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さて枕詞も出てこなくなったので今日さっさと群馬県を書きたいと思います。東武鉄道は単独で書かせてもらったのでそれ以外の路線となるとJRは高崎線吾妻線信越本線両毛線八高線上越線そして上越新幹線と北陸新幹線が走っています。それ以外の鉄道は上信電鉄上毛電気鉄道わたらせ渓谷鉄道になります。群馬の路線は盲腸線が多いことが特徴的です。同じ路線を行ったり来たりする事が多いので駅数の割には時間がかかることになります。高崎線・上越新幹線・北陸新幹線大宮~高崎をつなぐ群馬随一の幹線
久々の貸レレポ。どうもしょくぱんです。本日も仕事でした。さて、久しぶりの貸レレポートを書きます。貸レレポは2回ほど、江戸川区小松川の「夢空間」と千代田区秋葉原の「8BANSEN」で書かせていただきまして、特に夢空間の方では検索結果では上位に出てくるようになり、店員さんからも認知を頂いております。久しく夢空間は行けてないんですけどね……行きたいんですけど仕事の都合でだいぶ行ってません……すいません近々行かせていただきます……年内にはぜひとも……今回は東京から出て「群馬」です。日曜日の群馬ネ
新津からはE129系で長岡に向かいます。途中の写真はなく長岡に到着しました。長岡から先は暫く食事にありつけそうにありませんので、駅ビル内にあるフレンドで長岡のB級グルメ「ナポリタン」を頂きます。「ナポリタン」と言ってもスパゲッティではなく、焼きそば+ミートソース長岡と言えば「へぎそば」も有名ですが、こちらも中々面白いです。お試しください。長岡からは上越線の越後湯沢行きに乗ります。信越本線に乗るのは長岡の次の宮内まで宮内の少し先で上越線と信越本線が分岐します。
1年後の昇圧を控えた上田交通への日帰り撮影行でした。信越本線の普通列車で上田駅到着、古びた木製の跨線橋を渡った先に別所線のホームがありました。ホームは1面ながら、構内側線が何本もあり自社発注のモハ5250形が留置中。5250形は「丸窓電車」として親しまれ、昇圧化まで別所線の主力車両でした。当時でも、木製ドアに床下のトラス棒がある電車は極めて希少で、黒光りするニス塗りの車内、レトロな吊り広告などローカル色満載でしたね。その後、昇圧直前に訪問した時は撮影者の喧騒で辟易しましたが、この時は「
今週末は軽井沢へお出かけ♪お昼は上信越道の横川SAに立ち寄って「峠の釜めし」をいただきました。日本を代表する駅弁の一つ「峠の釜めし本舗おぎのや」は信越本線横川駅で1958年から販売開始。1997年、長野新幹線の開業とともに信越本線の軽井沢~横川間が廃止になり、横川駅での販売数は激減しましたが、ドライブインやデパートの駅弁大会では変わらず人気商品ですよね。こちらは横川SAの下り線。フードコートに隣接して、荻野屋の売り場があります。一瞬「だるま弁当」に浮気
新潟からは信越本線で新津に向かいます。E129系の新潟行とすれ違います。そして新津駅に到着新津駅では乗換え列車まで時間があります。何をして過ごそうかと考えていたのですが、駅に着いてその気持ちは一気に吹き飛びました。何と蒸気機関車が停車しているではないですか!C57180の牽引する「SLばんえつ物語」でした。テンションが上がって写真を撮りまくります。撮影中にEF510の赤釜の牽引する貨物列車が通過撮るのが忙しいです。ばんえつ物語の出発を貨物列車
JR東日本・信越本線・柿崎駅は、2024-3-16から「無人化」されました。2016年に撮影した、「みどりの窓口」が有ったころの様子です。「みどりの窓口」は、2023-2-28で営業終了しました。みどりの窓口閉鎖後は、改札窓口業務が行われていましたが、2024-3-16から「無人化」されました。柿崎駅の駅情報が、「駅員はおりません」に変わりました。柿崎駅の駅舎外観です。柿崎駅の「駅名標」です。
北陸新幹線が長野から金沢まで開業したのが、今から約9年前の2015年3月。それに伴い、金沢以東の北陸本線が3セク化され、「サンダーバード」、「はくたか」、そして今回模型で走らせた「北越」が区間短縮や廃止となりました。私的には、その北陸新幹線の長野~金沢間の開業直前の北陸本線を走る車両が好きで、普通列車に充当された475系から、特急列車に充当された、485系、681系、683系、そして貨物列車やブルートレイン牽引で使用されたEF81など、これらの模型の電車や電気機関車、客車などの車両を含めると
ご訪問ありがとうございます。記事は憶測で書いてますので内容に誤りがありましたらコメント等でご指摘頂けると助かります。全国のJR駅が見たい時はこちら→☆第三セクター・私鉄駅が見たい時はこちら→☆皆さま、おばんです!おととい昨日と、お仲間さんと一緒に宿泊した、館内に特急あずさ号の先頭車両(クハ183-1002)が鎮座している民宿「夢ハウスあずさ号」の宿泊記の後編です。(前回分もぜひチェックくださいね)一晩中クハ183で遊べちゃう民宿「夢ハウスあずさ号」に泊まってきた(前編)
軽井沢で新幹線からしなの鉄道に乗り換えた。コンコースは釜めしで有名な「おきのや」のそば屋があある。ここはかつては「駅そば発祥の地」というプレートがあったが、今はなく店頭にはガチャガチャが置かれている。「駅そば発祥の地」はあまりウリにはならないか、、、現在数年前「駅そば発祥の地」のプレートがあったスイカも使えない発券機で切符を求め、スタンプを押してもらってホームに降りる。珍しいのかは分からないが、奥の保存機関車にふたつの列車がホームに並び、賑やかな気配。今は第三セクターの経営だが
3/24(日)にSL/ELレトロぐんま桐生が運行されるのですが、SLのほうは残念ながら切符をGET出来なかったため、ELだけですが、乗りに行ってきました。前日の3/23(土)の9時50分頃に関内駅を出発。でも、桜木町で用事があるため、すぐに下りました。そして、用事を済ませようとしたところ、財布が無いことに気づいてしまいました。とりあえず、用事を済ませて、財布を取りに関内に戻りました。本当は早めに行って、高崎駅でSLぐんま伊香保が出発するところを見る予定でした
特急「しらゆき」の概要特急「しらゆき」は新井・上越妙高から新潟を結ぶ特急列車です。「しらゆき」の前身の前身は長野から新潟を結んでいた特急「みのり」でしたが、この「みのり」はわずか5年ほどで廃止され、新井から新潟の間で快速「くびき野」が運行を開始します。この「くびき野」は特急車両である485系を使用しており、停車駅も特急と殆ど変わらない超乗り得列車でした。2015年3月に「くびき野」の特急格上げと、この年開業した北陸新幹線の上越妙高と新潟の各都市を結ぶ列車として特急「しらゆき」が運行を
探索日2014/10/11廃止は2010年3月25日上沼垂駅は現在の上沼垂信号場沼垂駅跡を北側から見る柵のむこう側に線路が並んでいた沼垂駅から西へのびていた枝線の跡沼垂東緑地となっている元は1904年(明治37年)に開業した初代新潟駅にむかっていた線の一部この先が沼垂駅奥は新潟市立万代高等学校同校は駅跡に立地する沼垂駅跡廃止は2010年と、つい最近晩年は規模を縮小させて生き延びていた照明塔かレールも健在
金沢行き特急「白山」は、定刻8時30分に上野駅16番線を発車した。転轍機をガチャガチャと鳴らしながら進路を見定め、ようやく速度を上げた時には、左手に鴬谷駅のホームが見え始めていた。高架で1番線から12番線、地平の頭端式ホームが13番線から16番線まで、広大な敷地を抱く巨大駅の最も東寄りのホームを発車して、西から5本目の東北本線の下り線を走るのだから、本調子になるまで前奏部分が長いのはやむを得ない。鶯谷駅と「白山」の間に割り込むように、地下から出てきた東北新幹線の線路が更に持ち上がって、
昼間っからビールを3缶も飲んだせいか、テラスでウトウトしてしまった。コテージの横にはかつて信越本線の急勾配区間が走っていた。北陸新幹線ができる前は、重連のEF63電気機関車に押されて"特急あさま"や"急行妙高"などが通り抜けていたところ。旧信越本線には上下線とも架線柱と架線が残っていた。ただトンネルなど周りから見えないところの架線は盗まれて無くなっているらしい。1/160秒。f/1322mmISO100信越本線は分岐を右の方に走っていて軽井沢に向かっていた。左は観光列車の
東武佐野線吉水駅から佐野駅に戻り、12時29分発の列車で高崎駅へ向かいます。閑散時間帯にもかかわらずやってきたのは6両で、ほぼほぼ空気輸送状態。乗り込んだ最後尾は一時貸し切りになるほどでした。それでも13時32分到着の前橋駅からは一気に乗客も増え、群馬県の2大都市をつなぐ路線らしい雰囲気が漂ってきます。そして定刻の13時47分に終点高崎駅到着。帰路はここからグリーン車の締めくくり乗車をする予定ですが、さすがにこの時間に帰るのは早過ぎます。ということで、ここ最近とんとご無沙汰
まだサラリーマンだった30代後半、9月30日の仕事をお昼過ぎに三鷹で終了。10月1日は幸いにも休日。子供たちとカミさんは友人達と遊びに行くと行っていたのでオレは自由の身(笑)しばらく鳴りを潜めていた鉄分が何故かムクムクと…そうだ!明日から長野新幹線開業で碓氷峠越えは廃止になるんだった🥲ダメ元で三鷹駅のみどりの窓口へ💨明日で廃止の長野行き在来線特急あさまの指定券が取れた!!中央特快で新宿へ、そこから山手線内発の乗車券を使い上野へGO💨これに乗りラストラン💨軽井沢では宿の確保が出来
僕が小学校高学年になった頃に、父が、年に1~2回ほど家族を金沢に連れて行ってくれるようになった。長野から金沢へ、週末の1泊旅行のことが多かった。父が金沢の大学を出ていたから、恩師や同窓生に会いに行ったのか、はたまた勉強会や研究会だったのだろうか。大学院在学中に生まれた僕や弟を、生まれ故郷に連れていく意味合いもあったのかもしれない。車で行ったこともあったけれど、小学4年生で突如として鉄道趣味に目覚めていた僕が楽しみにしていたのは、何と言っても、鉄道で行く場合だった。当時は、ぴったりと都合
以前に信越本線、えちごトキめき鉄道線を運行する特急「しらゆき」を紹介しましたが、今回も信越本線を走る速達列車を紹介します。今回紹介するのは信越本線の「快速列車」です。信越本線の快速列車は新潟~長岡、新潟~新井、直江津~新潟、直江津~長岡間などを運行する列車があり、複数の本数、運行区間に分かれています。新潟駅から直江津駅まで走り通し、えちごトキめき鉄道線に乗り入れて新井まで運行するロングランの列車から、新潟~長岡間など新潟県内の主要都市間を運行する列車まであり、お出かけなどに便利な時間帯
旅の3日目最終日(2023年9月24日)、珍しく、朝はホテルでゆっくりしてから、新潟駅へ向かいます。実は、早朝から出発して途中下車しながら、酒蔵巡りや長岡ラーメンを計画してましたが、前夜の快速「SLばんえつ物語」の乗車のあと、新潟駅の「ぽんしゅ館」でお酒を買い込んで、ホテルの部屋の呑みで深酒して(二日酔いは無いですが)寝坊して、計画変更となりました(汗)日本酒「麒麟山」と日本酒に合う「山水麒麟山」が美味しくてハマってました(酔)この旅の日程と重なって、「朱鷺メッセ
しなの鉄道(旧信越本線)軽井沢駅。長野新幹線開業に伴う第3セクター移管後も、現役の国鉄時代の駅名案内だ。落涙のEF63(当時を知らんけど)。本当は来る予定だったが諸々の都合で断念し、妻に懇願して写メだけ送ってもらう。最終運行でここに終着し、そのまま保存展示されてるんだっけ?福井もそうだけど、もちろん新幹線開業は素晴らしい。でも同時にひっそりと消えゆく歴史もあり。粘着運転と言う言葉は、これを解説するスーツ氏の動画で覚えた。こんなのもあった。アプト式に乗りたければ、静岡は大井川鐵道に
2000年9月9日の撮り鉄日記(この日記は2000年9月9日の内容だが、ブログ投稿は2020年7月7日)━━━━前日から続く━━━━道の駅で、クルマの中で仮眠していて予定の時刻を寝過ごす。急いで鯨波へ移動。一部高速道路を利用したような気がする。鯨波でマヤ検を撮る。EF64-1031牽引マヤ34-2004北越急行のくびき駅に寄って、しょーもない記念写真を撮る。信越本線(←当時)二本木~関山の定番撮影地へ…まず、115系普通列車を撮る。そして、EF64-41牽引マヤ3
只見線から上越線に移動して向かったのは越後川口(エチゴカワグチ)駅。越後川口駅近辺にはいくつかの車が止めれそうな撮影地があったのがその理由です。この日のような小雨とはいえ断続的に雨が降る日は、なるべく車と撮影場所が近い方がいいですからね。国道17号線に出て長岡市方面に向かい川口支所前交差点を過ぎ、上越線をオーバークロスした先で県道421号線が左に分岐してるので県道へ。上越線を左に見ながらの下り坂を進み四つ角を過ぎた先で左への分岐路があるのでそちらに。すぐに左カーブがあるので、そのアウト
1991(平成3)年3月16日ダイヤ改正で、長野-新潟間(越後線経由)に快速「やひこ」が設定されました。急行「赤倉」と共に、新宿-新潟間の夜行快速「ムーンライトえちご」165系が使用され、グリーン車発生品の座席は破格の乗り得列車でした。3322M快速やひこ165系3連[新カヌ]1991.5.3柏崎青春18きっぷの時期には喜ばれたと思いますが、意外と早く廃止されてしまいました。やはり、長岡・東三条・加茂を経由しなかったのはマイナスだったのでしょう。この写真は「赤倉」