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柳川の旅-男声合唱組曲「柳河風俗詩」のために-白秋生家・記念館の自動販売機北原白秋のふるさと「柳河」は,昔から訪れてみたかった(現在は「柳川」だけど,「柳河」と書かないとしっくりこない)。白秋は昭和17年(1942年)11月2日に亡くなっているので,2022年は没後80周年。訪れる機会としてちょうどよい。コロナの第六波,第七波がほぼ連続してあり,なかなか機会がなかったけど10月中旬に行ってきた。季節も良いし,ちょうど全国旅行支援も始まり,ベストタイミング。明治18年(1885
寝屋川サークルにあるお客さんがおともだちを誘って来てくださった。サークル形式を取っているもののいつでもどなたでも自由参加のこのクラスはこんな風にどなたかがご紹介くださることも結構ある寝屋川市の建物をお借りして開催しているので市のお知らせに載せて公募もしますかと最初に聞かれたけど、なんとなくこういう"繋がり"を大切にしたいなぁと思って非掲載にしてもらった。情報がてんこ盛りのこの世の中はちょっと調べればたくさんの選択肢の中から自分で選ぶことができます。もちろん自分で探して見つけた
大寒を過ぎて25日ごろまで今季1番の寒気が流れ込んでいるそうです東京はそれほどでは無いのですが皆さまの所はいかがでしょうか風邪などひかないようにお気をつけくださいね寒い冬に恋しいのは暖ですねという事で今日は「ペチカ」をお届けしますペチカとは、ロシアなどでよくみられる暖房機器で、火を焚いてレンガなどに蓄熱しお部屋全体を暖める暖房。だそうですこんなベッドと一体型もあるの!?w本物は見たことがないのですがじんわりお部屋が暖かいのは良いですね昔、ご近所さんのお宅に暖炉
床暖房の日々。ぬくぬくでねむい…🥱講談社文芸文庫の詩集には、室生犀星の三詩集が収められている。たくさんの詩を書いた人なのでなかなか全ては読み切れないけれど、こうしてまとめて一冊の詩集になっていてありがたい。郷里金沢の風景、東京での暗黒な時期、そして少年の真心をこめた「抒情小曲集」、幸福を求めるように内的感情を含んだ「愛の詩集」、彼が家庭を愛した中で大切なもの得た喜びと失った悲しみの心情をうたった「忘春詩集」が収められいた。詩を読む人のその時の環境や心の状態にもよる
こんにちは、ともぶーです。ゆるキャラらしいです。福岡県柳川市は、うなぎで有名です。うなぎ関連のお土産もいろいろ。「うないっぱい」(笑)ま、うなぎパイだよね。どこぞにもあるよねwwwうなぎラーメン?!“つかみどころのない”ウマさって(笑)だけど、やっぱり本物を食べなくては、ということで、研修が終わって駅前のうなぎ屋さんでせいろ蒸しをいただきました。ミニサイズを注文。だけど、お腹いっぱいになりました。満足です。柳川は北原白秋の
GW後半は、時間が取れないので、ご近所となってしまっています。城ヶ島の穴場的なところに北原白秋の歌碑のあるところはあまり人がいませんゆっくり撮影をしてきました。まずは、北原白秋の歌碑から富士山をバックに次は、三崎漁港に停泊するマグロ漁船でしょうかね?最終カットは、ヨットハーバから降りてきたヨットと富士山を入れての撮影になります
お立ち寄り下さり、ありがとうございます。突然ですが、“すかんぽ”を知っていますか?私はここに来るまでの人生ウン十年、知らずに生きてきました。それが移住してすぐにその洗礼を受け、今やここの生活で切っても切り離せない関係に。放っておくと庭を埋め尽くす“すかんぽ”“すかんぽ”は別名イタドリと呼ばれ、「世界の侵略的外来種ワースト100」に選出されるほど繁殖力が強い植物。他に同じく“すかんぽ”と呼ばれるスイバという別の植物もあるそう。「イタドリ=すかんぽ」、「スイバ=すかんぽ
北原白秋・明治18年(1885年)1月25日生~昭和17年(1942年)11月2日没薔薇の木に北原白秋薔薇の木に薔薇の花さく。なにごとの不思議なけれど。(詩集『白金之独楽』より)*北原白秋(1885-1942)のこの短詩は、三日三晩で書かれたという短詩全95篇を収めた第5詩集『白金之独楽』(大正3年=1914年12月・金尾文淵堂刊)では2篇の連作になっていました。その後のアンソロジー類への収録に当たって単独では先に上げた3行詩に改められましたが、『白金之独楽』は全編漢字と
先週後半、我が家のプランターの薔薇がそこそこ咲いてきたので、里見公園の薔薇も咲いているかと思って行ってみたのですが、まだ全然、公園全体で薔薇の花がお愛想程度に数輪咲いている程度でした。ということで、北原白秋ゆかりの紫烟草舎(しえんそうしゃ)です。北原白秋が創作活動を行っていた建物。元々は江戸川の対岸にあったのですが、護岸工事のために解体され、こちら側、里見公園に再建されたそうです。公園中心部の噴水付近薔薇が咲きそろっている頃だと華やかな景色となっている場所です。とり
三木露風・明治22年(1889年)6月23日生~昭和39年(1964年)12月29日没夏の日のたそがれ三木露風落日の光、森の彼方にあふれ、むらがれる緑の色、心を刺す。見よ、何者のおほいなる力が、我(わが)たましひを脅かし、我肉を挑む。風はあざやかに汽車の過ぎゆくあとに流れ、淫蕩なる夏の黄昏の鐘、あゝその響かゞやき燃ゆる如し………落日の前にたゞよふ雲あり、美しき刹那あり、あゝ生きたる刹那よ、ほゝゑみ焼かるゝ刹那よ、自由に滅ばむとする美なる一瞬時よ。去りゆく五月
川下りを終えた場所の近くには柳川藩主、立花亭の御花があります。宿泊施設になっており、中も見学できます。立花家資料館左は、女性ながら、立花家の家督を継いだ誾千代。右は、誾千代と結婚して、城主となった宗茂。関ヶ原の戦いで、敗れた西軍につきながら、その人柄などで、復帰を許されました。誾千代が城主になっている事から、当時としては、女性を引き立てる文化もあり、ひな人形も飾られています。北原白秋生家柳川名物、さげもん昼食は、夜明け茶屋柳川は、福岡県ですが、佐賀県のほうが近いんです。
今回は、福岡県の柳川高校です。https://www.yanagawa.ed.jp福岡県西南部の有明海に面する柳川市にある学校です。昭和16年に柳河商業学校として創立し、学制改革で柳河商業高校になりました。その後、町村合併で柳川町が誕生した際に柳川商業高校と改称しました。校歌は作詞:伊馬春部作曲:高木東六で、昭和37年制定です。柳川商業高校(全3番)見よ東を清水の深き翠の辺りまで千里ひろがる沃野こそわが祖々の培いし橘薫る美し郷土ああ燦として輝きし柳川城を
2018年9月25日晴れ北原白秋の『桐の花』より銀笛哀慕調春北原の第一歌集を鑑賞したい。この時期、人妻とも深い仲だったようで、初恋と不倫とないまぜだろう。歌とは嘘こそ誠、白秋らしい。春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕第一首、春の夕べ、意味慎重な歌。春の鳥とは「ホトトギス」、あかあかとは「明星」。鳥は鳴くな、静かに夕暮れの景色を味わおう。銀笛のごとも哀かなしく単調(ひとふし)に過ぎもゆきにし夢なりしかな銀笛とは、六穴の金管縦笛。これから
散歩道沿いの小公園の片隅にニセアカシアの大樹があり、今年も白い花を咲かせている。長く垂れ下がる房状の花序に沢山の白い花を密につけた美しい様子は、他にないニセアカシアならのものであろう。ニセアカシア(和名ハリエンジュ)マメ科ハリエンジュ属の落葉高木。アメリカ東部~中部原産で日本へは明治7(1874)年に種子が導入され、次第に普及した。当初はこれをアカシアと呼んでいたが、後に本来のアカシア(ネムノキ亜科アカシア属)の仲間が輸入されるようになると、区別するためニセアカ
「話す」ことが楽しくなる。伝わる声をつくるコツ!司会者・発声発音講師、こえだしや濱根順子(はまねじゅんこ)です。あめんぼあかいなあいうえお発声練習と聞けばこちらを思い出す方は多いのではないでしょうか。「あめんぼのうた」「あいうえおのうた」「五十音のうた」などと言われていますが、正しい題名は「五十音」です。「かな学習歌」として書かれたもので、「4・4・5型」の定型詩です。書いたのは、詩人、童謡作家、歌人の北原白秋(きたはらはくしゅう)代表的な童謡、歌曲は
仕事帰りに無人販売所でトマトを買いました袋から取り出すと特有の青くさい臭いがしましたもいだばかりの新鮮なトマトのようです洗って半分に割り塩をパラパラ振りかけてかぶりつきましたゼリーがたっぷり詰まってみずみずしいトマトでした次にふと思い立ち何十年ぶりかに砂糖をかけて食べてみました意外といけました(笑)そういえば子どもの頃は畑でとれたトマトをその日の気分により塩で食べたり砂糖で食べたりしていましたっけ
『搗布(かじめ)とたんぽぽ』作詞〜北原白秋(1885〜1942)一、搗布干そとてたんぽぽ踏めばよう春も末かよのよ様よ二,搗布干場のたんぽぽなればよう果ては吹かれて汐のすゑ※搗布・・コンブ科の海藻で食用ではない。ヨードやアルギン酸の原料となる。◇固くて食べられないけれども大事な大事な海藻なのだそう。搗布はヨードになるんですって。春の名残のたんぽぽ踏んじゃってごめんよ。。搗布干場に咲いたばかりに・・・よう
北原白秋が作詞した曲に「かんぴょう」の歌があります歌詞の内容はこちらから北原白秋がこの歌詞を作った経緯は白秋が栃木県の塩原温泉を旅した際、真っ白な干瓢がたくさん干してある光景に心を打たれ、「かんぴょう」という歌にした2015年10月2日朝日新聞(栃木県版)だったそう北原白秋童謡データベース(日本抒情歌全集3)そんな「かんぴょう」の歌Twitterにかんぴょうを干している動画をあげたら昨日、知り合いからこんな素敵なライブ映像教えてもらいましたチ
長く垂れ下がる総(ふさ)状の花序に、たくさんの白い花を密につけた美しい様子は、他にないニセアカシアならのものであろう。今回は、第二阪奈道路の側道に咲くニセアカシアを撮ってみた。ニセアカシア(和名ハリエンジュ)マメ科ハリエンジュ属の落葉高木。北アメリカ東部~中部原産で日本へは明治7(1874)年に種子が導入され、次第に普及した。当初はこれをアカシアと呼んでいたが、後に本来のアカシア(ネムノキ亜科アカシア属)の仲間が輸入されるようになった。
こんばんは、ブラッド・ピットと同じ年の57歳、群馬の朗読家の宇野紳一です。詩の朗読というと、短い繊細であり、宝石のようで言葉を情感を込めて読むようなイメージがありました。しかし、そんなイメージを180度覆すような衝撃的な朗読に出会いました!それが、北原白秋の詩『お祭り』でした。そんな中で、ある朗読家の男女2名の朗読を聴きました。太鼓のリズムに乗って、キップのいいしゅきしゃきな声で歌うように朗読されました。勝手にこっちも一緒に朗読し、踊りだしたくなるくらいでした。それを聴
宇部市かわむら歯科、院長の河村和典です。当院ではスタッフとの朝礼時に、北原白秋作詞のアメンボの唄を皆で声を出して発声練習をしています。その中で、大角豆(ささげ)に酢をかけサシスセソ、というフレーズがあります。私は大角豆というものを今まで知らないまま、朝礼で声を出していました。ささげとは豆なのかと、デパートで小豆のような大角豆を買ってきて、妻にお酢をかけた料理を作ってくださいと頼みました。妻が言うには、大角豆は鞘の部分に酢をかけて食べるみたい、と教えてもらいました
『ちゃっきり節』作詞〜北原白秋(1885〜1942)一、唄はちゃっきりぶし男は次郎長花はたちばな夏はたちばな茶のかおり※チャッキリチャッキリチャッキリヨキャアル(蛙)ガナクンテ雨づらよ二。茶山茶どころ茶は縁どころねえね行かずかやあれ行かずかお茶つみに三、さあさ行こ行こ茶山の原に日本平の山の平のお茶つみに四、日永そよ風南が晴れて茶つみ鋏(ばさみ)のお手の鋏の音のよさ五、山で啼(な)くのは藪(やぶ)うぐいすよ茶つみ日和の