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昨日、洗濯物干しながらふと、思ったんです。私達は、生きていて常に、右へ行くかそれとも左へ行くか判断をしています。自分の前に、まっすぐに人生の道があって岐路に立つと右左、どちらか選択して進む、そんなイメージではないでしょうか。でも、思ったんですが、もしかしたら、私達の進んでる人生の形はもしかしたら球体のような感じかもしれません。地球の上をぐるぐる走るように人生(運命)というのは全部ひと繋がりなのかも。(網目のあるメロンみたいな?)つまり、右に進んで
ブログに時々書いているが、私はいわゆる「機能不全家庭」の育ちである。いい言葉ではないが「毒親」と呼ばれるもの。うちの場合は父親が家庭に無関心、母親が子供に過保護、過干渉だった。心から親に甘えた経験はおそらく一度もない。どんな事情か未だにはっきり分からないが父は中卒で、私が小学生頃に職人業を独立して自営業となった。母は公務員。とてもチグハグな二人で、学歴の話は家庭内でタブーだった。父と母は短気同士で喧嘩が多く、お世辞にも夫婦仲はいいと言えなかった。田舎ゆえ男が強く、女は従うものという感じ。
自分の誕生日はみんな当然知っている。しかし、自分が製造された日を知る人は多くないと思う。でも私は知っている。聞きたくもないのに母親に教えられたのだ。結婚する時に戸籍謄本を取得した際、この話を聞かされた。親の入籍日と私の誕生日が大して離れていないので、その言い訳のようだった。母は私に「順序を誤るな」と散々言っていたから、デキ婚だと思われたくなかったんだと思う。父の誕生日が私の製造日であり、その時すでに婚約していたのだと言っていたが、私は何と答えていいか分からず困惑した。当然だろ
亡き祖母がよく口にしていた言葉の思い出の続き。一つは「憎さは口が持ってくる」そしてもう一つは「黙っている人ほど臭い屁をこく」というもの。お世辞にも綺麗な言葉とは言えない。祖母は私と同じで毒舌だった。この言葉は、澄ました顔をしている人ほど人に言えないような秘密を隠しているという意味で、それが露呈した時に使っていた。例えば、円満なおしどり夫婦で売っている芸能人の不倫のニュースなど。クリーンなイメージの人ほど世間に与える衝撃は大きいものだ。それを屁に例えている。この言葉を聞いて考えるのは、
この前放送していた「マツコ会議」で、マツコさんが星野源さんとの対談で語っていた話が名言だと巷で話題になっている。人生の変わり目には必ず手を差し伸べる人がいる、という話。それを掴む勇気と見極める力が大事だと。お二方が話していたのは仕事における転機の話だった。私も番組を見たが、すごく納得した。仕事を辞めてこの先どうしようかなという時や、失恋した時にそういう「手」は確かにあった。そして思うのは、マツコさん同様にその見極めが大事だなということ。人は人生の岐路に立つと迷い、判断力が鈍る場合がある。
どうも、たかざしです。今回は僕が大好きなキャラ「赤木しげる」通称アカギの名言TOP3を紹介します。福本先生の原作「天」の強キャラとして登場。その人気高さから、スピンオフ「アカギ」が制作され、アニメ化やドラマ化もされました。そんなアカギは作中で沢山の名言を残します。その中で僕が好きな名言TOP3を発表します。第3位は……アカギで鷲巣と戦った際に「大木」になぜ輸血をしないのか?聞かれた際に放った名言です。どんなに苦しくても、その先に対価に見合うものがあれば、人はそれを手に入れる為に
ハワイ旅行で読みましたが、日経夕刊で東浩紀氏が連載を持っているのでちょっくら再読数年ぶりでも面白かったです。冒頭に「哲学とか批評とかに基本的に興味がない読者を想定した本」です。飲み会で人生論でも聞くような気分で、気軽な気分でページをめくっていただければ幸いです。と始まっていますが、本当にリゾートにぴったりでした。感心ポイントを私的メモぼくたちは環境に規定されています。「かけがえのない個人」などというものは存在しません。ぼくたちが考えること、思いつくこと、欲望することは
量子論とか相対論を人生論に当てはめて議論する人って一定数居るけど,量子論とか相対論って純然な物理理論であって,人生論に当てはめられないと常に思うんだよね.そういう人って,量子論とか相対論をきちんと理解していないから,不思議な議論が展開されている.相対論とかで,多いのが価値観が相対的なものだとかが多いんだけど,相対論を無理やりに人間関係に置き換えると,「光速度不変の法則」の為に,「まわりの時空間が歪む」というのが相対論の本質だから,例えると「全く人の意見を聞かず,自分を全く変えない我儘な人」
先週の土曜日で禁パチ5週でした。一月以上パチンコ行ってないのはかなり久しぶりだと思います。このままパチンコ行かない人生を歩みたいものです。さて、借金返済の方ですが…ここ3~4ヶ月は返した分を又借金…完全に自転車操業状態でした。何で遊びに行ったりカバン買ったりしたんだって事ですが…楽しかったのでまぁ良し。借金増えてないからまぁ良し。としてます。ただ、来月からは自転車操業終了できるかなーと思ってます。禁パチもできるてるし、楽しい思いもしたし、それを返済に活かしたい次第です。
前回、我々は楚国の大官葉公が孔子の人物に関心を抱くのを見た。今回はその葉公のよく知られたエピソードである。出典は『新序』第5巻。孔子の弟子の子張が魯君哀公に謁見を申し入れた。7日経っても音沙汰なし。子張は哀公の侍従に次のことづてをして去って行く。「私は君公が士を好むと聞き、千里を遠しとせず、はるばるやってきました。露に濡れ、霜を踏み、塵と垢にまみれ、足にたこを何度もつくり、歩き続けてやって参りました。だが、君はお会いにならない。君は士を好むというが、それは葉公が竜を