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『国家権力の手先』論江戸時代の町道場は嘘水戸の城下に戸ガ崎熊太郎系の剣術師によって、剣術道場が輸入されたのが、十九世紀の文政二年だったという事実は、それまでは一般に、「お面ッ」「お小手ッ」などという道場はなかったことを意味する。つまりこれまでの、「道場の跡目争い」とか「道場の看板をもってゆく」などという話は架空でしかなかったことになる。これの説明として、藤田東湖は、「身体髪膚これ父母に受く。あえて傷つけざるが孝行の原点であると同様に、お禄を貰って奉公している武士が、勝手に
十一娘は先程から粘り強く交渉していた。「旦那様、絶対に危ないことはしませんから!」「駄目だ」令宣の声は断固としていた。十一娘は今度は夫に擦り寄りその胸に手をかけた。「旦那様〜…いいでしょ?」「駄目だ」令宣は曲げなかった。十一娘は令宣の首に手を回して抱きついて頼んだ。「ねえ〜ねえ〜旦那様〜〜…」流石に令宣の鼻の下が伸びそうになったがこれにも令宣は心を鬼にした。妻の腕を外して顰め面を堅持した。「駄目だ!お前に危険な事はさせられない」十一娘はプンと横を向いて小声で呟いた。「い
稽古後、時折行われるという会を開いてくださった。最近のノンアルコールビールの技術革新は凄い、稽古後はこれが正解なのかも知れない(笑)全盛期からのSAW生き証人、矢内さんこの後、麻生師範はSAW存続にあまり興味が無さそうな雰囲気だったので、矢内さんの考えをラインで聞いてみたが、やはり麻生イズム継承者だった。昔の動画を送ったら「みんな辞めちゃいましたね。」なんて言ってたけど、ホントに矢内さん以外トップ選手は全員辞めてしまった。メディアは外に出た人間ばかり取り上げるけど、極真空手なら中村
明さん「やあ・・・ずいぶんと・・・久しぶりだね・・・。皆は・・・元気だっただろうか・・・?私はずっと・・・人の心を感じ・・・人の心を見守っていた・・・。それは・・・今の私にとって・・・嬉しく・・・幸せなことだ。しかし・・・時には苦しく・・・心に痛みを感じることもある・・・。それはやはり・・・見守っている人が・・・苦しく・・・心に痛みを感じているからだ・・・。それでも・・・私は・・・そのことを感じられることが・・・幸せなのだ・・・。なぜなら・・・私
今日は、定期的な身体の修復日でした。日々、鍛練の為に痛めつけて、悲鳴をあげている身体をリペアしてもらうために、金閣寺近傍の先生のところへ定期的に通っていますが、今日も、十分に癒していただけました。(花筏)何分、「一撃必殺」の技を修錬するために、筋肉を鍛えるけれども、斬撃のスピードが僅かでも遅くなるような無駄な筋肉をつけたくないという、相矛盾することを要求することは、無茶なことなのですが、施術してくださる先生に御理解いただけているのは、ありがたいことです。この癒しがなけ
早いこと端午の節句の季節になりました。今日から鯉のぼりを流します。明日兜を設置。今日は春日和だったので庭木の剪定も。高所恐怖症をおして精神統一でだいぶ綺麗にしました。明日はお茶と剣術の稽古です。
松濤館、和道流、糸東流などの本土系の空手は剣道に近い、首里少林流は剣術に近い。その根拠は型と組手を見ればわかります。本土系の首里手はほとんどが糸洲安恒そして船越に受け継がれた型である。沖縄でも松村宗棍から糸洲安恒そして知花朝信に受け継がれた型と、松村宗棍から糸洲安恒の空手と屋部憲通を通して城間真繁に受け継がれた型が違う。本土の組手は競技化するために剣道の足運びに自然になっていったのだと思う。そして剣道の理合いを取り入れたのかもしれない。剣術と剣道の違いは、竹刀だと遠い間合いから飛び
幕末の志士たちの苛烈な行状を追っていると、自然、令和に生きる人間とは見えている世界が根本から違うのだということを思い知らされる。武市半平太については、特にそう思う。それでも、幕末の京都を震撼させた土佐勤王党の首魁を突き動かしたものが何であったのか、その深部に触れてみたいと思っていた矢先、一冊の書物を知った。「霊の御柱」(たまのみはしら)国学者・平田篤胤が顕した、神道を拠り所とした世界認識の書だ。武市半平太が剣術修行で諸国を巡る中、懐に抱くようにして携えていたという。
「腕は短く使う」ということをこのブログでは五輪書の「秋猴の身」を取り上げて解説してきました。今回は「腕が伸びるのは最後」ということを書いてみます。「腕を短く使う」と言いながら「「腕が伸びるのは最後」というのは矛盾しているように感じると思いますが、そうではありません。「伸ばす」ではなく結果として「伸びる」瞬間もあるのです。打突時に腕を短く使うということは、「相手に我が身を寄せて打つ」または「相手を我が身に寄せて打つ」ということでもあります。打ちの初動から振りかぶり終
お母様は月に三回仙綾閣へ行かれます。お母様は仙綾閣で刺繍を教えています。お弟子さんがたくさんお母様を待っています。だからその日はお帰りが申の刻になります。いつも萬大顕さんがお母様のゴエイをして下さいます。時々、お父様がお母様と一緒に帰って来られます。そんな時お父様はお母様の手を繋ぎます。繋いでいない時はお父様がお母様の腕を支えて歩きます。わたしは不思議です。諄兄様に「お父様は何故お母様を支えて歩くの?お祖母ちゃまはおみ足が悪いけどお母様は悪くないよ?」と聞くと思い切り嗤われまし
一方、三枝蓊の剣術修行に関する記述は、『大正大礼贈位内申書』に「平岡武夫(今北畠治房)武技場を開くやこれに従い武術を修練す」とあり、同じ平群郡の法隆寺村在住の平岡武夫(枚岡鳩平とも。のちの北畠治房男爵)が開いた道場で武術を学んだということになっているのですが、それなりに調べてみたつもりですが、北畠が道場を開いて剣術を教えていたことを示す史料というのが、なかなか出て来ません。そこで、あくまで「ひょっとしたら」という話なのですが、三枝が法隆寺村に通っていたであろう時期に、村で剣術を教えていた可
去る平成31年4月21日、山梨県甲府市古府中町の武田神社にて「第十二回武田信玄公上覧新陰流兵法奉納演武」開催。家元始め総勢28名にて、日頃研鑽の武技を奉納。新陰流兵法は、室町末期に上州上泉伊勢守が為した剣術流儀。一時甲斐武田軍に身を寄せた伊勢守は、信玄公の許しを得て離甲。往西して柳生宗厳(石舟斎)に印可相伝。現在までの道統に繋がる。本行事は流祖が信玄公より賜ったかかる旧恩に報いるべく、平成20年より毎年実施しているもの。爽やかな春光の下、今期も恙無く神事
コロナウィルスが5類扱いになったことで、今月から始まる中体連の本戦で、鍔迫り合いの事実上の1秒ルールが3秒ルールに変更されるそうです。当初から規定には「一呼吸」とありましたが、私の住む地域では事実上は1秒というような運用をされてましたが、その「一呼吸」の程度を剣道連盟が正式に「一呼吸(目安としておよそ3秒)」と規定しました。私が指導しているのは主に中学生ですが、彼らは中学に入学する前からずっとコロナ禍のルールである「鍔迫り合いは1秒で終わらせて互いに分かれる」という剣道をしてきたわけ
ベトナム空手協会主催のセミナーを開催しました。まず一つ話しておく必要があります。ベトナムでも強調したのですが沖縄には空手は無いという話です。沖縄では手(ティー)とかティジクンと言います。大正時代に空手となずけられましたが、それとは別物です。今後は手=Teeと言います。ベトナムでも松濤館空手が主流です。私としては分けて考えればよいと思いますので、日本本土の空手とティーは違うと・・・!ベトナムの空手協会の皆さんは理解しておりました。何が違うのか❕あえて深くは言いませんが、リズ
久しぶりです。ここ数ヶ月は仕事で忙しく、卓球が出来ない状況でしたが、久しぶりにラージをやってきました。アジア大会の卓球競技では、絶対王者中国が地元開催でありながら、女子ダブルスではメダル無しという事態が発生したり、日本男子が団体戦でイランに惨敗してしまうという末代までの恥をかくような事態が発生したりと、ハラハラドキドキの大会でございました🥵本来ならば、別の記事を書く予定だったのですが、急遽この記事を書くことにしました。ということで、今回取り上げる記事はこちら💁※アン卓卓球夜話の動画より
キャスト紹介ヒロイン桜役真田たくみちゃんの紹介です今回はヒロイン桜役・真田たくみちゃんの紹介です。この映画はスターウォーズを目標としてます。というわけで、ヒロインは当然レイア姫のイメージです。城代の娘役なんですが、大人しい姫様では無く、かなりおてんば娘でどんどん問題に突っ込んでいってしまう役になります。たくみちゃんの見た目はどちららかというと清楚なイメージと実際の活動力のギャップを活かしていければと思います。秋田出身の秋田美人。これから着物を着せたらどんどん雰囲気が出てくるのじゃない
とある休日お家で工作🎵剣術の稽古子供達斬り込む距離感が難しいのかな❓️剣道なら実際に相手に打ち込むので距離感は掴めやすいのだろうが・・・剣術の打ち込みは寸止め・・・実際に打ち込みした方がわかりやすいのかな❓️間合いがよくわかっていないので木刀の手元付近で斬り込む事も・・・確りと木刀の切先で斬れるようにお家でも少し練習しないとね・・・色々下調べしてホームセンターで材料調達🎵工作始めるよ✨材料は足場パイプ1M・・・1本一輪車のタイヤ・・・1輪ネジ&ワッシャー・・適
無想剣とは?無想剣とは、会長の山本一夫(1955年-東京都生まれ)がおよそ35年の歳月をかけて自得をした、心の作用のみで行う剣術・武術です。無想剣は剣術を通して、自身の潜在能力を引き出す修行となります。無想剣武術会藤沢市支部無想剣武術会藤沢市支部は剣術を中心に居合、槍、薙刀を稽古しております。藤沢市支部では、主に夕雲流(無住心剣)を意識して活動を行っております。無住心剣は新陰流を修めた針ヶ谷夕雲が創始した心の武術となります。藤沢市支部では心の剣(無想剣)を会得さ
妻沼聖天山春季大祭の準備をして、尚且つ前日はケアハウスの夜勤勤めで寝不足や疲れが溜まり少々体に負担が来た。眠気もあるが当日はリハ稽古通り参加剣士が頑張って日頃の鍛錬成果を披露した剣術・居合道と試し斬りをお伝えします。国宝「歓喜院聖天堂」熊谷市内に配られたチラシ仁王門を潜ると正面が本堂午前9時より石舞台では、お琴やフルート、二胡の演奏やベリーダンスが踊り賑やかな演目が続きます。中でもベリーダンスはカメラマンが群がり舞台を撮り囲います(驚きましたね~)人
最近教えてもらった毒舌家のサンリオのキャラクター。マイメロディーのママ。このキャラクターの名言は、ある意味、夕雲流剣術書を理解するための参考となります。いくつかを紹介すると。「結構いるのよねぇ。自分は大したこと無いクセに偉そうにするコーチって。そういう人に限って、無茶な事を他人に要求したがるのよぉ?どうせ自分じゃ出来ないのにね。」「大して何もしていない男ほど自分の小さな栄光を形にしたがるものよ」「人ってね、権力を手にすると己の
タク神ってなんやねん。あ、ども。ちゃんいーです。前回のつづきです。新高徳からタクシーで7~8分。EDOWONDERLAND日光江戸村EDOWONDERLANDか日光江戸村かどっちかでよくない?とか言ったら怒られるのかな。タクシー乗ったおかげで開門の儀を見ることができました。入場したらまず着替えから。変身処〜時空〜さんで、江戸人に変身。私は侍、あーさんは姫をチョイス。前もって決めてたんだけどネ。ぶっちゃ
色々な説が見つかりました。しかし現代の武道家で直接小笠原源信斎師に手ほどきを受けた人物はいないだろうと思います。あるYoutubeで紹介されていた内容は、「八寸(約24cm)の金属の短棒で、打刀に応じる技」という説明がなされておりました。内容としては、「後の先で、半身で躱(かわ)し撃つ。」以下は、“推測、推定”や個人の主観であると注意書きがなされたうえで、ネットに掲載されていたものです。①両手持ち⇒片手打ちに変化させる刀の使い方②延金は「短刀」のことで、短
こんちゃ瞳輝ですゴールデンウィークも終わり、5月病を気にする方もいらっしゃるかと思いますがこの機会にもう一度気合入れていきましょう!私の最近は、YouTubeばっか観てますw大好きなのが、『原田龍二のニンゲンTV』です!そのチャンネルはこちら原田龍二の「ニンゲンTV」原田龍二のYouTubeチャンネルです。「ニンゲンTV」というタイトル通り、僕の人間的な部分をさらけ出しながら、触れ合いも大事にしていければと思っています。ディープな街を散策しながら、そこで暮らす人たちと触れ合ったり、エッ
3ヶ月振りの投稿です。いや、何か有った訳ではないのですが。面目ないです…Eさんの希望もあり、次は剣の型を始めることになりました。とはいえ、いきなり套路を始めるのも無理があると思いますので、まずは剣の基本操作から取り組みます。Eさんにとっては、初めての兵器套路。不慣れな動作の練習になりますが、急がず慌てず、ジックリ取組みたいと思います。Eさん、加油!
千葉佐那は、婚約者の坂本龍馬が勝海舟の弟子となって京へ登ったが、いつか帰る日を待ちながら江戸で暮らした。千葉佐那とその後を詳しく見ていこう。千葉佐那は1838年天保9年、北辰一刀流桶町千葉道場主・千葉定吉の次女として江戸に生まれた。兄は千葉重太郎で、里幾と幾久の二人の妹がいた。北辰一刀流の剣術ならびに薙刀術を学び、弟子の稽古は師範役の兄重太郎が剣術を、佐那が薙刀を担当して教授したが、佐那のその美しい容姿がたちまち評判となったという。江戸に遊学した坂本龍馬は、土佐藩邸に近い千葉道場に入門、剣
度々紹介をしているやなせ先生の正義です。やなせ先生の言う正義には「悪」が存在しません。よくある“誰々は悪い奴だ”という例えは出てきません。善と悪の争いがテーマではなく、ただ「飢えている人に一切れのパンを差し出す行為。」これを正義の例として説明をされています。それは、別の言い方にすれば「人に親切にすること。」であり、それ以上でも以下でもありません。ここに悪は無く、悪とは別の言い方をすれば敵。敵がいない・・・つまり「無敵の境地」これが、やなせ先生の正義
バガボンド井上雄彦小次郎編①鐘巻自斎あらすじ鐘巻自斎(かねまきじさい)中条流の剣豪であったが、剣を捨て村はずれにて隠遁生活を送る。かつての弟子佐々木佐康に托された嫡男小次郎を育てる事となった。剣の道に破れ、生きる意味も見失った男を生かしたのは弟子より托された無垢なる瞳だった。剣のみに生きてそれに破れた自斎は、人と関わる事すらままならない人間だったが、人の良い近隣の農夫、久作やその家族に助けられながら小次郎
スティーブン・ハンターの小説、スワガー・サーガの新刊が出ました。もう二十年以上も沢山の作品が続いているシリーズです。主人公は四代か五代に渡っており、一番古いスワガーともっとも若いスワガーは一冊づつ出ているのかな?もっとも多くの作品で活躍しているのが、今回の主人公であるボブ・リー・スワガーです。初登場時にもう一度引退したような、古傷を負ったベテランのスナイパーで、そのまま二十年以上なのでもう彼も七十過ぎ、今回は前作で負った銃創が回復しきっておらず、車椅子姿で登場します。一つか
漫画における人物の考察であり、史実の人物とは直接関係がありません。ご注意ください。吉岡伝七郎。彼は事あるごとに「俺は吉岡拳法の息子だ。」「俺は吉岡の次男だ。」と口にしておりました。ある決闘のシーンで伊藤一刀斎から「その名(吉岡拳法)を出しゃあ、お前が何割増しかに見えるんだろうが」この親の名前を出す行為が「スゴイ人の知り合い。」または「消防署の方から来ました。」(相手に”自分は吉岡拳法のようなものだ”と錯覚させる詐術)という事です。そし
有名な”ネタ”です。魁男塾の中にある”作者の設定”で、ゴルフの発祥はイギリスではなく、中国の「呉竜府」(ゴリュウフ)が編み出した「纒欬狙振弾」が起源であるとのこと???さて、様々な流儀で「当流はこうこうこのように伝わっている・・・。」と言う話は本当の本当ですか?以前に紹介をした「裏柳生」。これも昭和に入ってから創作されたネタにすぎません。(子連れ狼の原作者小池先生の設定)また織田信長の長篠の戦。これも江戸時代の小説(信長記)の