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堀辰雄の小説『美しい村』に、「別荘の並んでいる水車の道のほとりを私が散歩していたら、チェッコスロヴァキア公使館の別荘の中から誰かがピアノを稽古しているらしい音が聞こえて来た。(中略)バッハのト短調の遁走曲(フーガ)らしかった」とあり、現在軽井沢駅の方から万平通りの森裏橋を右に直角に折れるの道は「堀辰雄の径(フーガの径)」として立派な道標もある。しかし筆者には腑に落ちない点がいくつかあり、拙著『又心の糧(戦時下の軽井沢)』において「フーガの径はどこ?」という内容で文章を書いた。本編
スイス人の建築家、マックス・ヒンデル(1887年-1963年)はスイスのチューリッヒ出身の建築家で、1924年に札幌に移住し、北海道における「近代建築の開拓者」と言われる。チューリッヒはかつて筆者が暮らしたことのある都市で愛着を感じている。1927年には横浜本牧に自宅兼事務所を構えたが、1940年第二次世界大戦中のドイツに帰国する。こうしてその間に関東地方にも彼の設計の建築物が出来るのだが、筆者に所縁のあるのは次の2棟だ。1上智大学1号館。1932年に竣工で2024年、東京都選定歴
千代田区三番町の駐日ローマ教皇庁(バチカン)大使館の建物が、間もなく取り壊されると聞いて慌てて訪問した。皇室関係の建築を多く手がけた木子幸三郎が設計し、元は味の素の社長だった鈴木忠治の邸宅であった。戦前は1933年の竣工である。門柱からは「駐日ローマ法王庁大使館」と書かれたプレート(日本語とイタリア語?)はすでに撤去されている。また柵は撤去作業に向けて、蛇腹の様なものに取りかえられている。門から右は石壁が続く。この辺りに最後まで残った洋館が、高層ビルになってしまう。この建
先日講演会で藤沢を訪れた際に、「親族が書いた本です」といただいたのが表題の本(おそらく私家本)であった。こうやって筆者の研究に関する資料をいただけるのはとっても嬉しい。そして拝読して特に興味を持ったのは、IGファルベンとの人造石油に関する交渉の部分であった。本編ではそのあたりを中心に紹介する。筆者の木下利貞は昭和8年(1933年)に東京帝国大学工学部造兵学科(現在精密機械工学科)卒業後、陸軍燃料廠などに勤務した。そして1940年秋にドイツ行きの命令が出る。ようやくソ連のビザを得て、独