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十一月廿三日天地清明、澄んでうらゝかである。白船君が山口行の途次、寄るかも知れないといふハガキを寄越したので、新菊を採り、ほうれん草を茹で、鰹節を削り、……そしてうどん玉を買ひに街へ出かけた。身心脱落只真実、私も、良寛和尚に頭を下げる。午後、樹明君来庵、ぼうばくとしてゐる、かういふ情態にある彼を救ふものは、恐らくは、疾病しかないであらう、悲しい人間現実の一相である、すすめて休ませた、高鼾で寝たのはよかつた。白船老はとう/\来てくれなかつた、「かも知れん」程度しか待た
1週間の聴き逃し配信が始まりました!NHK「ラジオ深夜便」『絶望名言小林一茶』プレーヤー|らじる★らじるNHKラジオラジオ第1(R1)・ラジオ第2(R2)・NHK-FM放送の音声をライブストリーミングで同時提供しています。聴き逃し対象番組は、放送された音声を楽しむことができます。www.nhk.or.jp(2月2日(月)午前5:00配信終了)やせ蛙負けるな一茶これにありという句が有名ですが、雀や蛙やキリギリスだけでなく、自分を咬むノミにまでやさしい人でした…飛下
十一月廿二日曇つて寒い、雪でもふりだしさうな。炬燵の用意はよろしいか。枯れてゆく草のうつくしさよ。久しぶりに――十日ぶりに入浴。裏の林でひよどりがしきりに啼きかはします。シヤツがあたゝかい、黙壺君ありがたう、トンビがあたゝかい、井上さんありがたう、また冬がまはつてきて、感謝を新たにする。ほんにしづかだなあ――と、今更のやうに今夜も感じたことである。米と酒、むろん米の方が大切だ、しかし私は金が手にはいると、何よりもまづ酒を買つた、それが此頃はどうだらう、第一に米、そ
さて前回に引きつづいて飯田龍太の随筆集を読んでいる。前回の「遠い日のこと」より先立ってその三年ほど前に刊行された、同じ版元からの「紺の記憶」という本だ。本書は昭和の終わり頃から平成の始めの頃に新聞や雑誌に書かれた小文を纏めた文集となっている。読み始めたばかりなのだが、俳句の鑑賞にその多くを割いており、かなり内容の濃い俳句随筆の体裁となっているため、一息に読了にこぎつける見込みもなさそうなのだが、日々少しずつ頁を前へと繰ってゆこうという目論見。目次をぱらりと開いたとき、古本好きを刺激する章
こんにちは😃お元気でなによりです、岡本太郎美術館先日は予定通り世田谷の上野毛にある多摩美大の「サンドイッチ上映会」に参加しました!池田アリスさんがつくったサンドイッチめっちゃうまかった!食べかけだがありがとうそのあと、時間があったので中延のこれをみて帰りました!歌人の居場所みたいな茶店!俳人の気楽に集まるところどこ?そうそう4ヶ月ぶりの外出でした!今回は久しぶりにサングラスをかけておでかけ!えっ、なぜって、🤣笑笑そうそう多くの人がそうだと思うけど、もうき
大学時代によく観ていた、『パパと呼ばないで』をTVerで見ていたらセリフでこの言葉を…「手に取るなやはり野に置け蓮華草(れんげそう)」は、江戸時代の俳人・滝野瓢水(たきのひょうすい)が詠んだ有名な句(俳諧)です。この言葉の主な意味や由来は以下の通りです。1.意味蓮華草(レンゲ)は野原に咲いているからこそ美しいのであり、摘み取って家に持ち帰ってしまうと、その美しさは失われてしまうということ。転じて、「物事や人は、本来あるべき場所(環境)にそのまま置いておくのが一番良い」と
575の言葉の風景大根が大好きだ。風呂吹き、べっこう煮、豚肉と煮た大根などなど。もちろん、おでんの大根も。おでんの大根を食べながら、先日、二次会で次のような話をした。俳句は花鳥諷詠、あるいは極楽の文学だと高浜虚子は言ったけれど、何かの理念を俳句に結び付けたとき、俳人は駄目になるのではないか。俳句は挨拶、一期一会だというのもそう。金子兜太のアニミズムも。ありふれた日常を詠むだけでよい、というのも日常を理念化しているから駄目。ある俳人を信仰するかのようにあがめるのも同様に駄目だろ
十一月廿一日晴、朝の雲のうつくしさ、曇。やゝ寒い、足のつまさきが冷たい、裏藪で鶲が啼く。秋もをはりの冬ちかしといふ感じ。身心の調子よろし。裏の菜畑は私の花園だ。物を粗末にするな、大根のしつぽでも大切にせよ、物を殺すな、たとへ木切でも生かして使へ。物を生かしてゆくところに生活の味がある。よいお天気になつた、宮市の天神祭万歳だ、よし、私も参詣しよう。一時の汽車で出かける、宮市はお祭気分があふれてゐる。そこの一木一石みなおもひでの種だ、宮市は私の故郷の故郷である。裸坊
東別院でお詣りで。千鶴ちゃんの。御坊印を頂く。春のお祭りで。会えるか。色々。花を愛でる。お言葉。俳人。種田山頭火の句。いつも。一服をさせて頂き。ありがとうございます。東別院会館でも。一服。いつも。ありがとうございます。この日の目的は。果たせたので。帰宅しようと。地下鉄上前津駅まで。歩く。も少し。つづく。
十一月二十日晴、うらゝかな小春日、鵯がなけばさらに。日向でほころびを縫ふ、襦袢の襟のつけかへはなか/\むつかしい。味噌買ひに街まで。私の好きな寒菊がほつ/\ほころびそめた。机上の壺に櫨の一枝をす。たよりいろ/\、緑平老の手紙は私を泣かせる。緑平老から小遣を貰つたので、買へないでこらへてゐた品物を買ふ、煙草、マツチ、ハガキなど、そして一杯ひつかける酒を餅に代へる、十銭で七つ。辛いものをやめてゐると甘いものが食べたくなる、今の私はアルコールよりも砂糖の方に心をひかれる!
アゲハ蝶台風一過富士に舞う鹽川壽庵
十一月十九日晴、雨後のあざやかさ。風が出てきた、風には何ともいへないものがある、さびしいとばかりはいひきれないものが。午前は駅のポストへ、午後は街のポストへまで出かけた、そして歩々に肉体の秋を痛感した、……人間は生活意力が盛んであれば、十年に一歳しか年取らないが、生活意力が衰へると、一年に十歳ほど年取ることもある、……私は此一年間にたしかに十歳老いた!日本の秋はほんたうに美しいかな、今日途上で、水へめざましく紅葉してゐる山櫨を観賞した。句作は米の飯、いや麦飯だ、私
知らぬ仲肩寄せ合ふや曼珠沙華鹽川壽庵
江戸時代初期の大垣は、舟運と陸運が交わる「東西交通の要衝」として経済発展が著しく、新しい文化が大きく花開く「水の都」でした。芭蕉に縁が深い俳人も多く存在し、芭蕉は、貞享元年(1684)の「野ざらし紀行」の旅において、初めて此の地を訪れて気に入り、「奥の細道むすびの地」としても、此の地を選びました。大垣市では、「奥の細道」全行程約2400Kmを、愛宕神社(錦町)から「奥の細道むすびの地/船町」までの2.2Kmに見立てて「ミニ奥の細道」として、22の「句碑」を設置整備しています。
【起稿2026年1月22日記事】日付が変わりました🗓今日も東京は晴れますが、気温は低く、北西風が吹き寒くなる予報です🌬️😖皆さん今日は、「左衛門忌」です「左衛門忌」は、我が地元の東京武蔵野地域が生んだ、明治~大正期の俳人吉野左衛門(1879年-1920年)の忌日です。「都立井の頭恩賜公園」の「井の頭池」(東京都三鷹市井の頭)※画像はphotoAC(www.photo-ac.com)より引用しました。吉野左衛門は本名を太左衛門と言い、東京府三鷹村(現東京都三鷹市)にて出生し、東京専門
十一月十八日雨はれて曇、ぬくい日だ、また雨。時計を質入れして食料品を買ふ、これで当分は餓えないですむ、ありがたい。菜葉に麦飯、それで十分、それが私には最もふさわしいし、また最もうまいと思ふ。午後、樹明来庵、玄米茶をのんで話す外なかつたけれど、明るい顔を見てうれしかつた、知足安分、この平凡事を君にすゝめる、すゝめなければならない。飲みたい酒を飲まないのではない(さういふ事は私には出来さうもない)、飲みたくないから飲まないのである(私はこれまで、いかにしば/\飲みたくな
友に逢う台風去りて身延線鹽川壽庵
『ちょこっと雑学』[[今日は何の日]]今日は久女忌(1月21日記念日)。俳人•杉田久女(すぎたひさじょ)の1946年(昭和21年)の忌日。1890年(明治23年)5月30日に鹿児島県鹿児島市で生まれる。旧姓:赤堀、本名:杉田久(ひさ)。俳人・赤堀月蟾の妹であり、幼い頃に兄より俳句の手ほどきを受ける。高浜虚子に師事。1932年(昭和7年)に女性だけの俳誌『花衣』を創刊・主宰するが、5号で廃刊となる。1934年(昭和9年)に中村汀女・竹下しづの女などとともに『ホトトギス』同人となるが、
十一月十七日晴、曇、肌寒い。あれやこれやとすればすることはいくらでもある、今日だつて、草取、窓張、洗濯。……友よ、私を買ひかぶる勿れ――と今日も私は私に向つて叫んだ、彼は私を買ひ被つてゐる、私に善意を持ちすぎてゐる、君は私の一面を見て他の一面を見ないやうにしてゐる、君は私の病所弱点缺陥を剔抉し指摘して、私を鞭撻しなければならない、私は買ひ被られてゐるに堪へない、私は君の笑顔よりも君の鞭を望んでゐる、――これは澄太君に対する私の抗議――といふ外あるまい――で
赤とんぼ鬼滅の刃わらべ舞う平太句鹽川壽庵
【起稿2026年1月20日記事】さて今日は、記念日が沢山制定されていますなぁ😅...俳壇においても今日の忌日は二人いて、江戸時代中期の久村暁臺(1732年-1792年)と明治~大正期の大須賀乙字(1881年-1920年)です。私は蕉風を継ぐ暁臺の、「卑俗を排し髙雅を慕う」俳風を愛しますので、今日は暁臺の方を取り上げます😌※画像はイラストAC(https://www.ac-illust.com/)より引用しました。暁臺は、尾張名古屋の出身で、「天明中興俳壇の雄」と呼ばれ、同時代人で、同じ
十一月十五日まことによいお天気、しつかり冷たくなつた。日向で読書、もつたいないなあと思ふ。酒――句――死、この三つが私の昨日までの生活を織り成してゐた。――酒亦酒哉茶亦茶――といふ語句が足利時代の酒茶論といふ本にあるさうな。新菊第二回播種。Sさん母子が乳母車を押して柿もぎに来た、柿は日本家庭的なものを持つ木の実である。時計が米ともなり煙草ともなり酒ともなる、さても便利な世の中、重宝な時計である(今日は質入しないでぢつと我慢したが)。十一月十六日まつたく雲がない
睡蓮の美につどいても静かなり平太句鹽川壽庵
十一月十四日好晴、身辺整理。私の心は今日の大空のやうに澄みわたる、そしてをり/\木の葉を散らす風が吹くやうに、私の心も動いて流れる。うれしいたよりがいろ/\きた。酒屋の店員Sさんが来て話して帰る。絶対的境地には自他もなければ善悪もない、第一義的立場に於ては俳句も短歌もない、詩が在るのみだ、たゞ実際の問題として、作者の素質傾向才能によつて、俳句的表現があり短歌的表現がある。私はほんとに幸福だ、しんみりとしづかなよろこびを味ふ。酒はかならずあたためてしづかにすするべ
きらびやか輝くいのち七五三鹽川壽庵
十一月十三日曇、小雪でもちらつきさうな、――冷たい雨がふりだした。安分知足、楽清閑、楽在其中、まことに、その中にある楽しみが、ほんたうの楽である。句作生活二十年、そしてつく/″\思ふ、此道や門に入りやすくして堂にのぼりがたし、仏道のやうに。うたふもののよろこびは力いつぱいに自分の真実をうたふことである、あらねばならない。私のうちには人の知らない矛盾があり、その苦悩がある、それだから私は生き残つてゐるのかも知れない、そして句が出来るのだらう。また不眠で徹夜乱読。
菊ならぶ浅間大社富士仰ぐ
十一月十一日のどかな晴れ、小鳥が山から出て遊ぶ。朝、樹明来庵、昨夜の残りの酒を飲む。お茶漬さら/\、樹明おくるところの辛子漬で。ぬけさうでぬけなかつた歯がぬけた、ほつとしたさびしさを味ふ、もう堅いものは食べられない、食べものの味がなくなつた、噛まなければ、噛みしめなければ物の味は出てこない、幸にして酒は液体、そして別物だ、流動のなかに酒のうまさはある。……午後散歩、折から女学校の運動会、ちよつと見物、ぶら/\帰つてくると、女客が二人、縁に腰かけて待つてゐられた、
杖ついて小春日和や友来たる鹽川壽庵
十一月十日晴、二日酔の気味、恥づべし。小鳥の来ては啼く日なり。余生を楽しむ――私の場合では私に徹することだ。与へる何物も持たない私はせめて何物をも奪はない生活を持しなければならない、他を妨げ物を害する行動を捨てなければならない。昨日の酔中散歩は醜くかつたが、いや悪かつたが、それによつて積日の沈欝が払ひ除かれたのはよかつた。「雑草」所載の「正信偈一巻」を読んで白船老におそひかゝつた不幸を悲しむ、希くはこの不幸が最初の、そして最後のものであれ。勉強、勉強、勉強しよう、私は