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4月1日(月)午後からの個展の設営を前にして、D51338さんと3月31日(日)に上越線のC6120+旧客+EF65501の「SL敷島・沼田百周年」を撮りに行ってきました。サクラを期待したものの、3月に入ってからの気温の低下により菜の花と白梅と紅梅だけにとどまっています。①JRさんが配ってくれた応援用のうちわ②渋川-敷島③見事なスカ~④ケムリが無いくらいならば、後部補機のこちらの方が画になるかも(笑)⑤上牧-水上沼田~水上は客扱い無しの回送で、ここもウス~
上越線に入り長岡行とすれ違います。そしてこれから乗る只見線の始発駅小出に到着しました。乗継時間はあまりなく列車に乗り込みますが、車内は大混雑先ほどすれ違った下り列車からの乗り換え客で既に混雑しており、私を含めた数名の上り列車からの乗客は無理無理詰めて頂いて何とかスペースを確保このまま4時間弱この状態で過ごすのかと考えると・・・恐ろしい。。。まあ、どこかで空くかもしれませんし、頑張ります。窓からの写真を何気なく撮り続けましたが、場所がよく分かりませんのでスラ
探索日2017/05/041967年9月28日、新清水トンネル開通/湯檜曽~土樽間複線化時に移転旧駅は北湯檜曽信号場となる1984年11月8日、同信号場廃止奥へ登っていく道が旧駅への入り口入り口脇に上越南線殉死者供養塔旧駅前広場かつては駅前に医院と小料理屋があったらしいここがそうか?ホームへ出るにはさらに階段を上る閉鎖されている施錠はされてなかったかもしれん中をのぞいてみる駅前広場を見下ろすここからホームに行け
1993年3月7日の撮り鉄日記(この日記は1993年3月7日の内容だが、ブログ投稿は2021年5月2日)この日は、前日の夜、22:30頃に青砥駅での待ち合わせで、中学の頃からのテツの友人、ゆうずる氏と、その友人のおらさま氏と会った。歩いて、ファミレスSunday’sSun白鳥店へ行く。(現在のBigBoy白鳥店の場所)(青砥と亀有とお花茶屋の中間地点あたり)ウダウダと長居して、夕食食ったあとも駄弁る。深夜、1:30頃、先日、磐越西線行ったときも一緒だった、ごっちゃんです氏が
前回より4月中旬の週末に新潟県内を訪問、「グルメ&山城めぐり🏯」を愉しんだ旅の様子を紹介しています。今回は最初の訪問地「南魚沼市」にある「樺沢城(かばのさわじょう)」を登城とある理由から「営業準備中」と訝しんだのでした。樺沢城は営業準備中ここは今回登城するお城の最寄り駅「上越国際スキー場前駅」付近。訪問時は積雪がなかったので、宿泊施設の近辺は静かでした。今回訪問する樺沢城の「下屋敷跡」を早速見つけたよ。こちらには「城之腰跡」近くで上越線の電車が数1
前回の記事では夏休み恒例の快速列車「くじらなみ」の走行写真をまとめた。今回は「くじらなみ」の運行形態がどのように変貌したか、手元にある時刻表を手掛かりにだどってみたい。まず、1980年夏。信越本線上り。長岡から柏崎方面。この当時の「くじらなみ」は2往復。「くじらなみ1号」と「くじらなみ3号」が表示されている。1号は高崎発で、3号は熊谷発。高崎辺りを6時台に出て、上越線を下って長岡に到着。進行方向が逆向きになり信越本線を柏崎方面に向かい、鯨波に10時前後に到着。午後は
【23年7月23日探索・24年4月8日公開】現在地はこの辺新潟県南魚沼郡湯沢町大字土樽魚野川に架かる蓬橋(昭和45年架橋)だ。今回の目的地は土樽スキー場跡だ。スキー場が現役のころはJR上越線下りホーム(専用出口)からすぐ、Wikipediaによれば徒歩3分とあるが、今はかなり迂回して行く事になる。川上流方向を見る。上越線の橋梁が見える。下流方向、水、冷たくて気持ちよさそうだ(探索時は夏だったので)。線路が徐々に近づいて来て・・・上
久々の貸レレポ。どうもしょくぱんです。本日も仕事でした。さて、久しぶりの貸レレポートを書きます。貸レレポは2回ほど、江戸川区小松川の「夢空間」と千代田区秋葉原の「8BANSEN」で書かせていただきまして、特に夢空間の方では検索結果では上位に出てくるようになり、店員さんからも認知を頂いております。久しく夢空間は行けてないんですけどね……行きたいんですけど仕事の都合でだいぶ行ってません……すいません近々行かせていただきます……年内にはぜひとも……今回は東京から出て「群馬」です。日曜日の群馬ネ
今回は、久しぶりにFather's書庫からあさま色の189系で運転された特急「草津嬬恋」をご紹介させていただきます。撮影は、1998年の今日(3月7日)ですのでちょうど22年前ですね。撮影場所は新前橋~群馬総社間だと思われます。右奥には梅がちらほら咲いていますね。特急「草津嬬恋」は土休日のみ運転された臨時列車だったようで、走ったのはこの年のみだったみたいです。上越線を行くあさま色は珍しかったのではないでしょうか。(間違っていたらすみません。)JR東日本189系あさま
【23年7月23日探索・24年4月12日公開】現在地はこの辺JR東日本土樽変電所だ。昭和19年(1944)、山越えがあり輸送力増強のため新設されたようだ。傍らに何か謎の建造物がある。窓は全部こんなスリットで塞がれている。なんとなく廃オーラもあるが変電所に関係あるのか?ほぼ同じ場所で北側を見る。少し高い位置に先ほど見えた廃墟があるようだ。マピオン地図ではこの先の道路は描かれていないが、実際はまだ先に続いている。変電所の先
上越線越後湯沢~岩原スキー場前高崎方面へ向かう上り列車を撮影できるポイント。岩原スキー場前駅にて下車、駅前の一本道を道なりに約180m進み、県道268号線とぶつかる十字路交差点を左折する。道なりに約860m進みT字路交差点を左折、約310m進んだ跨線橋が撮影ポイント。岩原スキー場前駅からは約1.3km、徒歩16分前後の距離。https://yahoo.jp/m6dPPZ光線状態は昼前後順光。撮影地の跨線橋前後、どちらにもコンビニがあり飲食料等の調達が可能。作例は現場12:15頃通
直流区間の至るところで見られた165系列も次第に活躍の場を狭め、急行「赤倉」が165系最後の定期運用の急行でした。(1997.3新潟駅)急行といえど僅か3両編成の都落ち車両でしたが、この頃になると湘南色の大目玉ライトは稀少でした。急行「赤倉」は、1997年10月の北陸新幹線長野暫定開業を機に廃止、併せて上沼垂運転区の165系も消えました。(1997.3新潟駅)JRで最後に湘南色の165系を見たのが2003年6月です。新前橋電車区の165系を使い関東各地でイベント運転を実施し、最後
どうも、みなさんこんにちは。今日は栃木の小山まで行って、水戸線で友部、友部から常磐線で土浦、上野、上野東京ラインで東京まで行って、心理カウンセリングを受けてきたキッカです。覚える必要はありません。それでは本日は前回に続き、谷川岳から1泊した松乃井さんをご紹介します。建物の外観を撮るのをすっかり忘れてしまいましたがwww、ロビーはこんな感じ。フロントラウンジお土産ショ
【23年7月23日探索・24年4月11日公開】現在地はこの辺土樽駅前から写真撮影しながらではあるが36分もかかってようやくロッジの場所までやってきた。スキー場が営業していた2005年頃までなら駅のホームの端から3分ほどで来られた場所だ。右側も道路のように見えるが方向転換個所と思われる。スキー場はリフト1基、2コースしかないこじんまりとしたものだった(私は1995年頃の土樽スキー場のパンフレットを持っておりそれを見た記憶もあるが、勿体ない事に紛失してしまったようだ)。ロッジ(
「シーハイル上越」。183系から185系に引き継がれたもののさほど走らないうちに・・(ToT)上越線・越後中里2014.-1.26
上越線土合~土樽宮内方面へ向かう下り列車を撮影できるポイント。土樽駅にて下車、駅前の道を直進し関越道の高架下をくぐって魚野川に架かる橋を渡る。橋を渡り終えたら右折し上越線の線路下をくぐったらすぐに右折、そのまま道なりに進んだ先の関越道高架下付近が撮影ポイント。土樽駅からは約1km、徒歩10分前後の距離。http://yahoo.jp/l8S7nr光線状態は午前順光。付近に自販機・商店等はないため飲食料は事前調達が必要。降雨・降雪時は撮影場所をずらして関越道高架下の場所から撮影す
EOS10D時代のカットから。もう十数年経過。ここの桜の木は元気かな?!撮影上越線SL奥利根
【23年7月23日探索・24年4月10日公開】現在地はこの辺洗い越しの橋を渡り少し進むと何か碑が建っているのが見えた。石碑の方は殉職碑、隣の薄緑色のは慰霊碑だった。何の殉職碑かと言えば、清水トンネルを含む上越北線直轄工事に関するものであると刻まれていた。建立は昭和6年(1931)8月、上越線全通の直前だった。殉職者は14名、命がけの工事で「国境の長いトンネル」が貫通し群馬県と新潟県が鉄道で結ばれた。私も合掌し先に向かう事にした。
最近鉄分が不足している。食生活の話ではない。鉄道のことである。普段の生活では頑張って一般人を演出しているのだが、僕は鉄道マニアなのである。6月1日、幸運にも、3日後に運転の臨時特急谷川岳もぐら号の指定席発売状況が、満席を示す×から残りわずかを示す△になった。しかも窓側が空いているという。これは乗らない手はない。初めに簡単に列車の紹介をしたい。谷川岳もぐら号は大宮と越後湯沢を結ぶ臨時列車で、途中、上越線内のトンネル駅、湯檜曽(ゆびそ)、土合に長時間停車することから、もぐら号の名前がつい
今日は一枚EF6410182002ㇾ寝台特急出羽上越線、石打駅1986.6.21おしまい
毎度ご訪問ありがとうございます3月にSLぐんまよこかわに初乗車初めての蒸気機関車で汽笛と煙を堪能しましたが、レトロな旧型客車につき、やや期待外れな乗車となりました『SLぐんまよこかわ初めての旧型客車乗車記高速化への淡い期待【高崎~横川】』2021年3月のある週末、再び信州・越後に向かいました。前回は、大晦日の磐越西線のような雪景色を求めて、特急あずさで篠ノ井線・姨捨駅再訪(3回目...)しまし…ameblo.jp期待していた客車はこちらいつも高崎到着前に遠くから眺めて
新津からはE129系で長岡に向かいます。途中の写真はなく長岡に到着しました。長岡から先は暫く食事にありつけそうにありませんので、駅ビル内にあるフレンドで長岡のB級グルメ「ナポリタン」を頂きます。「ナポリタン」と言ってもスパゲッティではなく、焼きそば+ミートソース長岡と言えば「へぎそば」も有名ですが、こちらも中々面白いです。お試しください。長岡からは上越線の越後湯沢行きに乗ります。信越本線に乗るのは長岡の次の宮内まで宮内の少し先で上越線と信越本線が分岐します。
2023年のカットから。桜色の額縁。その先には蒸気機関車が。春爛漫!でした。(といっても、、、、、気温低く寒かったかも)撮影上越線SLぐんま水上
日本の鉄道で運転された開業・周年記念号で時刻表掲載されたものを取り上げています。第86回目はJR東日本が運行した、D51形蒸気機関車498号機の誕生とその後の復活運転の周年記念列車についてまとめてみます。ここでいうD51とはD51-498号機を指します。D51-498号機の国鉄時代の運転履歴の振り返りは割愛しますが、一度は廃止され静態保存となった後の復活の話は、1989年の横浜博覧会開催をきっかけに起きたようです。とは、先達の皆様はご存知の通り、実際には横浜博覧会では運転されていませ
上越線渋川駅です。駅前の観光協会(渋川駅前プラザ)で、無料で1日(9-19時)、自転車を借りられます!電動7速スポーツバイクも借りられます。太っ腹すぎる...!(帰りにお土産買ってあげましょう)この日は遅めの正午頃、渋川駅に到着。所用時間の目安として大まかな滞在時間も記録しておきます。①旬菜遊ふ亀12:15-12:45駅前にあるお店。ランチでつけ麺並と、赤城牛もつ煮込み丼をいただきました(1100円)超美味しいです。②伊香保グリーン牧場13:25-1
春の出張ツアーの締めくくりとして、4月24・25日と、札幌に出張に行く事にしたのは、3月も中旬。飛行機が大の苦手の私としては、「北斗星」での往復を考えていた。でも、何だかんだで忙しくて、なかなか切符を手配する事が出来ずにいたら、「有珠山噴火!」のニュース。そして、室蘭本線の伊達紋別~豊浦間の運転見合わせの情報。「北斗星」での復路は、「絶対にA個室寝台ロイヤルに乗ってやる!」と、指定が取れなかったら、出張は延期する位の覚悟で、4月10日、川崎駅のみどりの窓口で聞いてみると、あっさり取れてしまっ
12月15日に公表されたJR東日本2024年3月ダイヤ改正の分析、今回は高崎支社・大宮支社管内について解説します。https://www.jreast.co.jp/press/2023/takasaki/20231215_ta01.pdfhttps://www.jreast.co.jp/press/2023/omiya/20231215_o01.pdf※記事中の図は、JR東日本高崎支社・大宮支社プレスリリースから引用しています。1.上越新幹線臨時1本の定期化臨時列車「たに
14日の土曜日に上野を発ち、EH800による青函トンネル走行試験とDF200による北海道内での走行試験を終え、19日(木)に上野に帰って来ました。上越線経由だったので長岡からEF64の補機が前に付き、上越国境を越えるシーンを撮影したいと思い越後中里~土樽の毛渡沢俯瞰ポイントへ行きました。発電所のパイプラインに沿いながら俯瞰ポイントを目指します。当日は朝8時まで泊まり勤務だったので眠くてフラフラ(*_*)休みながら登る事20分、ようやく着きました(*_*)呼吸が落ち着いたのを見計らってセ
北陸新幹線の開業とともに鳴り物入りでデビューした唯一無二の列車種別「超快速」登場時からその名に引けを取らない話題ぶりで、料金を取らない列車では表定速度(始発から終着までの距離を時間で割った速度)が日本トップレベルの俊足ぶりだった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88しかし、沿線人口の減少や北陸新幹線との競合など北越急行そのものをとりまく経営環