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一月四日晴、行程わづかに一里、金田、橋元屋(二五・上)朝酒に酔つぱらつて、いちにち土手草に寝そべつてゐた、風があたゝかくて、気がのび/\とした。夜もぐつすり寝た。此宿の食事はボクチンにはめづらしいものだつた。一月五日晴、行程九里、赤間町、小倉屋(三〇・中)歩いた、歩いて、歩いて、とう/\こゝまで来た、無論行乞なんかしない、こんなにお天気がよくて、そして親しい人々と別れて来て、どうして行乞なんか出来るものか、少しセンチになる、水をのんでも涙ぐましいやうな気持になつ
重篤な病からサプリメントまで、治癒或いは予防のために服用している薬を持つ方も多いだろう。特に、ある程度の年齢を超えてくると、1種類のみならず数種類だったり、1日1錠どころかビーズの如く手のひらに乗せ、一気にざらりと流し込むこともありそうだ。わたしは、降圧剤を1日1錠と気休め程度のサプリメントだけなのに、ポケットが付いている1ヶ月分の薬カレンダーのようなものに入れて管理している。飲み忘れというよりも、薬の置き場所に困った末のカレンダー。こんなもの、まさかわたしが使う日が来るなんて想像もしな
一月二日時雨、行程六里、糸田、緑平居。今日は逢へる――このよろこびが私の身心を軽くする、天道町(おもしろい地名だ)を行乞し、飯塚を横ぎり、鳥尾峠を越えて、三時にはもう、冬木の坂の上の玄関に草鞋をぬいだ。この地方は旧暦で正月をする、ところ/″\に注連が張つてあつて国旗がひら/\するぐらゐ、しかし緑平居に於ける私はすつかりお正月気分だ。風にめさめて水をさがす(昨夜の句)自戒三則――一、腹を立てないこと二、嘘をいはないこと三、物を無駄にしないこと(酒を粗末にするなか
いつかの晩酌セット。美容の話や高齢の家族の話。虹が出た、と言った口から、肥溜めに落ちそう、という話が飛び出す人生のゆうげ。恋愛の話も出ないわけではない(中には婚姻を解消して自由気ままな美魔女もいる)が、出たとしても、年下男に欲しいものはなんでもプレゼントするから教えて欲しい、と言われ「お米」と言ったら、暫くして米一升が届いたというような、ハーレクインロマンスからは相当遠い生活臭の溢れる話題ばかりで、ある程度生きてしまうと、当事者でありながらどこか人ごとのようにおもしろがって、そののち急にテ
まづ何よりも酒をつゝしむべし、二合をよしとすれども、三合までは許さるべし、シヨウチユウ、ジンなどはのむべからず、ほろ/\としてねるがよろし。いつも懺悔文をとなふべし、四弘誓願を忘るべからず。――我昔所造諸惑業皆由無始貪慎痴従身口意之所生一切我今皆懺悔衆生無辺誓願度煩悩無尽誓願断法門無量誓願学仏道無上誓願成一切我今皆懺悔――煩悩無尽誓願断――一月一日時雨、宿はおなじく豆田の後藤といふ家で。・水音の、新年が来た何としづかな、あまりにしづかな元旦だ
仕事関係のみなさまとの飲み会があった。前回同じメンバーで飲んだ時、偶然、中の一人が飲み会の前日か翌日に誕生日だったということを、別の仲間が知っていて、事前にみんなでサプライズバースデープレゼントを渡した。1月のことだったので、そんなことすっかり忘れていたわたしたち。ところが、貰った方というのは決して忘れないのだった。特に、誕生日にサプライズでプレゼントを貰ったなんて、そう簡単に忘れられるものではない。言われてみればそうだよなぁ。彼は、お寿司の太巻きが入った紙袋を全員分用意していた
十二月卅一日快晴、飯塚町行乞、往復四里、宿は同前。昨日は寒かつたが今日は温かい、一寒一温、それが取りも直さず人生そのものだ。行乞相も行乞果もあまりよくなかつた、恥づべし/\。昨夜は優遇されたので、つい飲み過ごしたから、今夜は慎しんで、落ちついて読書した。此宿は本当にいゝ、かういふ宿で新年を迎へることが出来るのは有難い。『年暮れぬ笠きて草鞋はきながら』まつたくその通りだ、おだやかに沈みゆく太陽を見送りながら、私は自然に合掌した、私の一生は終つたのだ、さうだ来年から
入り用があり、クローゼットから出してきたリコーダーとアルトリコーダー。問題はアルトだった。使用した形跡がない。メンテナンスセット(棒とワックス)すら開封されていない。タイムスリップするみたいにひらくアルトリコーダーは、美しいほどせつない気持ちにさせる。これはわたしのものではなく家族のものであるけれど、そういえばわたしのアルトリコーダーもほとんど使わずだった。別に音楽家になるのでもなく、友だちになれないようなひとたちも混ざっているような教室で学ぶ音楽の授業。小学6年間ピアノのレッスンに
十二月廿九日曇、時雨、四里、二日市、和多屋。十時、電車通で別れる、昨夜飲み過ぎたので、何となく憂欝だ、どうせ行乞は出来さうもないから、電車をやめて歩く、俊和尚上洛中と聞いたので、冷水越えして緑平居へ向ふつもり、時々思ひだしたやうに行乞しては歩く。武蔵温泉に浸つた、温泉はほんたうにいゝ、私はどうでも温泉所在地に草庵を結びたい。十二月卅日晴れたり曇つたり、徒歩七里、長尾駅前の後藤屋に泊る、木賃二十五銭、しづかで、しんせつで、うれしかつた、躊躇なく特上の印をつける。
感謝されたのでいただいた。それにしても立派なフォントである。二つ折りになっていて、ベルベットのような手触りの表裏。身が引き締まるような濃紺に金箔の文字。頭をぽりぽり掻いて「いやぁそれほどでも」と言えば、用意してくださったお相手の立場を汚してしまうような緊張感もある。こういうときの「謹んで賜ります」とは、なんと便利な言葉だろう。謹むという言葉を辞書で引いてみると、・あやまちや軽はずみなことがないように気をつける。・度をすごさないようにする。控えめにする・うやうやしくかしこ
こんばんは。先頃、亡くなられた俳人鷹羽狩行さんの代表句に、摩天楼とパセリを詠み込んだ句があります。摩天楼より新緑がパセリほど鷹羽狩行新緑が季語(夏)。こんなダイナミックな視点の、新緑もパセリも生き生きと感じられる句、好きです。今の時期の紫陽花を詠んだ句もあります。あぢさゐの毬の中なる隠れ毬鷹羽狩行鷹羽狩行の百句[片山由美子]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}お読
十二月廿七日晴后雨、市街行乞、大宰府参拝、同前。九時から三時まで行乞、赤字がさうさせたのだ、随つて行乞相のよくないのはやむをえない、職業的だから。……大宰府天満宮の印象としては樟の老樹ぐらいだらう、さん/″\雨に濡れて参拝して帰宿した。宿の娘さん、親類の娘さん、若い行商人さん、近所の若衆さんが集つて、歌かるたをやつてゐる、すつかりお正月気分だ、フレーフレー青春、下世話でいへば若い時は二度ない、出来るだけ若さをエンヂヨイしたまへ。十二月廿八日晴、汽車で四里、酒壺洞居
ガールズシリーズということで、ドラゴンズのロゴとベースがピンク色になっていたある日のバンテリンドーム。成績が芳しくないのに、遠征も含めて集客力が断トツだという中日ドラゴンズ。この日もトホホの結果なのに、最後まで帰らないファンがほとんどで頭が下がります。グッズの購買力も好調のようで、売場は試合中も終了後も長蛇の列。おいおいそんなに買って大丈夫かと心配になるほど、お菓子からシャツから飛ぶように売れていく。一体どうなっているのだろう。ドラゴンズにファン心をくすぐる何かが潜んでいる。永遠に
通らない道を行けば見つける物がある俳人岩田涼菟墓↑誰?いわたりょうと俳句を詠む人だった。伊勢に関係あるのは松尾芭蕉だけかと。伊勢市大世古墓地にて。俳句はよくわからんですが見つけた時はほぅ〜と思いました※野良避けは、効果無かった💦なんとかしてくれー
十二月廿五日曇、雨、徒歩三里、久留米、三池屋(二五・中)昨夜は雪だつた、山の雪がきら/\光つて旅人を寂しがらせる、思ひだしたやうに霙が降る。気はすゝまないけれど十一時から一時まで行乞、それから、泥濘の中を久留米へ。今夜の宿も悪くない、火鉢を囲んで与太話に興じる、痴話喧嘩やら酔つぱらひやら、いやはや賑やかな事だ。十二月廿六日晴、徒歩六里、二日市、和多屋(二五・中)気分も重く足も重い、ぼとり/\歩いて、こゝへ着いたのは夕暮だつた、今更のやうに身心の衰弱を感じる、
晩春の肌寒いなかにも「あー、今かすっていったの夏だよね」という日がちらほらと現れてきた五月下旬から、赤ワインを開けるようになった。整体鍼灸院に通いはじめたタイミングで、ジュースはもちろんビールなどの炭酸飲料が手足の冷えを加速するような気がして、暫く日本酒を選んでいたのが赤ワインになったというわけだ。サイゼリヤでキャンティの爽やかさに改めて気づいて、暫くはキャンティ一辺倒だったけど時にはイタリア以外の国にも触れてみようとスペインワインを買ってきた。こちらはグラン・レセルバといって、オーク
昭和六年十二月、山頭火は一時住んでいた熊本から再び行乞の旅に出発しました。漂泊の旅、行乞の旅に生きるほかない自分自身を客観的に見て、山頭火は「自嘲」しているのでしょう自分の後ろ姿は、自分で見ることはできません。山頭火は、「他者に見られる自分」を強く意識しています。後ろ姿を他人に見られている自分を見て、自らを嘲る、という句です。では、どのような「姿」を自嘲しているのでしょうか。句の後半にある「しぐれ」は、初冬に降る通り雨のことで、山頭火も「しぐれ」という語を
歌人には老若男女問わず妖精が多い。このひともそのひとり。妖精のなかでも、軽くて薄くてうっかり口にしたら甘い。それでいて、大きいものにはぜったいに飲み込まれないというような眼をしている。先日の歌会で、『女子』と『少女』の圧倒的な相違の話が出ていたけれど、このふたつで全女性たるものを二分化すると(ジェンダーとかそういう難しい話は一旦傍に置いておいておく。あと年齢も関係ありません)、クイズ100人に聞きましたら100人とも『少女』とこのひとを言うだろう。ちなみに漕戸もりはどちらだと問われ
こんにちは。四国の旅について書いている途中なのですが、今日はちょっと気分を変えて本のことを書いてみようと思います。以前、小津夜景さんの『いつかたこぶねになる日』という本について書いたと思うのですがこの本を読んで、その豊かな世界に引き込まれ、軽い衝撃のような驚きを感じたのでした。こんな方がいらっしゃったのか!と。小津夜景さんは、フランスはニースに暮らす俳人さんです。いったい何が私の心を捉えたのか…ひ
二月五日まだ降つてゐる、春雨のやうな、また五月雨のやうな。毎日、うれしい手紙がくる。雨風の一人、泥濘の一人、幸福の一人、寂静の一人だつた。・雨のおみくじも凶か凩、書きつゞけてゐる・ひとりの火おこす味取在住時代三句久しぶりに掃く垣根の花が咲いてゐるけふも托鉢、こゝもかしこも花ざかりねむり深い村を見おろし尿する追加一句松はみな枝たれて南無観世音(味取観音堂の耕畝として)行乞途上旅法衣ふきまくる風にまかす(青空文庫作成ファイル)より(続きます
旅はプランから何から、感動やリフレッシュするよりも、疲労困憊して帰ったら寝込んでしまう体力のなさなので、何度も言っているけれど積極的にしない。でも、旅はけしからん消えてくれ、と排除するものではない。先日からありがたく続いているお土産物がいい例で、旅の恩恵を間接的に受けるのはノスタルジックでもあり、詩的でもあり、美しい習慣だとさえ思う。東桜歌会のお菓子はいつも旅の風情が漂っている。お菓子をご用意してくださるみのりさんのセンスはさることながら、いただく歌人たちの菓子を巡る会話がいい。さす
二月三日曇、よく眠られた朝の快さ。生きるも死ぬるも仏の心、ゆくもかへるも仏の心。不思議な暖かさである、『寒の春』といふ造語が必要だ、気味の悪い暖かさでもある。・こゝに住みなれてヒビアカギレ・つゝましう存らへてあたゝかい飯・豆腐屋の笛で夕餉にする日の落ちる方へ尿してゐる馬酔木居を訪ねてビールの御馳走になる、私は至るところで、そしてあらゆる人から恵まれてゐる、それがうれしくもあればさびしくもある。子供はお宝、オタカラ/\というてあやしてゐる。二月四日雨、節分、
引き続き、お土産物で生きているような毎日。ありがたいことです。この日は浜松餃子。要冷凍のため、ご立派な発泡スチロールの箱を持ち帰ってくれた。この労力を考えるだけでありがたい。労力8。食べる2。これこそお土産へふさわしい感謝の黄金比である。浜松サービスエリア限定商品という浜松餃子。にんにく肉系と野菜増し増し系の2種、計20個。にんにく系からいただきました。旨いに決まっている。味というより、この時点で感謝10なのだから当然です。※10点満点中わたしはといえば、旅は苦
〈本棚から一掴み503〉俳人山頭火その泥酔と流転の生涯上田都史潮文社版#マルカ川島商店#俳人山頭火#山頭火#その泥酔と流転の生涯#上田都史#潮文社版
二月一日降つたり霽れたり、夜はおぼろ月がうつくしかつた。三八九第一集を発送して、重荷を下ろしたやうに、ほつとしたことである、心も軽く身も軽くだ。今日もまた苦味生さんの真情に触れた。・笛を吹いても踊らない子供らだ・あるだけの米を炊いて置く競るほどに売るほどに暮れた・逢ふまへのたんぽゝ咲いてゐる一杯やりたい夕焼空俳句は一生の道草とはおもしろい言葉かな。二月二日また雨、何といふ嫌らしい雨だらう。私も人並に風邪気味になつてゐる。更けてやつと出来た御飯が半熟ゲルト
句詩歌集は高い。すみません、お値段のことです。2,000円前後だとしても、どんなに欲しいと願っても、迷う。とても迷う。そうして清水舞台降りして買った句詩歌集が、ゲゲゲゲゲゲ❗️というときの哀しみはなんと虚しい『学び』なのだろう。その点、句詩歌集の文庫は庶民の味方である。特に読みたかった詩歌俳人の文庫化はほんとうにありがたい。付箋もぺたぺた、書き込みだって平気。なんなら2冊買うことも許されるのだ。しかし。えいっと買った3,000円ほどの詩歌集が、待ち望んでいた以上
一月三十日宿酔日和、彼女の厄介になる、不平をいはれ、小言をいたゞく仕方ない。夜は茂森さんを訪ねる、そして友情にあまやかされる。一月三十一日やつぱり独りがよい。女の話はなしつゞけて袋貼りつゞける(隣室の若者に)袋貼り貼り若さを逃がす・ラジオ声高う寒夜へ話しかけてゐる(青空文庫作成ファイル)より(続きます)*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆今日も命を授けていただきありがとう(^-^)二度とない人生だから今日が大事
ぺろりってなんだか下品だけど、これ以外にふさわしいオノマトベが見つからない。この手のお土産はぺろりです。ぺろりの最上級はぺろりんことなります。一晩どころか30分でぺろりんこ。素晴らしい30分をありがとうございました。こういうしあわせを積み重ねていきましょう。BYえびせんべいの里まだ試食はあるのだろうか。あれがあれば行ってみたい。なければ行きたくない(正直者)。丸椅子に残るしづかな体温へあぢさゐほどのわたしをおろす雨つぶとなつてあなたへ触れてゐるとうめいな傘を差
鶴じみたものを静かに広げたら青い四角の紙だったこと枚方市久保哲也毎日新聞(6月3日版)「毎日歌壇」に掲載された水原紫苑氏選の一首です。青い紙で折られた折り鶴を広げてみた時のことを歌っているのでしょうか。「鶴じみたもの」や「紙だったこと」といった不思議な言い方が、何かただ事ではない世界を伝えているような気がして心に残りました。紫苑氏は、それを次のように読まれていました。<
一月廿七日晴れて寒い。一杯やりたいが、湯銭さへもない。・握りしめるその手のヒビだらけ暮れて寒い土を掘る寒い人けふも出来そこなひの飯で寒い一月廿八日晴、霜、ありがたい手紙が来た、来た、来た。やつと謄写刷が出来た、元寛居を訪ねて喜んで貰ふ、納本、発送、うれしい忙しさ。入浴して煙草を買ふ、一杯ひつかける。……生きるとは味ふことだ、物そのものを味ふとき生き甲斐を感じる、味ふことの出来ないのが不幸の人だ。鰯三百目十銭、十四尾あつたから一尾が七厘、何と安い、そして