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2007年1.4東京ドームの第6試合にドリームカードが組まれた。中邑真輔VS川田利明。初対決だ。序盤はグラウンドの攻防。中邑をコーナーに追い詰めた川田が逆水平チョップ連打!中邑もエルボー連打!川田もエルボー連打!エルボー合戦。川田が中邑をコーナーに追い込んで強烈なミドルキック連打!中邑がボディに痛烈ニー!入った。川田ダウン。中邑がアキレス腱固め!しかし川田がヒールホールド!中邑が苦悶の表情ながらも川田の足首を捻る。中邑がロープをつかんだ。川田
俺達のプロレスラーDX第136回玉砕の果てに~和製爆弾小僧と呼ばれた"やられ屋"の漂流~/菊地毅「菊地毅は今、プロレスで非常に悩んでいます」2011年6月2日ユニオンプロレス新宿FACE大会で行われた天龍源一郎VS菊地毅の煽りVTRの冒頭で彼は率直に思いを述べた。「自分で充実した期間がかつてあったから今、悩んでいる」このVTRでは菊地は自らが充実した時間はかつて全日本プロレス時代に付き人を務めたことがあるジャンボ鶴田に果敢にも立ち向かった1990年代初頭と定め、今はもう天国にいる鶴田
最近では『炎上』という言葉が普通になり若者の想像力が欠如しているのかデジタルタトゥーなんて言葉ができるくらい発言に責任をもたず指で書き込む愚痴や悪口いやね?僕らの世代だって居酒屋でプロレス好きが会えば新日本プロレスvs全日本プロレスで「どちらが最強だ!?」今考えたらくだらない話でそれはそれは熱く語り合ったものです!!ただその場でどれだけ盛り上がろうとも「やっぱり三沢光晴は最強でしょ!?」「たしかに三沢はね~。でも武藤は華が違う」「武藤には敵わないよ!でも小橋は良くない?」
お前!平田だろ!!おそらく日本マット界の最大の被害者の一人でもある、平田淳嗣!スーパー・ストロング・マシンが引退するとのこと。80年代から活躍されていたので残念ですね。前田日明と同期で若いときからおっさんと呼ばれていたり。元々全日本プロレスに入団していて、渕さんの話にもたまに出てきたり。本来ならキン肉マンで出る予定が、許可が出ずにマシンに。将軍KYワカマツが「こいつは戦うマシンだ!」と言われ話することが出来ずにギギギガガガというしかなかったのがまたおもろいwマシ
ようやく読めた。TAJIRIさんの本。今まで何冊もTAJIRIさんの本は読んでるが、これは総合的なもの。50代になり、九州プロレスへ移籍した今のTAJIRIさんの思うところ、そして、今まで思っていたことがまとめられている。自分自身もプロレスファンになり40年以上過ぎるが、最近のプロレスは面白くない。メジャーとされる新日本プロレスはほとんど興味が失せた。それは、単なる昭和のプロレスファンの意固地な偏見思想だと若いファンに思わるだけかもしれない。しかし、TAJIRIさんが示すようにマニアッ
12/25【全日本】大森隆男が全日本退団12・31代々木で所属ラストマッチ…|プロレス格闘技DX12/25【全日本】大森隆男が全日本退団12・31代々木で所属ラストマッチ…全日本プロレスプロレス格闘技DXスマートフォンサイトl.smartnews.com【全日本】名物リングアナ・木原文人氏が年内退団へ王道マット支え…デビュー35周年目前|東スポWEB暮れの王道マットに激震だ...l.smartnews.comこの団体で今、何が起きているのだろうか!?その裏事情をまったく
世の中には「天才」と称される人が、少なからずいる。最近で言えば、将棋の藤井聡太棋聖(2020年7月末時点)や、サッカーの久保建英選手などは10代にして、その道の頂点に辿り着こうとしている。もちろん、その陰には血のにじむ様な努力あってこそ、なのだろうが、如何に努力を積み重ねても彼らと同じ領域には達せられない人が大半なのもまた、道理だ。プロレス界にも数人、「天才」と冠せられる選手がいる。初代タイガーマスクこと佐山サトル、武藤敬司、丸藤正道などがその代表例か。「観客の心を掴む」という
まずはお詫びから。今回の放送ラインナップ発表を書いたとき、私の勘違いでデイビーボーイ・スミスと書いていましたが、実際はジョニー・スミスでしたね。申し訳ございません。それにしてもジョニー・スミスの妙技は当時から素晴らしい。デイビーボーイより体格的には劣りますが、動きの良さや技のキレは上かな。そういう意味では、よりキッドに近い選手といえ、タッグの完成度的には高まったのかな、なんて気がします。その分、パワーではデイビーボーイより劣るので、馬場さん的には評価が下がったのかも知れませんが、試合の
俺達のプロレスラーDX第191回悲しくてやりきれない~嫌われプロレスバカの硬くて粘着質な一生~/剛竜馬転落したプロレスラーの末路は無性に哀れだ。リングで命を落とした者、障害を背負った者、生活ができないほどの貧困に喘ぐ者…。生きながらにして廃人となっていくのが彼等の末路だとしたら、夢と希望を売るエンターテイナーとは光と影の格差が激しい職種である。彼は自分の人生が破滅に向かっていることを悟っていたのかもしれない。彼はプロレス界の問題児であり、嫌われ者だ。それはキャラクターでは
吉江豊選手入場曲【Wildnight】全日本プロレス高崎大会2024.3.10(日)第3試合20分1本勝負大森北斗&○崔領二(11分48秒、体固め)×井上凌&吉江豊※赤川鉄橋【訃報】吉江豊選手逝去のお知らせ本日開催の高崎大会に出場しておりました吉江豊選手が、2024年3月10日(日)にご逝去されました。吉江豊選手は、試合終了後に控室に戻った後、体調が急変し、高崎市内の病院へ緊急搬送されましたが、そのまま帰らぬ人となりました。吉江豊選手のご生前のご功績を偲び、
こんばんは。すでに報道されているケンドーナガサキこと桜田一男さんの突然の訃報に驚きを隠せない私です。先日の大日本プロレス横浜文体の煽りVTRに登場し、久しぶりにそのお姿を見れたばかりだったので…この時も、ナガサキさんのお顔がとても優しくなったよね…ってブログに書いたばかりでした。亡くなられた翌日、1月13日の大日本プロレス後楽園ホール大会では、試合前に全選手参加にて、大日本プロレスの原点である桜田さんの追悼セレモニーが行われたようで、小鹿さん、登坂さん、そして一番弟子の谷口くんが
足跡「イケメン」から「方舟のカリスマ」「イタミ・ヒデオ」「史上最悪の乱入者」まで。善から悪を乗りこなす男の真実KENTA著ベースボールマガジン社を読了しました!足跡(あしあと)「イケメン」から「方舟のカリスマ」、「イタミ・ヒデオ」、「史上最悪の乱入者」まで。善から悪を乗りこなす男の真実。Amazon(アマゾン)野球とプロレスや落語は私が愛してるジャンルなんで専門用語などが注釈なしでわかるのもあるですが数時間で一気に読める!これが、受験や資格の
このところ週末になると雨ばかりで、我々サンデーアングラーはなかなか釣りに行けませんね。今日も雨なので、YouTubeを見ながらゴロゴロしています(笑)僕は釣り以外にも昭和のプロレスが大好きなんですが、馬場と猪木で育った世代としては、その全盛期はいかなるものだったのかが気になるところです。そんな感じで今日もYouTubeで古いプロレスを見ていたのですが、せっかくなので今回は馬場と猪木の全盛期について少し書いてみようと思います。一般的にジャイアント馬場の全盛期は、日本プロレス時代のインターナ
最近我が家のYouTubeに現れたのが全日本プロレスに所属するプロレスラー・兄の斉藤ジュンと弟の斉藤レイの斉藤ブラザーズ!若い頃はプロレスマニアなナベさんでありましたが最近はすっかり疎くなってしまったんですね〜さてこちら斉藤ブラザーズさんは、なんと双子さんなんだそうです更にプロレスラーになる前は力士だったそうなんですね〜!お二人共190センチを超える身長で、恵まれた体格を活かし、あれよあれよとトップレスラーに、そして歴史ある全日本プロレスの世界タッグチャンピオンにも輝いたそうなんです〜!
1984年2月23日、蔵前国技館でのダブルタイトル戦にて、ニック・ボックウィンクルを破り、念願のメジャータイトルであるAWA世界ヘビー級王座に輝やいた、ジャンボ鶴田が最盛期のテーマ曲。このテーマ曲にはいくつかのバージョンが使用されているが、”究極のテーマ曲コレクター”である村田氏の解説によると、「この曲は、1984年に当時のプロレス中継担当スタッフから依頼を受けたプレイヤーズの鈴木宏昌氏が作曲、録音したもので、ニューテーマとして試験的にTV中継で使用されたものが始まり。ジャンボ鶴田
昨日、全日本プロレス浜松大会に行ってきました。で、デービーボーイスミスJrという選手と写真を撮ってもらいました。自分が前に出過ぎているので肩だけ出演になりました。このデービーボーイスミスJrという選手は名前の通りデービーボーイスミスというプロレスラーの息子さんです。ちょっとプロレスに詳しい人方なら知っている選手です。で、デービーボーイスミスのお兄さんはダイナマイトキッドという選手で初代タイガーマスクのライバルだった選手です。ダイナマイトキッドはライトなプロレスファンでも知っているので
今回は『三沢革命はなぜ起こったのか』掲載用に新たにインタビュー取材させて頂いた川田利明さんとの会話のなかで、惜しくも掲載できなかった部分をこのブログで特別に紹介しちゃいましょう!--初めて会ったときの三沢さんの第一印象ってどんな感じだったんですか?川田あぁ、こういう感じの人もいるんだな、と。--最初から特に親しくなった、という訳ではない。川田先輩だからね。--ちなみに中学卒業と同時にプロレスラーになろうとして新日本の入門テストを受けたということですけど、国際プロレスを受け
「なぜNOAHが冬木の引退試合をやるのか?」誰もがそう思ったプロレスラー・冬木弘道の引退試合。それはファンの人たちだけではない。主催した側の選手、スタッフもほとんどの人が初めはそう思っていたに違いない。だが、その答えは試合後の冬木のこのコメントがすべてだった。「俺、ずーっとプロレスやってて、頼る人間もいなくなったよ、全くね。それでツラいとき、もうダメかなぁ、どうしようもないなぁ、っていうときでも、最後は三沢に頼めばいいや、何とかなるだろう。使ってくれるだろう。食わしてくれるだろう。そう
【全日本】中嶋勝彦が3冠陥落…唐突だった幕切れ偏屈者・鈴木秀樹が見た〝勝敗のカギ〟|東スポWEBいったい何があったのか...l.smartnews.com「斉藤ブラザーズ」、諏訪魔&鈴木秀樹を破り世界タッグ奪還…試合後「ヒール卒業」宣言「俺たちが全日本を盛り上げる」…3・30大田区全成績-スポーツ報知全日本プロレスは30日、大田区総合体育館で世界タッグ選手権を行い、挑戦者組の斉藤ジュン、斉藤レイの「斉藤ブラザーズ」が諏訪魔、鈴木秀樹を破り王座奪還に成功した。l.smartne
1988年3月27日、日本武道館で行われたインターナショナルヘビー級選手権。王者・ジャンボ鶴田に挑戦するのはブルーザー・ブロディ。幾多の名勝負を繰り広げてきた両雄は、互いに最高の好敵手と認め合っている。怪物同士だからこそ、思い切り100%の力を出し切り、本気で技をかけられるのは、もしかしたら幸福だったのかもしれない。特にブロディは、ジャンボ鶴田と対戦する時は、レスリングを楽しんでいるようにも見える。立ち上がりは鶴田ペース。アームロック。ヘッドロックで地味に攻めて
「アイアンクロー」を見てきました。劇中ではフリッツが子供にプロレスを強要するようなシーンは特にはなかったように思うけれど(でも競争を煽ってはいたのかな)、父親の言葉に子供たちが「Yes,sir」で応えるシーンが両者の関係を象徴していたように思います。以下はプヲタとして書き留めです。・デビッドが日本で亡くなったのはリアルで覚えています。当時、全日本プロレスは土曜日の夕方放送。そのため、シリーズの開幕戦が金曜日で翌日に放映というパターンがよくありました。デビッドの場合もこのケー
黒いタイツの頑固者たち突然ですが…プロレスラーのコスチュームで好きなデザインとかありますか?今は本当に色々なデザインのコスチュームを各選手の方は穿いてますよね?昔ながらのショートタイツからロングタイツショートボックス型やら褌!?までw他にも色々な形のタイツがありますが俺はやっぱり一番プロレスラーらしいなと思うのは黒のショートタイツです黒のショートタイツに黒のリングシューズこれだけで強そうに思えたりしますでもUWF系スタイルの黒のショートタイツにレガースもカッコいいです
ブルーベリーレアチーズケーキとドリップコーヒー今日はこれhttps://menu.starbucks.co.jp/4524785557437?nid=cafe_24sum1_240410スターバックス®サンドライドブラジルカルモデミナス|SEASONALCOFFEE|スターバックスコーヒージャパンスターバックスコーヒージャパンのスターバックス®サンドライドブラジルカルモデミナスについてご紹介します。menu.starbucks.co.jpお天気いいのでお
本日、自分は浜松でプロレス観戦です。せっかく浜松行くのですから観光グルメトも楽しみたいので早めの出発です。プレミアムシートのチケット代より新幹線代のが高いですからね~全日本プロレスのチャンピオンカーニバルは後楽園ホールや品川や横浜のBUNTAIなど自分の行き易い所でも行なわれるのですが日程が都合つかず浜松大会に参戦する事になりました。で、4時台に最寄りの駅に到着…5時5分の電車に乗る予定なのですが、前後の電車の到着駅が羽田空港と成田空港って…土曜日の朝なんで旅行者用ダイヤですね~周
ふー、明日(今日)が演奏会なので、昨夜21:00に寝たら、こんな時間に目が覚めてしまいましたゲイパパです。そんなこんなで、演奏会については、煮詰まってるので、イケメン探しでリフレッシュ確か、リハーサル会場に行く間の、電車のモニター広告で見つけた、「プロレス界の新生、安齊勇馬」安齊勇馬は、日本の男性プロレスラー群馬県安中市出身全日本プロレス所属生年月日:1999年5月15日(年齢24歳)身長:188cmデビュー:2022年9月18日トレ
サムライTV全日本プロレスアーカイブスサイコー宣言#7ジャイアント馬場追善興行特集2002.7.15長門市トレーニングセンターブッチャー&カシンvsハインズ&ヤンPなわ@p_nawaサムライTV全日本プロレスアーカイブスサイコー宣言#7ジャイアント馬場追善興行特集2002.7.15長門市トレーニングセンターブッチャー&カシンvsハインズ&ヤン#samuraitv#ajpw…https://t.co/rkjRSya7qm2019年02月19日00:4
黒いタイツの頑固者たちPART1はこちらをどうぞ↓↓↓https://ameblo.jp/mkswd1993/entry-12545441082.htmlPART1が思っていた以上にアクセス数が多く意外と好評でビックリ⁉️しましたでも俺と同じ様にやっぱりプロレスラーは黒いショートタイツだ!と思っている方も居るんだなとほくそ笑みました😏新日本プロレスのヤングライオンや他の団体の新人レスラーもそうですが黒のショートタイツ一丁に黒いリングシューズのみでまだ体の線も細いのに一生
ジャスト日本です。有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレス好きの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画「私とプロレス」。今回のゲストは、「魂の絵師」連れてってくれ1000円さんです。(画像は本人提供です)連れてってくれ1000円小学生の頃にプロレスに心奪われ、中学生の頃に三沢光晴に命を救われたノアオタ。イラストや動画などを通じてプロレスの面白さ
もう御購入頂けましたか?そして、読んで頂けましたか!?絶賛発売中の『三沢革命はなぜ起こったのか』。この本には、このブログで載せていなかった田上明さんと、川田利明さんのインタビューを新たに行い、掲載させて頂いております。そしてそのなかには、ページ数の都合や話の流れを整理するなかで、泣く泣くカットした部分もあります。ということで今回は、川田さんのインタビューのなかでやむを得ずカットした部分を、改めてご紹介しちゃいましょう!--馬場さんのプロレスの定義として、「デカイことが強さなんだ」っ
試合前に、三沢は日本テレビのインタビューにこう答えていた。「(がんの)場所が場所だけに、レスラーとしては無理なんだろうなぁっていう。ま、ホント年齢も2つしか変わらないし、これから5月5日、(WEWの)旗揚げで頑張ろうとしていたのを聞いていたんで。ショックはショックですけどね。やっぱり、そうなったからにはそれを踏まえてね、今後どうしようかということを考えないといけないんで、ま、力になれることは力になります、って感じで、俺のなかで決めました」三沢は団体の垣根を越えて、盟友・冬木弘道の人生のパ