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廃れたる園に踏み入りたんぽぽの白きを踏めば春たけにける北原白秋..立ち入る人もない庭園に踏み入って、白いたんぽぽを踏むと、春も盛りを過ぎたのを感じる。という北原白秋の歌。ここにある「たんぽぽの白き」の解釈を、タンポポのワタ、とするのと、白花タンポポ、とするのがありますが、個人的には後者の白花をいっていると思っています。白秋はタンポポをよく詠います。そこで、九州出身の白秋にとって「たんぽぽ」と言えば、白花だったのでは、と想像しています。関東ではあまり見ない白花タンポポですが、四国な
中島公園の桜も良いです。ね!今日の絵本は五十音北原白秋詩高畠純絵光村教育図書北原白秋の詩を使っているのがかっこいいですね。あめんぼあかいなあいうえおと、始まります。高畠さんの絵は、親しみやすくて、ユーモラス。最後に北原白秋の原詩も載っています。そうなると水馬赤いな。ア、イ、ウ、エ、オ。浮藻に小蝦もおよいでる。と、なります。「あめんぼ」は「水馬」と書くのですね。こんなことから北原白秋さんの作品に触れることができるのも、ありがたいこ
GW後半は、時間が取れないので、ご近所となってしまっています。城ヶ島の穴場的なところに北原白秋の歌碑のあるところはあまり人がいませんゆっくり撮影をしてきました。まずは、北原白秋の歌碑から富士山をバックに次は、三崎漁港に停泊するマグロ漁船でしょうかね?最終カットは、ヨットハーバから降りてきたヨットと富士山を入れての撮影になります
散歩道沿いの小公園の片隅にニセアカシアの大樹があり、今年も白い花を咲かせている。長く垂れ下がる房状の花序に沢山の白い花を密につけた美しい様子は、他にないニセアカシアならのものであろう。ニセアカシア(和名ハリエンジュ)マメ科ハリエンジュ属の落葉高木。アメリカ東部~中部原産で日本へは明治7(1874)年に種子が導入され、次第に普及した。当初はこれをアカシアと呼んでいたが、後に本来のアカシア(ネムノキ亜科アカシア属)の仲間が輸入されるようになると、区別するためニセアカ
川下りを終えた場所の近くには柳川藩主、立花亭の御花があります。宿泊施設になっており、中も見学できます。立花家資料館左は、女性ながら、立花家の家督を継いだ誾千代。右は、誾千代と結婚して、城主となった宗茂。関ヶ原の戦いで、敗れた西軍につきながら、その人柄などで、復帰を許されました。誾千代が城主になっている事から、当時としては、女性を引き立てる文化もあり、ひな人形も飾られています。北原白秋生家柳川名物、さげもん昼食は、夜明け茶屋柳川は、福岡県ですが、佐賀県のほうが近いんです。
『搗布(かじめ)とたんぽぽ』作詞〜北原白秋(1885〜1942)一、搗布干そとてたんぽぽ踏めばよう春も末かよのよ様よ二,搗布干場のたんぽぽなればよう果ては吹かれて汐のすゑ※搗布・・コンブ科の海藻で食用ではない。ヨードやアルギン酸の原料となる。◇固くて食べられないけれども大事な大事な海藻なのだそう。搗布はヨードになるんですって。春の名残のたんぽぽ踏んじゃってごめんよ。。搗布干場に咲いたばかりに・・・よう
『ちゃっきり節』作詞〜北原白秋(1885〜1942)一、唄はちゃっきりぶし男は次郎長花はたちばな夏はたちばな茶のかおり※チャッキリチャッキリチャッキリヨキャアル(蛙)ガナクンテ雨づらよ二。茶山茶どころ茶は縁どころねえね行かずかやあれ行かずかお茶つみに三、さあさ行こ行こ茶山の原に日本平の山の平のお茶つみに四、日永そよ風南が晴れて茶つみ鋏(ばさみ)のお手の鋏の音のよさ五、山で啼(な)くのは藪(やぶ)うぐいすよ茶つみ日和の
先週後半、我が家のプランターの薔薇がそこそこ咲いてきたので、里見公園の薔薇も咲いているかと思って行ってみたのですが、まだ全然、公園全体で薔薇の花がお愛想程度に数輪咲いている程度でした。ということで、北原白秋ゆかりの紫烟草舎(しえんそうしゃ)です。北原白秋が創作活動を行っていた建物。元々は江戸川の対岸にあったのですが、護岸工事のために解体され、こちら側、里見公園に再建されたそうです。公園中心部の噴水付近薔薇が咲きそろっている頃だと華やかな景色となっている場所です。とり
井上崇です。オンライン演劇部、第18回の活動です。北原白秋を読む②※動画は2020年4月のものです。☑今日のトピック・上記動画のほかリンク先の資料動画を見る。・部内発表、実技発表の機会をつくる。☑今週の活動予定第19回呼吸と発声⑦第20回今週の振返り第21回部活動運営のポイントチャンネル登録お願いします。そして部活のメンバーでぜひ共有して一緒に取り組んでみてください。<イラスト提供/ISAさん>日々の部活動(学校訪問)
《寸感》昭和2年に静岡を舞台につくられた新民謡である。北原白秋は、当初「きゃあるが鳴くから雨ずらよ」と書いたが、方言を取り入れて「きゃあるが鳴くん《て》」と改めた。しかし、歌手の市丸は「きゃあるが鳴くん《で》」に代え、「雨ずらよ」を「あまずらよ」と歌っている。なぜだろうか、永遠の謎である。(2024.1.8)ちゃっきり節ProvidedtoYouTubebyJVCKENWOODVictorEntertainmentCorp.ちゃっきり節·IchimaruJapane
『いつしかに春の名残となりにけり昆布干場のたんぽぽの花北原白秋春も、もう直ぐ終わりといった時期になっていますが、初夏の風が日々少しずつ感じられるような天気となりいよいよ落ち着いた時期も終わりを告げると思うと一抹の寂しさを感じます。こうゆう時期になってから、春らしいことができていないなと感じてしまいます。そんなことを、考えている間にきっと目に映る花も夏のものに変わっていってしまうんだなと、少し悲しくなります。でもそんな中でもまだ春の
寝屋川サークルにあるお客さんがおともだちを誘って来てくださった。サークル形式を取っているもののいつでもどなたでも自由参加のこのクラスはこんな風にどなたかがご紹介くださることも結構ある寝屋川市の建物をお借りして開催しているので市のお知らせに載せて公募もしますかと最初に聞かれたけど、なんとなくこういう"繋がり"を大切にしたいなぁと思って非掲載にしてもらった。情報がてんこ盛りのこの世の中はちょっと調べればたくさんの選択肢の中から自分で選ぶことができます。もちろん自分で探して見つけた
終わることを悲しまず、終わることはすなわち始まることだ。[中国の諺]1つのドアが閉まると、別のドアが開く。[イギリスの諺]一つのドアが閉まると、別のドアが開く。しかし、私たちは閉まってしまったドアをずっと後悔して見つめているので、新しいドアがすでに開いていることに気づかない。[ヘレン・ケラー(社会福祉活動家・作家)]新生(しんせい)だ。[北原白秋(詩人)の臨終の際の言葉。]希望があるから前に進めるのだ。[アレキサンダー大王(古代マケドニアの王)]・どれほどひどい状況の中にあ
『あわて床屋』作詞〜北原白秋(1885〜1942)一、春は早うから川辺の葦(あし)に蟹(かに)が店出し床屋でござるチョッキンチョッキンチョッキンナ二、小蟹ぶつぶつ石鹸(シャボン)を溶かし親爺(おやじ)自慢で鋏を鳴らすチョッキンチョッキンチョッキンナ三、そこへ兎(うさぎ)がお客にござるどうぞ急いで髪刈っておくれチョッキンチョッキンチョッキンナ四、兎ァ気がせく蟹ァ慌てるし早く早くと客ァつめこむしチョッキンチョッキンチョッキンナ五、
井上崇です。オンライン演劇部、第16回の活動です。北原白秋を読む~五十音~※動画は2020年4月のものです。☑今日のトピック・白秋の同時代人、その創作環境・詩人白秋と音楽家山田耕筰☑今週の活動予定第17回呼吸と発声⑥第18回白秋を読む(お祭り)第19回呼吸と発声⑦第20回今週の振返り第21回部活動運営のポイントチャンネル登録お願いします。そして部活のメンバーでぜひ共有して一緒に取り組んでみてください。<イラスト提
雨がよく降りますねそう言えば、先日行った柳川は、北原白秋の生誕地です川下りの船頭さんが話しされていたのですが、今学校の教科書には、白秋の歌は載ってないそうですそれなのに今の時期、子供達がよく歌う歌雨雨降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいなこの歌詞、北原白秋の作だそうで、恥ずかしながら初めて知りました蛇の目傘も、今の子供達は知らないとそうかも〜今週もさつきちゃんのレギュラーエアロから今日も喋りまくり美魔女のRさんが、今日はさつきちゃんの目の前なので、今日は余計に楽しかった帰
今日は、福岡県柳川市に来ています。まずは三柱神社⛩️そして、川下り北原白秋記念館昼食は、有明茶屋今日のメインは、近藤由貴コンサート人間とは思えない演奏。感動で、涙が出てきました。夜は鰻蒸籠蒸し旅行記は、後日432
『げんげ草(そう)』作詞〜北原白秋(1885〜1942)一、ねんねのお里のげんげ草ぼちぼち仔牛(こうし)も遊んでる牧場(まきば)の牧場のげんげ草誰だか遠くで呼んでゐる二、ねんねのお里はよい田舎ねんねのお汽車で下りたなら道はひとすぢ田圃(たんぼ)道藁(わら)屋に緋桃(ひもも)も咲いてます三、ねんねのお守はゐやせぬかちょろちょろ小川もながれてるいつだか見たよな橋もある小籔(こやぶ)のかげには閻魔(えんま)堂四、ねんねのお里で泣かされてお
るそんべえです。1975年第17回のレコード大賞は、布施明の「シクラメンのかおり」でした。第4回東京音楽祭で紹介され、レコード大賞、FNS歌謡祭グランプリなど多くのタイトルを総なめしました。また、オリコンチャートでも、布施明自身唯一のミリオンセラーを記録しています。こうみると、ヒットが約束されていたように思いますが、実際はちょっと違ったようです。当初は、B面として発表された小椋佳作詞作曲の「淋しい時」が持ち込まれたようです。そこで、布施明はもう一曲カップリング用の曲を依頼、それが
『あの子のお家(うち)』作詞〜北原白秋(1885〜1942)あの子のお家はどんな家野茨が咲いたと言うてゐた仔馬もゐるよて言うてゐたあの子のお家はどこいらか雲雀よ空から見ておくれよしきりよしきり行て見よよあの子のお家はどのお家土手から土手へとのぼってもつばなややもぎのかぜばかりあの子のお家は葦(あし)の中向うの向うの沼のへり仔馬もゐるよと言うてゐた◇お友だちのお家の話かな?野茨の花は何色かな?そこには仔馬もいるんだって。仔馬
昨年末に西九州に行く機会がありました。平戸〜諫早〜長崎〜雲仙〜柳川〜太宰府と宿泊し、柳川が北原白秋の故郷であることは分かっていたのですが、諫早が伊東静雄の故郷だということはすっかり失念していました。帰宅後にそう言えば、と気がつきました。そうなると、却って伊東静雄が気になるもので、本棚にあった新潮選書の「詩人伊東静雄」をぱらぱら見ていると、「伊東が諫早(いさはや)に生を享(う)けたということは、この地が生んだ二番目の詩人としての負いめを運命付けられたことになる。」とあり、一番目の詩人は野
北原白秋『とんぼの眼玉』より金魚きんぎよ母かあさん、母かあさん、どこへ行いた。紅あアかい金魚きんぎよと遊あそびませう。母かあさん、帰かへらぬ、さびしいな。金魚きんぎよを一匹いつぴき突つき殺ころす。まだまだ、帰かへらぬ、くやしいな。金魚きんぎよを二匹にイひき締しめ殺ころす。なぜなぜ、帰かへらぬ、ひもじいな。金魚きんぎよを三匹さんびき捻ねぢ殺ころす。涙なみだがこぼれる、日ひは暮くれる。紅あアかい金魚きんぎよも死しイぬ、死しぬ。
アゲハ蝶やはりと言うのか歳相応、、それなりなのか昨日の米軍基地の見学散歩は今朝も疲れが残ってます。庭の雑草をとっていましたらアゲハ蝶がひらひらとディモルホセカの花にやってきました。アゲハ蝶が、もう一匹2匹のアゲハ蝶がひらひらと花から花へ舞うようにです。花無心にして蝶を招き蝶無心にして花を尋ぬ花開くとき蝶来たり蝶来るとき花開く良寛蝶が一匹二匹と書きましたが正式の
柳川の夏も東京に匹敵する暑さである。北原白秋(1885~1942年)は、ここ柳川市沖端町(旧・福岡県山門(やまと)郡沖端村)で生まれた。「水郷柳河(のち柳川と改字)はさながら水に浮いた灰色の柩である」――白秋は27歳の時に発表した『思い出』のなかで、こう書いている。そんな柳川を8月6日、7日と訪ねてみた。地元の人たちに「柳川とはどんな町?」と問えば、「農業と漁業の町」、あるいは「白秋が生まれたところ。白秋祭はよかよ」、そして「水路があり、その視線から見ることのできる町」などと語ってくれ
歌碑:昭和37年建立春駒:大正12年・1923「この年、信州大屋の農民美術研究所開所式後、妻子と別所温泉、…に遊び」とある。海坂:「四月中旬、妻子を率て、信州別所温泉、古名七久里の湯に遊ぶ。滞在日数。宿所たる柏屋本店は北向観音堂に隣接す。楼上より築地見え、境内見ゆ。遠くまた一望の平野みゆ。幽寂にしてよし。」とある。所在地:長野県上田市別所温泉(北向観音境内)生涯:明治18年・1885〜昭和17年・1942詩人・童謡作家・歌人雑感:大正12年、当地を訪れた際、いくつかの短
北原白秋の春の詩です。ほのかにひとつ罌粟(けし)ひらく、ほのかにひとつ、また、ひとつ……やはらかき麦生(むぎふ)のなかに、軟風(なよかぜ)のゆらゆるそのに。薄(うす)き日の暮るとしもなく、月(つき)しろの顫(ふる)ふゆめぢを、縺(もつ9れ入るピアノの吐息(といき)ゆふぐれになぞも泣かるる。さあれ、またほのに生あれゆく色あかきなやみのほめき。やはらかき麦生(むぎふ)の靄に、軟風(なよかぜ)のゆらゆる胸に、罌粟(けし)ひらく、ほのかにひとつ、また、ひとつ……
『新入生』作詞〜北原白秋(1885〜1942)小さな子供さん新入生の子供さんがっこへ行くなら連れてってあげよげんげの原っぱを近道しましょ小さな制帽さんうれしさうな子供さん杏(あんず)の木かげを連れてってあげよ雨雨ふるならお傘に入れよ小さな子供さん小さなお鞄(かばん)さんお友だちになりましょ連れてってあげよ子供の燕(つばめ)もおさそひしましょ◇小学校ご入学おめでとうございました雨の日の登下校は親子共々ちょっとした試練かもしれませんね☔草木も
春の鳥なな鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕はるのとり/ななきそなきそ/あかあかと/とのものくさに/ひのいるゆうべ「な~そ」で鳴くな鳴くなという意味になります。
今日は、私がなんか体調不良というか午前中はひたすら眠たくて←例の寝不足で午後からは、急にお腹痛くなったりして💦主人はお休みだったけど15時半くらいから動き出しました。お昼ご飯を軽くしか食べてなかったから大人気で、通し営業のお蕎麦やさんに16時過ぎにいったけどそれでもまあまあ盛況で!帰るころには、行列できてた!すごい〜!お蕎麦のアレルギーチェックっていつくらいかなぁ。うちまだ、エビもカニもハチミツもなにもやってないわ、そういえば。そろそろ重い腰あげてやろ。娘チャンは
今回は北原白秋を取り上げてみます。戦前の詩人としては大抵の人が名前を知っていると思われるくらい有名な人です。福岡柳河出身(出生は熊本県)で明治~大正の詩壇に多数参加して名声を上げました。一方実生活ではいろいろ波乱万丈だったようで、不倫で訴えられたり窮乏生活を強いられるなど苦労も多かったそうです。詩歌や童謡を生業とする中で校歌も多数手掛け、その多くは山田耕筰とのコンビで作られたものです。正確に言えば白秋氏の「最後の校歌」となるのは中等学校では昭和16年作の大分県立第一高女になるのでしょうが、旧