ブログ記事1,531件
〈Dー5肝臓の提供条件〉その日、私は次女と、雑踏の中にいました。その時、大学病院から、電話が入りました。「初日の検査は通りました。それで、精密検査をしたいので、明日、病院に来ていただけますか」というやりとりで、電話を切った途端、涙が、どっとあふれてきて、人目もはばからず、号泣してしまいました。「良かった。みんなに迷惑を掛けずに済んだ。私が、ドナーになれれば、それで解決する。子どもを巻き込まずに済んだ」一番恐れていた、35%ルールを、通過し
〈Dー4肝臓の提供条件〉翌日、長女が「話がある」と、思い詰めた顔で言うので、「何?お父さんのこと」と、訊くと、「私が、ドナーになる」と、言います。「でも、妹がドナーになるって、言ってくれているよ」と、返すと、「ううん、私がなる。私がお姉ちゃんなんだから」と、言うのです。手の中のハンカチを、ギュッと握りしめて、下を向いて…。長女は、大変な怖がりで、全てに対して、慎重な道を選択する娘でしたから、崖から飛び降りるような、決断だったと思います。長
〈Cー3腹水を抜く〉「ご主人のこの症状は、肝硬変の末期で、いつ、肝不全が起こっても、不思議ではありません。明日の朝、ベッドで亡くなっているかもしれません」緊迫した口調でした。「私がドナーになりますから、肝移植をしていただけないでしょうか」この言葉は、悩んだ末でも、覚悟を決めたわけでもなく、ごく自然に、口から出た言葉でした。「いつ死んでもおかしくない」と、現状の危うさを指摘してくれた、若い熱血漢医師のお陰で、急きょ、夫の治療は、大転換を迎え
〈Dー3肝臓の提供条件〉直感で、「この35%ルールが、唯一最大のハードルだな」と、思いました。迷うことなく、至急の検査を、要望したため、すぐに、私のドナー検査が行われ、レシピエントの夫も、三日後に転院することが、その場で決まりました。帰宅して、子どもたちに、35%ルールの話をしました。すると、次女は、「お母さんが、駄目だったら、私がドナーになる。肝臓を切っても、子どもだって産めるし、それで、お父さんの命が助かるのなら、恩返しができる」と、迷
〈Aー1はじめに〉「ダブル移植の語り部」、このタイトルを見て、「どういうこと?」と思われる方が、ほとんどでしょう。「ダブル移植」には、二重の意味があります。一つは、臓器移植を受ける、レシピエントと呼ばれる人が、異なる二つの臓器の移植を、受けているということ。もう一つは、臓器の提供者、ドナーが、異なる二つの臓器を、提供しているということです。実は、私たち夫婦は、ダブル移植のレシピエントとドナーです。夫は、肝臓と腎臓の生体移植、二つの臓器の移植
今から思えば(←この表現ばっかり!後悔先に立たずの連続です)自分の意思で身体の制御が出来ない、というのは、大問題だったのです。「振戦」と言っても、寒くてガタガタ震えたり、極度の緊張で震えたり、といった経験は、誰にでもあるので、こういった振戦は、生理的(正常)振戦で、問題にはなりません。一方で、何らかの病気が原因となって、震えが生じる場合があります。アルコール依存症や脳卒中、パーキンソン病やバセドウ病などで、震えが見られることが、多々あります。夫の「振戦
㉒エピローグ骨髄提供の手術から半年が経過したある日。ようやく解禁になった献血へと早速出向いた。提供後は6ヵ月間、献血をしないように言われていたので、ウキウキ気分。ことのきっかけとなった献血ルームではなく、その次によく利用していたルームへと向かう。今回は400ml献血ではなく、成分献血でお願いしますと受付で申し出る。ここで、骨髄提供後、初めての献血であることを伝えると、それはいつですか?と訊かれたので、日付を答えると問題なく、その後はいつもの手順で、問答、検査が進んでいく。久しぶりの
〈Cー2腹水を抜く〉腹水に含まれている、「体にとって大切な成分」も、急激に失われ、夫は、みるみるうちに、やせ衰えていきました。さて、仕事続行が困難になり、退任した夫には、経済的なバックアップも、必要になり、「都心近くに引っ越し、皆で一緒に暮らして、生計を一つにしよう」ということになりました。三月、引っ越しと同時に、夫は、三回目の入院をしました。それから一週間が経過したころ、大きな異変が、起こりました。夫の全身が、震えだすようになったのです
後日談になりますが、近所のおばあちゃんに、この医者のことを話すと、おばあちゃんはビックリして、「あの医者の所に行ってたの!?」「バカ息子だから殺されちゃうよ!」と、即答したので、やっぱり「とんでもないヤブ医者」なのだと判明しました。どおりで、駐車場と待合室が、いつもガラガラだったはずだ~(あーあ)飲食店なら、こんなにガラガラ状態が続けば、間もなく閉店・撤退となるのでしょうが、開業医ならば(それも、父親が評判の良い医者だと、その跡を継いだ息子は、患者も引き継げ
ドナー(臓器提供者)という存在は、本当に不思議な立ち位置のままで、手術を受け、入院生活を送ることになります。身体的には、メスが入り、臓器を切り取られたり、摘出される訳ですから、当然、痛みはありますし、カテーテルやドレーンといった、さまざまな管も挿入され、まさに「病人」そのものです。ですが、元々ドナーは健康体なので、時間の経過とともに、健康を取り戻すことは、半ば、保証されています。その上、手術後の身体の痛みはあるけれども、それと引き換えに、大切な家
〈Bー4初めての入院〉▼次男から、入院中の夫に届いたメッセージ病状を聞いたよ。重度の肝硬変らしいね。父は、仕事とも病気とも、青二才の自分には理解できないほど、つらい目に遭いながら、奮闘しているのに、苦労もしないで、タダ飯を食っている自分が、情けない…病状が、厳しくなったならば、いつでも自分が、肝移植のドナーになるからね。父には、長生きして欲しいし、おいしいものも、もっと食べて欲しいから、肝移植は、そのうち絶対に受けてもらうよ。早死
その日、夫は、意外なほどルンルン状態で、近所の内科医院から戻ってきました。夫と、初対面のヤブ医者との会話と言えば…「肝臓が硬いようなのですが」と、夫が自己申告しても、「そんなに硬くはないよ」「白目が少し黄色っぽいようなのですが」と、これまた自己申告しても、「そうかな、フツーだよ」との返答。そして、持ち帰った薬が、ウルソ錠という、胆汁の分泌を良くして、肝臓の働きを高めるという、基礎的でポピュラーな肝臓薬。このベーシックな薬を、毎食後、たった一錠ず
今回の息子の入院中、何人ものお友達に会えました。たまたま通院日で病院に来ていたり、息子と同じく辛い状況での入院になったり、まだ治療中で闘っている子たちも。その中でものすごくショックな話が。移植待ちのお友達。病気の関係で、白血球の型(HLA)が全部合うフルマッチでの移植を目指していました。ドナーさん候補が何人もいたのだけれど残念ながら全員キャンセルになったそうです。また別のお友達もバンクを通してたった1人見つかったフルマッチのドナー候補さん。やはり、キャンセルになったそ
〈Bー3初めての入院〉結果は、非代償性肝硬変(もう治ることのない肝硬変)との診断で、即入院。このころ夫は、まだバリバリ、仕事をしていましたから、病室に、パソコンを持ち込んで、半分、病人半分、仕事人状態でした。初めて投与された、利尿剤は、とてもよく効いて、一日ごとに、体重が500グラムずつ減り、それとともに、膨張していたお腹がへこんできて、「退院する日も近いね」と、二人で、喜び合っていました。日々、良くなっていく夫を、見舞うのは、うれしく、
このように、全身の皮膚に出現した赤紫の斑点や、お腹周りの膨張、そして、食欲不振の常態化、ゴロリと横たわる回数の増加、など、今にして思えば、元凶はすべて、肝臓の極度の機能低下によるものだったのですが、それに気付かないまま、漠然とした不安を抱えながらも、それを打ち消すように、我慢強い夫は、仕事に没頭していましたから、私はそんな夫を見て、危機感を募らせることは、ありませんでした。(本当は、かなりしんどかったのだと、夫は後述していましたが…)そんな膠着状態が一変し
それからもうひとつ…読者の方々に私たちのリアルな体験を、知って頂きたい、という思いと同時に、私たち当事者にとっても、2014年4月に行われた、生体肝移植手術から、丸10年という節目を迎える現在、今一度、激動の2014~2015を、振り返りたいという、熱い思いがあります。現在、私たちは2人とも、健康で幸せな生活を、送ることが出来ています。それは、とにもかくにも、夫の体内の移植肝臓と移植腎臓が、順調に機能してくれているからなのですが、ともすれば、それを忘れてし
〈Cー1腹水を抜く〉年が明けた、平成26年1月、腹水除去を、願い出ました。「腹水は、抜いても、数日ですぐまた戻るからね」と言って、勧めなかった主治医でしたが、夫が、「こんなに苦しい状態では、会社に出向くこともできない」と訴えて、了承を得ました。初日は、5,5リットルほどの腹水が抜け、妊婦のようなお腹が、ペッタンコになって、ろっ骨が、浮き出るほどでした。一年ぶりの、「腹水の無いお腹」の出現に、私たちは驚くとともに、大喜びしました。帰宅して
〈Bー2初めての入院〉全身に赤いボツボツが出現して以降、夫は暇さえあれば、ゴロゴロと横になるようになりました。昼食の休憩時間には、会社から自宅に戻り、昼食もろくに食べずに、ひたすらゴロンと横になり、また仕事に戻る、という日々。そんな状態でも、夫は頑なに、精密検査を拒み続けました。「悪いと分かっているから、病状告知が怖い」「入院、治療となれば、会社が立ち行かなくなる」という心理が、病院行きを妨げていました。黄疸とともに、夫のお腹が少しずつ、
ひとつは〈食欲不振〉です。肝硬変が進行すると、食べたものを消化するのに不可欠な、肝臓の助けが、ほとんど無くなるので、常に気持ちが悪く、おなかが空いた、という感覚が、無くなるようです。確かに…気持ちが悪く、吐き気がする時に、何か食べたいなどとは、思いませんよね。健常人なら、病状が回復すれば、「おなかが空いた」という食欲も、戻ってきますが、夫の場合、食欲が戻ることはなく、お昼ごはんも要らない体に、なっていました。もうひとつは〈血流〉です。肝硬変が重症化す
さて、肝臓の薬として、よく知られている〈ウルソ〉とは、どのような薬なのでしょうか?【ウルソとは】ウルソの正式名称は、ウルソデオキシコール酸。肝臓で作られる胆汁分泌の、促進作用により、胆汁の流れを改善し、肝臓の血流を良くして、肝細胞の障害を軽減したり、肝機能を守る作用がある。もともと、熊の胆汁から作られる、生薬「熊胆(ゆうたん)」を、起源としている。「熊胆(ゆうたん)」は、江戸時代には、既に万能薬として、庶民の間でも広まっていたが、1927年に、国内で
(昨日の続き…)(3)移植した肝臓は、その後、敗血症を乗り越え、機能するようになったものの、敗血症によって、突然、急性腎不全になった夫の、2つの腎臓は、その後回復することはなく、腎機能がダメになってしまった夫は、人工透析生活を、余儀なくされるようになりました。↓(4)「夫を何とか人工透析生活から離脱させてあげたい」という、私の思いや学びや行動が、実を結び、肝臓に続いて、2度目の臓器移植手術である、「生体腎移植手術」を、受けることが出来ました。
当時の人々、それも、診療所すらない田舎に住む人々にとっては、富山の薬箱は、なくてはならない、セーフティーネットだったのでしょう。富山の隣の県に住んでいたこともあり、私にも、富山の薬売りのオジサン(と言っても、きちんとジャケットを着たオジサン)が、毎年決まった頃に、各家庭を巡回していたという、はるか昔の記憶があります。我が家にオジサンが立ち寄ると、オジサンは、薬箱の中身を点検して、使った分だけ、薬代として回収し、新たに薬を補てんしていきました。その様子を眺
諦めきれずに、駅の時刻表をずっと見ていても、あるはずだった時刻の、列車運行は無く、次の列車は、2時間待ち…代替手段の、バスやSL列車もありません。年末年始ダイヤで、消されてしまったのか、直近のダイヤ改正で、運行列車が減らされたのか、はたまた、私のチェックミスなのか…「あ~あ、ショック、ショック」と言いながらも、どうすることも出来ません。~飲食店もなさそうだし、あっても、お正月だし、どこか参拝するところはないかな?~と、駅舎の横にある、『家山案内図』
長ーい夏休みもあと少し。千葉はニュースでも取り上げられたほど、夏休みが長い…トータル51日間て子供たちは大喜びだが保護者は悲鳴をあげるという近年の猛暑にエアコンなしで授業ができるかっ💢って事でエアコン設置のための1週間前倒しで始まった夏休み。出だしは梅雨も明けず涼しすぎて寒いくらいだったので前倒しの意味はあるのかと保護者一同疑問に思ったが国の方針なので仕方ない。ならば後半早く始まるかと思いきやピッチリ9月1日まで休みという…子供のすごいところは、こんなに長くても全然飽きないところ…私も
驚愕の足地蔵尊…『百聞は一見に如かず』ですので、皆さんも、ご覧になって下さい。そして、誰もが感じる、「なぜ、こんなお地蔵さんが?」に関しては、説明板も載せておきますので、お読みになって頂ければ、「なぜ?」も、解消するのではと、思います。この足地蔵尊、知る人ぞ知る存在らしく、傍らには、たくさんの絵馬が、吊り下がっています。「股関節痛が良くなりますように」「父が歩けるようになりますように」「足のケガが治りますように」等々足に特化したお地蔵様ならではの、祈願内
〈Bー7初めての入院〉一回目の入院から、二か月後、今度は、もっとひどい状態での、入院となりました。前回の入院時に、処方された利尿剤は、もう、効き目がなくなり、大きく膨張したお腹への、次の策として、アルブミン投与という、治療が行われました。けれども、腹水は、前回のようには抜けず、大きなお腹のまま、二回目の退院となりました。腹水が、溜まるので、足は、くぼみがなくなり、まるで、ゾウのよう。お腹は、カエルのよう。外見から、それと分かるほど、夫
〈Dー2肝臓の提供条件〉次に、生体肝移植の説明では、医学書に載っている、ドナー条件に加え、以下のような、驚くべき高いハードルが、示されました。「生体肝移植では、過去に、ドナーの方がお一人、亡くなられています。肝臓を、切り取り過ぎたのではないか、という反省に立って、厳格な基準が、作られました」「肝臓は、右葉と左葉に分かれていて、大人が子どもに、肝臓を提供するケースでは、三分の一の大きさの左葉を、提供すればよいのですが、大人から大人、中でも、
【羽ばたき振戦】通常、体内でたんぱく質を分解する過程で生成される、有害物質のアンモニアは、肝臓で無毒化されて、尿素に変わり、尿として排泄される。ところが、肝硬変などによって、肝機能が低下した場合、肝臓がアンモニアを、処理できなくなり、脳に運ばれたアンモニアが、肝性脳症を引き起こす。羽ばたき振戦は、肝性脳症の神経症状のひとつである。…このように、振戦は、重度の肝硬変であることを知らせてくれる、大事なシグナルだったのです。そして、この振戦の症状こそが、結果的に、夫を
大地震後、初めて、断水が解消した家庭の映像で、特に印象に残っているのは、おばあさんが、水道の蛇口に向かって、手を合わせて、お礼を言っていた姿です。…もともと、信心深い方なのでしょうが、水の有り難さ、それも、蛇口をひねればいつでも水が出てくる有難さが、身に染みた末の、「水道の蛇口への礼拝」だったのでしょう。蛇口に向かって手を合わせる、おばあさんの謙虚な姿を見て、ハッと気付かされることが、ありました。~失ってみて初めてその有り難さが分かる~その最たるものが
〈Aー3はじめに〉早いもので、夫が55歳の時に、「肝硬変非代償期」と診断され、入院してから、6年が過ぎました。その後、肝硬変の恐ろしさと闘いながら、ぎりぎりのタイミングで、生体肝移植に漕ぎつけ、15時間半に及ぶ手術が、成功しました。けれども、肝移植の成功を喜んだのも束の間、夫は、病院内での細菌感染から、敗血症を起こし、再び「生死五分五分」の、危険な状況下に、戻ってしまいました。急激な腎機能低下(急性腎不全)により、人工透析が必要となり、シャ