ブログ記事48件
◆水着は着ていてもヘアスタイルは丸髷。和洋折衷がおもしろい!こんにちは、山村です!相変わらず暑い日が続いてますね。以前、脱毛の回で昭和初期の水着ファッションを紹介したのですが、今回は、当時の水着の風俗をもう少し見てみたいと思います。『脱毛の歴史を振り返る➁ここまで言う?昭和初期の脱毛剤の広告表現がおもしろい!』◆昭和7年の脱毛クリーム。海水浴に行く女性をイメージした広告です!こんにちは、山村です!今年も暑いですね~まだ7月なのに最高気温37度(東京)とか、勘弁し
◆キャンペーンガールは松田聖子さんでした!こんにちは、山村です!来年5月に予定された改元まで、10か月を切りました。今でも遠い昭和という時代が、さらに遠くなりそうです。そこで、今回は、昭和末期の化粧を振り返って、バイオという言葉を最初に使った、エポックメイキングな化粧品をご紹介します今を去ること34年前の、昭和59年(1984)2月、カネボウのブランド、レディ80(エイティ)から、BIOリップスティックが発売されましたこの商品は、世界ではじめて、バイ
◆ゲーム系の女性の仕事にも、ガールがついた職種がありました。こんにちは、山村です!昭和初期の働く女性のシリーズでは、ガールのつく仕事を紹介してきましたが、今回はその中から、ゲーム系のガール職をとりあげますそのひとつが麻雀ガール麻雀ガールとは、現代でいえば雀荘の女性店員。日本で麻雀ブームが起きたのは、大正時代末期から。昭和4年(1929)には現行ルールの基礎が制定されました。日本各地で増えた麻雀クラブで、麻雀技を覚えてお客さんの相手をしたり、接待をしたのが麻雀
◆あくまで主家が主役なので、奥さまやお嬢さまより美人はNG!こんにちは、山村です!今回は女性の仕事について。明治時代の「小間使い」をとりあげました国をあげて近代化政策がとられた明治時代。男性が断髪にしたり、女性がお歯黒と眉そりを段々しなくなるなど、庶民の暮らしも、少しずつ西洋化していきます。とはいえ、江戸時代の価値観は引き続き残っており、結婚に関する意識は旧来のままでした。女性の場合、適齢期とされていた17から19歳ぐらいの間に、親の決めた相手と結婚
◆みんな一緒は終わり。‘80年代は個性化・多様化がキーワード!こんにちは、山村です!今回は、昭和末期、1980年代のパレット化粧品ブームについて。日本において、アイメイクが世の女性たちの間に浸透したのは、拙著『化粧の日本史』でも書いていますが、1970年代。昭和40年代になってからのことでした。これにより、現在のメイクアップの基礎が完成1980年代は、モノであふれかえる豊かな社会を背景に、「多様化・個性化」がキーワードに化粧においては、メイク品の色
◆目の美意識は、ぱっちり二重に変化しつつありました!こんにちは、山村です!今回は大正末期のモダンメイクと目の美意識について、当時の版画を例にみてみましょう。とりあげるのは、大正後期から昭和初期にかけて、京都で活躍した図案家、小林かいちの版画「二号街の女」私の著書『化粧の日本史美意識の移り変わり』では、表紙に使わせていただいた作品です。この版画、もともとは4枚組の絵はがきで、大正14~15年(1925~26)頃の作と言われています。まさに大正末期に現れた、
◆「丸の内カラー」と名付けた女性誌もあり!こんにちは、山村です!前回は、フューシャピンク(青ピンク)が、華やかなボディコンファッションに合う色だったという話をしました。なかでも大人気だったのが、「イヴ・サンローランの19」、「ディオールの475」写真はイヴ・サンローランの現行品、「ルージュクチュールピュール19」。色は同じです。今回はアップにしてみました。青っぽさがわかりますかバブル華やかなりし頃は、インポートブランドが大人気若い女性
◆今年は化粧品も値上げの嵐!でも外資系はバブル景気の時の方が高かったのです!こんにちは、山村です!世界的なインフレ傾向や、一気に進んだ円安の影響を受けて、昨年から消費財や光熱費などの値上げラッシュが続いています為替レートは、ここ数年、米ドル/円が110~115円あたりで安定していたのが、3月頃から急速に円安が進み、2022年10月17日時点では148円に化粧品の原材料価格もこれまでになく高騰していて、シャネル、ディオール、MACなど、値上げをする海外ブ
◆明治末期に大流行した美人写真絵はがきも、実は修整入りでした!こんにちは、山村です!今回は、明治時代の画像修整について。自分自身をかわいく撮ってくれるツール、プリクラが注目されたのは、平成前半の1996年以降のことでした。その後、スマホが普及すると、自撮りが簡単にできるように自撮り写真を盛ったり、美肌に加工してくれる、SNOW(スノー)やSODA(ソーダ)などのアプリは、今や若い女性の必需品になっています写真加工は現代のものと思われがちですが、もとをたどれば、
◆買ってよかった逸品。リピートしたくなるのが困りものです!こんにちは、山村です!昨年の12月に、クレ・ド・ポーボーテシナクティフのクリームを使い始めてから、約3か月が過ぎました。『クレ・ド・ポーボーテ、シナクティフのクリームを買ってみました!』◆資生堂でも最高峰のラインだけあって、使い心地は満足のいくものでした!こんにちは、山村です!2024年、最初のブログは、コスメレビューの話からスタートします…ameblo.jp3か月使ってみての感想は、「買ってよかった
◆チューリップをモチーフにした昔のパッケージ、かわいかったですね!こんにちは、山村です!1月10日、花王のオーブが、30年の歴史に幕を閉じるというニュースを、ネットで見て驚きましたブランドのホームページによると「3月から順次生産を終了、8月末をめどに販売を終了する」とのこと。オーブが発売されたのは1994年。1982年にスキンケアシリーズ、「花王ソフィーナ」が発売されてから13年目、ソフィーナのメイクブランドとして、華々しくデビューしています。9
◆ローンチから18年、中価格帯のコスメブランドがまたひとつなくなりますこんにちは、山村です!花王のオーブ終了に次いで、花王グループのカネボウ「COFFRETD'OR(コフレドール)」が、順次販売を終了すると、4月1日に発表がありました。ブランドの公式サイトでは、トップ画面に「ご愛用のお客様へお知らせコフレドールの商品は2024年6月から順次生産を終了し、在庫がなくなり次第、順次販売も終了いたします。」と書かれています。このところ、中価格帯コス
◆令嬢の適齢期は10代後半!こんにちは、山村です!今回は、明治時代の「令嬢」の結婚について。男性中心社会の明治・大正時代に女性の地位は低く、女に生まれたからには結婚して家を出て、婚家において良妻賢母となるのが、あるべき姿とされていました。ちなみに、明治時代の民法では、女性が結婚できる年齢は15歳からとはいえ農村などでは、女性は貴重な労働力小学校卒業後に労働力として働き、そのあと良縁を探すケースも多く、結婚が20代なかばになることも、ままあったようで
◆若さの賞味期限は20歳?「20歳で色香が失せる」と書いた新聞も!こんにちは、山村です!昔の化粧について調べようと、100年以上前の新聞や雑誌を読んでいると、つい別の記事に興味を引かれることがよくあります。私の場合は、美人についての記事や、結婚や仕事など、女性のライフスタイルに関わるものが多いのですが……今回とりあげる「老嬢(ろうじょう)」もそのひとつ。今ではまず使わない言葉ですが、デジタル大辞林でひくと、意味は皆さんお察しの通り、「独身のまま婚期を過ぎた
◆関東大震災が女学生の意識を変えた?こんにちは、山村です!以前に、「明治末期の女性の若さと結婚」というテーマで、当時の令嬢の結婚について書きましたが、今回は、昭和初期の令嬢を取り上げます。明治末期のお嬢さまの結婚について簡単におさらいすると、裕福な家に生まれて、女学校に通う「令嬢」は、数えの17から19歳ぐらいで結婚するのがあるべき姿。公家や華族、資産家など上流階級の令嬢が通う学習院女子部では、女学校にいる10代なかばのうちに結婚が決まって、続々と退学していっ
◆女性誌『婦人倶楽部』に載った目・鼻・頬などの美容整形の記事を紹介!こんにちは、山村です!今回は、昭和20年代の美容整形について。日本の美容整形のルーツをたどると、明治末期には鼻を高くする手術があったなどの話も出てきますが、技術が進歩して実用化が進んだのは、太平洋戦争後、昭和20年代と言われています。今回紹介するのは、昭和26年に発行された女性誌『婦人倶楽部』の2月号付録、『美容と礼法百科宝典』この『美容と礼法百科宝典』には、美容整形が、他の美容記事に交じって、下
◆昔からあった「長い髪の方が美しい」という美の規範は、今でも私たちの中にあるようです!こんにちは、山村です!昨年12月に、「大会史上初のショートカットのミスフランスに誹謗中傷が殺到!」という記事がネットニュースになりました。「フィガロジャポン」の日本版サイトでも紹介されています大会史上初のショートカットのミスフランスに誹謗中傷が殺到!辛辣なSNSの反応へのコメントが話題に。|Culture|madameFIGARO.jp(フィガロジャポン)ミス・フランス2024
◆手持ちの化粧品はクリームと化粧水がメイン。メイク品は使っても口紅程度でした!こんにちは、山村です!今回は、今から約48年前の、昭和40年(1975)に発行された月刊誌『女学生の友』4月号のアンケートから、当時の女学生のオシャレ意識を紹介します。表紙の女性は歌手の本間千恵子さん『女学生の友』は、女子中学生、女子高校生をターゲットにした月刊誌。この頃の女子高校生といえば、今の団塊の世代の女性が中心でした。4月号には、「特集生活調査これが女学生の平均点です」
◆働く場所は美容院や理髪店。でも、休みは月に1日だけのハードな仕事でした。こんにちは、山村です。今回は、昭和初期の働く女性のなかから、マニキュアガールをとりあげます。昭和6年の『東京朝日新聞』に、マニキュア(美爪術)を施術する女性が紹介されています。美容室や理髪店で、お客さまに「マニキュア(手の爪のお化粧)」をほどこすのが仕事。下の写真は、その仕事風景です。『東京朝日新聞』7月2日より今でいうならネイリストですが、この記事には、当時、この職業を何
◆化粧は機敏に早く、生き生きとした健康色をこころがけました!こんにちは、山村です!あと4日で、2017年も終わり。1年が過ぎるのは、あっという間ですね。今年最後のテーマは、昭和初期の働く女性から、エレベーターガールとその化粧をとりあげました日本で、女性を最初にエレベーターガールとして採用したのは、昭和4年(1929)、百貨店の松坂屋上野店といわれています。当時のエレベーターは、ハンドル操作式・格子状扉のエレベーター手動で動かさなければならず、操作をす
◆圧倒的に多い趣味は「音楽」でした!こんにちは、山村です。このところ、昭和初期の女性について調べています。大正末期から昭和初期は、モダンガールとよばれる女性たちが、最先端の洋装や化粧をしていた時期。モダンガールが話題になった頃に、洋服を仕立てて、洋風メイクができた女性の多くは、経済的に裕福な家庭のお嬢さまが多かったと思われます。そうしたお嬢さまの暮らしぶりは、『婦人画報』などの、女性誌から知ることができます。今回は、昭和5年の『婦人画報』4月号にある
◆資生堂でも最高峰のラインだけあって、使い心地は満足のいくものでした!こんにちは、山村です!2024年、最初のブログは、コスメレビューの話からスタートします。私は化粧文化全般の研究をしていますが、もともと化粧品会社の出身でもあり、コスメは見るのも試すのも大好きです今どき、美肌を保つには美容医療に頼るのが一番てっとり早いのは百も承知ですが、「化粧品でどれだけ肌をキープできるか」を試すために、気になるコスメは使ってきました。特にクリームでは3万円以上のものは、かなりの数を
◆ネイルもリップも、ダークな色味が流行したのが、90年代後半でした!こんにちは、山村です!今回は、ひさびさに「平成の化粧モノがたり」の続きです。テーマは血豆色のネイルですが、ついでにリップもとりあげます1990年代後半のメイクというと、みなさんは何を連想しますか?当時の記憶をたどってみると、1990年代後半は、世界的なスーパーモデルブームの影響で、モード系メイクが大流行しました。この頃活躍していたスーパーモデルは、ナオミ・キャンベル、ケイト・モス、クリスティー・ター
◆昭和初期の美容師は、4か月で一人前に!こんにちは、山村です!前回まで、昭和初期の令嬢についてとりあげましたが、今回からは、同じ昭和初期の働く女性の仕事について、ご紹介しましょう。昭和初期に、女性が働く動機はさまざま。嫁入り前の数年働いて、結婚の際に持参する着物を増やすのが目的のお嬢さまもいれば、生計の補助、生活そのものを支えるために働く女性もいました。そんななかでも美容師は、その前身の江戸時代の女髪結いの頃から、女性が自活できる仕事でした。下
◆スキコンのハトムギエキスとSK-Ⅱのピテラ(TM)。どちらも個性的なローションです!こんにちは、山村です!今回は、1970~80年代に生まれた名品コスメの第二弾かなり私情が入っていますが、化粧水では、アルビオンの「スキコン」と、SK-Ⅱの「フェイシャルトリートメントエッセンス」のふたつを挙げてみましたスキコンの正式名は、「薬用スキンコンディショナーエッセンシャルN」。1974年に、今はない「グランデューク」というブランドの化粧水として、「スキンコンデ
◆マリンスポーツが人気だった1981年に誕生したスポーツ用化粧品!こんにちは、山村です!コロナ禍での開催に賛否両論があった東京オリンピックでしたが、いざ始まってみれば、選手たちの活躍から目が離せない日々が続いています持てる力を出し尽くした選手たちの姿は、勝敗を超えて美しいの一言そこで今回は、オリンピック=スポーツつながりで、懐かしのスポーツ用コスメを紹介しますそれは、1981年(昭和56年)に発売された、コーセーの「スポーツビューティ」業界では
◆お嬢さまの化粧品代5円は、女工の6日分の給料でした。こんにちは、山村です。今回は、『婦人画報』、昭和4年4月号の記事から、「令嬢の小遣い調べ」をご紹介しましょう。これが、なかなか世間ずれしていて、おもしろいのです。参考までに下の写真は、昭和5年の『婦人画報』4月号の令嬢写真。昭和初期の『婦人画報』は、「令嬢」がキーワードでした。上のふたりは、大阪の実業家の令嬢。下は、医者の令嬢。みんな耳隠しとよばれるヘアスタイル。長い髪にウェーブをつけて、断髪
◆昭和7年の脱毛クリーム。海水浴に行く女性をイメージした広告です!こんにちは、山村です!今年も暑いですね~まだ7月なのに最高気温37度(東京)とか、勘弁してほしいです。みなさんも体調を崩さないよう頑張ってくださいね今回は、前回に引き続き脱毛の歴史を、昭和初期の新聞記事や雑誌から、振り返ってみました。江戸時代や明治時代には、着物を着ていて気にならなかった腕や足、ワキなどの体毛。しかし、洋装の女性が増えてくると、ワキ毛を意識した美容アドバイスが出てきました
◆100%無香料、シンプルステップ。クリニークはドクターズコスメの元祖的ブランドでした!こんにちは、山村です!1970~80年代に生まれた名品コスメ、3回目はクリニークです。クリニークは、もともとアメリカの大手化粧品会社、エスティローダー社が皮膚科医の協力を得て、1968年に立ち上げたブランド。代表する商品といえば、間違いなくクラリファイングローションでしょう日本上陸は1978年。三越本店や髙島屋日本橋店、伊勢丹新宿店をはじめ、東京、大阪、京都の百
◆2022年にフランスを抜いてトップに立った韓国が、昨年も首位を守りました!こんにちは、山村です!ここ数年、ドラッグストアや生活雑貨専門店の化粧品売り場に、韓国コスメが一気に増えたと思いませんか実際にどうなのか、化粧品の輸入実績のデータを調べてみると、2022年の段階で、それまでトップだったフランスをかわして、韓国が1位に浮上していました財務省の貿易統計によると、韓国コスメの輸入が急増しはじめたのは2017年頃から。それでも2017年には韓国から