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◆令嬢の適齢期は10代後半!こんにちは、山村です!今回は、明治時代の「令嬢」の結婚について。男性中心社会の明治・大正時代に女性の地位は低く、女に生まれたからには結婚して家を出て、婚家において良妻賢母となるのが、あるべき姿とされていました。ちなみに、明治時代の民法では、女性が結婚できる年齢は15歳からとはいえ農村などでは、女性は貴重な労働力小学校卒業後に労働力として働き、そのあと良縁を探すケースも多く、結婚が20代なかばになることも、ままあったようで
◆ドゥ・ラ・メール、ナチュラビセ。高額スキンケアブランドも続々市場に参入!こんにちは、山村です!久しぶりの「平成の化粧モノがたり」。今回は、平成時代の化粧品ブランドについて思い返せば平成は、コスメのブランドが一気に増えた時代でした1990年代後半から2000年代前半には、MAC、ボビィ・ブラウン、NARS、スティラ、ローラ・メルシェといった、人気の海外アーティストブランドが、日本の百貨店に新規参入日本の化粧品会社も対抗して、百貨店向けの独自ブランドを開
◆それはバブル時代のリップを代表する色でした!こんにちは、山村です!今回は、平成初期の口紅の流行色について。平成初期といえば、バブル景気に世の中が浮かれていた頃。夜の繁華街が平日でもにぎわっていて、遅くなるとタクシー待ちの行列が流しているタクシーも多くが乗車で、呼びとめようにも空車が来ない。企業では、タクシーチケットがバンバン使えた…、そんな夢のような時代でしたね給料やボーナスが毎年増えるので、世の中全体が元気いっぱい昭和末期に、男女雇用機会均等法が
◆女性誌『婦人倶楽部』に載った目・鼻・頬などの美容整形の記事を紹介!こんにちは、山村です!今回は、昭和20年代の美容整形について。日本の美容整形のルーツをたどると、明治末期には鼻を高くする手術があったなどの話も出てきますが、技術が進歩して実用化が進んだのは、太平洋戦争後、昭和20年代と言われています。今回紹介するのは、昭和26年に発行された女性誌『婦人倶楽部』の2月号付録、『美容と礼法百科宝典』この『美容と礼法百科宝典』には、美容整形が、他の美容記事に交じって、下
◆買ってよかった逸品。リピートしたくなるのが困りものです!こんにちは、山村です!昨年の12月に、クレ・ド・ポーボーテシナクティフのクリームを使い始めてから、約3か月が過ぎました。『クレ・ド・ポーボーテ、シナクティフのクリームを買ってみました!』◆資生堂でも最高峰のラインだけあって、使い心地は満足のいくものでした!こんにちは、山村です!2024年、最初のブログは、コスメレビューの話からスタートします…ameblo.jp3か月使ってみての感想は、「買ってよかった
◆酒類を製造するメーカーが化粧品ブランドを持つことはよくあります!こんにちは、山村です!6月14日に、大手食品メーカーのキリンが、化粧品や健康食品の通販で知られるファンケルを買収するとの発表がありました。ファンケルの2024年3月期の売上高は約1100億円で、化粧品業界の売上高では5位に位置しています。無添加化粧品という切り口で多くのファンを持っていて、ファンケルの名がよく知られていますが、アテニアもファンケルの商品です。この買収の話をニュースで見ても
◆水汲み、炊事、掃除、洗濯と、ひたすらハードな毎日でした!こんにちは、山村です!今回は前回の続きで、女中について。中流以上の家庭に住み込んで、掃除、洗濯、炊事などの下働きをするのは下(しも)女中。当時は下女(げじょ)と呼ばれていました。貧富の差が現代よりはるかに大きかった明治時代。貧しくて兄弟姉妹が多い家の女の子は、口減らしのため子守りや下女などの奉公に出されます。たとえばNHKの朝ドラ『おしん』。昭和58年(1983)に放映されて、今では考えられない
◆若さの賞味期限は20歳?「20歳で色香が失せる」と書いた新聞も!こんにちは、山村です!昔の化粧について調べようと、100年以上前の新聞や雑誌を読んでいると、つい別の記事に興味を引かれることがよくあります。私の場合は、美人についての記事や、結婚や仕事など、女性のライフスタイルに関わるものが多いのですが……今回とりあげる「老嬢(ろうじょう)」もそのひとつ。今ではまず使わない言葉ですが、デジタル大辞林でひくと、意味は皆さんお察しの通り、「独身のまま婚期を過ぎた
◆キャンペーンガールは松田聖子さんでした!こんにちは、山村です!来年5月に予定された改元まで、10か月を切りました。今でも遠い昭和という時代が、さらに遠くなりそうです。そこで、今回は、昭和末期の化粧を振り返って、バイオという言葉を最初に使った、エポックメイキングな化粧品をご紹介します今を去ること34年前の、昭和59年(1984)2月、カネボウのブランド、レディ80(エイティ)から、BIOリップスティックが発売されましたこの商品は、世界ではじめて、バイ
◆水着は着ていてもヘアスタイルは丸髷。和洋折衷がおもしろい!こんにちは、山村です!相変わらず暑い日が続いてますね。以前、脱毛の回で昭和初期の水着ファッションを紹介したのですが、今回は、当時の水着の風俗をもう少し見てみたいと思います。『脱毛の歴史を振り返る➁ここまで言う?昭和初期の脱毛剤の広告表現がおもしろい!』◆昭和7年の脱毛クリーム。海水浴に行く女性をイメージした広告です!こんにちは、山村です!今年も暑いですね~まだ7月なのに最高気温37度(東京)とか、勘弁し
◆オシロイバナの種は白粉の材料のひとつだったのです!こんにちは、山村です!今回は白粉(おしろい)の作り方の話です。江戸時代の日本では、肌の白さが美人の必須条件でした。なにせ「色の白いは七難隠す」というぐらい。そのために必要だったのが白粉です江戸時代の白粉には、おもに水銀白粉と鉛白粉がありましたが、水銀製の白粉は高価だったので、庶民は値段の安い鉛白粉を愛用していました。江戸時代を代表する美容書『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』(1813年刊
◆昭和7年の脱毛クリーム。海水浴に行く女性をイメージした広告です!こんにちは、山村です!今年も暑いですね~まだ7月なのに最高気温37度(東京)とか、勘弁してほしいです。みなさんも体調を崩さないよう頑張ってくださいね今回は、前回に引き続き脱毛の歴史を、昭和初期の新聞記事や雑誌から、振り返ってみました。江戸時代や明治時代には、着物を着ていて気にならなかった腕や足、ワキなどの体毛。しかし、洋装の女性が増えてくると、ワキ毛を意識した美容アドバイスが出てきました
◆太平洋戦争中に国が推奨したファッション「モンペ」。小説や映画のタイトルにもなりました!こんにちは、山村です!今回は戦時中のファッションについて。「モンペ」というと今どきは、「モンスターペアレント」や、「モンスターペイシャント」の略ですが、戦前に「モンペ」といえば、ズボンのような女性の衣服を指しました。下の写真の女性がはいているのががモンペです。1941年2月5日号「アサヒグラフ」より。女学生のモンペ姿。モンペは、もともとは東北地方の農村で、作業着と
◆昭和50年代には男性用パック、ファンデ、リップなどが発売されています!こんにちは、山村です!男性の化粧シリーズも10回目。今回は、昭和50年代から昭和末期までの男性コスメについてです前回ご紹介した昭和40年代の資生堂「MG5」や、マンダムの「マンダム」の大ヒットにより、団塊の世代以降は、メンズコスメ(スキンケア)への抵抗感は薄れたと思います。その後も、多くの化粧品会社から、スキンケア商品が発売されましたそして迎えた昭和50年代、CMなど広告展開を含めて話題になっ
◆日本で「マスカラ」という名の商品を最初に発売したのは、ハリウッド化粧品!こんにちは、山村です!メイクをするとき、アイメイクに時間をかける人は多いと思います。時間がないときには、マスカラだけでもつけると、まつ毛が濃く長く見えて、目がぱっちりと立体的な印象にマスカラは、昭和50年代後半から平成初期にかけてのナチュラルメイクブームの頃には、あまり注目されていませんでした。ところが、コギャルが話題になった1990年代なかばから復活の兆しを見せ、2000年代に巻き起こっ
◆「丸の内カラー」と名付けた女性誌もあり!こんにちは、山村です!前回は、フューシャピンク(青ピンク)が、華やかなボディコンファッションに合う色だったという話をしました。なかでも大人気だったのが、「イヴ・サンローランの19」、「ディオールの475」写真はイヴ・サンローランの現行品、「ルージュクチュールピュール19」。色は同じです。今回はアップにしてみました。青っぽさがわかりますかバブル華やかなりし頃は、インポートブランドが大人気若い女性
◆今年は化粧品も値上げの嵐!でも外資系はバブル景気の時の方が高かったのです!こんにちは、山村です!世界的なインフレ傾向や、一気に進んだ円安の影響を受けて、昨年から消費財や光熱費などの値上げラッシュが続いています為替レートは、ここ数年、米ドル/円が110~115円あたりで安定していたのが、3月頃から急速に円安が進み、2022年10月17日時点では148円に化粧品の原材料価格もこれまでになく高騰していて、シャネル、ディオール、MACなど、値上げをする海外ブ
◆化粧品会社にも厳しい競争があることがわかります!こんにちは、山村です!2019年8月27日のブルームバーグのニュースに、「レブロンが身売りか事業売却へ」という記事が載っていましたレブロンは、1932年(昭和7にニューヨークで創業した化粧品会社。日本では1970~80年代には、確かデパートにカウンターを設けて、対面販売をしていた人気の外資系ブランドでした私も昔はネイルや口紅、ファンデを使っていたので、この記事には驚きました。下の写真は現在販売されている、「カラ
◆女の園、大奥でも愛用されたヘチマ水こんにちは、山村です。今回ご紹介するのは、夏に黄色い花が咲くヘチマ。猛暑の夏をしのぐため、庭やベランダに蔓性植物を植えて、エコカーテンをつくるのが流行しています。ぐんぐん蔓が上に伸びるヘチマは、エコカーテンに適した植物です。私も、近隣のエコカーテンを探してみたのですが、黄色い花をつけた植物はキュウリとゴーヤで、ヘチマはほとんどなし。残念でしたが、考えてみれば、食べられる野菜を植える方が、一石二鳥で実用的ですよね。下の写真は、花が
◆ダンサー同様、ばっちりメイクをして店に出ていました!こんにちは、山村です!2020年最初のブログ更新です。今年も化粧と女性、化粧と社会にまつわるさまざまなエピソードをご紹介します。さて、本年最初のテーマは「昭和初期の働く女性」シリーズの7回目。カフェーの女給をとりあげます。日本におけるカフェーのルーツは1911年(明治44年)、銀座に開業したカフェー・プランタンと言われています。同じ年に、現在の銀座5丁目の角にカフェー・ライオンが開店。ライオンでは、女給が
◆ムクロジを使って泡立ちの実験をしてみました!こんにちは、山村です!今回は、江戸時代の化粧に関する実験編。前回の再現では、米ぬかの洗顔を試してみましたが、今回は江戸時代に用いられたムクロジについて紹介します。ムクロジというと、普通の人は、まず耳にしない植物です。4月に神代植物公園に行ってムクロジの木を撮影したのですが、そもそもが15~20mにもなる落葉高木公園のムクロジも、写真のように、首が痛いほど見上げる高さになっていました。左下に、緑の若葉
◆あくまで主家が主役なので、奥さまやお嬢さまより美人はNG!こんにちは、山村です!今回は女性の仕事について。明治時代の「小間使い」をとりあげました国をあげて近代化政策がとられた明治時代。男性が断髪にしたり、女性がお歯黒と眉そりを段々しなくなるなど、庶民の暮らしも、少しずつ西洋化していきます。とはいえ、江戸時代の価値観は引き続き残っており、結婚に関する意識は旧来のままでした。女性の場合、適齢期とされていた17から19歳ぐらいの間に、親の決めた相手と結婚
◆「ラジウム液」、「美乳」。驚きの化粧品のネーミングでした!こんにちは、山村です。今回は大正時代の化粧品広告のなかから、ちょっとあやしい美白化粧品を2つとりあげますまずは「美白化粧料ラヂウム液」(大正4年(1915)の『東京朝日新聞』より)「恐るべき秋の日やけと肌のあれを防ぎ、自然に白く美しくするラヂウム入りの化粧料」とあります。誰もが気になるのは、なぜラジウム入りなのかという点でしょうが、それには理由がありました。科学史をひもといてみると
◆みんな一緒は終わり。‘80年代は個性化・多様化がキーワード!こんにちは、山村です!今回は、昭和末期、1980年代のパレット化粧品ブームについて。日本において、アイメイクが世の女性たちの間に浸透したのは、拙著『化粧の日本史』でも書いていますが、1970年代。昭和40年代になってからのことでした。これにより、現在のメイクアップの基礎が完成1980年代は、モノであふれかえる豊かな社会を背景に、「多様化・個性化」がキーワードに化粧においては、メイク品の色
◆関東大震災が女学生の意識を変えた?こんにちは、山村です!以前に、「明治末期の女性の若さと結婚」というテーマで、当時の令嬢の結婚について書きましたが、今回は、昭和初期の令嬢を取り上げます。明治末期のお嬢さまの結婚について簡単におさらいすると、裕福な家に生まれて、女学校に通う「令嬢」は、数えの17から19歳ぐらいで結婚するのがあるべき姿。公家や華族、資産家など上流階級の令嬢が通う学習院女子部では、女学校にいる10代なかばのうちに結婚が決まって、続々と退学していっ
◆働く場所は美容院や理髪店。でも、休みは月に1日だけのハードな仕事でした。こんにちは、山村です。今回は、昭和初期の働く女性のなかから、マニキュアガールをとりあげます。昭和6年の『東京朝日新聞』に、マニキュア(美爪術)を施術する女性が紹介されています。美容室や理髪店で、お客さまに「マニキュア(手の爪のお化粧)」をほどこすのが仕事。下の写真は、その仕事風景です。『東京朝日新聞』7月2日より今でいうならネイリストですが、この記事には、当時、この職業を何
◆銃後の女性にふさわしい髪型を美容業者が自ら提案しています!こんにちは、山村です!前回とりあげたパーマネントウェーブを、今回は、美容業者の視点から見ていきます電気で髪を縮れさせるパーマネントウェーブには、都市で流行し始めた1935年(昭和10)頃から、「外国かぶれ」「頭が雀の巣」などの批判がありましたそのパーマネントの排斥運動が激しくなったのは、国民精神総動員委員会が、「婦女子のパーマネント、華美な化粧の廃止」を決定した1939年頃からどんなことがあ
◆江戸時代の鏡台には工夫がありました!こんにちは、山村です。今回は、前回の続きで、鏡台のある化粧風景について解説します。女性が化粧をする際に、鏡が必要なのは、今も昔も変わりません。前回も言及しましたが、江戸時代の鏡は銅鏡。重いので、基本は鏡台や鏡掛けに載せて使っていました。鏡台の前で化粧をする女性の浮世絵をよく見ると、いろんな工夫があったことがわかります。ここでは、2枚の浮世絵から、化粧風景をひもといていきましょう。まず最初は、「江戸名所百人美女柳
◆男性メイクのはじまりは、しゃれ者の平安貴族からといわれています!こんにちは、山村です!ジェンダーフリーや、韓流男子のメイクが注目されるなか、ここ数年、男性用のメイク品が次々と発売されています。クチュールブランドではジバンシイが、2005年にジェンダーフリーをうたった「ミスター」を発売眉マスカラやコンシーラーなどがありましたが、2019年に、メイクアップベース2品と、筆ペンタイプのコンシーラーが追加されました大手化粧品メーカーでは、1987年に男性用スキンケア
◆大正から昭和初期。ヘアスタイルも洋風になっていきます!こんにちは、山村です!今回は、広い意味での化粧ということで、今から約100年前に大流行した、耳隠しというヘアスタイルについて。100年前というと、大正時代後半。大正末期から昭和初期には、洋装に断髪(ボブヘア)、ブルーのアイシャドウや真っ赤な口紅をつけた、モダンガールが登場します。外国の映画女優のようなそのスタイルは、最先端ファッションでも、実際には、そんな女性はごくわずかでした。なぜなら、まず家族