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しばらく更新サボってたのの復帰第1回という訳で、今回は少し大上段に振りかぶって、個人的にストリップの遠祖と崇拝している女神のアメノウズメノミコトをご紹介。天の岩戸皆さんは天岩戸開きの神話をご存じですか。スサノヲの嫌がらせに切れた太陽の化身たる天照大神が天岩戸に引きこもってしまったので、昼が来なくなってしまい一般庶神は大困り。そこで知恵者のオモイカネが一計を案じて天照大神になんとか天岩戸から出て来てもらうという物語。一般的には、アメノウズメノミコトが踊って大盛り上がりしているのが気にな
▶️【ミステリー】不可解すぎる標高3000mの山の内情。ロライマ山は「巨大な切り株」だった。神話が一致する生存マニュアルと日本に隠された鍵🔻YouTubeで見る南米の奥地。雲を突き抜ける断崖の上に、あまりにも不自然な“平らな頂”が横たわっています。それは、何億年も前から「山」と呼ばれてきました。けれど、その呼び名こそが、真実を覆い隠す最大の偽装だったのかもしれません。標高約2800m。完全に水平な台地。周囲を1000m級の垂直の壁で囲まれたその姿は、自然の造形としては
1.「惟神(かんながら)」という言葉の意味「惟神(かむながら/かんながら)」は、漢字で書くと「神のまにまに」とも読み、「神の御心のままに」「神意にかなうように」という意味です。惟(かむ)🟰思う・観る・感じる(「惟る」は“心を寄せる”意)神(かみ)🟰天地のいのちの源・自然のはたらきながら=そのままに、従ってつまり、「惟神」とは――天地の理(ことわり)に逆らわず、自然のままに神意と調和して生きること。これが「惟神の道」です。2.惟神の道の本質古代の日本人にとって、神とは「超
幣立神宮へ―天地結びの聖地にて宮崎からの帰り道、美紀ちゃんのご案内で熊本の幣立神宮へ参拝しました。予約もなしに立ち寄らせていただいたのですが、外でお参りを終えた瞬間なんと、春木宮司様が自らお現れになり、思わずびっくり!久しぶりの再会をとても喜んでくださり、「あなたが各地で古事記の話をしていることを、ここに来る多くの方々から聞いていますよ」と、にこやかにお声をかけてくださいました。美紀ちゃんと二人で玉串奉奠をさせていただいた後は、懐かしいお話に花が咲き、大盛り上がり。宮司様は
「ことわり(理)」と「道理」似ているようで少し違う言葉に、「ことわり」と「道理」があります。ことわりは、もともとやまと言葉で「こと(事)+わり(分かれ)」から来ていると言われます。つまり物事がそうなる自然の筋道という意味です。たとえば・花が咲く・実がなる・人が生まれ、やがて死を迎えるこうした天地や命の流れを、昔の人は「ことわり」と感じていました。一方、道理は中国から入ってきた言葉で、道(人の歩む道)+理(筋道)つまり人として守るべき行いの筋道です。たとえば「親を
実(さね)と実(じつ)同じ字に宿る、日本語の深い世界日本語には、同じ漢字を書いても読み方によって意味の深さが変わる言葉があります。その一つが「実」という字です。「実」と書いてさねと読むときと、じつと読むときでは、実はまったく違う世界が広がっています。🌱実(さね)「さね」はやまと言葉の読みです。意味は、種、命の核、内側の本当のもの古い日本語の感覚ではさね=いのちの中心という響きを持っています。植物でいえば実(さね)は新しい命を生み出す「種そのもの」
松本にひとり旅した記録を綴っています。四柱神社(よはしらじんじゃ)縄手通りを散策しながらお邪魔したのは四柱神社。こちらの大名町通り側の鳥居をくぐって境内にお邪魔したのですが、中に入ってからこちらが正門ではない事に気づく・・・。と言うことで、大鳥居からやり直しです。実は↑の大鳥居の画像は、ひと気のない翌朝に撮ったもの。昼間訪問した時の大鳥居周辺はとーっても賑わっていました。手水舎も修学旅行の中学生と鳩で大賑わい。御祭
【スクナヒコナ/小柄な医療神として知られる造化三神の御子神】オオクニヌシがスサノオに託され、国造りを行なった際に、相方として尽力した小さな神様がスクナビコナです。その容姿が小さいことから、一寸法師の原型になったともされ、身体は小さいが、その勇気、仁徳、知恵は国造りの大きな力となりました。スクナビコナは様々な薬や酒、温泉を作った、医療の神、酒造りの神、温泉の神で、酒や薬の神として、久斯之神(くしのかみ/くすのかみ)という名でもお祀りされ、製薬会社や酒造メーカーから篤く信仰されて
「かしこ」「かしこし(畏し・賢し)」とは1.やまと言葉の意味か🟰神・火・光・霊性の力、清らかな光・尊厳・神聖さし🟰滋(しげ)る・しなやか・霊(ひ)と通じる響き・霊生命の流れ・霊の動きこ🟰凝(こ)る・子(こ)・心・集まる・実を結ぶ・中心となる力この三つが響→会うことで「かしこ」は本来、「光が凝り集まり、神の智慧として輝くさま」を表していました。2.意味の広がりやまと言葉の「かしこし」光り輝く・明らかである(=神の光に通ずる)聡明で知恵がある(=見通す・悟る)尊く、恐
コケコッコーで、目覚めた朝音読会のあと、吉野にお住まいのまち子さんとお話しました。同じヤマト人の学びをするお仲間ですまち子さんは今、「古事記カフェ」を始めるため準備を進めておられます。吉野といっても京都ではなく、天武天皇や後醍醐天皇ともゆかりの深い奈良県吉野ですから、きっと、いにしえのご縁はあるのでしょうね。昨日は、店舗や什器など、取引関係の50代の社長さんたち4人とお会いしたそうです。その時のお話をシェアしますね。Q「世界で一番長く続いている国はどこか知
こんにちは。日本一時帰国中です。島根県・出雲大社へ行ってきました。出雲大社を語るには私はまだまだ勉強不足です。行ったらわかるという場所ではなく沢山の神話があり日本のルーツでありどうして世界中の宗教のことは知ろうとするのに自国である日本の「神話」を知る事をしなかったのだろうアメリカに来てあなたの国の宗教は何?と聞かれることが多くそれに対して上手く答えれなかったことからなんとなく仏教とかお寺とか神社とか先祖とかそういうぼやっとした感じでしか思
古事記天照大神とシュメールとフェニキアHollowChurchBells-EmotionalGospel【序】以下は過去記事で主に数値を中心に見てきた、天照大神(広くは皇室)とフェニキアそしてシュメールとの関係の追加記事になります。撮影大阪梅田周辺画像と記事は関係ありません【アマテラスの中のシュメール、彥瀲の中のフェニキア】数値の上からは、神武天皇の父「彥瀲hikonagisa」が、「フェニキア人Phoenician」を、そして文字の
天津罪・国津罪とは何か~古代日本の「罪」と、大祓に込められた智慧~私たちは「罪」と聞くと、犯罪や法律違反を思い浮かべます。しかし、『古事記』や『延喜式』に記された古代日本の「罪」は、現代の罪とは少し意味が異なります。古代の人々にとって罪とは、人々が共に生きる秩序を乱し、命を支える営みを妨げるものを指していました。そして、その罪は大きく二つに分けられていました。天津罪(あまつつみ)とは天津罪は、高天原の神話に由来する罪です。代表的なのは須佐之男命の乱暴狼藉として語られる*田の
「上のものが下になり、下のものが上になる」…いろんなものが、ひっくりかえる…アベコベだらけの日本人…おまえたちもでんぐり返る…オレの時代、キター!!わたしだけでなく、タケミカヅチの神様も、そうお考えだったらしい…⇒魂の"火"を通せ!それが豊かさの正体だ-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.comスピ世界から
It’sallright藤井風大国主命になる!?藤井風のNewPVが話題になっているようです。「綺麗!」「前衛的」という一方で「きしょい」「カルト宗教?」という声もあり----確かに、多分に宗教的な要素の多いPVなのでちょっと解説しますね。ちなみに、PVの制作者はニーナ・マクニーリーという映像作家です。巨大なしめ縄は出雲大社?まずは目につくのは巨大なしめ縄です。巨大しめ縄といえば出雲大社・・ということはここ出雲大社なのですか?「いやいや、しめ縄は、この世とあの世(異次元)の境界
「あっぱれ」は多くの場合、「天晴れ」と書きます。これは「空が晴れる」ように、曇りが取れて真実があらわになる感覚。うまい、勝った、よりもその人の働きが素直に現れたことへの賛嘆。だから「あっぱれ」は、技術評価や結果より「覚悟」や「筋」を褒める「あっぱれ」は、点数をつける褒め方ではなく、•迷いながらもやり切った•卑怯に逃げずに立った•みっともなくても誠実だったそういう心の筋・潔さ・引き受けに向かって放たれた「生き方」への賛辞です。「えらい」「立派」は、どこか「上下」が入りやすい
『大和易通信』は・大和易の口伝話や古事記の独自解読法・日本の皇室祭祀の読み解き方・大和の寺社仏閣に隠されている裏開運話など毎月発行中!!7月号の内容・7月7日の神事!ご祈祷済みの出来立て「三輪素麺」贈呈昨年大好評でした!!・「七夕」と書いてなぜ「たなばた」と読めるのか?国民の99%は知らない事実・口伝の『神棚祈祷法』神棚が家にない人の場合の対処法とは、、、、・平安時代に「聖徳太子」と命名した日本を創ったある学者の謎・「皇室典範」に隠された
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第二章日本書紀に見ゆる実例一日本書紀巻第一(神代上)(巻末G参照)又猿女君の遠祖天鈿女命は即ち手に芽纏の矟を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に俳優す。亦天香山の真坂樹を以て鬘と為し、蘿を以て手すきに為して、火処燒き、覆槽置せ、顕神明之憑談す。』(「顕神本田霊学法典」)『また猨女君の遠祖天鈿女命は手に茅を巻いた矛を持ち、天石窟戸の前に立って、巧みに俳優をした。
古事記では建御名方神が負けて諏訪に封じられたとされていますが、諏訪に伝わっているのは建御名方神と洩矢神が戦をして建御名方神が勝ったとされています。建御名方神(諏訪氏)が守屋氏の土地を奪ったという事です。実際には平和的に共存したという感じです。そこで私の考察は建御名方神が諏訪に来る前は、諏訪大社は存在しなかった。ミシャグジ様を封印する為に作ったと考えました。神道では4つ柱を立てて麻紐と紙垂で祓戸を作ります。祓戸は祭礼の前の祓い清めを行う神聖な場所です。そしてエネルギーを閉じ込めたり
「まほろば」とは「まほらの心」から生まれる和の国『古事記』には、「大和(やまと)は国のまほろば」と記されています。ここで語られる「まほろば」とは、山・川・人・神がともに息づく、和(にぎわい)の国を讃えた言葉です。「真秀ろばの国(まほろばのくに)」は、「美しく、すぐれた国」という意味で、奈良(大和)を讃える表現としても使われました。「大和は国のまほろばたたなづく青垣山籠れる大和しうるはし」―『古事記』景行天皇段ここでの「まほろば」は、単なる“美しい土地”ではなく、人
「まつりごと」今では「政治」という意味で使われていますが、もともとは「祭り事」と書かれていました。つまり、神とともに生き、神意(かむい)を受けて国を治めること。古代の政治とは、支配でも命令でもなく、“和(やわらぎ)”を保つ務めだったのです。天の法を地に映す「まつりごと」古事記の天孫降臨の場面では、ニニギノミコトが地上に降りるとき、「天つ神のまつりごとをしろしめせ」と告げられます。この言葉には、「天の法(あめののり)を地に映し、人々が豊かに暮らせるよう整えなさい」という願い
ちょうど一年前にオムライスの前を通った。昨日のことのように今ハッキリと思い出す。2024年10月訪問。オムライス予約・お問い合わせ088-872-2130予約可否予約可住所高知県高知市塩田町14-36大きな地図を見る周辺のお店を探す交通手段高知駅から559m営業時間11:00-15:0017:00-20:00■定休日第2・第4木曜日店名もオムライス、食べるものもオムライス。オムライス×オムライス。久しぶり!店内
「お天道様が見ている」という真心の文化日本人は昔から、できるだけ真心を尽くそうとして生きてきました。それは「誰かに見られているから」ではありません。古事記でいう「天(あめ)」とは、自然や神々、いのちの働きと共に在る世界。「お天道様が見ている」とは、罰したり裁いたりする目ではなく、共に在り、すべてを照らすまなざしのことです。だから日本人は、他人が見ていなくても、罰がなくても、自分で自分に恥じるという感覚を育ててきました。それは、外から植えつけられた道徳ではありません。古
石巻五行歌会代表の佐藤沙久良湖さんのお誘いで、「五行歌の会」主宰の草壁焔太さんと懇談の機会をいただいた。なんでも岩手県盛岡市の石川啄木記念館のリニューアルで訪れた帰りにお寄りいただいたと。地元の荻浜で大森旅館で『港町とろろとなきて輪を描く鳶を圧せる潮曇りかな』と詠み歌碑もある。先生は、1938年3月13日生まれ。香川県伊豆島高等学校、東京大学文学部西洋哲学科卒。1956年、前川佐美雄の「日本歌人」に入会、1957年、新詩型「五行歌」を創案し、1966年第一詩集「ほんとうに愛していたら」を
歴史雑誌の『歴史人』が廃刊。事業停止のお知らせ-株式会社ABCアーク関係各社御中時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。abc-arc.asahi.co.jpいままでお世話になりました。斎藤英喜が寄稿させていただいた号はこちら↓↓『歴史人』2024年4月号「古事記」と「日本書記」「ハツクニシラス天皇はなぜ2人いたのか?」p.52~監修・文/斎藤英喜2024年4月号「古事記
人生の中で、「どうしてこんなに苦しいのだろう」と思う出来事に出会うことがあります。越えられないように感じる壁、逃げたくなる状況、心が折れそうになる時間。けれど、その壁には大切な意味が隠されています。◆壁はあなたを止めるためにあるのではない私たちは苦しみを「敵」と捉えがちですが、本当は違います。その壁は、あなたを壊すためではなく、あなたの中にある力を引き出すために現れているのです。◆乗り越えるとき、人は変わる壁にぶつかると、人は初めて自分の弱さを知り、本当の願いに気づき、どう生きる
古事記の世界では、「学ぶ」ということは、何か新しい知識を増やすことではありません。それはむしろ、思い出すこと。古事記の神々は、「こうしなさい」と教え込んだり、「これが正解だ」と啓示を与えたりしません。物語の中で起きているのは、もともと在ったものが、ふっと現れたり、忘れていた秩序が、そっと戻ってきたり、ずれていた中心が、自然に整っていくことばかり。だから「腑に落ちる」という感覚は、理解が増えたというより、本来の場所に戻った感じに近いのです。人は生きているうちに、役割を背負い
子どもの頃に触れていたものは大人になって必ずのようにパワーになっていたり自分をわくわくさせるものになっていたり趣味や仕事に繋がっていたりするんだろうと思える私は子どもの頃から変わらず「字を書くのが好き」「文章を書くのが好き」くらいでルーツ?と言うのも違うしなーと思っていたでも最近、ああ、これなんだろう、と凄くしっくり来るものがあってそれが「神様」神話を調べていると、なんでこんなに面白いんだろう?とわくわくそこから当然のように神社にも触れていくことになるので、旅行好きでも
【玉置神社(たまきじんじゃ)】(奈良県吉野郡十津川村)玉置神社は大峰山脈の南端に位置する玉置山(標高1,076m)の山頂近くに鎮座し、初代神武天皇(じんむてんのう)は東征の途上に、玉置山に辿り着いたとされています。その後に仏教が入ってくると熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり、玉置三所権現または熊野三山の奥院と称せられ霊場として栄えました。江戸時代には別当寺高牟婁院(たかむろいん)が置かれ、その後、慶応4年(1868年)の神仏分離令により、
頑張りすぎたとき、傷ついたとき、私たちはつい「もっと強くならなければ」と思いがちです。けれど古事記は、違う道を示します。それが、「イザナギの禊(みそぎ)」です。イザナギは、愛するイザナミを追って黄泉の国へ向かい、そこで「死の現実」を目の当たりにします。逃げ帰るようにこの世へ戻ったあと、彼がまず行ったのは、反省でも、戦いでも、前進でもありませんでした。ただ、川に身を浸し、自分を整えることだったのです。ここで大切なのは、禊が「汚れを罰する行為」ではないということ。やまと言葉で禊とは