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立春の日から2週間ほど経過した今、最高気温が10℃を超える日も多くなってきている。もうそろそろ春の花も咲き始めているのではないかと、街中の畑に行ってみると畦に「繁縷(はこべ、はこべら)」が小さい花を咲かせていた。今日は、この花を詠んだ著名俳人の句をいくつか取り上げ、その解説と感想を記したい。尚、「繁縷」を詠んだ自作句と概説については、昨年2月の「春季:繁縷」という記事にまとめているので、合わせてご覧いただきたい。園の雨はこべ最もみどりなるそののあめはこべもっともみど
近代の俳人のオノマトペ地球一万余回転冬日にこにこ高浜虚子夕暮の水のとろりと春の風臼田亜波をりとりてはらりとおもきすすきかな飯田蛇笏甘草の芽のとびとびのひとならび高野素十しんしんと雪ふる空に鳶の笛川端茅舎水枕ガバリと寒い海がある西東三鬼かりかりと蟷螂蜂の兒(かお)を食む山口誓子しんしんと肺碧きまで海のたび篠原鳳作雪だるま星のおしゃべりぺちゃ
お釈迦さまが入滅(亡くなる事)したとされる2月15日にあわせ、各寺院ではお釈迦様を偲ぶ法要、涅槃会が執り行われる。筆者もいくつかの寺院でその法要に参加したことがある。そこには涅槃図という仏画が飾られる。沙羅双樹の下で北を枕に横たわるお釈迦さまの周りには菩薩や天部、そして弟子たち、さらには鳥獣などが取り囲み悲しんでいる様子が描かれている。涅槃図は、お釈迦さまの涅槃法要では不可欠な装飾物ではあるが、仏教画としての荘厳さをもつ美術品であるのは言うまでもない。さらには、命の終焉を描くとともに、お釈迦さ
江戸時代初期の大垣は、舟運と陸運が交わる「東西交通の要衝」として経済発展が著しく、新しい文化が大きく花開く「水の都」でした。芭蕉に縁が深い俳人も多く存在し、芭蕉は、貞享元年(1684)の「野ざらし紀行」の旅において、初めて此の地を訪れて気に入り、「奥の細道むすびの地」としても、此の地を選びました。大垣市では、「奥の細道」全行程約2400Kmを、愛宕神社(錦町)から「奥の細道むすびの地/船町」までの2.2Kmに見立てて「ミニ奥の細道」として、22の「句碑」を設置整備しています。
こんばんは🌛今夜も波多野爽波の句を読んで行きましょう。向うから来る人ばかり息白く波多野爽波必要最低限のことしか語っていません。向こうから来る人ばかりが息の白いことであるよ。季語は「息白し」。さて、AI君の読みはどうでしょうか❓この句——向うから来る人ばかり息白く波多野爽波は、一見すると冬の寒い日のありふれた光景を描いているように見えます。しかし、この句の真価は「向うから来る」という方向性、そして「ばかり」の選択性にあります。以下、幾つかの観点から読み解いてみましょう。1.光景
現在、松山市の市道余土142号にある「盲天外通り」は、余土中学校の前に位置し、市民に親しまれている通りです。この通りの清掃は、余戸の人たちが中心に月1回実施しています。(3.6.9.12月の第一土曜日8時から)年4回実施。2025年6月7日(土)には8時集合で草引きや、落ち葉を集めきれいにしました。私は参加するのは初めてなので偉そうには言えませんが、議員や余土町内会連合会長、役員や余土支所長、垣生・余土包括支援センタ所長、各地域の有志の方がたくさん参加してくれていました。その中でも余土中