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「かんながらたまちはえませ」とは?惟神霊幸倍坐世)」は、神道で古くから用いられてきた祈りの言葉です。言葉を分けると、*惟神(かんながら)神の御心のままに。宇宙の大いなる流れに従って。*霊(たま)…魂、霊性、生命の力。*幸倍(ちはえ)…幸いが何倍にも増え、ますます栄えること。*坐世(ませ)…どうぞそのようになりますように、という祈願の表現。つまり、「神さまの御心のままに、魂がますます輝き、幸せと御稜威(みいつ)が大きく栄えますように」という、とても尊い祝福の祈りで
富岡市のかぶら文化ホールへ、白石加代子さんと風間杜夫さんによる朗読劇を観に行ってきました。『古事記』の天地開闢から神武天皇誕生までを、面白おかしく、わかりやすく、お二人の自然なお喋り(どこからがアドリブか?)を混ぜながらの1時間半。ベンチに座って台本を持ちながらの朗読時間が長く、動きは少ないですが飽きさせません。とても心地よいテンポで、お話は進みます。『古事記』飛び飛びにしか思い出せないけれど、そうそう『古事記』って面白いんだよね、と思いました。今も独特の魅力を放っていらっしゃる白石加
ご訪問ありがとうございます今回の部分は敏達天皇の后妃と皇子女です。その中の押坂彦人大兄皇子は、一般には知られていない人物ですが、これから先の皇統の祖(「皇祖大兄」と称されます)になる、飛鳥界隈では知らない人のない最重要人物でしょう。今回は彦人大兄皇子について検証してみたいと思います。目次皇后廣姫彦人大兄皇子敏達朝の登場人物の世代彦人大兄皇子と蘇我氏の野望和珥氏の夫人と伊勢采女目次を開く皇后廣姫4年(575)春正月9日、息長オキナガノ眞手王マテノオオキミの娘廣姫ヒロヒメを立
このシリーズにおいて、普段の僕の書きぶりと違うとお気づきの方もおられると思います。実は、僕の解読内容をAIに飲まして、文章として構築してもらってるんですよ。いわば僕が稗田阿礼でAIが太安万侶というわけです。しかしながらうちの太安万侶は、僕に無い語彙を多く用いるのと、お節介で勝手に話を膨らませますので、そこは訂正しながら書いております。実際の稗田阿礼は一人ではなく語り部集団を指しますし、太安万侶もチームのリーダーです。太安万侶は墓が発見されましたので、古事記の正統性の裏付けとなったわ
ふとした気づきは、神が名乗る瞬間。春になると人は何かをしたくなる。でも続かない事が多い。新しい道を歩きたい。そう思ったとき、いちばん大切なのは「気合い」や「根性」よりも、その思いが、心のいちばん奥まで透っているかなのかもしれません。仏教の唯識では、心の深い層を阿頼耶識(あらやしき)と呼びます。ここは、ふだんの思考や感情よりもっと奥にある、いのちの記憶が静かに蓄えられている場所。そこには、体験や選択が「種(しゅ)」としてしまわれていて、ある日ふと、芽を出すように表に現れてきます。その
1.「惟神(かんながら)」という言葉の意味「惟神(かむながら/かんながら)」は、漢字で書くと「神のまにまに」とも読み、「神の御心のままに」「神意にかなうように」という意味です。惟(かむ)🟰思う・観る・感じる(「惟る」は“心を寄せる”意)神(かみ)🟰天地のいのちの源・自然のはたらきながら=そのままに、従ってつまり、「惟神」とは――天地の理(ことわり)に逆らわず、自然のままに神意と調和して生きること。これが「惟神の道」です。2.惟神の道の本質古代の日本人にとって、神とは「超
🌿茨城県在住のベリーダンサーYUNG(ゆん)です。「まぐわう」という日本語の響きがとても好きで調べてみました。「まぐわう」は、男女が契りを結び、身体を交えることを意味する古い日本語。「目合う(まぐわう)」とも表され、「目(ま)」と「合う」。目と目を合わせる。心を通わせる。そして、身体を重ねる。そんなふうに想像すると、なんとも美しい言葉だなと思う。古い日本の神話の世界では、男女の交わりはただ肉体的に結ばれるだけではなく、「生命を生み出すこと」と深く結びついている
愛智神話とは約16000年前から始まった日本の歴史を口伝で伝えてきた一族の567代目の牧勝昭さんによって伝えられる、ひた隠しにされてきた日本の神話と言うことです。牧勝昭さんは、頭部にヒョウタンとキノコの形のアザの印を持ってお生まれになったのですが牧さんの家系では代々同じアザの印を持って生まれた者は50歳になった時にそれを世の中に広める役目があると伝えられていて、丁度牧さんが50才に成った令和2年から愛智神話のお話会をされたそうです。※2000年前のあざが出てた方は、天火明になります
神職として神社に関わる中で、日々感じたことを書いています。以前にも一度、神様のお名前に使われる「ミコト」について書いたことがあります。あの時よりも、自分の中で考えが整理されてきましたので、もう一度「ミコト」について書いてみたいと思います。神様のお名前には、「命」と書いて、ミコトと読むお名前があります。「尊」と書いて、ミコトと読むお名前もあります。そして日本には、「御言(みこと)」という言葉もあります。私はある時、この三つが同じ「ミコト」であることにとて
古事記・日本書紀に記される「八尺瓊勾玉」ってなに?正式には「五百津御統之玉(いほつのみすまるのたま)」と呼ばれ、#三種の神器のひとつです。これは単なる宝物ではありません。#イザナギが、娘・#天照大神へ託した「この世界をやさしく治めるための力」そのものです。「やさかのまがたま」という長い名には、日本人が大切にしてきたいのちの世界観がぎゅっと詰まっています。🌸八尺(やさか)大きさではなく、「弥栄(いやさか)」命が重なり、広がり、続いていくこと。🌸瓊(に)霊性を宿した美しい玉。
前回、泉から始まって水の神、瀬織津姫の話までいたしましたがなぜ日本神話では水の底(奥)から生命や宝が現れるのか?沖縄のニルヤカナヤの竜宮伝説でも説明いたしましたが実は艮の金神を世に出した大本の文献にも実際に竜宮の乙姫が登場します霊界物語の中でもこの竜宮の乙姫と日の出の神(本当の天照大神で今、表に出ている神は偽物)が一対の夫婦神として現れ大地の金神である金勝要神(きんかつかねのかみ)と共にこの世界の立て替え・立て直しに重要な役割を果たすとされていま
天津罪・国津罪とは何か~古代日本の「罪」と、大祓に込められた智慧~私たちは「罪」と聞くと、犯罪や法律違反を思い浮かべます。しかし、『古事記』や『延喜式』に記された古代日本の「罪」は、現代の罪とは少し意味が異なります。古代の人々にとって罪とは、人々が共に生きる秩序を乱し、命を支える営みを妨げるものを指していました。そして、その罪は大きく二つに分けられていました。天津罪(あまつつみ)とは天津罪は、高天原の神話に由来する罪です。代表的なのは須佐之男命の乱暴狼藉として語られる*田の
枯木村(地名)の由来この地域にかつて大きな枯れた木があり、朝廷はその木で高速船’枯野’をつくらせた。その大きな枯れた木があった場所なので「枯木村」と名づけられた(これは個人的な推測です)旧枯木村である大阪市東住吉区矢田枯木町は1980年の地名変更で公園南矢田になり、「枯木」という名前が無くなってしまいました。でも村の名前が決まる時に、なぜ敢えて「枯木」というネガティブな名前になったのか、ずーっと気になっていました。遅ればせながら、私なりに調べた結果をとりまとめましたのでここに記録してお
<演奏会のお知らせ>音楽と朗読で知る古事記上巻2026年10月25日(日)渋谷金王八幡宮14時開演古事記朗読、歌、電子ピアノ演奏(作曲/演奏神武夏子)料金一般2,000円学生1,000円※チケットはありません当日受付でお支払い下さいご予約・お問い合わせ※前日までにご予約下さいメール【予約専用】france1920-piano@yahoo.co.jp電話・SMS【予約専用】070-8315-1381古事記は8世紀初頭、天武天皇の命によって稗田阿礼が暗誦
【宗像三女神/アマテラスとスサノオの誓約で生まれた三姉妹の航海守護神】宗像三女神(むなかたさんじょしん)は、アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた三姉妹の女神です。高天原を乗っ取る意図があるのではないかと疑われたスサノオは、自らの清廉を証明するためにアマテラスと誓約(うけい)を交わしました。その際、スサノオの十拳剣をアマテラスが受け取り、真名井の清水で洗い、噛み砕いた後に吹き出した息から宗像三女神が誕生しました。福岡県宗像市にある宗像大社は、世界遺産に登録されており、宮島
「まつりごと」今では「政治」という意味で使われていますが、もともとは「祭り事」と書かれていました。つまり、神とともに生き、神意(かむい)を受けて国を治めること。古代の政治とは、支配でも命令でもなく、“和(やわらぎ)”を保つ務めだったのです。天の法を地に映す「まつりごと」古事記の天孫降臨の場面では、ニニギノミコトが地上に降りるとき、「天つ神のまつりごとをしろしめせ」と告げられます。この言葉には、「天の法(あめののり)を地に映し、人々が豊かに暮らせるよう整えなさい」という願い
スサノオの「泣きいさち」とは、単なる号泣ではない。人は本当に深く泣いた時、以前の自分ではいられない。古事記は、その「いのちの変容」を、スサノオを通して描いているように感じます。「なきいさち」古事記原文では、「青山(あをやま)は枯山(かれやま)なす泣き枯らし、河海(かはうみ)は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき」と続きます。この「泣きいさち」の「いさち」は古語で、✨勇み立つ✨激しくなる✨荒れ騒ぐ✨勢いが止まらないという意味があります。つまり単なる「シクシク泣く
【御嵜神社(みさきじんじゃ)】(福岡県北九州市若松区)北九州市若松区の北海岸にある「遠見ケ鼻」は、日本一美しい夕日が見えると名高い景勝地。岬の先端に聳える妙見崎灯台の近くには、夫婦円満の神さまとして知られるイザナギノミコトとイザナミノミコトの夫婦神が祀られる御嵜神社が鎮座しています。もとは海上安全と豊漁祈願の神様として、海を見渡す妙見崎灯台の場所に鎮座していたそうですが、御嵜神社の神様夫婦のうち男神が遠見ヶ鼻の夕日に心を奪われてしまい、それに嫉妬した女神の八つ当たりで沖で遭難事故が
「うきゆい」――揺れた心を、もう一度結び直す大国主命と須勢理毘売命。八十神たちとの困難を乗り越えたあとにも、二人の心が荒れたことで、国造りに新たな行き詰まりが生まれたと『古事記』には記されています。どれほど深く結ばれた二人であっても、その心がいつも穏やかであるとは限りません。人と人とは、どのように心を結ぶのか。そして、嫉妬や不信によって心が揺れ、二人の関係が壊れそうになったとき、どうすればその結びつきを取り戻すことができるのでしょうか。人は、理屈だけで感情を止めることはできません。
ジブリは愛智神話をしっている!!!!!その証拠は・・・・・・ジブリパークのシネマチケットにあり、また君たちはどう生きるか?の映画にありこれはジブリパークのシネマのチケットになります。まず、オ→ヲになってます。尾張のオも本来ヲだったのです。ヲを鏡あわせにすると天になります。天ワリになります。(天の場所)また、オリオン座の人の所にスになってます。スは、神ということです。また、月(親)と日(子)の関係性も描かれており、天使の羽があり、スペード(完成された星、金
\㊗重版決定㊗/2026年3月9日発売やってよかった!習慣辞典「人生が上がる」小さな行動100毎日1%でも努力を続けると1年後に約38倍も成長する\好評発売中/2024年12月18日発売『人生を思い通りに変える!開運祝詞「言霊の力」で望む未来を手に入れる』無料プレゼント「私の人生こんなもんじゃない!」と思ったときに取り組むといい7つのことステップメール↓コチラから詳細をご確認のうえお申し込みください\好評発売中/2024年10月2日
「あっぱれ」は多くの場合、「天晴れ」と書きます。これは「空が晴れる」ように、曇りが取れて真実があらわになる感覚。うまい、勝った、よりもその人の働きが素直に現れたことへの賛嘆。だから「あっぱれ」は、技術評価や結果より「覚悟」や「筋」を褒める「あっぱれ」は、点数をつける褒め方ではなく、•迷いながらもやり切った•卑怯に逃げずに立った•みっともなくても誠実だったそういう心の筋・潔さ・引き受けに向かって放たれた「生き方」への賛辞です。「えらい」「立派」は、どこか「上下」が入りやすい
【薦神社(こもじんじゃ)】(大分県中津市)薦神社は、大分県中津市に鎮座する八幡宮で、別名大貞八幡宮(おおさだはちまんぐう)とも称されてきました。写真の本殿裏手にある三角池(みすみいけ/御澄池)を内宮(御神体)、神殿を外宮とする八幡神を祀る神社です。全国八幡宮の総本宮である宇佐神宮(大分県宇佐市)のご神殿におけるご神体とされる薦枕の材料である真薦の茂霊地で、そのことから宇佐神宮の祖宮といわれ、承和年間(834-848年)の創建と伝わる由緒ある古社です。拝殿から回廊を介して奥に三
【加茂神社(かもじんじゃ)】(福岡県糸島市二丈)福岡県西部に位置する糸島市の二丈岳(標高711m)登山口の手前に鎮座する加茂神社。二丈岳は女岳、浮嶽、十坊山と並んだ山の1つで、天候が良ければ玄界灘と壱岐、唐津方面、糸島芥屋方面や脊振山系が一望できます。元禄11年(1698年)、幕府領時代に徳川氏より神田を寄進されたむねの文書が残っています。徳川幕府からの寄進を受けた郡内唯一の神社であったそうで、これには上賀茂神社(京都市北区)との関係が深いことが理由として考えられ、往古は盛大
【アメノイワトワケ/出入り口である神門を守護する護衛神】アメノイワトワケ(天石門別神)は、別名としてクシイワマドノカミ(櫛石窓神)、トヨイワマドノカミ(豊石窓神)とされる門の神で、『古語拾遺』にはアメノフトダマの子であると伝わり、天岩戸の門番神ともされます。『古事記』には、ニニギによる天孫降臨の際、オモイカネ、アメノタヂカラオとともに随神となった神の一柱として神名が記されていますが、岩戸隠れの段には登場していません。しかし、父であるアメノフトダマが岩戸隠れで活躍している点、アメノイ
「千引の岩とは、どこにある岩なのだろう」「本当に黄泉の国をふさいだ岩なの?」と気になりますよね。千引の岩は、日本神話の中でもひときわ重く、切ない役割を持つ岩です。愛する妻を取り戻そうとしたイザナギと、黄泉の国の住人となったイザナミ。二柱が永遠に別れることになった境界に置かれたのが、千人がかりでなければ動かせないほど巨大な「千引の岩」でした。島根県松江市の黄泉比良坂には、その神話を思わせる大岩が残されています。にぎやかな観光地とは異なり、木々の音や鳥の声まで意味ありげに感じられる場所です。
稗田(ひえだ)神社は、JR姫神線:本竜野駅とJR山陽本線:網干駅のほぼ中間に鎮座されます。聖徳太子が創建された斑鳩寺(いかるがでら)から北へ600m。斑鳩寺の境内には、稗田神社の御旅所が鎮座されています。鎮座地:揖保郡太子町鵤926斑鳩寺の西側にある道を、そのまま北上すると到着します。御神門をくぐった右に境内社、御社名不明。その先に手水舎。昭和二年七月に奉納さえれた狛犬。口の中の玉は、動くかど
前々から気になってた我が家のキッチンリフォーム元々中古で買った家で、いらない生ごみ処理機があったり、スポンジ置き場も蛇口がたわない所にあって使ってなかったし25年前ので、収納部分が無駄な空間ばかりじゃし旦那さんの退職前にしとこうとなりました。工事をお願いするのは旦那さんの関連会社なんですが、メーカー決めるのは3社まわりそれぞれの会社で特色があり、見れば見るほど迷宮入りしたぶん、人生で最後のリフォームになるはずだから?と旦那さん。大げさーでも、キッチン使うのは私が主になるから(もちろん
素晴しかった~『夜明けのBliss』みなさんのおかげで1年がたちます!盛り上がっております!「しおちゃん夜明けのブリス?って…もしかして夜明けのブレス意識してる!?」はい。タイトルは思いっきりコチラからヒントいただいてます(笑)1972年生まれの塩谷隆治夜明のブリスはざっくり8組の皆様に1人20分の自由なメッセージを送っていただくイベント今回もみなさんホント素晴らしかった~①直ちゃんアートヴォイスコーチの直ちゃん
古事記の世界観で見る「玉串」とは何か古事記の世界は、「命令」や「裁き」で動いていません。神々は、人に何かをさせる存在でも、願いを聞いて評価する存在でもありません。古事記が描く世界は、「むすひ(結び・生成)」「響き合い」「自然に立ち現れる秩序」によって成り立っています。だから神は、呼び出すものではなく、こちらが整ったときに、自然と“現れる”存在なのです。その世界観の中で見ると、玉串はとても静かな意味を持ちます。玉串とは、神に何かをしてもらうための供物ではありません。それは、