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◆みんな一緒は終わり。‘80年代は個性化・多様化がキーワード!こんにちは、山村です!今回は、昭和末期、1980年代のパレット化粧品ブームについて。日本において、アイメイクが世の女性たちの間に浸透したのは、拙著『化粧の日本史』でも書いていますが、1970年代。昭和40年代になってからのことでした。これにより、現在のメイクアップの基礎が完成1980年代は、モノであふれかえる豊かな社会を背景に、「多様化・個性化」がキーワードに化粧においては、メイク品の
◆今年は化粧品も値上げの嵐!でも外資系はバブル景気の時の方が高かったのです!こんにちは、山村です!世界的なインフレ傾向や、一気に進んだ円安の影響を受けて、昨年から消費財や光熱費などの値上げラッシュが続いています為替レートは、ここ数年、米ドル/円が110~115円あたりで安定していたのが、3月頃から急速に円安が進み、2022年10月17日時点では148円に化粧品の原材料価格もこれまでになく高騰していて、シャネル、ディオール、MACなど、値上げをする海外ブ
◆圧倒的に多い趣味は「音楽」でした!こんにちは、山村です。このところ、昭和初期の女性について調べています。大正末期から昭和初期は、モダンガールとよばれる女性たちが、最先端の洋装や化粧をしていた時期。モダンガールが話題になった頃に、洋服を仕立てて、洋風メイクができた女性の多くは、経済的に裕福な家庭のお嬢さまが多かったと思われます。そうしたお嬢さまの暮らしぶりは、『婦人画報』などの、女性誌から知ることができます。今回は、昭和5年の『婦人画報』4月号にある
◆長い髪を洗うのは一日がかりでした!こんにちは、山村です。先日、みやびな「三井家のおひなさま」展を鑑賞したせいか、十二単(じゅうにひとえ)の平安女性をとりあげようと思い立ちました。今回のテーマは、平安女性のヘアケアについてです。平安時代は、長くボリューム感のある髪が、女性美の大きなポイントでした。拙著『化粧の日本史―美意識の移りかわり』では、髪について、ページ数の関係で割愛したので、ここで改めてご紹介しますね。写真は江戸時代の浮世絵に描かれた紫式
◆それはバブル時代のリップを代表する色でした!こんにちは、山村です!今回は、平成初期の口紅の流行色について。平成初期といえば、バブル景気に世の中が浮かれていた頃。夜の繁華街が平日でもにぎわっていて、遅くなるとタクシー待ちの行列が流しているタクシーも多くが乗車で、呼びとめようにも空車が来ない。企業では、タクシーチケットがバンバン使えた…、そんな夢のような時代でしたね給料やボーナスが毎年増えるので、世の中全体が元気いっぱい昭和末期に、男女雇用機会均等法が
◆浮世絵では、こんな緑色で描かれています!こんにちは、山村です。新年、あけましておめでとうございます本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます今年が皆さまにとって、良い一年になりますようにさて、2018年最初のブログは、お正月に関連した浮世絵をとりあげました。内容は、江戸時代の浮世絵に出てくる化粧の色についてです江戸時代の化粧の色については、昨年、実際の紅やお歯黒の色、そして白粉の材料のひとつだったオシロイバナの胚乳を、このブログでも紹介しました。そうし
◆5月5日放送分では、まひろ(紫式部)が紅を唇につける場面が出てきています!こんにちは、山村です!今日は平安時代の化粧について。私はテレビをそれほど見ないのですが、今シーズンは下記のNHKの大河ドラマ「光る君へ」を見ています。大河ドラマ「光る君へ」【NHK公式】大河ドラマ「光る君へ」(2024年)。主人公は紫式部(吉高由里子)。平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は藤原道長(柄本佑)への思い、そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力
◆国際線の飛行機のアメニティグッズをご紹介します!こんにちは、山村です!今回のテーマは、歴史から離れて、現代の海外旅行のアメニティグッズについて。国際線の飛行機の中では、ビジネスクラス以上の搭乗者には、トラベルポーチなどのアメニティグッズが配られます。だいたい、10時間以上のフライトが条件のところが多いようですが、このポーチ、中身にいろんな化粧品が入っています。今回は、ビジネスクラスのポーチから、化粧品をピックアップしてみましたご紹介するのは、おも
◆大正から昭和初期。ヘアスタイルも洋風になっていきます!こんにちは、山村です!今回は、広い意味での化粧ということで、今から約100年前に大流行した、耳隠しというヘアスタイルについて。100年前というと、大正時代後半。大正末期から昭和初期には、洋装に断髪(ボブヘア)、ブルーのアイシャドウや真っ赤な口紅をつけた、モダンガールが登場します。外国の映画女優のようなそのスタイルは、最先端ファッションでも、実際には、そんな女性はごくわずかでした。なぜなら、まず
◆昭和50年代には男性用パック、ファンデ、リップなどが発売されています!こんにちは、山村です!男性の化粧シリーズも10回目。今回は、昭和50年代から昭和末期までの男性コスメについてです前回ご紹介した昭和40年代の資生堂「MG5」や、マンダムの「マンダム」の大ヒットにより、団塊の世代以降は、メンズコスメ(スキンケア)への抵抗感は薄れたと思います。その後も、多くの化粧品会社から、スキンケア商品が発売されましたそして迎えた昭和50年代、CMなど広告展開を含めて話題にな
◆"厚化粧の標本"と言われていたタイピスト、でも実際は?こんにちは、山村です!今回は、昭和初期の働く女性の中から、タイピストをとりあげました。タイピストは、手書きの書類や口述を、タイプライターで清書する専門職地道な仕事と思われがちですが、化粧やファッションが派手だったと書かれた本もあります。ここでは、なぜそんな話になったのかを考えてみました。タイピストの仕事はもともと、英語やドイツ語など外国語を清書するのがはじまりでした。外国語に堪能でないとで
◆デパート・ガールのメイクは「質素で明るく」がモットー!こんにちは、山村です!今回は、久しぶりに、働く女性編。昭和初期の、デパート店員のお化粧をとりあげます。大正時代や昭和初期は、今のように男女が平等ではない時代。女性は、仕事をしても、結婚が決まるまでのほんの数年、花嫁支度を整えるために、腰掛けで働くのが一般的でした。当時、注目された職業のひとつに、デパートの店員がありました。昭和になると、店員という呼称ではなく、デパート・ガールという言い方もされます。
◆資生堂のMG5、丹頂のマンダムは、どちらもインパクト大でした!こんにちは、山村です!昭和30年代にあった、男性化粧品発売ラッシュ(前回参照)それまで男性用化粧品は、整髪料関連がメインだったのですが、この時期にローション、ミルク、クリームなどの、基本的な男性用スキンケアと、香水などが、ラインで発売されるようになりましたシェアは少ないですが、昭和30年代は、男性化粧品市場の開拓期だったと言えます。そして、昭和40年代(1965~)になると、新しい男性化粧品が次々と
◆買ってよかった逸品。リピートしたくなるのが困りものです!こんにちは、山村です!昨年の12月に、クレ・ド・ポーボーテシナクティフのクリームを使い始めてから、約3か月が過ぎました。『クレ・ド・ポーボーテ、シナクティフのクリームを買ってみました!』◆資生堂でも最高峰のラインだけあって、使い心地は満足のいくものでした!こんにちは、山村です!2024年、最初のブログは、コスメレビューの話からスタートします…ameblo.jp3か月使ってみての感想は、「買ってよかった
◆若さの賞味期限は20歳?「20歳で色香が失せる」と書いた新聞も!こんにちは、山村です!昔の化粧について調べようと、100年以上前の新聞や雑誌を読んでいると、つい別の記事に興味を引かれることがよくあります。私の場合は、美人についての記事や、結婚や仕事など、女性のライフスタイルに関わるものが多いのですが……今回とりあげる「老嬢(ろうじょう)」もそのひとつ。今ではまず使わない言葉ですが、デジタル大辞林でひくと、意味は皆さんお察しの通り、「独身のまま婚期を
◆「丸の内カラー」と名付けた女性誌もあり!こんにちは、山村です!前回は、フューシャピンク(青ピンク)が、華やかなボディコンファッションに合う色だったという話をしました。なかでも大人気だったのが、「イヴ・サンローランの19」、「ディオールの475」写真はイヴ・サンローランの現行品、「ルージュクチュールピュール19」。色は同じです。今回はアップにしてみました。青っぽさがわかりますかバブル華やかなりし頃は、インポートブランドが大人気若い女性
◆40年代半ばは、アイメイクの定着期!こんにちは、山村です!今回は、アイメイクがブームになった昭和40年代の話です。戦後になって、日本人のファッションや化粧、ヘアスタイルは、欧米化の一途をたどります。昭和20年から30年代にかけて、女性たちがあこがれたのは、ハリウッド映画のヒロインたち当時は、そのほとんどが白人女性でした。正統派美人の代表格がエリザベス・テーラーなら、オードリー・ヘップバーンやブリジット・バルドーなどは、個性派タイプの代表でしょう。
◆資生堂でも最高峰のラインだけあって、使い心地は満足のいくものでした!こんにちは、山村です!2024年、最初のブログは、コスメレビューの話からスタートします。私は化粧文化全般の研究をしていますが、もともと化粧品会社の出身でもあり、コスメは見るのも試すのも大好きです今どき、美肌を保つには美容医療に頼るのが一番てっとり早いのは百も承知ですが、「化粧品でどれだけ肌をキープできるか」を試すために、気になるコスメは使ってきました。特にクリームでは3万円以上のものは、かなりの数を
◆細眉という言葉は同じでも、時代によってその定義は違うのです!こんにちは、山村です!このところ、書店に行って、ずらりと並んだ女性誌を見て思うのは、眉メイクがナチュラルになったなあ、ということ。女性誌の表紙に登場する女優などのメイクが、全体的にナチュラルな傾向は、ここ数年続いています。眉メイクも多くの場合、自眉を生かしたナチュラル眉ひと昔前のように、べったり描いたりせず、自分の眉の毛流れも生かして、その上に薄めの色をナチュラルに加える感じ。アイブロウの
◆関東大震災が女学生の意識を変えた?こんにちは、山村です!以前に、「明治末期の女性の若さと結婚」というテーマで、当時の令嬢の結婚について書きましたが、今回は、昭和初期の令嬢を取り上げます。明治末期のお嬢さまの結婚について簡単におさらいすると、裕福な家に生まれて、女学校に通う「令嬢」は、数えの17から19歳ぐらいで結婚するのがあるべき姿。公家や華族、資産家など上流階級の令嬢が通う学習院女子部では、女学校にいる10代なかばのうちに結婚が決まって、続々と退学していっ
◆ターゲットは10代、毎日の洗髪はシャンプーの広告から?こんにちは、山村です!前回は、昭和40年までの洗髪回数について、週に1回が基本で、汗をかく夏は、5日に1回から週に2回位が、一般的だったと書きました。ところが、昭和50年代から昭和末期にかけて、若い女性を中心に、この習慣が変わっていきました理由は、いろいろ考えられますが、私は以下の3つが大きいと考えています。①内風呂や湯沸かし器、シャワーの普及。②女性のヘアスタイルの変化。③化粧品会社の広告に
◆ショーウィンドウが舞台!お客さまの注目を浴びるのが仕事でした!こんにちは、山村です!昭和初期の働く女性シリーズも6回目。今回は、マネキン・ガールをご紹介しましょう「マネキン・ガール」とは、デパートのショーウィンドウや陳列スペースに立って人々の注目を集め、流行のファションや新製品などをPRする女性。昭和3年、昭和天皇の即位の大礼を記念して上野公園で開催された「大礼記念国産新興東京博覧会」で、高島屋呉服店(今の高島屋百貨店)が、マネキン・ガールを起用して東
◆女性誌『婦人倶楽部』に載った目・鼻・頬などの美容整形の記事を紹介!こんにちは、山村です!今回は、昭和20年代の美容整形について。日本の美容整形のルーツをたどると、明治末期には鼻を高くする手術があったなどの話も出てきますが、技術が進歩して実用化が進んだのは、太平洋戦争後、昭和20年代と言われています。今回紹介するのは、昭和26年に発行された女性誌『婦人倶楽部』の2月号付録、『美容と礼法百科宝典』この『美容と礼法百科宝典』には、美容整形が、他の美容記事に交じって、下
◆髪の毛を回収するのは女性の仕事。「おちゃない」と呼ばれていました!こんにちは、山村です!しばらく更新をお休みしていましたが、そろそろ元のペースに戻すつもりです!久々の今回は、江戸時代の髪のリサイクルについて。ここ数年「サステナブルな社会の実現」を目指して、さまざまな取り組みが行われています。私たちが日常的にできるものでは節電や節水。モノのリサイクルやリユースなどもそのひとつ。でも、歴史的にみれば、資源が限られていた江戸時代も、いってみれば循環型のサステ
◆「万一の時、顔色が悪いことがあれば紅を引くのがいい」は一般的ではない!こんにちは、山村です!男性の化粧の歴史を調べていると、「江戸時代は武士も頬紅などの化粧をした」と書かれた本や、ウェブサイトをみかけます。確かに、平安時代末期から戦国時代にかけて、高位の武将を中心に、お歯黒や白粉、紅などをつけていたのは、文献や絵画資料から明らかになっています。戦国時代の武士の化粧は、戦いの時に首をとられた時のみだしなみでした。しかし、戦国時代が終わって、平和になった江戸時
◆令嬢の適齢期は10代後半!こんにちは、山村です!今回は、明治時代の「令嬢」の結婚について。男性中心社会の明治・大正時代に女性の地位は低く、女に生まれたからには結婚して家を出て、婚家において良妻賢母となるのが、あるべき姿とされていました。ちなみに、明治時代の民法では、女性が結婚できる年齢は15歳からとはいえ農村などでは、女性は貴重な労働力小学校卒業後に労働力として働き、そのあと良縁を探すケースも多く、結婚が20代なかばになることも、ままあったようで
◆資生堂意匠部だった三須裕が分析した女性ファッションの変遷です!こんにちは、山村です!今回は、大正15年(1926)の『婦人画報』4月号から、「最近二十年間の婦人風俗の変遷」という記事をご紹介しましょうこの記事を書いたのは三須裕(みすゆたか)。大正7(1918)年に、三越から資生堂意匠部にスカウトされた三須裕は、約8年間に渡って、まだ企業規模が小さかった資生堂を、世の中に知らせるべくPR活動に尽力しましたその一環として、雑誌や新聞にさまざまな美容情報を寄
◆あくまで主家が主役なので、奥さまやお嬢さまより美人はNG!こんにちは、山村です!今回は女性の仕事について。明治時代の「小間使い」をとりあげました国をあげて近代化政策がとられた明治時代。男性が断髪にしたり、女性がお歯黒と眉そりを段々しなくなるなど、庶民の暮らしも、少しずつ西洋化していきます。とはいえ、江戸時代の価値観は引き続き残っており、結婚に関する意識は旧来のままでした。女性の場合、適齢期とされていた17から19歳ぐらいの間に、親の決めた相手と結婚
◆「.アンドコスメ」に連載中のコラムが更新されました!今回のタイトルは、"大きい目は見苦しい!ぱっちり二重は不美人!ayuもローラも今だから憧れの存在に。"目の美意識が、江戸時代と現代で、どう変わったかを書いていますこのブログでは、コラムの内容を少し補足してみました。化粧の美意識は時代によって変わるもの目の美意識も、江戸時代と現代では大きな違いがありましたたとえば江戸時代の浮世絵を例にとると、美人は一重まぶたで描かれていますあの有名な喜多川歌麿の名作、「
◆看護婦のメイクは薄めが基本でした!「昭和初期の働く女性」シリーズでは、これまで、おもに新しい女性の職業をとりあげてきましたが、今回ご紹介するのは、明治時代からあった看護婦(現在は看護師)です明治時代に農業や家業の手伝い以外で、女性が選べた代表的な職業は、女工や産婆、女教員、店員、電話交換手、事務員、女中、看護婦、髪結い、裁縫師、芸者、踊りや三味線・長唄などの師匠、女優などでした。店員のなかでも、デパートに勤める女性は、昭和初期には、デパート・ガールとも言