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二月十九日今朝は早かつた、早過ぎた、四時頃でもあつたらうか、一切事をすまして、ゆつくり読書しても、まだサイレンは鳴らなかつた、しかし、早起はよい、朝の読書もよい、頭脳が澄みきつて、考へる事がはつきりする、あまり句は出来ないけれど自己省察、といふよりも自己観照――それが一切の芸術の母胎――が隅から隅まで行き届く、自分といふものが、そこらの一草一石のやうに、何のこだはりもなく露堂々と観照される。……今朝の片破月はうつくしかつた、星もうつくしかつた、空のすべてがうつ
こんばんは。この時期になると思い出す句があります。それは、この出逢ひこそクリスマスプレゼント稲畑汀子稲畑汀子さんは、俳人高浜虚子の孫で、1897年創刊の俳誌「ホトトギス」名誉主宰、昨年2月逝去。人との出逢いだけでなく、映画だったり、ドラマだったり、本だったり・・・。Xmasカラーのクロガネモチの樹少し前に知った、稲畑さんの印象的な句。それは、三椏の花三三が九三三が九(みつまたのはなさざんがくさざんく)※三椏の花(春の季
(神奈川県横須賀市どぶ板通り)先日、NHK「映像の世紀」で「マクナマラの誤謬」を見た。「マクナマラ」とは「ロバート・マクナマラ」のこと。ロバート・マクナマラ(1916~2009)はジョン・F・ケネディ大統領、リンドン・ジョンソン大統領政権下で国防長官を務め、ち密な分析力で「ベトナム戦争」の指揮を執った。「マクナマラの誤謬(ごびゅう)」とは、数字だけに頼り、物事の全体像を見失うこと。の喩え。テレビでは他の例として、病院で、死亡者を減らすことを目標とし、
(神奈川県横須賀市長沢)「浜木綿(はまゆう)」が咲いている。ヒガンバナ科ハマオモト属の多年草で、「浜万年青(はまおもと)」とも言う。七月あたりに盛りを迎える。温暖な海沿いに咲く花で、横須賀市・三浦市の「市の花」になっている。このあたりが自生の北限地なのだ、と聞いた。20個近くの白い花が先端にかたまって咲き、一つの花のようにも見える。外側から咲き初め、内側の花が咲くころには外側の花が焦げたように黒く枯れるので、全ての花が白くきれいに咲く姿はなかなか見られない。たまにそういう
二月二十日けふもよい日だ、寒いことは寒いけれど。桂子さんからうれしい手紙が来た、桂子女菩薩、女人に反感を持つてゐるのは誰だい。買物をする、第一は酒、第二は魚、諸払をする、酒屋、魚屋、そして湯屋。夕、樹明君を招待する、酔うて出かけた、そしてワヤ、いけなかつた、ゴロにぶつつかつた、君を送つていつて、とう/\泊つた(樹明君、もう歩きまはることは止めませう)。桑原、々々、敬遠、々々。けさをひらいた水仙二りん馬が尿する日向の藪椿二月廿一日樹明居で朝飯をよばれる、産
白牡丹といふといへども紅ほのか流れ行く大根の葉の早さかな高浜虚子角川書店の「俳句」3月号で上の句を挙げたある論者は「一物の凄みが感じられる」と言っている。ほんとうだろうか。前句は「いふといへでも」と捻って読者に期待を持たせ、「紅ほのか」という意外な表現へ展開したところがすごい。後句もはほぼ同じで、「早さかな」という表現がなんとも意外なのだ。つまり、一物の凄みがこれらの句にあるわけではない。ちなみに、以上の展開の意外性は一種の取り合わせがもたらしている。はっきり言っておこう。「一
カルチャー杉並区【松尾芭蕉とおくのほそ道】(新高円寺)ゆうゆう梅里堀内館…東京メトロ新高円寺駅から徒歩10分第1(金)10時~12時足立区【芭蕉の五大紀行文を読む】(北千住よみうりカルチャー北千住(ルミネ北千住9F)…北千住駅徒歩から0分第1(月)13時~15時[北千住]松尾芭蕉の五大紀行文を読む「野ざらし紀行」「更科紀行」「笈の小文」「鹿島紀行」そして「おくのほそ道」・・・・。日本紀行文学の最高峰、芭蕉の紀行文を読み、大衆文芸だった俳句を芸術にま
二月十七日サイレンが鳴る、お寺の鐘が鳴る、そしてしめやかな雨の音。めづらしい訪問者――猫がやつてきて、鰯のあたまを食べて行つた。歯がうづいて頭痛がする、暮れないうちから寝た、寝た、寝た、十二時間以上寝た。歯――抜ける前の痛みだ、去年は旅で上歯が三枚ぬけた、今年はもうすぐ下歯が二枚ぬけるだらう。噛みしめなければ、食物の味は出て来ない、それにしても酒が固形体でないことは、何といふ仕合だらう!・人も枯草も濡れてたそがれ・かあと鴉が雨ふる山へ遠く・茶の木もうゑかへ
『現代俳句ハンドブック』(雄山閣)には「現代俳句用語100語」があるが、そこに「一物仕立て」があり、本井英さんが「内容的にも音調的にも明確な句切れを持たない句」が一物仕立ての句だと解説している。一物仕立ての例として本井さんが挙げているのは高浜虚子の「箒木に影といふものありにけり」。この句、虚子の写生句として有名だった。句の構造としは正岡子規の「鶏頭の十四本もありぬべし」とほぼ同様。子規のこの句もかつて俳人の間で有名だった。でも、俳壇を超えて有名になったかというとそうでもないのではないか。
金沢が誇る名勝・兼六園の山崎山入り口には芭蕉の句碑がある。こちらが芭蕉の句碑。山崎山の苔むした中に佇む自然石に句が彫られている。かなり近づかないと文字は見えない。芭蕉とはもちろん、俳諧の芸術的完成者で俳聖とも讃えられる松尾芭蕉のことである。松尾芭蕉は紀行文『おくのほそ道』を記したことでも有名だ。この道中、芭蕉は金沢に立ち寄っており、この句碑には芭蕉が金沢で作った俳句「あかあかと日は難面も秋の風」が彫られている。書は俳人・桜井梅室の筆による。ちなみに、芭蕉の句碑はこれ以外にも金沢
松尾芭蕉の真相/霊視ゆるふわサイキックちゃんねる/ユミーさんの霊視考察霊視結果■松尾芭蕉は忍者だという噂があるため「あなたは忍者なんですか?」と質問しています【1】床下に隠れて会話を盗み聞きしているシーン。たぶん偉い人のお屋敷などだと思う。【2】
「奥の細道」謎解き紀行その7『奥の細道』を「オクの細道」と考えると、“オク”は数の単位の「億」で、十の八乗という数字になり、八はヤ、十はソと読むことで、「ヤソ=耶蘇」となり、それは当時のイエス・キリストの呼び名で、「奥の細道」とは「イエス・キリストの細道」ということになる。もし「奥の細道」が、芭蕉の書いた原文を元に「ヨハネの黙示録」の内容を盛り込むための操作が加えられたのならば、「奥の細道」とは日本版の「ヨハネの黙示録」となる、とした。こう考えた場合、原作者は松尾芭蕉となるが、
午前中外来はほとんどフォローアップ外来、20年以上の付き合いである数少ない男性患者で俳人、人生の先輩、Y氏が来られていて、「忙しいことはいいことだ、あちこちに呼ばれて手術に行くのは求められているのだから頑張れ」と励まされた。夕方のANA便で北海道にやって来た。2月の混雑ぶりから一転、新千歳空港には異国人の姿は目立たず静かだ。快速エアポートの指定席も空いていた。札幌駅でもタクシー待ちもなく、常宿の京王プラザホテルで荷物を預けて、藤井先生と美味しいイタリアン、Agodaへ!間近に迫ったJPOP
こんにちは、読んで頂きありがとうございます3日です。道後温泉街を楽しみ帰路につきます。時間調節で、松山の街をウロウロしました。坊っちゃん列車ミュージアム|伊予鉄伊予鉄グループは、交通・観光・まちづくりの総合企業グループです。www.iyotetsu.co.jp子規堂-SHIKIDO–正岡子規と俳人達の記念堂正岡子規と俳人達の記念堂shikido.ehime.jp伊予鉄で松山観光港へ売店呉→広島以上です。愛媛県の感想ですがとても広く松山市は伊予鉄独占なのか独自のICだ
近所の花屋で小菊とダイアンサスを買いました。秋らしい風情、しかもこれで350円。どちらもたくさん枝分かれして咲いていますので一本ずつでもなかなかのボリュームなのです。菊を花ばさみを切った時の匂いをかぐとなぜか元気が出てくるような気がしました。そういえば菊の花には薬効があるというのでお茶にしたり食用にしたりしますね。そんなことを考えていて読みたくなったのが『菊枕』。この短編が入っている写真の本を引っ張りだしました。精神が不調な時、なぜか拾い読みしたくなる本です。舞台に立てそうな
竹冷忌(3月20日記念日)明治・大正時代の俳人・政治家である角田竹冷(つのだちくれい)の1919年(大正8年)の忌日。この日は別号の「聴雨窓(ちょううそう)」から「聴雨窓忌」とも呼ばれる。角田竹冷について1857年6月4日(安政4年5月2日)、駿河国加島(現:静岡県富士市)に農業・角田彦右衛門の二男として生まれる。本名は真平(しんぺい)。姓は「かくた」や「すみだ」を正しいとする説もある。1874年(明治7年)に上京し法律学を修める。1880年(明治13年)、代言人(弁護士)試験に合
俳句を書道で書く書道正師範高須番長書道ブログ七人の孫'sグランマさんブログよりモコままセレクトさせていただきました。山口誓子日本の俳人(1901-1994)山口誓子(やまぐちせいし、1901年(明治34年)11月3日-1994年(平成6年)3月26日)は、日本の俳人。京都府京都市出身。本名は山口新比古(やまぐちちかひこ)山口誓子(やまぐちせいし)山口誓子(やまぐちせいし、1901年(明治34年)11月3日-1994年(平成6年)3月26日
朋誠堂喜三二は蔦屋重三郎と組んで、多くの出版物を世に出したが、突然筆を折って文筆活躍を一切止めてしまった。なせ喜三二が、筆を折ったのかを、詳しく見ていこう。朋誠堂喜三二は、1735年享保20年に幕府寄合衆の家士西村久義の三男として江戸で生まれた。14歳で秋田藩江戸詰の平沢家に養子入りし、平沢常富と称した。そしてまもなく、俊英な喜三二は藩主の小姓となって、これを出発点として近習役、刀番と出世を重ねていく。さらに1778年安永7年に喜三二は留守居役助役に上り、1783年天明3年に留守居役
昨年末録画しておいたM1も未観のまま、もうすぐR1だなぁとおもっていたらR1準決勝のネタがYouTubeで配信されていたので、ふかわりょうさん、ウエストランド井口さん、トンツカタンのお抹茶さんの回を観た。なぜ決勝へ進めなかったんだ!という声が高かった3人らしい。お、おもしろい🤣え?この3人ですら進めなかった決勝とは、一体どんなレベルなのだろう。今度のR1への期待値は爆上がりである。ピン芸は、どんなネタであれ馬鹿馬鹿しいのがいいというのが持論だ。馬鹿ではだめで
1867年10月14日(慶応3年9月17日)に俳人の正岡子規が生まれました。愛媛県松山市に生まれ、日露戦争の海軍の東郷平八郎の参謀として活躍した秋山真之らとも同郷です。司馬遼太郎の小説の『坂の上の雲』の主人公の一人でもあります。明治初期に、学問で立身出世しようともがき、哲学者を目指したり、文学を志したりしました。そして俳句で才能を開花させました。弟子には高浜虚子などがいて、松山出身の俳人が多いです。松山に俳人が多いのは正岡子規の功績によるものでしょう。晩年は病床にいましたが、明るく
雨上がることばの海をかきまぜよ春の雪麒麟のまばたき二三回雀の目恐竜の目恋猫の目ヘリの音近づいてくる花曇りそのさきでカンナになって待ってやる公開中の韓国映画『リバウンド』がいい。廃部の危機にあった高校バスケ部の実話の映画化。新人コーチの下、5人で全国大会を勝ち進む。「バスケをしていればシュートが入らないときがある。いや、入らないほうが多い。でも、その瞬間、努力次第でチャンスが生まれる。それがリバウンドだ」(コーチのセリフ)。韓国の男子高校バスケ部の数は30校(2021年)、「公益勤務要
春の訪れを感じさせる自然現象の一つに「春雷」があります。この言葉は、春先に突然鳴り響く雷を指しますが、俳句の世界では、春を象徴する季語として親しまれています。「春雷の俳句」は、季節の移ろいや自然の神秘を詠み込んだ名句が多く、日本の風情や情緒を感じさせるものばかりです。この記事では、「春雷」をテーマにした俳句について、その魅力や背景を掘り下げていきます。さらに、有名な俳句や現代俳人による作品、春雷を題材にした俳句の作り方についても詳しく解説します。ぜひ最後までお読みいただき、「春雷」の俳句が