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前にも書きましたが「誂える」と「仕立てる」は全く意味が違います。「誂える」というのは「白生地を選び、柄を選び、配置を決め、色を選び、染め上げてもらって、仕立てること」です。コレに対し、既に染め上がっている反物で召し物を作ることを「仕立てる」といいます。洋風に言うとフルオーダーというシステムが誂えるに該当します。スーツのフルオーダーはもちろん生地見本から選び、色や柄を選び、デザインを決め、ポケットやボタン、裏地なども選び、仕立ててもらうことを言います。セミオーダ
花開蝶自来■原典不詳■原文花開蝶自来■書き下し花はな開ひらけば蝶ちょう自おのずより来きたる■意味花が咲けば蝶が自然と寄ってくるように、徳があれば自然と人は集まってくる■解説無心を説く禅語です。季節としては春、それも蝶が入っているので、啓蟄にふさわしいかな?と考えて選んでいますが、別に啓蟄でなくても使えます^^花は蝶に媚びず、蝶も花に媚びず、自然のあるがままに花が咲けば、自然と蝶がよってくる訳です。だからこそ、茶会というものは、客に媚びず、
横山宗顕の茶杓を手に入れまして、ヤフオクを眺めておりましたら、「横山宗樹」の名前があり、落札してしまいました。横山宗樹は裏千家業躰長で、平成28年に亡くなられたようです(淡交平成28年7月号に訃報掲載)。こうした祖父と孫、親と子、師と弟子という組み合わせは、個人的にとても好きで、「繋がり」という絆を強調させるようでいいですね。横山宗顕の馬盥茶盌から始まったこの繋がり、このあたりで打ち止めにしておきましょう(笑)キリがありませんからね!それにしても、茶杓を
真塗の小卓では?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こちらの棚は卓ではなく、笈棚【おいだな】といいます。笈棚は村田珠光が好んだ小棚で、寸法からすると風炉でも使えなくはないですが、炉の小棚として用いられたと考えられます。この棚を使ってみて、当流に桑小卓の炉の点前がある理由がよく分かりました。桑小卓は床に飾った香炉卓とのことですが、その原形は笈棚であったということになるかと思われます。笈棚の「笈」とは、修験者や行脚僧などが仏具・衣類・食器などを入れて
よく、茶道を習われていない方から、茶道のイメージは「黙ってなきゃいけないんでしょ?」とか「ずーっと正坐してなきゃいけないんでしょ?」と言われるのですが、これは「本来無い」ルールなんですよね。小声ならしゃべっていいし、なんならしゃべらない正客とかのときは別の人が話さないと亭主が困る訳ですし、正坐するのは菓子と抹茶を頂くときだけでOKなんですね。では、なんでこうなったんでしょう?一つにはテレビのステレオタイプ的な撮影も一つの原因でしょう。亭主と正客の言葉を拾いた
侘数寄は名物持たず創意あり胸の覚悟ば備えたる者道舜山上宗二がいった数寄者の定義です。「一物も持たず、胸の覚悟一、作分一、手柄一、此三箇条」が原文ですね。ここで肝腎なのは、「一物も持たず」という点と「作分(創意)」があるという点、そして「胸の覚悟」を備えているという点です。手柄(技量)は当然のことですので省きます(笑)「名物持たず」とは、わかりやすいですね。現代だと、ブランド化された江戸時代から続くような作家の作品を持たず、現役の作家の品から取り上げる……ということ
歴史小説には「高い文章能力」と「高い構成力」そして、「歴史的事実に対する理解力と調査能力」が必要なのですが、実はこれだけでは不十分で「精度の高い時代考証能力」が最も必要だったりします。例えば、戦国時代に「茶托」や「湯呑み」、「引盃」、「燗鍋」、「猪口(蕎麦のちょこ/チョクと呼ばれる違う道具はあります)」、「蕎麦(麺の形)」、「緑茶」などはありません。袷なんかもなくて、木綿の着物もありません。こうした無かったものを探すのが大事なんですね。では、今で言うお茶のように
一花開天下春いっかひらいててんかはるなり一塵起大地收、一花開天下春。『宏わん智し広録』『宏智広録』とは、宋朝曹洞宗の代表的禅僧、天童宏智正覚(1091-1157)の語録。一花開とは、桜や梅の花が開くということではなく、「心の花が開く」こと、すなわち「悟りを得る」ことを意味します。悟りを開いた境地で現世を見渡せば、娑婆世界(衆生世間)がそのまま極楽浄土であり、「天下春」ということです。これは即身成仏を諭した禅語であり、現実世界からの逃避を戒めています。茶席では
禅語の「春水満四澤」は東晋末から南朝宋の詩人・陶淵明が詠んだ『四時』の第一句(起句)です。春水満四澤しゅんすいしたくにみつ夏雲多奇峰かうんきほうにおおし秋月揚明輝しゅうげつめいきをあげ冬嶺秀孤松とうれいこしょうにひいず春水とは春の雪解け水のことで、四澤とは四方にある沢ーーすなわち、あらゆる沢のこと。つまり、春になって雪解け水があちこちの沢を満たし、川に水が溢れんばかりに流れている美しい情景を詠んだ句です。禅語的には、春のおおらかな水の流れが大地を潤し、五穀豊穣をもたらす様
茶道教授の毒吐【ドクハク】vol.11なんで茶道人口が減ってるの?㊤茶道教授の毒吐【ドクハク】始まりました!twitcasting.tv茶道教授の毒吐【ドクハク】vol.11なんで茶道人口が減ってるの?㊦モイ!Androidからキャス配信中-「茶道教授の毒吐【ドクハク】」始まるよ!和に関する雑談をします。着物・歴史・茶道などなど!twitcasting.tv茶道は面白いコンテンツである。しかし、年々物凄い勢いで人口が減少しているのは何故だろうか?私は色々な角度から考察し、様
※写真はお借りしました※高麗卓を購入したので、御幣を注文したのですが、抑御幣ってなに?と思ったので調べてみました。なんでこれを調べようと思ったかといいますと……高麗卓や紹鴎袋棚は名水点てでもないのになぜ御幣を飾るのか?というのが今ひとつ理解できなかったことと、「御幣」というものを私自身がきちんと理解していないことに気づいたからです。さぁ!ググるぞ!御幣とは、元々供物に幣帛(へいはく)と呼ばれていた布製のものをつけ、幣挿木(はいはさむき)に挿して捧げる形式
流派を変えるというのはどういうことでしょうか。「個人の自由」と言いたいところですが、私としてはあまりオススメしていません。といいますのは、「それまでに費やした時間とお金を取り戻せない」からです。流派を変えると、それはもう一からやり直し。入門からとなりますし、大抵、最初に習った流派の癖が抜けません(長く習えば習うほど)。当流にも裏千家や表千家から流派を変わった方がいらっしゃいますが、やはり癖は抜けないですね。若干点前が違うように見受けられます。ですから
今日はぶっちゃけた話をしましょう。茶道を習うのに掛る費用の話です。まず、掛かる絶対な費用としては・月謝があります。月謝は安いところだと5000円ぐらいから。高い流派ですと1万5000円なんてところもあります。月桑庵は7000円ですから、安い部類です。そのほかに・水屋料があります。水屋料は、水屋を使うと発生する消耗品や雑費(光熱費、電気代、水道代)です。また、水屋料を払わないと水屋を教えないという教室もあります。そういう教室
どちらの流派も正月になると柳の結び飾りをしますが、これは、支那の風習で「綰柳」といいます。これは柳の枝を三本輪にして飾り、旅立つ者を送ったことから、歓送の飾りでした。茶道にこれを取り入れたのは利休だそうで、やはり友を送り出す設えの趣向として飾ったといわれています。それが一陽来復の意味で冬至に使われるようになって(ちなみに暦には冬至が期首のものもあります)、いつしか正月飾りとして定着したようです。これは綰柳が「行くものが帰ってくるように」との願いが込められているこ
本日は「小寒」。二十四節気第二十三。旧暦では十二月六日。甲辰年丙子月甲戍日。寒の入りともいい、これからが一年で一番寒い時期になります。旧暦ではだいたい十一月~十二月にあたり、年末です。『暦便覧』には「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」とあります。寒中見舞いは本来この頃に出し、御歳暮はこの後……ということになる訳です。武道の寒稽古や寒中水泳が行われる時期でもあり、小寒と大寒を合わせて「寒中」といいます。寒中の装いとしては、長着は本袷・袴は総裏。綿入れも
日本人は兎角他人のことを否定する人を煩がります。私も自由にしていい部分では他人を否定することはない……と思っていますが、ことテーブル茶道については、一切を否定しています。それは「茶道とは合理の塊でありそれ以上簡略化できない極地である」からです。あくまで立礼などは「正坐のできない人への配慮」から生まれたものであり、本道ではないからです。というかですね、立礼があるのになんでテーブル茶道なんです?と。しかも、これに資格まであるとか。要らんですやん、資格なん
茶の湯における美とは「余白の美」です。余白の美というのは、受け手の想像力に委ねられる物で、視覚的な物だけに頼った設えや道具組みというものは、下の下でしかありません。然れど、それは下の下とはいえども、それも茶の湯の中にある初心者や未経験者に対する導入にはなると思います。但し、その導入を奥義であるように語ることはおかしいし、ガラス張りの茶室などという、奇を衒ったものを肯定するのも、如何なものかと思います。こうした分かりやすいアイコン的なものは、一般大衆に分かりやすく
茶道を、さまざまな理由で辞めてしまった人、離れてしまった人がいます。経済的な問題。距離的な問題。家庭的な問題。人間関係的な問題。そして【流儀を強制される問題】。正直にいいますと、上の4つについては「どうしようもない」と私は考えます。それは、それぞれが、乗り越えるべき問題だからです。経済的にどうにもならないなら、収入を増やすか、支出を見直すかで、月謝を捻出すべきです。月5~1万円というのは、そんなに高額でしょうか。私にはちょっと分か
荒川の文化祭茶会は茶席が二つ。三階の野点立礼席と立礼席。こちらは裏千家の立礼。萩の水指がででーんと鎮座してまして、篦使いが大胆なのに、白い萩釉が全体を落ち着かせています。立礼卓の足元に炭斗が置いてありまして、裏千家ではこのようになさるのだとか。こちらのお席主さんは、家元先生のお知り合いとか(@@ノ)ノ都流をご存知の方も少ないですが、家元先生をご存知の方はもっと少ないので、二度ビックリ。後で家元先生にお電話いたしましたところ、岩室先生のお母様が、先代の
京都の「宇治抹茶」爆売れで品薄-Yahoo!ニュース海外でも人気が高い京都の「宇治抹茶」が、品薄になっている。急増する訪日外国人客が次々に買い求め、生産が追いつかないとして販売制限に踏み切る企業も出始めた。京都の茶問屋などは、茶道関係者や愛飲家ら長年news.yahoo.co.jp一昨日、このニュースがスマホに流れてきました。そうなのか、と思っていたら、昨日、馴染のお茶屋さんからメール「入荷に時間がかかる」とのこと。茶園はそう簡単に増産できません。というのも、抹茶
無我の境地というと「私心なく執着を離れた無心な心の状態」を意味しているのですが、辞書などでは「自分の存在を意識しない状態。忘我の境地。」と説明されています。これはニュアンスが違うのですが、言い回しとして難しいよなーと思わないでもありません。私心というのは「個人的な欲求」のことで、ああしたい、こうしたいという雑念のことです。そうしたものを忘却して、ただひたすらになにかに打ち込むことを「無心」とか「忘我の境地」というんですね。これは、欲求を「我欲」ということからも分かる通り
摺ると擦るの違いが解っていないと「摺足」が「畳に足袋裏をこすって歩く」ことになってしまいます。そこで漢字の成り立ちから鑑みて意味を説明してみたいと思います。擦扌+察察は擬音(物をこするときに発生する音)とされるが、「手でものに触れることでハッキリと認識する」という風にもとれる(でないとこの字を宛てた意味が分からない)。察宀+祭「屋内」で「祭り神の心をはっきりさせる(さっする)」祭肉+手+示「生贄の肉を手で台に捧げる様子」摺扌+習手で繰り返し行うという意味から「
日本の建築において原則として避けられる部屋の建て方に「差床」というものがあります。これは天井の竿が床に対して直角に交わるようにつくられたもので、天井に限ってのことです。江戸時代、切腹部屋として使われていたという言い伝えがあります。ところが、これを畳にまで適応した例が見受けられます。この畳にも適応した例は現代になって言われるようになったもので、江戸時代にはみられません。これを「差(挿)床」とか「床挿し」といいます。先日、書いた記事で、祝儀敷きと不祝儀敷
水屋見舞いっていつからお菓子になったのでしょうか。#水屋見舞#茶道#茶の湯#本来は次第の拝見のための見料—曲斎@都流/『数寄の長者〜竹馬之友篇〜』第二章執筆中(@darkpent)September20,2023というTweetに対してええ…😰茶券方式が一般化してからですかね?—🐟小花菜緑子(@inouesakana)September20,2023というお返事をいただきました。確かに、茶券方式になってから、水屋に伺って、次第の拝見をする
十年以上前からの茶友の宗綾先生がお席を持たれるというので、伺って参りました。濃茶はお父様が席主……だったのでしょうかね?私はてっきり三兄(私より年下ですし、彼も知り合いなんですが、宗綾先生との繋がりのほうが深いので、宗綾先生の三番目のお兄さんという捉え方)さんが持たれるのだと思っていたので、少々戸惑いました。こうなると私全然喋れないんですよ~。切り返しもあまりパッとしない正客で、信楽の鬼桶が答えられたぐらいで、元代の龍泉窯の青磁を「明ですか?」とか言っちゃいましたしねぇ
炉開きや口切の茶事で、よくされる三部の道具立て。瓢(ふくべ)、織部(おりべ)、伊部(いんべ)。これ、密教の曼荼羅が云々って話だそうですが、実は「昭和に入ってから行われるようになった道具立ての好み」であり、もともとそういう習慣があった訳ではないということが解ってきました。そもそも、禅の影響が強い茶道において密教の三部というのが違和感あったんですが、道具立ての物語として取り入れたということであれば、いわゆる因みですから、亭主の自由ですよね(笑)密教では、胎蔵界を分
炉を切るのは切ればいいのだ……と思っていましたが、建築の知識、畳の知識、そして、道具の知識とがキチンと整理されていないと大事になるというのが、今回の顛末だと思います。まず、炉を切るには、床下がどれほどあるのか?を確認する必要があるので、覗き穴というか、炉壇分だけを切っていただきました。とりあえず、炉壇だけ入れて、後から炉壇受けをつけよう(電熱器だし)ぐらいの考えだったんです。すったもんだの挙句、野々田の組立式炉壇受けと組立式炉壇を購入。炉壇サイズに穴を切っていただきました。
【こよみ|七五三】本日は旧暦十一月十五日、霜月十五日、甲辰年丙子月癸丑。七五三です。七五三とは「天和元年十一月十五日に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まった」といわれる江戸時代以来の子供のお祭りです。旧暦の十五日は二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされ、旧暦十一月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であることから、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになったようです。
作務衣で呈茶、作務衣でお茶会へ……という人がいます。原則としてNGです。それなら洋服のお洒落着の方がかなりマシです。一部、風格のある方が着ていても誰も何も言わないというケース(言えないというか、あまりに自然で誰も文句がつけられない)がありますが、そういう特別な方を除いて、絶対にやってはいけないことであったりします。それは何故かといいますと、作務衣は「作業着」だからなんです。作務衣はもともとお寺で作務――すなわち禅宗での修行の1つである日常業務(掃除や薪割りな
ご無沙汰いたしております。先週から更新がピタッ!と止まって、暦だけになっていたので、「え?年内もう終了?」と思われた方もいらっしゃったかも。実は、風邪を引きまして、家に籠もっておりました。最高39.0℃高熱が出まして一週間、寝込んでいたんです。ただ、その間一切なんにも出来なかったこともあり、現在ネタ切れ状態で、後遺症なのか頭もボーーーーーっとしておりますし、何より目眩が頻発しているんですよ。なので、しばらくはブログをお休みさせていただき、定期更新のみとさ