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1月4日は母のいるケアハウスに行きました。使っている携帯がこの先、使えなくなると言うので機種変のため、ケアハウスに寄り携帯を預かり、ドコモに行きました。結局、機種変の必要はないとわかり、何の為のしつこい連絡だったのかと納得はいかないのですが、出費はおさえられました。ケアハウスからの片道30分を買い物をしてまた戻り、やっと帰宅した翌日。「薬が足りない」と電話がありました。また?「夜の薬が全くない」「あの薬局はいつも薬の数がいい加減」と怒っていますが、薬局が間違えたので
年末に肺炎になり、痰が詰まり緊急で看護師さんに助けていただきました痰が詰まると呼吸をすることも話すこともできないのですが今回は奇跡的にSiriで看護師さんに電話をかけ、助けを呼ぶことができましたこのようなことがあり、ケアマネさんから24時間看護師さんが常駐しているケアホームに入居するか、レスパイト入院するかの提案をされました日中は1人の時間が多く、その時に痰が詰まると危険だからです私は生活の全てを妹に支えてもらっています仕事をしながらの介護生活が10年以上になります妹の時間を長く奪
多系統萎縮症の相方について毎年書いている記録に昨年分を足して整理しました毎年1月に書いてたのにすっかり忘れてた読む方によってはつまらない内容でごめんなさいーーーーーーーーーーーーーーーー[2012年(平成24年)]45歳(推定発症年)ーーーーーーーーーーーーーーーー7月発症(推定)ーーーーーーーーーーーーーーーー[2013年(平成25年)]46歳(発症2年目)ーーーーーーーーーーーーーーーー12月TMD大病院検査入院→脊髄小脳変性症診断ーーー
用事を済ませて帰宅した途端にケアハウスにいる母から電話がありました。「電子レンジが壊れた」「動かない」と言います。さらに「コードのつなぎ方がおかしいからかもしれない」と。狭い部屋にコンセントは少なく、どうしても、一か所から電源を取る事になりますが、その苦労まで故障の原因呼ばわりするのが母です。「取り合えず、いったんコンセントを抜いて、さし直してみて」と言うと、すぐに駆けつけない事に不満そうな返事。そのタイミングで妹からLINEが来たので、「電子レ
クリスマスが終わったと思ったら、いっきに年末年始モード。年賀状を出さない人が増えているようですが、目上の方、お世話になった方に年賀状の一枚も出さずに済むはずはなく、急いで年賀状を準備しておりました。すると印刷の途中で、いきなりプリンターが止まってしまいました。アインインストールなどを試みても全く改善せず、この忙しいのに新たなトラブルが。そうだ、コンビニでプリントしようか、などと検討している最中に、「コピーはどうだろうか」と思いつき、すでに印刷済みのはがきを使い、カ
88歳の母は二年前からケアハウスに入所しています。ケアハウスの入所条件は「自立した生活ができる事」です。父が亡くなってから1年少々は一人暮らしをしていました。ただ、道を歩いて転倒。家の中でも転倒。風呂場でも転倒。という日々でした。風呂場では平面でない場所で椅子に立ち上がり転びました。起きた事故のベースは母の不注意にあります。ともあれ、ケアハウスへと話を進めました。住民票がある自治体でなければ入所できないので、私の家からは1時間か
多系統萎縮症の相方<現状>2023年よりほぼベッド上生活膀胱留置カテーテル胃ろう[バルーン・ボタン]永久気管孔[誤嚥防止術:喉摘]訪問サービス(毎週)診療:1/歯科:1/看護:7入浴:3/マッサージ:3ST:1/PT:2/重訪:5もう11月か早いな〜季節が変わる時期わが家も少し変化が🛀訪問診療の日は夕方オープンリハでも増やそうかと訪看さんと相談していた所相方に聞いたらお風呂🛀がイイってでも訪問入浴は忙しそうだし枠がいっぱいだろう
夫、来月初めに、二泊三日のショートステイ申込み。別に私の予定があるわけではないけど、月に一度、これをルーティーンにしたい、と考えている。あまり間があいてしまうと、また、ふりだしに戻るから。で、一泊めは恒例の、「タイ料理を食べる会」を開催。わが家にお友だちが5名集まることに。今日、機嫌のよさそうな時を見計らって、「来週、お泊りに行ってね」と、言った答えが↑↑コレ。「死にたい」やっぱり・・・
こんにちは♪森里音のブログにお越し下さりありがとうございます11月の終わり♪母ミリーの誕生日をお祝いしました♡誕生日の朝…「お母さん、何が食べたい?」と聞くと数秒間の沈黙の後…今、聞かれたことを忘れてしまった様子だったので「ハンバーグ、トンカツ、カレー?」と母ミリーが好きな物を言っていくと「ハンバーグ!」と元気な答えが返ってきて食べたいと思う物があることやリクエストに応えられることを嬉しく思いました食後のケーキはミリーの好きなモンブランです♡3本のろうそく🕯を
言い訳をすると、長引く風邪、気候の変動、年齢的な気力体力の減退。このような中で、常に夫と母に時間を使う日々です。特に昨日は母が「肩が痛いので早急に病院に連れて行け」と電話をして来た事で、クラ~っとなりました。もう耐えられない。施設内で診察を受けられる所を探し、そこに行ってもらおうと考えながら寝ました。早朝に妹からお気楽なLINEが来たので、うっかり「母に病院に連れて行けと言われた」と愚痴をこぼしました。すると「言えば何でもやってもらえると思わせたのがよくない
いつもの私の晩酌父からきたタコがまだまだあるので毎日食べます飽きないんです。更に最近太ったのでこれくらいで十分なんです。先日の朝日毎朝これを見ながら朝散歩。カブ、ポーも今年は5歳になります。早いねと娘と話してました。あと2年もしたらシニアに突入するんです!一日を大切に過ごしていきます!私が掃除機をかけ始めると何かしら壊すぽぽちゃん今日もやってくれました。多分掃除機が怖いんだと思われる。基本、休みの日しか掃除機かけないズボラな母だけどそれでも週に2回はやってんだから
こんにちはメープルです。母が亡くなる1ケ月くらい前の話。この先どうなるんだろう?とずっと思っていました。母の介護・同居いていた時。無職?⇒仕事をやめたくてたまらないけど無職になるのは怖い。独身⇒これは自分の選択なのでOK介護⇒ガン闘病だけど、老化現象も伴って、1日中、何かと母の世話をすることはある…。自分ってどうなるんだろう?という将来の不安と、「介護同居している自分」とは何なのかというアイデンティティ喪失のような感じでした。早く自由になりた
ご挨拶が大変遅くなりましたが明けましておめでとうございます多くの方の、それぞれのご体験に基づくブログは昨年も大変参考になり、励みになりました。本年もよろしくお願い致します。2026年となりました。夫の健康状態に異変を感じ、大学病院の睡眠科を受診したのが2020年3月でした。介護のスタートを切った時です。大変な介護生活を送っている方とは比べ物になりませんが、介護生活も7年目となります。「人の本質がよく見えるようになった」とか「学ぶ事も多い」「貴重な経験をしている
同級生ではない、私の一番古い幼馴染から年賀状が届きました。彼女は私が小学校へ入った頃に田舎の我家に訪ねてきてくれました。親父同士が独身の時からの知り合いで付き合いがありました。私は知りませんでしたが・・・・田舎を捨てて、兵庫県に引っ越してきたときから、家族での付き合いです。彼女の家族は夫婦に妹が一人いました。昭和23年生まれの姉と25年生まれの妹です。私が高校生時代には自宅にも何度も泊りに行った記憶があります。そう言えば、アイススケー
母に電話をしたら、「夢だったみたいだけど、昨日の深夜、あなたが来たと思った」「寝ている時にドアのカギを開ける音がしたの。ここのスタッフの人があけたと思うけど、あなたが来たから開けたのだけど、寝ているみたいと言って、またドアをしめて、しばらく廊下で話をして帰った」起きてしばらくは、現実だと思っていたようですが、少しして、あれは夢だったと納得したみたいです。母に認知症の症状が少しずつでてきていて、さらに本人からもこんな話を聞く事になりました。母の母。私の祖母を最
自分が自分である事を認識できる時間。朝の5時半くらいまで。その為にうまく行けば3時半。それが無理なら4時に起きます。二か所のトイレ掃除を終え、残った時間を好きな事に使う、私の大事な時間です。そんな時間に妹からよくLINEが入ります。仕事のためにやはり早朝に起きて支度をするようです。私が起きていると知ってLINEが来るので仕方なく返信はしています。今朝は話の流れで「夫は目の前にいても、日に日に違う人間になっていくし、母も手がかかる。また、いつ緊急電
11月5日待ちに待った日でした庭は落ち葉の絨毯掃除もせずに朝からソワソワとチケットを申し込む時から行けるかな~五分五分でした危惧していた夫の体調があれよあれよという間にありえないぐらいジェットコースターのような激しい変化が続き7月末から入院していましたが9月には一時昏睡状態も主治医に覚悟するようにまで言われて頭が真っ白に一時退院時に孫娘がバイオリン演奏でジージを励まして…10月になって手術やら放射線治療やらで持ち直し
多系統萎縮症の相方<現状>2023年よりほぼベッド上生活膀胱留置カテーテル胃ろう[バルーン・ボタン]永久気管孔[誤嚥防止術:喉摘]訪問サービス(毎週)診療:1/歯科:1/看護:7入浴:3/マッサージ:3ST:1/PT:2/重訪:5本年もよろしくお願いします今年も食べられそうな正月料理を相方の嚥下状態に合うようにして盛りつけました^_^お雑煮は白味噌仕立て具材はブレンダーでつぶし餅は極限まで柔らかくして少しずつ食べました2年前に日
2026年新しい年が始まりましたね。昨年も本当にお世話になりました。後半はポッキーの介護となり一日一日を大切に過ごすことができたと思います。12月23日の発作が起きるまではずっとこんな時間が続くのであろうとそして発作が起きてもまた戻ってくるだろうと期待していました。だからいつ帰ってきてもいいようにポッキーのコーナーを綺麗にして待っていました。12月26日朝8時10分動物病院の先生から電話で「今、亡くなりました」と知らせあり