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前回の記事の、18世紀貴公子たちのノーパン事情❤から一転、まじめな話を書きます(笑)まじめな妄想話です(笑)スピリチュアルな話が好きな方、人生に行き詰っている方(笑)とりあえずお暇な方、ベルばら関連の話ならなんでもO.K.な方、お付き合いください(*'ω'*)またまたいつものことながら、ホームのところに上がってきたYouTubeの映像をなんとなく観てみたの(*'ω'*)これ👇【生き方の指南書!】木内鶴彦さんが臨死体験で見た「宇宙の真実」とは?(木内
【質問】調子が良い時はさほどでもないのですが、調子が悪いとドン底です。鬱、強迫観念、パニック障害、睡眠障害があります。朝、昼、夜、にソラナックス、デプロメール、就寝前にデパス、マイスリー、頓服にワイパックスを処方されています。毎日何回も息苦しくなり、めまいがします。生きている意味がわからず、生きているのが面倒です。他の人はなぜ楽しいのか分かりません。以前、自己判断で断薬をしたら、死ぬほど苦しみ、人を死なせたくなったり自分が死にたくなったり、ひどいめに合いました。先祖が私を苦しめてい
入院時の部屋は4人部屋。廊下側を希望していたけど空きがなかったので窓側になり、強制的に差額ベッド代が発生同室の廊下側には・何度も入院していて看護師さんやドクター、いろいろ顔なじみが多い入院マスター的なおばさま(おそらく60-70代)・母国語が何語を喋っているのかワタシには全くわからない謎の外国人(年齢不詳。でもおそらく50代)そして、ワタシよりも1日遅れて入院してきたのは、同じく窓側で真向かいの中年女性(おそらく50代)ブーブーブーイングー消灯後、呼吸が苦
昨日、柔道の元金メダリスト古賀さんの訃報が入ってきて驚いた。まだお若かったよね?と。53歳だそう。ガンで亡くなられたらしい。昨年の年明けに元夫の上司だった方が亡くなった時と同じぐらい驚いた。その方は会社を辞め、奥様と二人でパン屋を営んでいた。亡くなる前はお店が雑誌で紹介されたり、イベントに参加したりと経営が軌道に乗っていた様子。そんな時に脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。50歳になる手前だと思う。私の人生の中で出会った方で、同じ年代で亡くなった男性が何人もいる。心臓発作や事故、
ブログに時々書いているが、私はいわゆる「機能不全家庭」の育ちである。いい言葉ではないが「毒親」と呼ばれるもの。うちの場合は父親が家庭に無関心、母親が子供に過保護、過干渉だった。心から親に甘えた経験はおそらく一度もない。どんな事情か未だにはっきり分からないが父は中卒で、私が小学生頃に職人業を独立して自営業となった。母は公務員。とてもチグハグな二人で、学歴の話は家庭内でタブーだった。父と母は短気同士で喧嘩が多く、お世辞にも夫婦仲はいいと言えなかった。田舎ゆえ男が強く、女は従うものという感じ。
亡き祖母がよく口にしていた言葉の思い出の続き。一つは「憎さは口が持ってくる」そしてもう一つは「黙っている人ほど臭い屁をこく」というもの。お世辞にも綺麗な言葉とは言えない。祖母は私と同じで毒舌だった。この言葉は、澄ました顔をしている人ほど人に言えないような秘密を隠しているという意味で、それが露呈した時に使っていた。例えば、円満なおしどり夫婦で売っている芸能人の不倫のニュースなど。クリーンなイメージの人ほど世間に与える衝撃は大きいものだ。それを屁に例えている。この言葉を聞いて考えるのは、
Alohaホステスを20年間してきた私が、37歳の時にハワイへ留学するまでの話を書いています。前記事、違う世界へ飛び込む準備の続きです。子供の頃、外国人の多い街で育ちました。幼稚園からピアスをしてるお友達もいるし、アメリカ人のパパがいる友達の誕生日会は、沢山のカラフルなお菓子やケーキが出て来て、毎回ワクワクしました。英語を話せる友達もいた影響で、いつしか英語を習いたいなと思い始め、ある日母にお願いをしたんです。しかし当時は書道、公文、そろばん、ピアノと、これ以上の習い事は無理だと言われ諦
ホステスを20年間してきた私が37歳の時にハワイへ留学した話を書いていますがこちらはホステス時代の回想です。『怒った女性の偵察客』の続きで加藤さん(仮名)の奥様が乗り込んできた話。あまりよく覚えてないのですがその奥様はあんたまだ若いのにさ〜と始まり加藤さん(ご主人)に対しての怒りや愚痴を私に話していました。あんた人のものを欲しがるタイプなの?自分でお店やってるくらいだから相当気が強いでしょ?わがままとかよく言われない?などとご主人の愚痴を言いながら
私が初めて海外に行ったのは26歳の時、挙式兼新婚旅行で行ったハワイだった。専門学校を出て就職した会社を一年で辞め、数ヶ月間無職生活をした後に現在の職業である建築設備工事の図面業になったのだが、そこに入ってから20代は毎日毎日残業続きの仕事三昧で平日に遊ぶ時間などなかった。そんな生活に疲れ、長年くっついたり離れたりした相手と結婚することに。まだしたくないという相手を説き伏せての結婚だったが、自分自身も今思えば彼が好きで結婚がしたかったというよりも単なる逃げだったと思う。田舎の友達が次
自分の誕生日はみんな当然知っている。しかし、自分が製造された日を知る人は多くないと思う。でも私は知っている。聞きたくもないのに母親に教えられたのだ。結婚する時に戸籍謄本を取得した際、この話を聞かされた。親の入籍日と私の誕生日が大して離れていないので、その言い訳のようだった。母は私に「順序を誤るな」と散々言っていたから、デキ婚だと思われたくなかったんだと思う。父の誕生日が私の製造日であり、その時すでに婚約していたのだと言っていたが、私は何と答えていいか分からず困惑した。当然だろ
Alohaホステスを20年間してきた私が、37歳の時にハワイへ留学するまでの話を書いています。前回のお話に書かせていただいた、拓巳くん。一緒にアメリカ横断をした男性のお話貴重な体験ルート66の旅数日前、探しものをしていたら、キャビネットから大量の手紙とカードが入ったケースが出てきました。何故だか私は、幼い頃から書く事が大好きで(日記でも手紙でも)、いつのまにか文通をしていたりすることが多く。その手紙や頂いた誕生ガードをすべて取っておいています。そしてその中から、拓巳くんからもらった沢
この前放送していた「マツコ会議」で、マツコさんが星野源さんとの対談で語っていた話が名言だと巷で話題になっている。人生の変わり目には必ず手を差し伸べる人がいる、という話。それを掴む勇気と見極める力が大事だと。お二方が話していたのは仕事における転機の話だった。私も番組を見たが、すごく納得した。仕事を辞めてこの先どうしようかなという時や、失恋した時にそういう「手」は確かにあった。そして思うのは、マツコさん同様にその見極めが大事だなということ。人は人生の岐路に立つと迷い、判断力が鈍る場合がある。
池田晶子さんの残酷人生論。自分とは何か、存在とは何か、謎はそれに尽きるという。解答は次の通り。「私は唯一である。そして私は、この人間である。ところで死は存在しない。したがって魂は存在し続ける」文字通りであると、その意味を理解した時の衝撃を忘れることはできない。補足すると、我々は、思考、感情、身体を見つめることができるが、その見ている存在が真の自己の意識であり、時間は無いため、宇宙のはじまりのビックバンの時もその意識、その時から自己は在る、となる。ソクラテスが啓示を受けたデルフォイ
宮沢賢治春と修羅第二集より告別云わなかったがおれは四月はもう学校に居ないのだ恐らく暗くけわしいみちをあるくだろうそのあとでおまえのいまのちからがにぶりきれいな音の正しい調子とその明るさを失ってふたたび回復できないならばおれはおまえをもう見ないなぜならおれはすこしぐらいの仕事ができてそいつに腰をかけてるようなそんな多数をいちばんいやにおもうのだもしもおまえがよくきいてくれひとりのやさしい娘をおもうようになるそのときおまえに無数の影と光りの像があらわれるお前はそれ
「ThinkSmart間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法」(ロルフ・ドベリ著サンマーク出版)本書は「読書125」で紹介した本の続編です。前回は500円で購入しましたが、今回も500円弱で購入し、安くなったところでゲットしたところも同じです。ここからは本題。前著は「よりよい人生を送るため」のことが書かれていましたが、今回は「思い込みを避けて生きる」がテーマ。僕たち人間は何事にも最善を尽くして生きているつもりなのですが、実は思い込みや盲点にハマって損をし