ブログ記事171件
真塗の小卓では?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こちらの棚は卓ではなく、笈棚【おいだな】といいます。笈棚は村田珠光が好んだ小棚で、寸法からすると風炉でも使えなくはないですが、炉の小棚として用いられたと考えられます。この棚を使ってみて、当流に桑小卓の炉の点前がある理由がよく分かりました。桑小卓は床に飾った香炉卓とのことですが、その原形は笈棚であったということになるかと思われます。笈棚の「笈」とは、修験者や行脚僧などが仏具・衣類・食器などを入れて
四つ椀というのは元来・飯碗・汁椀・平椀・壺椀の四種類を指します。飯椀と汁椀は両椀とも呼ばれます。当り前ですが、飯椀は御飯、汁椀は味噌汁を入れるものです。では、平椀と壺椀は?平椀は現代でいう煮物椀のことです。浅めの大振りな塗椀で、「かつら筋」と呼ばれる加飾が身に施されています。かつら筋は大根などの桂剝きの要領で削るからこその名だと思われます。ちなみに桂剝きは能の鬘帯(鬘の上に細い布を巻いて後ろに垂らすことをかつら巻といい、その布を鬘帯という)から出てい
摺ると擦るの違いが解っていないと「摺足」が「畳に足袋裏をこすって歩く」ことになってしまいます。そこで漢字の成り立ちから鑑みて意味を説明してみたいと思います。擦扌+察察は擬音(物をこするときに発生する音)とされるが、「手でものに触れることでハッキリと認識する」という風にもとれる(でないとこの字を宛てた意味が分からない)。察宀+祭「屋内」で「祭り神の心をはっきりさせる(さっする)」祭肉+手+示「生贄の肉を手で台に捧げる様子」摺扌+習手で繰り返し行うという意味から「
三冬枯木花さんとうこぼくのはな出典虚堂録(巻一)原文三冬枯木花九夏寒巖雪さんとうこぼくのはなきゅうかげんかんのゆき三冬とは、初冬・盛冬・晩冬(または孟冬・仲冬・季冬)のこと。つまり、冬全体を表します。九夏とは、夏の九十日間のこと。つまり、夏全体を表します。「冬に枯れ木に花が咲く準備をしており、夏に寒い巌の上に雪が積もことを思う」という意味になります。季節感が狂ってるということではなく、枯れ木に見えるものも、冬だから葉と花がないだけであり、春に
水屋見舞いっていつからお菓子になったのでしょうか。#水屋見舞#茶道#茶の湯#本来は次第の拝見のための見料—曲斎@都流/『数寄の長者〜竹馬之友篇〜』第二章執筆中(@darkpent)September20,2023というTweetに対してええ…😰茶券方式が一般化してからですかね?—🐟小花菜緑子(@inouesakana)September20,2023というお返事をいただきました。確かに、茶券方式になってから、水屋に伺って、次第の拝見をする
茶室のひとつに「台目席」というものがあります。この台目席というのは「台目畳」を点前座とした茶席のことで、小間の一種です。台目席は「台目+○畳」という単位で表され、一畳台目、二畳台目、三畳台目、四畳台目などと呼びます。台目がつくと必ず小間の扱いで、棚物は用いません。なんで棚物を用いないか?というとそれは台目の成り立ちに関わりがあります。台目畳は本畳(京間)の四分の三ほどの大きさと言われますが、実際には「台子の大きさを取り除いた畳」のことです。つまり
当流では、鮟鱇棗とは言わず、鮟鱇茶器といいます。当流でも、珠光棗(昔棗)・紹鴎棗・利休棗などの純粋な棗形や、碁笥棗・春秋棗などといった変わり種、尻張棗・鷲棗・日の丸棗(毬棗)・河太郎棗・平棗・白粉解棗といった変形棗は棗と呼びます。ですが、老松茶器や阿古陀茶器、梅形茶器というものは「茶器」と呼んでいます。もともとは「濃茶にも薄茶にも用いるもの」を「茶器」と呼んでいたのだと思われますが、いつの間にか、薄茶器でも「もともとの系譜が存在しないものを茶器」と呼ぶように変化したもの
横山宗顕の茶杓を手に入れまして、ヤフオクを眺めておりましたら、「横山宗樹」の名前があり、落札してしまいました。横山宗樹は裏千家業躰長で、平成28年に亡くなられたようです(淡交平成28年7月号に訃報掲載)。こうした祖父と孫、親と子、師と弟子という組み合わせは、個人的にとても好きで、「繋がり」という絆を強調させるようでいいですね。横山宗顕の馬盥茶盌から始まったこの繋がり、このあたりで打ち止めにしておきましょう(笑)キリがありませんからね!それにしても、茶杓を
炉開きや口切の茶事で、よくされる三部の道具立て。瓢(ふくべ)、織部(おりべ)、伊部(いんべ)。これ、密教の曼荼羅が云々って話だそうですが、実は「昭和に入ってから行われるようになった道具立ての好み」であり、もともとそういう習慣があった訳ではないということが解ってきました。そもそも、禅の影響が強い茶道において密教の三部というのが違和感あったんですが、道具立ての物語として取り入れたということであれば、いわゆる因みですから、亭主の自由ですよね(笑)密教では、胎蔵界を分
茶の湯における美とは「余白の美」です。余白の美というのは、受け手の想像力に委ねられる物で、視覚的な物だけに頼った設えや道具組みというものは、下の下でしかありません。然れど、それは下の下とはいえども、それも茶の湯の中にある初心者や未経験者に対する導入にはなると思います。但し、その導入を奥義であるように語ることはおかしいし、ガラス張りの茶室などという、奇を衒ったものを肯定するのも、如何なものかと思います。こうした分かりやすいアイコン的なものは、一般大衆に分かりやすく
花開蝶自来■原典不詳■原文花開蝶自来■書き下し花はな開ひらけば蝶ちょう自おのずより来きたる■意味花が咲けば蝶が自然と寄ってくるように、徳があれば自然と人は集まってくる■解説無心を説く禅語です。季節としては春、それも蝶が入っているので、啓蟄にふさわしいかな?と考えて選んでいますが、別に啓蟄でなくても使えます^^花は蝶に媚びず、蝶も花に媚びず、自然のあるがままに花が咲けば、自然と蝶がよってくる訳です。だからこそ、茶会というものは、客に媚びず、
ようやく手桶水指を入手。手桶というのは、東山御物にあった塗手桶を杉木地で珠光が移したのが始まりとされます。珠光好は上下に籐の箍(たが)を掛け水指としたと伝えられ、のちに武野紹鴎が真塗に改めて台子用にしたといい、これを真手桶といいます。珠光好杉木地紹鷗好真塗大利休好真塗小紹鴎好寄竹(煤竹)遠州好朱塗江岑好朱塗銀箍内黒随流斎好細身上開き了々斎好真塗小型碌々斎好朱塗小型認得斎好朱塗黒箍惺斎好白竹張
炉を切るのは切ればいいのだ……と思っていましたが、建築の知識、畳の知識、そして、道具の知識とがキチンと整理されていないと大事になるというのが、今回の顛末だと思います。まず、炉を切るには、床下がどれほどあるのか?を確認する必要があるので、覗き穴というか、炉壇分だけを切っていただきました。とりあえず、炉壇だけ入れて、後から炉壇受けをつけよう(電熱器だし)ぐらいの考えだったんです。すったもんだの挙句、野々田の組立式炉壇受けと組立式炉壇を購入。炉壇サイズに穴を切っていただきました。
前々から欲しがっていた琉球風炉ですが、ようやく入手しました。琉球風炉は、北向道陳が好んだ風炉で、立休庵好として大西美術館に北向道陳所持の物が所蔵されています。また、表千家の覚々斎が唐銅琉球風炉に田口釜を添えており(覚々斎好)、惺斎が刷毛目釜を添えて、掛子の透かしをツボツボにしたそうなので、これは惺斎好写ということになります。呂尚目平は中田呂尚ともいい、昭和七年生、大阪出身の釜師で、横浜在住と聞きますが、ご存命なら御年91歳かと存じます。釜師根来実三氏に師事され
紹鴎棚から派生したと考えられる猿曳棚は、武野紹鴎が考案し、狩野元信が戸袋に猿回しの絵を描いた袋棚で、基本的には柱が木地であるとのこと。確かに静嘉堂文庫美術館に所蔵されている本歌は柱が木地のようにみえます。それに対し、FBFさんが所有する東北の旧家から出た猿曳棚は「柱が黒塗」になっています。これは「袋棚織部好」と箱書きされており、古田織部を経由して伝わった猿曳棚の再好なのかもしれません。猿曳棚には、桑山宗仙→片桐石州と伝わったものと、武野紹鴎→古田織部→小堀遠州
現在、仲間内で、流派を超えて点前をみさせていただいておりますが、こんなところも違うのだなあ~と感心したことがあります。それは「水指の蓋」の扱いです。当流では、共蓋は右、替蓋(塗蓋)は左、耳付は前に置きます。また、平水指の蓋は風爐先屏風の端に、平水指を長板で一つ置きにする際で塗蓋ならば左に置きつけます。が、こないだ他流の方を見ていると全員左に置かれており、大変面白かったです。当流が蓋の種類によって置く場所を変えるのは、共蓋>塗蓋としているからです。また、共蓋の
日本人は兎角他人のことを否定する人を煩がります。私も自由にしていい部分では他人を否定することはない……と思っていますが、ことテーブル茶道については、一切を否定しています。それは「茶道とは合理の塊でありそれ以上簡略化できない極地である」からです。あくまで立礼などは「正坐のできない人への配慮」から生まれたものであり、本道ではないからです。というかですね、立礼があるのになんでテーブル茶道なんです?と。しかも、これに資格まであるとか。要らんですやん、資格なん
ご無沙汰いたしております。先週から更新がピタッ!と止まって、暦だけになっていたので、「え?年内もう終了?」と思われた方もいらっしゃったかも。実は、風邪を引きまして、家に籠もっておりました。最高39.0℃高熱が出まして一週間、寝込んでいたんです。ただ、その間一切なんにも出来なかったこともあり、現在ネタ切れ状態で、後遺症なのか頭もボーーーーーっとしておりますし、何より目眩が頻発しているんですよ。なので、しばらくはブログをお休みさせていただき、定期更新のみとさ
茶道を、さまざまな理由で辞めてしまった人、離れてしまった人がいます。経済的な問題。距離的な問題。家庭的な問題。人間関係的な問題。そして【流儀を強制される問題】。正直にいいますと、上の4つについては「どうしようもない」と私は考えます。それは、それぞれが、乗り越えるべき問題だからです。経済的にどうにもならないなら、収入を増やすか、支出を見直すかで、月謝を捻出すべきです。月5~1万円というのは、そんなに高額でしょうか。私にはちょっと分か
InstagramやTwiiter、Facebookを見ていると、おかしな着付けが並んでいます。行燈袴で外を歩かせたりするレンタル着物とか恥ずかしいですね(行燈袴は屋内用)。↑これなんか最早七五三ですね。七五三の着付けは子ども用で、子供は大人ほど腰骨が出ておらず、体が柔らかいためするっと抜けてしまうのと、帯が細いですので、前紐の下で結ぶ感じになるんです(一応間をつくって着付けても上がってしまいます。男の子は動きますからねーw)。↑かろうじて隙間がありますが、これでも大
令和6年4月27日(土)・28日(日)、護国寺茶寮にて都民の茶会が開かれます。板橋区茶華道連盟は27日(土)、月窓軒で切田宗順先生がお席持ちです。私は28日(日)、宗澄庵にて杉並区のお手伝い(笑)で、点前の予定です。28日(日)の宗澄庵は諸流席となっていて、皆さんのご存知ない流派の方が点前されるかも知れませんよ!(笑)・都千家小笠原宗誉・日本茶道塾岡田幸造・都流内田宗地ほかにも裏千家の鎌倉彫の方などもいらっしゃいます(まだ全員と顔合わせして
茶道教授の毒吐【ドクハク】vol.11なんで茶道人口が減ってるの?㊤茶道教授の毒吐【ドクハク】始まりました!twitcasting.tv茶道教授の毒吐【ドクハク】vol.11なんで茶道人口が減ってるの?㊦モイ!Androidからキャス配信中-「茶道教授の毒吐【ドクハク】」始まるよ!和に関する雑談をします。着物・歴史・茶道などなど!twitcasting.tv茶道は面白いコンテンツである。しかし、年々物凄い勢いで人口が減少しているのは何故だろうか?私は色々な角度から考察し、様
今日はぶっちゃけた話をしましょう。茶道を習うのに掛る費用の話です。まず、掛かる絶対な費用としては・月謝があります。月謝は安いところだと5000円ぐらいから。高い流派ですと1万5000円なんてところもあります。月桑庵は7000円ですから、安い部類です。そのほかに・水屋料があります。水屋料は、水屋を使うと発生する消耗品や雑費(光熱費、電気代、水道代)です。また、水屋料を払わないと水屋を教えないという教室もあります。そういう教室
前にも書きましたが「誂える」と「仕立てる」は全く意味が違います。「誂える」というのは「白生地を選び、柄を選び、配置を決め、色を選び、染め上げてもらって、仕立てること」です。コレに対し、既に染め上がっている反物で召し物を作ることを「仕立てる」といいます。洋風に言うとフルオーダーというシステムが誂えるに該当します。スーツのフルオーダーはもちろん生地見本から選び、色や柄を選び、デザインを決め、ポケットやボタン、裏地なども選び、仕立ててもらうことを言います。セミオーダ
※写真はお借りしました※高麗卓を購入したので、御幣を注文したのですが、抑御幣ってなに?と思ったので調べてみました。なんでこれを調べようと思ったかといいますと……高麗卓や紹鴎袋棚は名水点てでもないのになぜ御幣を飾るのか?というのが今ひとつ理解できなかったことと、「御幣」というものを私自身がきちんと理解していないことに気づいたからです。さぁ!ググるぞ!御幣とは、元々供物に幣帛(へいはく)と呼ばれていた布製のものをつけ、幣挿木(はいはさむき)に挿して捧げる形式
流派を変えるというのはどういうことでしょうか。「個人の自由」と言いたいところですが、私としてはあまりオススメしていません。といいますのは、「それまでに費やした時間とお金を取り戻せない」からです。流派を変えると、それはもう一からやり直し。入門からとなりますし、大抵、最初に習った流派の癖が抜けません(長く習えば習うほど)。当流にも裏千家や表千家から流派を変わった方がいらっしゃいますが、やはり癖は抜けないですね。若干点前が違うように見受けられます。ですから
京都の「宇治抹茶」爆売れで品薄-Yahoo!ニュース海外でも人気が高い京都の「宇治抹茶」が、品薄になっている。急増する訪日外国人客が次々に買い求め、生産が追いつかないとして販売制限に踏み切る企業も出始めた。京都の茶問屋などは、茶道関係者や愛飲家ら長年news.yahoo.co.jp一昨日、このニュースがスマホに流れてきました。そうなのか、と思っていたら、昨日、馴染のお茶屋さんからメール「入荷に時間がかかる」とのこと。茶園はそう簡単に増産できません。というのも、抹茶
本日は「小寒」。二十四節気第二十三。旧暦では十二月六日。甲辰年丙子月甲戍日。寒の入りともいい、これからが一年で一番寒い時期になります。旧暦ではだいたい十一月~十二月にあたり、年末です。『暦便覧』には「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」とあります。寒中見舞いは本来この頃に出し、御歳暮はこの後……ということになる訳です。武道の寒稽古や寒中水泳が行われる時期でもあり、小寒と大寒を合わせて「寒中」といいます。寒中の装いとしては、長着は本袷・袴は総裏。綿入れも
無我の境地というと「私心なく執着を離れた無心な心の状態」を意味しているのですが、辞書などでは「自分の存在を意識しない状態。忘我の境地。」と説明されています。これはニュアンスが違うのですが、言い回しとして難しいよなーと思わないでもありません。私心というのは「個人的な欲求」のことで、ああしたい、こうしたいという雑念のことです。そうしたものを忘却して、ただひたすらになにかに打ち込むことを「無心」とか「忘我の境地」というんですね。これは、欲求を「我欲」ということからも分かる通り
この言葉の意味ご存知ですか?これを「男は厨房に入るべきではない」と考えているとしたら大間違いなんです。この言葉の元になった修辞は「君子、庖厨を遠ざくる也」という『孟子』にある言葉です。この「君子、庖厨を遠ざくる也」というのは全文を記載すると君子之於禽獸也、見其生、不忍見其死、聞其聲、不忍食其肉、是以君子遠庖廚也「君子が禽獣(鳥や獣)が生きているところをみると、その声を聞いて殺すのに忍びなく、またその肉を食べることを忍びなく思うので、これをもって君子というの