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入院時の部屋は4人部屋。廊下側を希望していたけど空きがなかったので窓側になり、強制的に差額ベッド代が発生同室の廊下側には・何度も入院していて看護師さんやドクター、いろいろ顔なじみが多い入院マスター的なおばさま(おそらく60-70代)・母国語が何語を喋っているのかワタシには全くわからない謎の外国人(年齢不詳。でもおそらく50代)そして、ワタシよりも1日遅れて入院してきたのは、同じく窓側で真向かいの中年女性(おそらく50代)ブーブーブーイングー消灯後、呼吸が苦
こんばんは。月曜日のガラ。縮めて月ガラです。今日はよく上がりましたので、ニコニコ笑顔の方が多いのではないでしょうか。わたしも、東京電力が上がってくれました。420円台、430円台で買った分を利確できて、膨らんだポジションを軽くすることができたので良かったです😊今日は、「残酷人生論」と言う本が届いたので読み始めました。哲学の本です。著者の言葉を借りると、たんなる思考の書です📖著者の池田晶子さんは2007年にお亡くなりになられていますが、わたしとは大学の同級生。池田晶子さんは文学部哲
おはようございます。木津貴泰です。土曜日ということで、ゆっくりめで過ごしております。雨天ということもあり、外出する選択肢もありませんのでね。最近は、普段読んでいるブログ周りをしていませんでした。今日、気持ちがのんびりしていたので、すこしばかり見てみようかな。と思って、親交の深い結花さんの投稿を見て、驚きました。かつて。私もヤフーオークションをよく使っていました。その際、全く取引相手には不備も悪態もなく、取引は成立していました。個人同士の取引とは言え、立派な契約です。反故にすれ
自分の誕生日はみんな当然知っている。しかし、自分が製造された日を知る人は多くないと思う。でも私は知っている。聞きたくもないのに母親に教えられたのだ。結婚する時に戸籍謄本を取得した際、この話を聞かされた。親の入籍日と私の誕生日が大して離れていないので、その言い訳のようだった。母は私に「順序を誤るな」と散々言っていたから、デキ婚だと思われたくなかったんだと思う。父の誕生日が私の製造日であり、その時すでに婚約していたのだと言っていたが、私は何と答えていいか分からず困惑した。当然だろ
最近同じような記事を見かけるので少し気になりましたメールのレスの速さと仕事能力はほぼ比例している私、以前返信をその日のうちにしようと思っていたのに忙しくて翌日になり返信しなくちゃ!と思っていたら翌日返信しないってどういうこと?って責められたことがあります精神病んでんの?とまで言われました確かに既読スルーは気にはなりますよねでも忙しいのかなとは思ってはみますけどメールの
昨日、柔道の元金メダリスト古賀さんの訃報が入ってきて驚いた。まだお若かったよね?と。53歳だそう。ガンで亡くなられたらしい。昨年の年明けに元夫の上司だった方が亡くなった時と同じぐらい驚いた。その方は会社を辞め、奥様と二人でパン屋を営んでいた。亡くなる前はお店が雑誌で紹介されたり、イベントに参加したりと経営が軌道に乗っていた様子。そんな時に脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。50歳になる手前だと思う。私の人生の中で出会った方で、同じ年代で亡くなった男性が何人もいる。心臓発作や事故、
ホステスを20年間してきた私が37歳の時にハワイへ留学した話を書いていますがこちらはホステス時代の回想です。『怒った女性の偵察客』の続きで加藤さん(仮名)の奥様が乗り込んできた話。あまりよく覚えてないのですがその奥様はあんたまだ若いのにさ〜と始まり加藤さん(ご主人)に対しての怒りや愚痴を私に話していました。あんた人のものを欲しがるタイプなの?自分でお店やってるくらいだから相当気が強いでしょ?わがままとかよく言われない?などとご主人の愚痴を言いながら
Alohaホステスを20年間してきた私が、37歳の時にハワイへ留学するまでの話を書いています。前回のお話に書かせていただいた、拓巳くん。一緒にアメリカ横断をした男性のお話貴重な体験ルート66の旅数日前、探しものをしていたら、キャビネットから大量の手紙とカードが入ったケースが出てきました。何故だか私は、幼い頃から書く事が大好きで(日記でも手紙でも)、いつのまにか文通をしていたりすることが多く。その手紙や頂いた誕生ガードをすべて取っておいています。そしてその中から、拓巳くんからもらった沢
Alohaホステスを20年間してきた私が、37歳の時にハワイへ留学するまでの話を書いています。前記事、違う世界へ飛び込む準備の続きです。子供の頃、外国人の多い街で育ちました。幼稚園からピアスをしてるお友達もいるし、アメリカ人のパパがいる友達の誕生日会は、沢山のカラフルなお菓子やケーキが出て来て、毎回ワクワクしました。英語を話せる友達もいた影響で、いつしか英語を習いたいなと思い始め、ある日母にお願いをしたんです。しかし当時は書道、公文、そろばん、ピアノと、これ以上の習い事は無理だと言われ諦
この前放送していた「マツコ会議」で、マツコさんが星野源さんとの対談で語っていた話が名言だと巷で話題になっている。人生の変わり目には必ず手を差し伸べる人がいる、という話。それを掴む勇気と見極める力が大事だと。お二方が話していたのは仕事における転機の話だった。私も番組を見たが、すごく納得した。仕事を辞めてこの先どうしようかなという時や、失恋した時にそういう「手」は確かにあった。そして思うのは、マツコさん同様にその見極めが大事だなということ。人は人生の岐路に立つと迷い、判断力が鈍る場合がある。
私が初めて海外に行ったのは26歳の時、挙式兼新婚旅行で行ったハワイだった。専門学校を出て就職した会社を一年で辞め、数ヶ月間無職生活をした後に現在の職業である建築設備工事の図面業になったのだが、そこに入ってから20代は毎日毎日残業続きの仕事三昧で平日に遊ぶ時間などなかった。そんな生活に疲れ、長年くっついたり離れたりした相手と結婚することに。まだしたくないという相手を説き伏せての結婚だったが、自分自身も今思えば彼が好きで結婚がしたかったというよりも単なる逃げだったと思う。田舎の友達が次
ブログに時々書いているが、私はいわゆる「機能不全家庭」の育ちである。いい言葉ではないが「毒親」と呼ばれるもの。うちの場合は父親が家庭に無関心、母親が子供に過保護、過干渉だった。心から親に甘えた経験はおそらく一度もない。どんな事情か未だにはっきり分からないが父は中卒で、私が小学生頃に職人業を独立して自営業となった。母は公務員。とてもチグハグな二人で、学歴の話は家庭内でタブーだった。父と母は短気同士で喧嘩が多く、お世辞にも夫婦仲はいいと言えなかった。田舎ゆえ男が強く、女は従うものという感じ。
人は群れをなして生きる動物。人は独りでは生きられない。社会全体を見渡せば全くその通り。働いている人がいるから世界が動く。人間に必要な衣食住は必ず誰かによって作られているもの。誰しもが、そのそれらの恩恵を受けています。この店で[人は独りでは生きられない]はまったくもって正しいことです。否定できません。これから僕が話す[独りでいられるのが最強]という話はくだらない人間関係なくとも時間を使うことができるもしくは、生きていける[助けなどいらない]覚悟がある人ほど、生きること
私が、数字が好きなのは、やっぱり物事にはなんでも順番があって、なるようになるんだな、と感じるから。いい(ように思う)ことも、わるい(ように思う)ことも順番に、1から9を繰り返して「習慣」になっていくのが、人生なのかなと。「1から9を繰り返す」ってのが大事で。9の次は、10であり、1であって。新しいサイクルの、1。らせん階段みたいになってるのが人生かな~と。当たり前?!習慣て安定につながるんだけど、「ゆるやかな変化を繰り返す」習慣て考えればいいのかな、と。私、変化は好きだけど、習