皇#神武天皇陵#japan#jinja#歴史#日本史#古代史
Alohaahiahi.🌙こんばんは。ようやく雨足が落ち着いたと思いきやまた降ってきましたーー。皆さまのところはどおですか??台風まだ遠くにいるのにこんなにも空は暗くこんなにも雨が降るなんて…。恐るべし大自然ですね。地球とは運命共同体であることを実感&体感します。畏敬の念が生まれますね。直撃している地域の方々はほんと…お気をつけくださいませね…。てか…自転車なみの速度🌀って??!!どおせなら駆け抜けてくれ🌀…!!!…て思うのですが…💦
こんにちは火鳥風月のこがみのりです(=゚ω゚)ノ昨日のブログでは中国の春秋戦国時代の始まりが日本の弥生時代と関係があると書いていましたがそれがどういうことかというと・・・私は歴史の授業で縄文時代と弥生時代の違いを、こう教えてもらいました■縄文時代■竪穴式住居狩猟、採取によって食料確保縄文式土器■弥生時代■高床式住居稲作弥生土器多くの人が、縄文はウホウホで弥生時代になって、ようやく文化的になったというイメージかと思いますが
やはりそうなんかなぁ?世界文明の起源は日本だった!?シェアします→http://tenson4089.blog.fc2.com/blog-entry-594.html------------転載--------------世界文明の起源は日本だった!2014/11/05<世界文明の起源は日本だった!>1、日本で世界最古の文字が発見された今世界の考古学会が,日本で文字が書かれた"ペトログラフ(岩絵)"が発見されたことに注目しています。米国文化学会やカナダ文化学会、オース
いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます!当ブログに関連するYouTubeチャンネル【古代史新説チャンネル】では、「邪馬台国の界隈」「日本書紀の界隈」「古墳の界隈」という3つのカテゴリーで動画を配信しております。年末恒例の「新語・流行語大賞」で、「界隈」という言葉がトップテン入りしていましたが、それでというわけでもありませんが、3つの界隈で2024年にアップした動画をひと言でまとめてみました。自身の整理にも便利なので、以下に列挙しておきます。『古代史新説チャ
令和6年11月6日火曜日、晴れ時々曇り。いつも書いていることですが_最近、巷で頓にディープ洗脳者たちの「異常な発言」が多くなった、と危機感を覚えてます。後編にも繋がってますが、おそらく二世(強固な宗教観に育った人)以外の平成世代では神仏宗教に洗脳されてる人は極わずかだろう。問題はそれ以前の世代、自分で調べもせず、理由や原因も追及せず捏造のおとぎ話しを鵜呑みに心底信じてる人たち。確かに神々や仏、鬼や天使と呼ばれた人間を越えた存在たちは過去の地球に実在した。存在はしたが、それは神話や聖
縄文時代は1万5000年前から2400年前まで1万年以上続きました。その間の人口の変化を推察していきます。歴史人口学という学問がありまして、古代からの遺跡や遺物などからその当時の人口現象を研究する学問です。1万年前の人数を統計や計算する訳ですから、非常に大雑把なものと考えてください。以下の文中に細かな人数の数字が出てきますが、正確なものでは無く「当らずと雖(いえど)も遠からず」的なものです。考古学者の山内清男は北海道を含む日本列島の全人口を15万ないし25万人としました。そしてその分
神奈川県高座郡寒川町に鎮座する寒川神社を参拝しました。相模国一宮です。★-------創建:不明ご祭神:寒川比古命、寒川比女命-------★※ご祭神の表記は神社のそれに倣っています。当社は、八方除けにご利益があるとされる神社です。“八方”とは、ぴったり数字の8の八方というよりも、“あらゆる方角”という意味なんだと思います。身に降りかかるすべての厄災から守ってくださる、というのですね。年末年始や春分、秋分の日などに当社へ上がらせていただくと、御祈祷受付所
ご訪問ありがとうございます。今回は仁徳天皇の聖帝伝説ですが、長い(@_@)‼️でも別に問題が多いわけじゃないのでさっさと終わります(^∇^)Wikipediaより(仁徳天皇)元年春正月3日、大鷦鷯尊は即位された。皇后(仲姫)を尊んで皇太后と申し上げた。難波ナニワに都して、これを高津宮タカツノミヤというが、宮垣や家屋を漆喰で上塗りしなかったり、桷(垂木)、梁ハリ、柱、楹ウダチにも飾りをつけず、茅葺きの屋根の端を切り揃えることもなかったが、これは私的なことで、人びとの農耕や紡績の手を止
前回、「長州藩は毛利藩で、毛利の始祖は秦氏だった」と書きました。明治維新を主導したのは主に長州藩と薩摩藩(薩長連合)。そして薩摩の藩主・島津家も秦氏説がありました。『明治維新を主導した長州藩は秦氏系⑪~フィクサー秦氏~』前回の続きです。平安期の桓武天皇は母方が(秦氏系の)土師氏出身。秦氏から経済・土木建築のバックアップを得て、桓武天皇は平安京を造営しました。優れた頭脳を持つ秦…ameblo.jp薩摩藩の軍事力は群を抜いています。1600年(慶長5年)、天下分け目の戦いと言われ
ご訪問ありがとうございます。前回からの続きです。なんでまた今頃神功皇后?というお声もあるかと思いますが、とにかく応神・仁徳同一人物説を説明しないと進まないもので(;^_^A仁徳天皇のところを黙々と?進んでおりましたが、ここから先は応神=仁徳と考えるところからの展開で、こういう謎がこう解けますよ、という話になります。前回の「応神・仁徳同一人物説」は学会でも定説ではありませんし、疑問点も多いとは思うのですが、こういう風に解くと、いろんな事に説明が付くよ、という例としてゆるーく見てくださ
阿武山古墳封印事件藤原鎌足といえば中大兄王子と蘇我入鹿🐬を宮中で誅殺したクーデター(乙巳の変)の首謀者として有名な歴史上の重要人物の1人だが、その鎌足の墓の存在はあまり知られていない。いや、知らされていないと言ったほうが正解かもしれない。墓が発見されたのは、1934年(昭和9年)京都大学地震観測所の工事の際に偶然見つかった。墓には数々の貴重な遺品と、骨・肉・毛髪が残る成人男性の完全なミイラが埋葬されていた。その出立ちから当時の権力者であり、相当高貴な人物と思われる。発掘時は世紀の大発見!