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前回からの続きです。『『神島』という「淡島信仰」の謎を解く鍵―紀淡海峡から始まる『アワ』の物語―』前回からの続きです!『『役小角』に残された「角」の記憶―蚩尤・兵主神・製鉄集団をつなぐもの―』前回は・『天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)』・『修験…ameblo.jp前回は、全国に約1000社あるといわれる「アワシマ神社」の総本社『淡嶋神社』について書きました。・『淡嶋神社(あわしまじんじゃ)』(❊和歌山県和歌山市加太(かだ)118)祭神「少彦名命(すくなひ
ご訪問ありがとうございます長らく登場し、仏教を日本に伝え「欽明天皇紀」といいながら、欽明天皇より目立っている百済の聖明王ですが、悲劇が襲います。目次餘昌の出撃聖明王の戦死倭国軍の活躍聖明王戦死の報告餘昌の即位屯倉の設置目次を開く餘昌の出撃餘昌ヨショウは新羅を討つことを謀ると、重臣たちは諌め、「天はいまだ味方していません。恐らく災いが身に及ぶでしょう。」と言った。餘昌は、「老人たちよ、何を怯えるのだ。私は大国ヤマトにお仕えしているし、何を恐れることがあろうか?」と言っ
久しぶりに神社と古代史の紹介。徳島市上八万町中筋にある宅宮神社。宅宮と書いて「えのみや」神社。なんとこの神社、イザナギ・イザナミより前の日本神話にも登場する大苫辺尊を祀っている平安時代の延喜式神名帳に記載されている由緒正しき神社だ。式内社で唯一の大苫邊尊を祀る神社である。874年に従五位下の神階を与えられている。魏志倭人伝に記載のある卑弥呼の宗女、登与も祀っているんですよ。宗女登与は、豊玉毘売(トヨタマヒメ)のことであり、神武天皇の祖母。宅宮神社
日本人はスンダランド発人類❣️2026/02/01高校生のブログ人類のアフリカ起源説はもう学会では無い‼️そうですその点、田中英道氏は人類アフリカ起源説でしたよね。スンダランドとはインドネシア・フィリピンあたりです。【理系が暴く歴史の真実】日本人はスンダランド発人類です,日本人のルーツ#古代史#日本史#理系#縄文時代理系が暴く歴史の真実2025年11月3日https://www.youtube.com/watch?v=ydJqb2orlAE
生まれも育ちも奈良県で、明日香が大好きなみくるですこれまで大切に温めてきた、飛鳥の「謎の石造物」を巡るシリーズ。第7弾となる今回、アメブロでもこの不思議で魅力たっぷりな世界をお届けしていくことにしました!記念すべきアメブロ初投稿(シリーズ第7弾)でご紹介するのは、私が飛鳥の中でも特に「ハイテクな美しさ」を感じる「酒船石(さかふねいし)」です。住宅街の奥、静寂の竹藪に横たわる巨石万葉文化館のすぐ近く、住宅街の端にある小さな入り口から、竹藪の階段をトコトコと登っていきます。階
はい!奈央です。私は歴史オタク、特に古代史が大好きです。でも、多くの歴史に詳しい方々のブログを拝見するうちに、自分の知識の浅さを痛感し、歴史に関するブログを長らく止めていました。しかし、こんな私でも古代史、特に弥生時代、邪馬壹国論争、神武東征、ヤマト王権の形成などに関しては自分なりの考えをある程度持っているつもりです。そんな中、つい最近、大変興味深い論文が投稿されたので、ぜひご紹介したいと思います。この論文は、今、私が考えていることとほぼ同じ論理展開が為されていました
石上神宮は、剣や神宝を神様として祀る神社です。目次主祭神配祀神歴史ある「神宮」摂社・末社【訪問先基本情報】目次を開く主祭神布都御魂大神《ふつのみたまのおおかみ》国譲りの神話に登場する武甕雷神《たけみかづちのかみ》が持っていた剣。初代神武天皇が即位する際に、神武天皇が大和入りするのを助けた剣でもある。神武天皇が即位した後、その功績を称えられ、物部氏の遠祖宇摩志麻治命《うましまじのみこと》に命じて宮中にてお祀りしていた。第10代崇神天皇7年に勅命によって、物部氏の祖伊
以前、速報記事に書いたように、復元七支刀とレプリカを見るために、「石上神宮で観る日本刀の世界」に行きました。目次石上神宮へ向かう臨時バスいよいよ七支刀とご対面日本書紀には神功皇后の時代の出来事として書かれている刀鍛冶の映像を見て、もう一度刀を見る気付けば一万円使っていました【訪問先基本情報】目次を開く石上神宮へ向かう臨時バス天理駅から石上神宮までは徒歩約30分。歩けない距離ではありません。でも、7月の暑さの中を30分歩くのは出来れば避けたいところ。しかし、チラシ
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。本日は崇峻天皇の系図を見ていきたいと思います。崇峻天皇は諱を泊瀬部皇子と言います。用明天皇崩御後に丁未の乱が起こると、蘇我馬子側に参戦して物部守屋討滅に協力し、馬子らによって擁立されて即位しました。しかしその後、馬子と対立し、馬子配下の東漢直駒によって暗殺されて崩御しました。崇峻天皇は日本史上、臣下によって暗殺され