ブログ記事4,036件
勾配を登ってきて110㎞/hの高速で通過する長編成のキハ181「はまかぜ」。暗い曇りや夕方はAFカメラでは、もうそのスピードについていけずブレブレ写真ばかり。この辺りで撮っていたのは小学高学年~中学時代。JR化前の国鉄時代、運転士の他助手がついていました。蒸気機関車時代の名残でした。不必要な人件費が嵩み赤字は膨らみ続け、対して国鉄労組は合理化と称する人員整理を阻止しようと…JR化は国鉄解散で国労を粉砕するためだったと。その陰で国鉄職員の自〇は頻繁に続きました。轟音
函館21:41着。7分間の停車で機関車の解結・連結をします。ホームに降りて撮影出来る時間的余裕があるのはこの駅だけでした。あとは長くても2分間停車の駅だけ。ここで牽引機が編成前後で交代、進行方向が変わります。停車時間の7分では先頭の重連DD51の解結と後方のED79の連結の撮影は無理だから、どちらを取るか…?ということで後者を選びました。函館~青森車両センター間を担うED79がやって来ました。
九州のED76形電気機関車と言いますと、現在は上の画像のJR貨物門司機関区に所属しておりました車両が最も知られておりますが、そんなJR貨物所有の機関車も全車除籍されているのが現状であります。これまでは、九州各地の貨物列車運行区間で元気な姿を見せておりましたが、富山機関区から相次いで転属していましたEF81形電気機関車によりまして、古参のEF81形電気機関車・ED76形電気機関車が姿を消しておりました。さらに、令和3年にはEF510形300番台電気機関車(-301)が導入され
3連休の初日の金曜日は冷たい雨模様でしたが、昨日からは暖かい日が続いています。東京も桜の開花宣言がされ、道々の桜の花も少しずつ咲き始めています。今日は、みんな大好き『北斗星』の第2弾!JR東日本24系25形尾久車両センター所属『夢空間北斗星』です。我が家では臨時列車『神戸夢物語』として運用します。さて、北斗星用の24系25形は耐寒のために乗降扉が折り畳み式でなく、普通の引き戸になっています。ということは、扉部にはドアレールがありますよね!この部分にインレタを貼ります!使うのは
以前、TOMIXさんからは、実車が廃止されると「さよなら」シリーズが限定品として発売されていました。(そういえば最近そんなセットの発売かありませんね~)2006年に廃止された、ブルートレイン「なは・あかつき」についても、さよなら「なは・あかつき」セットとして発売されていましたが、発売のタイミングで資金難だったりしていたことで、購入するタイミングが合わず、ここまで来てしまいました。その後、TOMIXさんからは14系15形「あかつき」セット、同「彗星」セット、24系25形「なは」セットが最新仕様
こんにちは。オケタ模型です。本日の入線はkatoの、「オハネフ25206(寝台特急「富士」assyパーツ組み)」その➊です。※ブログ容量の関係で2回(その➊・その❷)に分けて掲載します。ブルートレイン24系25形寝台客車は、24系のマイナーチェンジ版として昭和48年から製造された形式です。外観上は車体帯が白帯からステンレス(銀帯)へ変更、オハネフの妻面形状も変更される等、多少、印象が変わりました。設備面ではB寝台が3段から2段へ変更、サービス面が向上しました。オハネフ25形20
2002年6月9日、小倉駅にて。寝台特急「富士」東京行きを牽引するEF81-410と、813系RM102編成の並び。24年前のきょう。えーこれもう、干支が二回りしとるんかい・・・。夕刻の小倉駅。大分から、東京行き「富士」を牽引してきたEF81-410。隣にいる、813系の久留米行きの横をすり抜けていく。JR九州のEF81は大分所属(当時は豊肥久大運輸センター)だったが、主な職場は関門間だったので、基本的にはJR貨物門司機関区に常駐していた。大分への入出区は、寝台特急の牽
国鉄時代から多くのブルートレインけん引機が在籍していたJR西日本下関運転所(現下関総合車両所下関支所)。現在はヘッドマークがイベントなどで展示され、往年の雄姿を伝えています。先ごろ開催された「下関総合車両所鉄道ふれあいフェスタ2025」と「EF65夜間展示会in下関」では、寝台特急「あさかぜ」のあまり見かけない別の個体が登場しました。下関総合車両所鉄道ふれあいフェスタ2025で展示された「あさかぜ」のヘッドマーク。例年展示される個体と別のもので、さびや塗装の剝落が少なく状態が良さそうで
令和7年3月改正まで、九州で活躍しておりますEF81形電気機関車は、JR貨物門司機関区に所属する車両の活躍の場が九州各地で見る事ができておりました。門司機関区に所属するEF81形電気機関車は、交流区間と直流区間を行き来できる交直流の電気機関車ではありますが、貨物時刻表をお持ちの方ならばご存知のように、運用はいずれも交流区間の九州内にとどまっておりまして、本州へ向かう事は試運転時が主となっておりました。したがって、本州へ行く運用は持っておりませんが、それでも所属先の門司機関区
もし日本がシンガポールを占領したままだったら、現在の地図には「Singapore」ではなく「昭南」と書かれていたのだろうか。1942年、日本軍はシンガポールを占領し、その地を「昭南島」と改称した。しかし、歴史は1945年に日本の敗戦を迎え、昭南島という名前も消えていった。では、もし日本が戦争に敗れず、シンガポールを占領したままだったら?これは歴史の事実ではなく、あくまで「もしも」の話である。現在のシンガポールの街並みはどうなっていただろう。地名は日本語になっていただろうか。シンガポール市
土曜日の半日のお仕事を無事に終えて、耳鼻科へ…何かクシャミが多くなった気がします。そうです…どうやら花粉の飛散がチラリホラリと始まっているようです。今年も悩ましい季節の開幕です。春は大好きですが…鼻詰まりが(笑)。アレルギー薬と点鼻薬をもらってきました。お家で締め切ってしまえば、花粉は入ってきません。つくづく鉄道模型はイイ趣味だと思います。JR東日本24系25形尾久車両センター『夢空間北斗星』の整備ですが、いよいよ全貌が見えてきます。今回は室内灯を組み込みます。使う室内灯は、前回と同
こんにちは。オケタ模型です。本日の入線はkatoの、「オシ24100銀帯」(品番5174)です。ブルートレイン24系25形寝台客車は、24系のマイナーチェンジ版として昭和48年から製造された形式です。外観上は車体帯が白帯からステンレス(銀帯)へ変更、オハネフの妻面形状も変更される等、多少、印象が変わりました。設備面ではB寝台が3段から2段へ変更、サービス面が向上しました。オシ24形100番台は編成中の食堂車で、14系客車の食堂車オシ14の改造により昭和50年に登場しました。合計5
1年間で4製品目が登場!本日、トミーテックは主に2026年12月に発売される予定のTOMIXブランド製品、11月に発売される予定のジオコレ製品を発表しました。早速みていきます。寝台特急「北陸」寝台特急「北陸」が10年ぶり3回目の登場です。単編成ながら特別車が詰まった編成で、再販が待望されていたものです。今回は晩年の姿ということで、8両編成セットのみが用意されます。2セット用意されて12両編成にされる方もいらっしゃるでしょう。今回の製品は、帯の高さが低い変形車「スハネフ1
どうも!高坂サービスエリアで昼食を終えてそのまま一路宿にやってきました。去年と同じくゆとりろガーデン北軽井沢さんに宿泊します。この日は土曜日なので以前より宿泊客が多いですね。ただ連日の熊のニュースなどもあるためか外にいる飼い主さんは皆無です。軽井沢周辺ではそこまで熊関連のニュースは耳にしていませんが...クマ注意の看板はありますしね(;^ω^)という事でクウとあまり遠くに行かない様にしながら散策します。この辺はでも水が湧いているぐらいなので広場の水はけはあまりよろしくないです。なの
こんにちは。オケタ模型です。本日の入線は、「おまけ・・・模型の残骸というほどでは」②-1(KATOオシ24)です。今年年初に記事をアップしました「模型の残骸」シリーズ。今回のは「残骸」というほどではありませんが、残骸たちと同時代に購入した模型で、幸いにも手元に残ってたものを紹介したいと思います。車体全景〜。妻面から。上空より屋根上を。クーラーのアップです。こちらは24系24形(3段式寝台)仕様のファン2つの大きめ仕様も再現されてますね〜。側面から。現行モデルとのパッと見の
皆さんこんにちは。今回は九州の西早岐駅からです。早岐駅付近には、早岐客貨車区があってその敷地付近から撮影しました。寝台特急あかつき号。ED76-77牽引。営業運転時に撮影したのかと思いましたが佐世保駅に終着後この早岐客貨車区に戻ってきて夕方まで留置されるために入れ替え作業中のところでした。この時期には、九州島内でも寝台特急にはヘッドマークがついていました。14系15型での運転で2両目に座席車オハ14が連結されていました。この車両後のレガートシート車ではなく4列
こんにちは。オケタ模型です。本日の入線はkatoの、「20系寝台特急「さくら」佐世保編成8両セット」その➊(品番10-1873)です。※ブログ容量の関係で3回(その➊~❸)に分けて掲載します。20系客車は、昭和33年に登場した寝台特急用客車です。合計473両が新製されました。全車に空調を完備し、空気ばね台車を装備する等、当時としては画期的な居住性の向上を実現し、そのレベルの高さから「走るホテル」とも呼ばれました。寝台特急「さくら」は昭和34年から20系寝台客車で東京〜長崎間の寝台
かつて東海道・山陽本線など全国の主要路線を走ったブルートレイン。深夜帯には大都市も通過。時刻表には通過を示す「レ」マークがずらりと並んでいました。どれくらいノンストップだったのか—。1990年春に運転されていた14・24系客車の定期寝台特急で比べてみました。◾️528キロ6時間35分無停車だった「富士」当時走っていたブルートレインは20種類以上あり、大都市と地方の直通や新幹線の補完などを担っていました。このうち、東京—九州間の下り列車は東京を夕方から夜にかけて出発し、広島、
九州ブルートレインの中でも高い人気を誇った寝台特急「さくら」(東京ー長崎・佐世保)。夕方の東京駅を一番手で出発する「1列車(1レ)」で14系14形のイメージが強いのですが、運行時間が繰り下がった1994年12月ダイヤ改正からは「3列車」に変わり、99年の単独運転終了のころの編成は14系15形の比率が高まっていました。この時期を振り返ってみました。単独運転末期の寝台特急「さくら」。スハネフ14形は昔と変わらぬ姿を保っていました=下関駅◾️「みずほ」との統合寝台特急「さ