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『現代俳句ハンドブック』(雄山閣)には「現代俳句用語100語」があるが、そこに「一物仕立て」があり、本井英さんが「内容的にも音調的にも明確な句切れを持たない句」が一物仕立ての句だと解説している。一物仕立ての例として本井さんが挙げているのは高浜虚子の「箒木に影といふものありにけり」。この句、虚子の写生句として有名だった。句の構造としは正岡子規の「鶏頭の十四本もありぬべし」とほぼ同様。子規のこの句もかつて俳人の間で有名だった。でも、俳壇を超えて有名になったかというとそうでもないのではないか。
(神奈川県横須賀市どぶ板通り)先日、NHK「映像の世紀」で「マクナマラの誤謬」を見た。「マクナマラ」とは「ロバート・マクナマラ」のこと。ロバート・マクナマラ(1916~2009)はジョン・F・ケネディ大統領、リンドン・ジョンソン大統領政権下で国防長官を務め、ち密な分析力で「ベトナム戦争」の指揮を執った。「マクナマラの誤謬(ごびゅう)」とは、数字だけに頼り、物事の全体像を見失うこと。の喩え。テレビでは他の例として、病院で、死亡者を減らすことを目標とし、
「奥の細道」謎解き紀行その3「松尾芭蕉忍者説」には続きがある。それは「松尾芭蕉=服部半蔵説」である。さらに『奥の細道』にみられる様々な矛盾点からも松尾芭蕉の忍者説を説く方々がいる。なぜなら、旅の日程が異様だからだ。というのも、出発前に芭蕉は「松島の月まづ心にかかりて」と詠んで、訪れることを心待ちにしていたはずの日本三大名所・松島を素通りして、仙台藩の重要拠点である石巻港や瑞巌寺を見に行っているのだ。伊達政宗公以来、仙台藩は外様の中でも特に強大な勢力を誇っており、幕府が警戒を続け
白牡丹といふといへども紅ほのか流れ行く大根の葉の早さかな高浜虚子角川書店の「俳句」3月号で上の句を挙げたある論者は「一物の凄みが感じられる」と言っている。ほんとうだろうか。前句は「いふといへでも」と捻って読者に期待を持たせ、「紅ほのか」という意外な表現へ展開したところがすごい。後句もはほぼ同じで、「早さかな」という表現がなんとも意外なのだ。つまり、一物の凄みがこれらの句にあるわけではない。ちなみに、以上の展開の意外性は一種の取り合わせがもたらしている。はっきり言っておこう。「一
金沢が誇る名勝・兼六園の山崎山入り口には芭蕉の句碑がある。こちらが芭蕉の句碑。山崎山の苔むした中に佇む自然石に句が彫られている。かなり近づかないと文字は見えない。芭蕉とはもちろん、俳諧の芸術的完成者で俳聖とも讃えられる松尾芭蕉のことである。松尾芭蕉は紀行文『おくのほそ道』を記したことでも有名だ。この道中、芭蕉は金沢に立ち寄っており、この句碑には芭蕉が金沢で作った俳句「あかあかと日は難面も秋の風」が彫られている。書は俳人・桜井梅室の筆による。ちなみに、芭蕉の句碑はこれ以外にも金沢
「奥の細道」謎解き紀行その2『奥の細道』は俳句による旅日記で、芭蕉自身による挿絵も描かれている後世に残る作品であり、今で言えばオールカラー写真付きの豪華旅行ムック本みたいなものだ。とはいえ、なんで俳人と弟子の二人旅にお金を出すスポンサーがいたのだろうか。旅行雑誌の出版社がお金を出しているのならば話は分かるが、出版元がお金を出している訳では無いのだ。では、この旅にお金を投じることには、いったいどんな目的が隠されていたのだろうか。奥の細道自筆本◆『奥の細道』の序文「奥の
カルチャー杉並区【松尾芭蕉とおくのほそ道】(新高円寺)ゆうゆう梅里堀内館…東京メトロ新高円寺駅から徒歩10分第1(金)10時~12時足立区【芭蕉の五大紀行文を読む】(北千住よみうりカルチャー北千住(ルミネ北千住9F)…北千住駅徒歩から0分第1(月)13時~15時[北千住]松尾芭蕉の五大紀行文を読む「野ざらし紀行」「更科紀行」「笈の小文」「鹿島紀行」そして「おくのほそ道」・・・・。日本紀行文学の最高峰、芭蕉の紀行文を読み、大衆文芸だった俳句を芸術にま
午前中外来はほとんどフォローアップ外来、20年以上の付き合いである数少ない男性患者で俳人、人生の先輩、Y氏が来られていて、「忙しいことはいいことだ、あちこちに呼ばれて手術に行くのは求められているのだから頑張れ」と励まされた。夕方のANA便で北海道にやって来た。2月の混雑ぶりから一転、新千歳空港には異国人の姿は目立たず静かだ。快速エアポートの指定席も空いていた。札幌駅でもタクシー待ちもなく、常宿の京王プラザホテルで荷物を預けて、藤井先生と美味しいイタリアン、Agodaへ!間近に迫ったJPOP
竹冷忌(3月20日記念日)明治・大正時代の俳人・政治家である角田竹冷(つのだちくれい)の1919年(大正8年)の忌日。この日は別号の「聴雨窓(ちょううそう)」から「聴雨窓忌」とも呼ばれる。角田竹冷について1857年6月4日(安政4年5月2日)、駿河国加島(現:静岡県富士市)に農業・角田彦右衛門の二男として生まれる。本名は真平(しんぺい)。姓は「かくた」や「すみだ」を正しいとする説もある。1874年(明治7年)に上京し法律学を修める。1880年(明治13年)、代言人(弁護士)試験に合
<有名無名15句のインパクト>フランス文学者の桑原武夫の「第二芸術--現代俳句について」(岩波書店の雑誌「世界」1946年11月号)の衝撃は、発表から76年経った今日なおもつづいている。虚子をはじめ俳句界の論客が何ら有効な反論を為し得ずに、「俳三昧。松のことは松に習え」と何のことやら訳の分からない隔靴掻痒の言葉で繕ってきたからではないか。桑原武夫の「第二芸術論」に真摯に向き合おうとせず、芭蕉の言葉を都合よく使って世間を煙に巻き、自らも煙に巻いた。朝日新聞の俳壇
あっという間に過ぎる日々。東へ西へと現場に出かけ、事務所という名の自室では数字や原稿のチェックに勤しみ、なにもしていない時間がどこにもない。こんなふうにして作歌から遠のいてゆくのか。持続は力という、手垢のついた言葉があるが仕事のようなわけにはいかないものです。人生がかかっていないという決定的な違いが、そこにはある。短歌や俳句を作らないと生きていけないという、思い詰めた、というか、ある意味攻めた心情にある人たちに、最初から勝てっこないのだ。とはいえ、誰かと勝負しようとい
三一雪月花一度に見する卯木かな【語句】雪月花:自然の美しい風物を表す言葉で、白居易の詩「寄殷協律」中の「雪月花時最憶君」(雪月花の時、最も君を憶う)による卯木:野山に生える落葉中低木【季語】卯木、卯の花(初夏)【読み】せつげっかいちどにみするうつぎかな【意味】雪月花を一度に見せる卯木…(卯木は、初夏に雪のような白い花が咲き、名前に「つき」(月)の文字が入っている) 【作者】松永貞徳(まつながていとく)室町期~江戸初期の俳
春の訪れを感じさせる自然現象の一つに「春雷」があります。この言葉は、春先に突然鳴り響く雷を指しますが、俳句の世界では、春を象徴する季語として親しまれています。「春雷の俳句」は、季節の移ろいや自然の神秘を詠み込んだ名句が多く、日本の風情や情緒を感じさせるものばかりです。この記事では、「春雷」をテーマにした俳句について、その魅力や背景を掘り下げていきます。さらに、有名な俳句や現代俳人による作品、春雷を題材にした俳句の作り方についても詳しく解説します。ぜひ最後までお読みいただき、「春雷」の俳句が
互選、すなわち互いに選ぶことは、今日、句会で一般的に行われている気がします。でも、互選のあとの互評(互いに批評する)はあまりないようです。つまり、特定の選者だけが批評して終わり、ということが多いのです。でも、句会の醍醐味は〈互選・互評〉です。その句のどこはがよくどこが問題かを議論する、そのことを通して、お互いの俳句や言葉に関する意識が高くなるし、議論の中から名句の生まれることもあります。句会の〈互選・互評〉というセットは、もっとも俳句らしいことかもしれません。互評はある意味で面倒です。ベテ
薔薇の蕾のような花をつけるポインセチアウィンターローズアーリーレッド。新顔です、という印象で12月の花屋の店頭に並ぶので寒さに強いと思いがちだけど、一般的なポインセチア同様日当たりのいい室内でないと一気に枯れてしまう。そういえば、北海道出身の友だちが数人いるけれど全員寒さに弱いことをおもいだした。進学や仕事で名古屋に来ていた彼らは、一様に名古屋は寒すぎる!(或いは夏は暑すぎる!)とケチをつけるのだった。北海道の暖房設備は完璧だ。遠い日。スキーで冬の北海道へ行ったとき
二九しんしんと肺碧きまで海の旅【語句】碧:青緑色【季語】なし<無季>(ただし、海の旅という言葉などから、夏の印象あり)(※海は、夏の季語ではない)【読み】しんしんとはいあおきまでうみのたび【意味】しんしんと、肺が海の碧い色に染まるほど、海の旅に浸る… 【作者】篠原鳳作(しのはらほうさく)明治~昭和期の俳人【生没年】一九○六年一月七日~一九三六年九月十一日(明治三九年~昭和十一年)【略歴】鹿児島市出身。東京帝大
昨年末録画しておいたM1も未観のまま、もうすぐR1だなぁとおもっていたらR1準決勝のネタがYouTubeで配信されていたので、ふかわりょうさん、ウエストランド井口さん、トンツカタンのお抹茶さんの回を観た。なぜ決勝へ進めなかったんだ!という声が高かった3人らしい。お、おもしろい🤣え?この3人ですら進めなかった決勝とは、一体どんなレベルなのだろう。今度のR1への期待値は爆上がりである。ピン芸は、どんなネタであれ馬鹿馬鹿しいのがいいというのが持論だ。馬鹿ではだめで
近所の花屋で小菊とダイアンサスを買いました。秋らしい風情、しかもこれで350円。どちらもたくさん枝分かれして咲いていますので一本ずつでもなかなかのボリュームなのです。菊を花ばさみを切った時の匂いをかぐとなぜか元気が出てくるような気がしました。そういえば菊の花には薬効があるというのでお茶にしたり食用にしたりしますね。そんなことを考えていて読みたくなったのが『菊枕』。この短編が入っている写真の本を引っ張りだしました。精神が不調な時、なぜか拾い読みしたくなる本です。舞台に立てそうな
こんばんは🌛今夜は「伝統と言う形式」の中に自分の世界を盛り込んで行くことについて考えてみたいと思います。・麗らかにをとめのみのる午後の歌一昨日の夜に詠みました。季語は「麗らか」。俳句と言うと「古臭い」「昔のもの」と言うイメージはありませんかでも、そんなことは無いんです。例えば、春惜しむモーリタニアの蛸の足矢島渚男春の飲み屋さんで蛸のお造りを食べています。とても生き生きとした一齣で、タコも美味しそうじゃないですか?俳人は今も生きていて、このように日々俳句を詠んでいるのです。歳
二月十六日けさも早かつた、四時頃だつたらう、昨夜の今朝だから、感服しても差支ない。朝の読書はほんとうによい、碧巌第二則、至道無難、趙州和尚の唇皮禅に敬服する。そのものになりきる、――これこれ、これだ。午前は雪もよひで寒かつたが、午後は晴れて暖かだつた、そこで、樹明君と会して、鰯で一杯やらうといふのだ。焼酎即死!と思ひながら、どうしても縁が切れない。滓を飲んで旦浦時代を追憶した、滓なんて飲む人があるからおもしろいと、あの時代は考へてゐたが、今の私はその滓でさへろ
朋誠堂喜三二は蔦屋重三郎と組んで、多くの出版物を世に出したが、突然筆を折って文筆活躍を一切止めてしまった。なせ喜三二が、筆を折ったのかを、詳しく見ていこう。朋誠堂喜三二は、1735年享保20年に幕府寄合衆の家士西村久義の三男として江戸で生まれた。14歳で秋田藩江戸詰の平沢家に養子入りし、平沢常富と称した。そしてまもなく、俊英な喜三二は藩主の小姓となって、これを出発点として近習役、刀番と出世を重ねていく。さらに1778年安永7年に喜三二は留守居役助役に上り、1783年天明3年に留守居役
こんにちは。ご訪問ありがとうございます。増田手古奈記念大鰐温泉俳句大会は毎年5月、つつじの花盛りの茶臼山(ちゃうすやま)を散策するのが楽しみで、参加している大会です。茶臼山公園(ちゃうすやまこうえん)爽やかな初夏の風がそよぐ5月の下旬、大鰐町を見下ろすこの公園には色鮮やかなツツジが山いっぱいに咲き誇ります。40数種、総数約1万5000本以上を数えるツツジの名所となっています。また、300種類を超える植物が生育しており、起伏に富んだ園内を散策しな
二月十七日サイレンが鳴る、お寺の鐘が鳴る、そしてしめやかな雨の音。めづらしい訪問者――猫がやつてきて、鰯のあたまを食べて行つた。歯がうづいて頭痛がする、暮れないうちから寝た、寝た、寝た、十二時間以上寝た。歯――抜ける前の痛みだ、去年は旅で上歯が三枚ぬけた、今年はもうすぐ下歯が二枚ぬけるだらう。噛みしめなければ、食物の味は出て来ない、それにしても酒が固形体でないことは、何といふ仕合だらう!・人も枯草も濡れてたそがれ・かあと鴉が雨ふる山へ遠く・茶の木もうゑかへ
加賀百万石の城下町・金沢。この金沢にある卯辰山は、顕彰碑や功労碑・歌碑・句碑・書碑などの建立の場として金沢市民に利用され、いつの頃からか「碑林」とまで称されるようになっている。この卯辰山にあり、加賀藩の藩祖・前田利家公の守本尊秘仏である摩利支天をお祀りする宝泉寺にも碑が存在する。今回は、その宝泉寺にある「柳陰軒跡碑」について紹介していきたい。「柳陰軒跡碑」卯辰山にある宝泉寺の境内の入ってすぐ左側のところにある。写真中央の自然石には「柳陰軒趾碑」という文字とともに、「ちる柳あるじも我も
二月十五日涅槃会。けさは早かつた、御飯をたべて、おつとめをすまして、しばらく読書してゐるうちに、六時のサイレンが鳴つた。朝月夜がよかつた、明けゆく風が清澄だつた。読書、読書、読書に限る他に累を及ぼさないだけでもよろしい。アメリカは黄金を抱き込んで、しかも貧乏に苦しんでゐる!これに似た人間が日本にも存在する、黄金を食べても餓は凌げないのだ、胃は食物を要求してゐるのだ、物そのものの意義を理解しなければ駄目だ。くわう/\として日が昇る、かたじけないと思ふ。小為替一
みなさん、こんばんは。俳句見習いの俳人玉龍院ヒロキこと玉龍院道霞(どうか)です。関西ではあちこちコロナウイルスの感染者が発生しており、なんだか生きづらさを感じます。つい最近まで普通に外出していましたが、それがあちこち「不要不急の外出は自粛」ばかり。対策、特に手洗い、うがいは必須ですね。俳句の勉強。ここんところ『歳時記』を読む癖がつきました。さらに「プレバト‼」を見る機会を可能な限り増やし、夏井先生および名人、特待生の方から発想の飛ばし方、助詞の使い方、破調の句、自由律俳句など、
俳句を書道で書く書道正師範高須番長書道ブログ七人の孫'sグランマさんブログよりモコままセレクトさせていただきました。山口誓子日本の俳人(1901-1994)山口誓子(やまぐちせいし、1901年(明治34年)11月3日-1994年(平成6年)3月26日)は、日本の俳人。京都府京都市出身。本名は山口新比古(やまぐちちかひこ)山口誓子(やまぐちせいし)山口誓子(やまぐちせいし、1901年(明治34年)11月3日-1994年(平成6年)3月26日
松尾芭蕉の真相/霊視ゆるふわサイキックちゃんねる/ユミーさんの霊視考察霊視結果■松尾芭蕉は忍者だという噂があるため「あなたは忍者なんですか?」と質問しています【1】床下に隠れて会話を盗み聞きしているシーン。たぶん偉い人のお屋敷などだと思う。【2】