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前回のお話はこちら↓↓『トモダチ(7)』前回のお話はこちら↓↓『トモダチ(6)』前回のお話はこちら↓↓『トモダチ(5)』前回のお話はこちら↓↓『トモダチ(4)』前回のお話はこちら↓↓『トモダチ(3)…ameblo.jp呪いが解除された呪いの人形。ふじさんには、すべてお見通しか…さすがだぜ。ちょいちょいあるんですよね、意識はあるけど無意識タイム。なーんか勝手に足が向かう場所。次回へ続きます。次のお話はこちら↓↓『トモダチ(9)』呪いの解けた人形は、穏やかに佇む。衝撃
日本神話の「女神・男神」は、性別そのものではなく、はたらきの違いを表しています。古代の人々が見ていたのは、生み、受けとめ、育み、動かし、広げるそんな命の循環でした。それを最も分かりやすく示した象徴が、女神と男神というかたちです。イザナミとイザナギは、優劣や上下ではなく、生む力×動かす力包む力×進める力という、互いに補い合う関係。日本の神々は、単独で完成する存在ではありません。必ず関係の中で、世界を動かします。だから性が生まれました。それは対立ではなく、むすひ(
神様たちが宿る花の世界庭に咲く花を眺めながら、こんなことを思ったことはありませんか?「この花には、どんな物語が隠されているんだろう?」実は日本の神話には、花や植物と神様が深く結びついた、ドラマチックな物語がたくさんあるんです⊹⊹⊹⊹⊹⊹⊹その1|桜の女神・コノハナサクヤヒメ日本神話で最も有名な花の女神といえば、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)です非常に美しく桜の花の名の語源ともいわれているコノハナサクヤヒメは天照大御
“酒毎”をご覧の皆さん、こんばんは。今回は横浜みなとみらいで令和7年12月25日まで開催されるミステリー・オブ・ツタンカーメンを観に行った模様をご紹介致します。ツタンカーメンの黄金のマスクって、私のような50代以上の人間からすると凄くミステリアスな印象が蘇ってくると思われます。実は私、子供のころからエジプト文明に対して凄く興味を持っている人間でして、今年の4月に豊洲で開催されたラムセス大王展に引き続き、エジプト関連のこのツタンカーメンも実際に触れてみたいと、こ
「日本神話の調和の神」と「一神教の創造の神」の世界観の違い‼️『古事記』の冒頭は「天地初発」つまり、世界の始まりの場面からスタートします。そこに最初に現れるのが、天之御中主神(アメノミナカヌシ)。アメノミナカヌシってどんな神さま?やまと言葉で分解してみると⭕️アメ(天)…高天原、宇宙、無限の広がり⭕️ミナカ(御中)…中心、統べるもの⭕️ヌシ(主)…主宰者、根本の力つまり、アメノミナカヌシは「天(宇宙)の中心を統べる根源の力」としての存在なのです。形のある
■日御碕の余韻から間がかなり空いてしまいましたが、出雲の旅の続きを書きます。この出雲旅は、年が明けてから愛犬との別れで揺れていた気持ちをどこかでリセットしたくて、ふと思い立って決めたものでした。前回のブログでは、日御碕神社で旅を終えたところまで書きました。『出雲の旅〜日御碕神社』日御碕タッチアンドゴー観光のラストは日御碕神社です。日御碕神社は、島根半島の最西端に鎮座する神社で、上の宮「神の宮」と下の宮「日沉宮」…ameblo.jp
久しぶりに、ず〜っと書けずにいた軽井沢観光について記すざます。前回は白糸の滝でマイナスイオンに包まれた話(*´꒳`*)白糸の滝観光後は、すでに列が出来てた旧軽井沢(旧軽)行きのバス停にうちらも並ぶ。旧軽で下車してからランチにしようって計画やってん。でも新幹線車内で食べた駅弁が腹持ち良すぎで、至高の味なアップルパイやジェラートで軽く小腹を満たして次へ。それは、熊野皇大神社。日本滞在中は必ず1度くらいは神社にお参りせんとな〜、って気持ちがあるし、この神社は碓氷峠に座して群馬県と
「創造主イエス」未信者の義母と一緒に義母の家の近くにあるキリスト教会に通っています。今週の説教は、マルコの5章の12年の長血を患っていた女の人がイエス様に癒されるというわかりやすい話でした。帰りの自動車の中で義母が説教について話始めました。「キリスト教の神様はイシキリさんと同じじゃね。イシキリさんも病気を癒してくれるんよ」まるで同じ神様でよかったという口ぶりでした。それを聞いた私は即座に否定しました。「キリスト教の神様は天地創造の神様です。世の中にあるす
私達の意識は、現実世界に表れてきます。私達が抱いた負の感情は、蓄積し、やがて地震や噴火等になって表れ、溢れ人の数に比例して規模が大きくなるそうです。その為、不安心配恐怖を抱く事象が起こされたり、起きるということです。昨日の記事にも書きましたが、量子力学、量子もつれ、二重スリット実験。人間が意識を向ける時だけ、物質化します。結構前から大学で論文がでている法則です。自分が見ている世界は、全て自分が決めている世界。(考え方や見方は様々、私達は同じ世界を見ているようで