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日本神話の中でも特に有名な「天岩戸神話」には、実は意外な真実が隠されていますそれは、『天照大神(アマテラスオオミカミ)はもともと男神であり、その神が死んだ後に巫女である天鈿女命(アメノウズメノミコト)が新たな太陽神に成り代わった』という驚くべきものです。現在、私たちが知る天照大神は女性神ですが、古代には太陽神が男神として信仰されていた可能性があります。以前に紹介した「ホツマツタヱ」においても、本来はアマテルという男性の神様だったという記述があります。そもそも太陽は陽性を現していて、男性的
「あわのうた」を初めて聞いたのは、数年前に前橋で開催された山川紘矢さん、亜希子さんご夫妻の講演会に参加した時でした。「あわのうた」は、「ホツマツタヱ」という古い文献に載っている歌で、古代のイザナギ、イザナミの神様が国を治めていた時代に、言葉の乱れを治すためにこの歌をうたったとのこと。この歌を歌うと元気になるので、みんなで歌いましょうとのことで、坂井洋一さんが作曲された「あわのうた」を参加者みんなで歌いました。ホツマツタヱという文献のことも、そのとき初めて聞き
沖縄が梅雨入りしたって聞いてから、かれこれ20日。大阪は毎日暑い日が続きますタクシー乗っても運転手さんの第一声は{暑いなぁ~一体、どないなってんねや今年は暑いらしいで~ばかりです梅雨入りはいつ頃になるのだろう雨女の私としては雨は今更気にもならないから涼しい方が良いなぁちなみに今日の休みも雨生駒に行く電車で記事を書いておりますさて、前回の続きGWに友達と車で滋賀の方まで行ってきました大渋滞をものともせず下道と高速を上手い事使い分けながら車は走る~なの
住吉(すみよし)大社には住吉大神が祀られているといいます。ホツマツタヱによればスミヨロシ神はスミヱの翁ともいわれるカナサキ(金拆命)さまといわれているようです。そこで今回は、カナサキさまがどんな方だったのかまとめてみます。全40章におよぶ壮大な叙事詩のホツマツタヱですが、カナサキさまはその第1章(1アヤ)の冒頭から登場します。『それわかはわかひめのかみすてられてひろたとそだつかなさきのつまのちをゑて』「和歌のはじまりは、ワカヒメさま
祇園祭(ぎおんまつり)でもしられる八坂(やさか)神社です。ここは、もともと神仏習合の社であり祗園社(ぎおんしゃ)祗園感神院(ぎおんかんじんいん)祗園天神(ぎおんてんじん)などといわれたようです。祭神は、かつて牛頭天王(ごずてんのう)だったといいます。牛頭天王は神仏習合によって生まれた日本独自の神仏といわれ、牛の頭をもったおそろしい神であり、釈迦(しゃか)の聖地である祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)を守る神とされているようです。祇園精舎の守り神から「祗園の
滋賀県大津市にある日吉(ひよし)大社の周辺をめぐります。これまでにも、たびたび訪れているご縁の深い神社さんです。『近江大津めぐり①~日吉大社と摂社~』京都・平安京の、鬼門を守るといわれる比叡山(ひえいざん)の東の麓に、日吉(ひよし)大社があります。かつては比叡山のことを日枝(ひえ)の山といい、日吉大社も、日…ameblo.jp『近江大津めぐり②~日吉大社と磐座~』前回の、近江大津めぐり①~日吉大社と摂社~のつづきです。東本宮のちかくに、八王子山(はちおうじやま)へつづく参道
以前、ホツマツタエと日高見国ついて、図をはっていたのですが、他の地域の図をみたいとのご質問がありましたので、全国の図をはっておきます。「ホツマツタエ」で言われている国名となりますが、出典はわかりません。。。参考程度に。※以前、ホツマ~の先生から頂いた資料です。『古代主要地名・神社地図』※古代の境界線は、はっきりしないので、現在の都道府県の境界を重ね合わせて古代国名としています。【日隈国(ひすみのくに)】・善知鳥神社・大本宮岩木山神社【日高見国】・大日霊貴神社・駒
淡嶋(あわしま)神社には少彦名命(すくなひこな)が祀られています。出雲(いずも)大社に祀られる大国主命(おおくにぬし)とともに「国つくり」をしたかたといわれています。「国つくり」とは、ひとびとにあたらしい農法や医術をつたえ安定した生活を送るための社会基盤をつくったということのようです。大国主命がリーダー・中心人物だとすると少彦名命はブレーン・参謀のような存在だったのではないでしょうか?知識の神医薬の神酒の神石の神禁厭(まじない)の神航海の神縁結
平安京の遷都以前、京都盆地は森と湖の地であったといいます。鴨川の西には秦(はた)氏が暮らし、鴨川の東には賀茂(かも)氏が暮らしていたようです。そんな賀茂氏が祀る神社として、下鴨(しもがも)神社や上賀茂(かみがも)神社は遷都以前から存在していたといいます。古事記や日本書紀のもとになったともいう『ホツマツタヱ』には、その経緯が載っていました。ここであらためて、時系列に沿って整理してみます。まず話は、天照大神(アマテル)の子オシホミミ
淡路島最高峰の諭鶴羽山(ゆづるはさん)にある諭鶴羽(ゆづるは)神社です。平安時代には修験道(しゅげんどう)の道場としてさかえ28もの伽藍があったといいます。和歌山の熊野権現(くまのごんげん)の縁起には、中国の天台山(てんだいさん)の神が九州の英彦山(ひこさん)四国の石槌山(いしづちさん)淡路の諭鶴羽山をへて熊野へおりたったのが熊野権現のはじまりとありここは元熊野(もとくまの)としても信仰をあつめているようです。ただ、熊野をはじめ英彦山も石槌山
二上山(にじょうさん)の登山口に葛木倭文座天羽雷命神社とともに祀られているのが加守(かむもり)神社です。ここは、地名も「加守(かもり)」といいかつては、葛木倭文座天羽雷命神社も「加守明神」といわれていたようです。ですから、本来は加守神社の地なのでしょう。ご祭神は掃守(かもり)氏の祖・天忍人命(あめのおしひと)だといいます。ご由緒によれば、初代・神武(じんむ)天皇の父・ウガヤフキアワセズが生まれるさい海辺に建てられた産屋(うぶや)にて「蟹(
「和」と神社の幸せ情報誌『WAGO-和合-』の第55号にインタビュー記事を掲載いただきました!和合とは日本の心を伝える情報誌として神社本庁の協力のもと神道や神社の素晴らしさをご紹介しています。和をもって良しとなすの精神のもとに和のアイテムも紹介しているといいますが今回は拙書『ゼロから始めるホツマツタヱ』を取り上げていただきました!たくさんの写真や画像とともに3ページに渡って掲載いただきました!本当にありがたいかぎりです。『和合(WAGO
奈良のお香屋・あーく煌々(きらら)さんが主催するホツマツタヱ講座『縁結界解(えんゆひかいかい)』にてフトマニ図を解説する講座を行います。●日程2025年4月13日(日)●会場なら歴史芸術文化村芸術文化体験棟3Fセミナー室A+B●時間13:00~17:00(開始30分前より受付)●参加費5,000円●縁結会(懇親会)17:30~19:00同会場にて懇親会をおこないます。こちらの参加費は1,000円です。お弁当とお茶が用意されます。
伊勢神宮(いせじんぐう)の内宮(ないくう)では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っています。皇室の祖神といわれ日本の最高神であるとされているようです。いまでは女神といわれていますがふるくから男神であるともいわれさまざまな伝承もあるようです。古事記や日本書紀のもとになったといわれるホツマツタヱもそのひとつで、男神・天照大神についておおくのことが描かれています。そもそも、天照大神は国難から生まれたようです。ホツマツタヱによれば、地球に降りたったは
こんにちは。あなたの才能を活かす天職コンサルタント梅田幸子です。台風が通り過ぎたら、土砂崩れや大波による復旧やこれからまだ警戒しましょうというニュース。大切な方の安全は確認できましたか?大切なひとのために祈る地域や日本や地球のために祈る祈ることと、心配は違います。不安も心配も愛ですが、愛をまっすぐに祈りにできたら、とても大きな力になります。中谷奈津子さんからホツマツタヱ、種市勝覺さんから密教の呪術をご紹介。ふたつの祈りに共通するのが、被害を最小限にする祈り
「新天新地~聖なる愛、その神秘~」から繋がってます。・邪馬台国(ヤマタイコク)は大和国(ヤマトコク)。・倭(ワ)は(アワ)と読む。・四国結界は天照の八倉比売神社を迂回し、空海伝説の狐祓いのこと。・九州の宇佐八幡宮の元宮は、阿波の宇狭の宮。・旧日本帝国の防共回廊や八紘一宇の思想は天照によるものではない。・「先代旧事本紀大成経」に、天照を祀ったのは伊雑宮とある。その他、諸々。今の日本で神道のことを言うと嫌われるんですけどね。仕方ないので。私は元々は自然の中で撮
古事記・日本書紀には、賀茂建角身(たけつみ)や賀茂別雷神(わけいかづち)は出てこないといいます。この方々が登場するのは、山城国風土記(やましろこくふどき)だそうです。その系図は、ホツマツタヱとも違っていました。風土記によると賀茂建角身は、神産巣日神(かみむすび)の孫として生まれ、日向の曾峰(そのたけ)に降臨したといいます。そうして八咫烏(やたがらす)となって初代・神武(じんむ)天皇を導き、大和の葛城(かつらぎ)にたどり着いたそうです。それから北上して
今回は「心宿」です。心宿さんには孤独の匂いがします。月夜の晩に一人星空を眺めている、その方が落ちつく。。。こんな感じの心宿さん。でも本当の心中は、自分を分かってくれる人との本当の関係を築くこと。だって、本当のあなたにはこんなに無邪気な一面があるのにね。それを素直に出せないからじゃないかな。その無邪気な一面を出せるのかどうかは、お相手次第。時間をかけてゆっくりと本当の自分を出していけたら楽になりますよ。以前先生は、「心宿って面倒くさい性格なんだよ~。」と言っていました。一度
春日大社の参道をぬけ本殿へとはいってゆきます。本殿は、四方を回廊に囲まれていました。一般参拝できるのは、南門はいってすぐの幣殿(へいでん)と舞殿(ぶでん)がひとつになった建物からです。ここから先の本殿前までゆくには、特別参拝料がかかります。もちろん、参拝させていただきます。はいってすぐ、本殿南には末社が4社ならんでいました。それぞれ、井栗(いぐり)神社穴栗(あなくり)神社辛榊(からさかき)神社青榊(あおさかき)神社です。これらはいずれも、一之
福知山(ふくちやま)の皇大(こうたい)神社です。天照大神の御霊は伊勢(いせ)神宮に祀られるまで各地をめぐっていたといわれますが、そのときに祀られた地を元伊勢(もといせ)といいここもその比定地だといいます。なかでもここは夏至冬至の太陽ラインで伊勢神宮とむすばれる聖地であり近畿五芒星のひとつでもあるようです。五芒星の中央には平城京があり平安京や飛鳥京も中央ラインにあるというも面白いですがここ、元伊勢と伊吹山(いぶきやま)をむすぶラインには東に富士
『天照大御神の内緒話』『天照大御神(アマテラスオオミカミ)』神々の国「高天原(たかまがはら)」を統べる太陽神であり、皇室の祖『皇祖神』と言われた最高神である。女神とされているが、元…ameblo.jp↑の続き。『天の磐船』に乗って降臨した『饒速日命(ニギハヤヒノミコト)』。降り立った場所には現在『磐船神社』が鎮座している。磐船神社は「天野川」の渓谷沿いにある。天野川つまり、『天の川』だ。ここがとても重要なのです。前回書いた通り、古史古伝『ホツマツタヱ』等によると、古代には『アマテル
前回に引き続き調べていると、クナト王と出雲族とは関連付けられて情報が出てくる事が分かりました。ここで少し頭を整理すると、倭人には二系統あり、3500年前にインドから渡来した出雲族(クナト王の率いるクナ国人のこと)と紀元前300年頃に渡来したクニサツチに始まる大山積王家とです。読んでいると、出雲族は北から入ってきて出雲へ土着した事が書かれているので、出雲の王家は倭人扱いで、一緒にきていた人達は倭種扱いされているのが理解としては正しい様です。で、一番の問題点は「意識」だと思います。
いつもお読みいただきありがとうございます。あなたの才能を開花させ愛に満ちたヒーラーへ導くヒーリングサロン和心主宰ヒーラー育成講師野村香織です。瀬織津姫の祓川ヒーリングアチューメント12月19日午前8時より募集開始致します。祓川ヒーリングについて説明する前に瀬織津姫様がどんな女神なのか、を書いていきますね♡(イラスト瑠璃の星☆ミさん)アチューメントを受けた経緯はこちらから♡↓↓↓『【3日後募集開始】瀬織津姫の祓
世久見(せくみ)湾と美浜(みはま)湾をへだてている常神(つねがみ)半島です。近畿五芒星というレイラインのうち中央線の北端が常神半島にある常神(つねかみ)や御神島(おんがみじま)だといいます。御神島は、常神の沖合い500メートルにある無人島だそうです。南北に1キロほど周囲は3キロほどの小島ですが、標高は195メートルもあるといいます。島内には、第34代・舒明(じょめい)天皇の勅命によって祀られた常神大明神(つねかみだいみょうじん)の社があるそうです。
【何度でも聴きたくなるカタカムナウタヒ五首・六首・七首】姉妹チャンネルに移行されています『聴くたびに魂と共鳴していく♪【光カタカムナウタヒ567】@PortalkWave』【何度でも聴きたくなるカタカムナウタヒ五首・六首・七首】姉妹チャンネルに移行されていますこの素晴らしい音色・歌声・カタカムナウタヒの神聖で優しく穏やかなパワ…ameblo.jpそして、こちらの動画も姉妹チャンネルに移行されるようですこちらの動画も大変心に響いているので、活用させていただいていますとても神
古代氏族であるカモ氏への想いがつのり京都の賀茂系の神社をぐるりとひとまわりしてきました。まずは下鴨(しもがも)神社からです。京都盆地の東側、鴨川(かもがわ)と高野川(たかのがわ)の合流地点に、原生林のひろがる糺の森(ただすのもり)があります。下鴨神社は、その森のなかにあります。正式名称は賀茂御祖(かもみおや)神社というのですが、どうにも覚えにくいので下鴨神社のほうが馴染んでいるようです。東京ドーム3個分という敷地は広大で、参道はこ
『ホツマツタヱのつまり食い⑱『スサノオの誕生と、イザナミの死因』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑰『月読の誕生と、伊予阿波二名の由来』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑯『斎名の意味と、超古代おかあさんといっしょ』』『ホツマツタ…ameblo.jp↑のつづき。さてさて、炎に巻き込まれて亡くなってしまったイサナミ。シラヤマ姫(菊理媛)からの報告により、そのことを知ったイサナギ。イサナギは一目イサナミに会いたいと花窟に入ったが、そこには蛆がたかり、変わり果てたイサナミの亡骸が。。その後の話は
『ホツマツタヱのつまみ食い32『セオリツ姫暗殺計画①』』『ホツマツタヱのつまみ食い31『裁判官カナサキとネ邦のこれから』』『ホツマツタヱのつまみ食い30『ヒルコの子供と下照姫の正体』』『ホツマツタヱのつまみ食…ameblo.jp↑のつづき。さてさて、モチコに利用されていたとも露知らず、言われたままにネ邦での改革業務を終えた『ソサノヲ(素戔嗚尊)』。ソサノヲはイサワの宮に帰る途中、マナイに立ち寄り、祖父であるトヨケ(豊受)大神を詣でたのだが、その際に美しい乙女と出逢う。その乙女とは
小野の先祖を調べる上で生まれた、ホツマツタヱに由来する系図です。関係者しか載せておらず古代の様子を思考する為の資料に使ったものなので興味のある方は参考にして下さい。firestorage|標準ロールfirestorage.jp
ホツマツタヱとは、日本の神話・歴史書である『古事記(こじき)』『日本書紀(にほんしょき)』のもとになったといわれる古代文献であり、漢字伝来以前より日本国内で使われていたという神代文字(しんだいもじ)のひとつ『ヲシテ文字』で書かれた文献です。印璽(をして・いんじ)という言葉がいまでも残るように、○や△や□などの図と|やYや+などの線からなる印形によってできており、それらの文字は仮名に対応しています。ホツマツタヱの全文は、そんなヲシテ文字による五七調の長歌が、