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寝屋川サークルにあるお客さんがおともだちを誘って来てくださった。サークル形式を取っているもののいつでもどなたでも自由参加のこのクラスはこんな風にどなたかがご紹介くださることも結構ある寝屋川市の建物をお借りして開催しているので市のお知らせに載せて公募もしますかと最初に聞かれたけど、なんとなくこういう"繋がり"を大切にしたいなぁと思って非掲載にしてもらった。情報がてんこ盛りのこの世の中はちょっと調べればたくさんの選択肢の中から自分で選ぶことができます。もちろん自分で探して見つけた
雨がよく降りますねそう言えば、先日行った柳川は、北原白秋の生誕地です川下りの船頭さんが話しされていたのですが、今学校の教科書には、白秋の歌は載ってないそうですそれなのに今の時期、子供達がよく歌う歌雨雨降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいなこの歌詞、北原白秋の作だそうで、恥ずかしながら初めて知りました蛇の目傘も、今の子供達は知らないとそうかも〜今週もさつきちゃんのレギュラーエアロから今日も喋りまくり美魔女のRさんが、今日はさつきちゃんの目の前なので、今日は余計に楽しかった帰
国語指導[Amebaグルっぽ]グルっぽを作成しました。「国語指導」という名称です。国語(日本語)についてなら、なんでも語り合っていきたいと思います。お陰様でたくさんの方にご参加いただいています。関心のある方は、どうぞご参加お待ちしております。北原白秋の作品にこんな詩があります。一薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲クナニゴトノ不思議ナケレド二薔薇ノ花ナニゴトノ不思議ナケレド照リ極マレド木ヨリコボルル光リコボルル北
室生犀星・明治22年(1889年)8月1日生~昭和37年(1962年)3月26日没(享年72歳)小景異情その一白魚はさびしやそのくろき瞳はなんといふなんといふしほらしさぞよそとにひる餉(げ)をしたたむるわがよそよそしさとかなしさとききともなやな雀しば啼けりその二ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふものよしやうらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても帰るところにあるまじやひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむそのこころもて遠きみやこにかへ
柳川の旅-男声合唱組曲「柳河風俗詩」のために-白秋生家・記念館の自動販売機北原白秋のふるさと「柳河」は,昔から訪れてみたかった(現在は「柳川」だけど,「柳河」と書かないとしっくりこない)。白秋は昭和17年(1942年)11月2日に亡くなっているので,2022年は没後80周年。訪れる機会としてちょうどよい。コロナの第六波,第七波がほぼ連続してあり,なかなか機会がなかったけど10月中旬に行ってきた。季節も良いし,ちょうど全国旅行支援も始まり,ベストタイミング。明治18年(1885
宇部市かわむら歯科、院長の河村和典です。当院ではスタッフとの朝礼時に、北原白秋作詞のアメンボの唄を皆で声を出して発声練習をしています。その中で、大角豆(ささげ)に酢をかけサシスセソ、というフレーズがあります。私は大角豆というものを今まで知らないまま、朝礼で声を出していました。ささげとは豆なのかと、デパートで小豆のような大角豆を買ってきて、妻にお酢をかけた料理を作ってくださいと頼みました。妻が言うには、大角豆は鞘の部分に酢をかけて食べるみたい、と教えてもらいました
大寒を過ぎて25日ごろまで今季1番の寒気が流れ込んでいるそうです東京はそれほどでは無いのですが皆さまの所はいかがでしょうか風邪などひかないようにお気をつけくださいね寒い冬に恋しいのは暖ですねという事で今日は「ペチカ」をお届けしますペチカとは、ロシアなどでよくみられる暖房機器で、火を焚いてレンガなどに蓄熱しお部屋全体を暖める暖房。だそうですこんなベッドと一体型もあるの!?w本物は見たことがないのですがじんわりお部屋が暖かいのは良いですね昔、ご近所さんのお宅に暖炉
4月14日【いつしかに】いつしかに春の名残となりにけり昆布干し場のたんぽぽの花北原白秋---------------------いつの間にか、今年の春も終わりになってしまったその春を惜しむように、浜辺にある昆布干し場には、たんぽぽの花がたくさん咲いていることだ#和歌#いつしかに#北原白秋
2020年に『日本わらべう歌全集』を購入し、わらべうたを学ぶ材料として日々活用させて頂いています。思い切って購入して、本当に良かったと思っています。もう一つ、気になっていた『日本伝承童謡集成』ですが、今回、購入することができました。装丁が美しくとても素敵です。よく見るとかなり厚さが違いました。遊戯編が三巻・四巻・六巻に上中下として分かれています。遊びありきですね。そして、中身は朱色でした。お値段も違いました。第一巻は、子守唄扁昭和二十二年六月二十五日
北原白秋・明治18年(1885年)1月25日生~昭和17年(1942年)11月2日没薔薇の木に北原白秋薔薇の木に薔薇の花さく。なにごとの不思議なけれど。(詩集『白金之独楽』より)*北原白秋(1885-1942)のこの短詩は、三日三晩で書かれたという短詩全95篇を収めた第5詩集『白金之独楽』(大正3年=1914年12月・金尾文淵堂刊)では2篇の連作になっていました。その後のアンソロジー類への収録に当たって単独では先に上げた3行詩に改められましたが、『白金之独楽』は全編漢字と
『げんげ草(そう)』作詞〜北原白秋(1885〜1942)一、ねんねのお里のげんげ草ぼちぼち仔牛(こうし)も遊んでる牧場(まきば)の牧場のげんげ草誰だか遠くで呼んでゐる二、ねんねのお里はよい田舎ねんねのお汽車で下りたなら道はひとすぢ田圃(たんぼ)道藁(わら)屋に緋桃(ひもも)も咲いてます三、ねんねのお守はゐやせぬかちょろちょろ小川もながれてるいつだか見たよな橋もある小籔(こやぶ)のかげには閻魔(えんま)堂四、ねんねのお里で泣かされてお
お立ち寄り下さり、ありがとうございます。突然ですが、“すかんぽ”を知っていますか?私はここに来るまでの人生ウン十年、知らずに生きてきました。それが移住してすぐにその洗礼を受け、今やここの生活で切っても切り離せない関係に。放っておくと庭を埋め尽くす“すかんぽ”“すかんぽ”は別名イタドリと呼ばれ、「世界の侵略的外来種ワースト100」に選出されるほど繁殖力が強い植物。他に同じく“すかんぽ”と呼ばれるスイバという別の植物もあるそう。「イタドリ=すかんぽ」、「スイバ=すかんぽ
るそんべえです。1975年第17回のレコード大賞は、布施明の「シクラメンのかおり」でした。第4回東京音楽祭で紹介され、レコード大賞、FNS歌謡祭グランプリなど多くのタイトルを総なめしました。また、オリコンチャートでも、布施明自身唯一のミリオンセラーを記録しています。こうみると、ヒットが約束されていたように思いますが、実際はちょっと違ったようです。当初は、B面として発表された小椋佳作詞作曲の「淋しい時」が持ち込まれたようです。そこで、布施明はもう一曲カップリング用の曲を依頼、それが
今回は、福岡県の柳川高校です。https://www.yanagawa.ed.jp福岡県西南部の有明海に面する柳川市にある学校です。昭和16年に柳河商業学校として創立し、学制改革で柳河商業高校になりました。その後、町村合併で柳川町が誕生した際に柳川商業高校と改称しました。校歌は作詞:伊馬春部作曲:高木東六で、昭和37年制定です。柳川商業高校(全3番)見よ東を清水の深き翠の辺りまで千里ひろがる沃野こそわが祖々の培いし橘薫る美し郷土ああ燦として輝きし柳川城を
仕事帰りに無人販売所でトマトを買いました袋から取り出すと特有の青くさい臭いがしましたもいだばかりの新鮮なトマトのようです洗って半分に割り塩をパラパラ振りかけてかぶりつきましたゼリーがたっぷり詰まってみずみずしいトマトでした次にふと思い立ち何十年ぶりかに砂糖をかけて食べてみました意外といけました(笑)そういえば子どもの頃は畑でとれたトマトをその日の気分により塩で食べたり砂糖で食べたりしていましたっけ
『あわて床屋』作詞〜北原白秋(1885〜1942)一、春は早うから川辺の葦(あし)に蟹(かに)が店出し床屋でござるチョッキンチョッキンチョッキンナ二、小蟹ぶつぶつ石鹸(シャボン)を溶かし親爺(おやじ)自慢で鋏を鳴らすチョッキンチョッキンチョッキンナ三、そこへ兎(うさぎ)がお客にござるどうぞ急いで髪刈っておくれチョッキンチョッキンチョッキンナ四、兎ァ気がせく蟹ァ慌てるし早く早くと客ァつめこむしチョッキンチョッキンチョッキンナ五、
終わることを悲しまず、終わることはすなわち始まることだ。[中国の諺]1つのドアが閉まると、別のドアが開く。[イギリスの諺]一つのドアが閉まると、別のドアが開く。しかし、私たちは閉まってしまったドアをずっと後悔して見つめているので、新しいドアがすでに開いていることに気づかない。[ヘレン・ケラー(社会福祉活動家・作家)]新生(しんせい)だ。[北原白秋(詩人)の臨終の際の言葉。]希望があるから前に進めるのだ。[アレキサンダー大王(古代マケドニアの王)]・どれほどひどい状況の中にあ
2019年4月10日雨白秋長雨に震う「桐の花」第百七十五首第六章「雨のあとさき」第七十五首小題「雨のあとさき」十長雨二首の一長雨(ながさめ)の蒼くさみしく淫(たは)れてしその日かの日もいまは恋しき長雨のあとのこころにひるがへり孔雀火のごと鳴く日きたりぬこの二首、白秋の和歌の現代化への思いだろう。長雨、ながさめとルビが打ってある。コトバンクから長雨/霖(読み)ナガアメなが‐あめ【長雨/×霖】長く降り続く雨。霖雨(りんう)。以上春さめ、秋さめに倣い、長さめ
北原白秋『とんぼの眼玉』より金魚きんぎよ母かあさん、母かあさん、どこへ行いた。紅あアかい金魚きんぎよと遊あそびませう。母かあさん、帰かへらぬ、さびしいな。金魚きんぎよを一匹いつぴき突つき殺ころす。まだまだ、帰かへらぬ、くやしいな。金魚きんぎよを二匹にイひき締しめ殺ころす。なぜなぜ、帰かへらぬ、ひもじいな。金魚きんぎよを三匹さんびき捻ねぢ殺ころす。涙なみだがこぼれる、日ひは暮くれる。紅あアかい金魚きんぎよも死しイぬ、死しぬ。
『いつしかに春の名残となりにけり昆布干場のたんぽぽの花北原白秋春も、もう直ぐ終わりといった時期になっていますが、初夏の風が日々少しずつ感じられるような天気となりいよいよ落ち着いた時期も終わりを告げると思うと一抹の寂しさを感じます。こうゆう時期になってから、春らしいことができていないなと感じてしまいます。そんなことを、考えている間にきっと目に映る花も夏のものに変わっていってしまうんだなと、少し悲しくなります。でもそんな中でもまだ春の
こんばんは、ブラッド・ピットと同じ年の57歳、群馬の朗読家の宇野紳一です。詩の朗読というと、短い繊細であり、宝石のようで言葉を情感を込めて読むようなイメージがありました。しかし、そんなイメージを180度覆すような衝撃的な朗読に出会いました!それが、北原白秋の詩『お祭り』でした。そんな中で、ある朗読家の男女2名の朗読を聴きました。太鼓のリズムに乗って、キップのいいしゅきしゃきな声で歌うように朗読されました。勝手にこっちも一緒に朗読し、踊りだしたくなるくらいでした。それを聴