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こんにちは。西きほこです。今日はこのあと引っ越しを控えていまして、興奮して朝早く目が覚めたので家族の寝室からそっと抜け出し、ブログを書いているところです。YouTubeに上げている動画を見てくださっている方は「西さんは最近、結婚したのだな」と知ってくださっているかもしれません。12月末に婚活アプリで出会った方と、3月に入籍しました。前の旦那さんとは、子供が2歳の時に離婚し、それから6年近く、シングルマザーとして懸命に歩んできました。そんな中での、突然の電撃結婚。人生
今日は昭和11年(1936年)に起こったニ・二六事件の首魁のひとり、磯部浅一の故郷である長門市油谷(ゆや)を訪れます。なお訪問したのは2年前ですので、現状とは異なる所があるかもしれません。場所はこちら。長門市油谷は、向津具(むかつく)半島と本土に挟まれた油谷湾一帯に広がる地域で、すっかり人気スポットとなった赤の鳥居が並ぶ元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)も油谷にあります。長門市に編入される前の油谷町はいくつかの村が合併した町でしたが、その内のひとつである菱海村(ひしかいそん)が磯部浅一
「今夜、腹を切る」「覚悟はしておりました。お供をさせていただきとうございます」二・二六事件突発3日目の夜、事件に加わらなかった中尉30歳とその妻23歳。新婚という理由で、蜂起に声が掛からなかった。収束後には親友らを裁く立場になってしまう。いや、明日は討伐に出ることになるだろう。彼らに銃を向けるなんてことはできない。明朝発見された時に見苦しくないようにと、用意周到な様は健気でもあり、優雅でもある。そして、直前の「生」を心ゆくまで堪能する姿や、最後の実行シーンの描写。本を持つ
===================1960年代前半に、新しい映画が作り出されていました。元松竹の監督で、松竹からの多大な干渉に抗議し、独立していった監督たちです。マスコミは「松竹ヌーベルバーグ」と名付けました。大島渚監督。篠田正浩監督。そして、吉田喜重監督です。吉田喜重監督は、1973年に「アート・シアター・ギルド」の製作で、「戒厳令」という作品を撮りました。わたしの記憶に間違いが無ければ、二・二六事件を舞台とし、北一輝さんが銃殺されるまでを描いています。有楽町
~承前~三島由紀夫にとっての北一輝とはどういう人物だったのだろう。三島が昭和天皇に対する冷徹さを北一輝に嗅ぎとり、北から遠ざかろうとしていたことは、「豊饒の海」第二部の「奔馬」の主人公を、当初予定していた北一輝の息子「大輝」から、激越な国体論者である飯沼勲(大東塾の塾長影山正治氏がモデルと言われている)に変更したことに鑑み明らかである。「私は、北一輝の思想に影響を受けたこともなければ、北一輝によって何ものかに目覚めたこともない。ただ、私が興味を持つ昭和史の諸現象の背後にはいつも
転倒して、地面にしたたか頭を打ち付けたのは丁度1か月前の事(既にブログに書いたけど。)人込みを避けようとしたら足元にあろうことか、しれっと縁石があったらしく、つまずいたという自覚がないまま、気づいたら地面に横たわっていた。自覚がないということはつまり、咄嗟に手をつくといった行動が発動されず。手の支えなく、頭と肋骨から落下した。あれから1か月。痛みが引いたと思っていたのに朝方、打った方の左側の頭痛で目が覚め、これは硬膜下血腫?と飛び込みでクリニックへ。診察の後、CTを撮るために移
風邪気味の時の仕事はしんどいなー。なんだかうまくできなかったー。なかなか元気出ないなー。明日休みたいなー。休まないけどー。……失礼しました💦こういう時は日常とまったく関係ないことを見たり考えたりして時を過ごそうと思います。(いつものことだけど💦)ということで、今回書こうと思っているのはこちら。河出文庫の『英霊の聲』は、他に『憂国』、戯曲『十月の菊』、随筆『二・二六事件と私』が収録されています。どれも前に読了していたけれど、歴史的な事実を知った上で
いやはやいやはや・・・だいーぶ雪が積もりました・・・久しぶりかもしれません。こんな日はひとまず雪かきをしたあと、コタツに入ってお茶を飲みながら読書でもするインドア生活がいいですね。伊吹亜門さんの新刊です!!個人的に最近ちょこちょこミリタリづいてるわたしなのでグッドタイミングというか。二・二六事件を背景にした歴史ミステリーです。この頃って、本当に幕末の尊攘志士たちが斬り合いしていた頃と世相が似ています。蹶起した青年将校らのスローガンが「尊皇討奸」で。陸軍歩一・歩三
昭和時代には、二度ほど維新があった。一つは、1970年(昭和45年)11月25日三島由紀夫氏によるもの。もう一つが、1936年(昭和11年)2月26日の青年将校によるもの。未完となっているがその魂は永遠に語り継がれている。辞世我れ狂か愚か知らず一路遂に奔騰するのみ野中四郎(のなかしろう、1903年(明治36年)10月27日-1936年(昭和11年)2月29日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大尉。2・26事件自決。