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2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います担当医と話した翌日にはセカンドオピニオンの予約を入れた本人は入院中で連れていけないセカンドオピニオンに同席はできないそれでも受けてくれるのか?心配だったけれど映像
2023年4月4日何も変わっていない景色が、診断以降変わってしまった。息子の未来も、夫婦の未来も、仕事の未来も、真っ暗になってしまいました。そして、沢山泣きました。「1週間以内には歩けなくなるので」と言われて冷静でいられる人はいるのだろうか。それでも家族や会社の仲間、かけつけてくれた友達、話を聞いてくれた海外にいる幼馴染み。ヘルプを出せた近所の息子の仲良い友達のファミリーがいてくれたので、取り乱すことなく手術までの準備をしました。かなり難しく、長時間に渡る手術でしたが、「も
退院後の外来の翌日、人生初の大学病院へ想像以上に混んでいて驚く総合受付的なところで初診受付をする。初診受付の待合席で「1時間待った」という声が聞こえたと夫がいう。予約時間の15分前に着いた私たち・・・大丈夫・・?と思いながら、初診受付の待合席自体はそんなに混んでないため「1時間待ったって人達はきっと予約してなかったんじゃない?」そうであってくれなければ予約に間に合わない!と自分に言い聞かせるように夫に話し、受付で待つ。その後予約時間になっても呼ばれ
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います話は少し戻ります2023年2月1日医師に言われた言葉「3月3日に治療が全て終わり当院で出来る事は無くなります」同時に伝えられたこと退院後は2週間おきに投薬の
2024.4.22放射線20日目計36Gyテモゾロミド内服25日目今週も放射線が始まりました。今日で3分の2が終わりました!あと10回。無事に何とか終わりますように。放射線に毎日通っていると同じ時間帯の患者さんは何となくわかってきて、いつも勝手に「今日もお疲れ様です。頑張りましょうね。」と心の中で声をかけています。私は待ってるだけなのでつい周りに目がいきますが、治療を受けるパパは全然わかってないと思います。滞在時間も治療を合わせて10分ほどなので。最近見なく
2023年4月21日※時差投稿です4/13の術後、4/21に退院し、・4/25-抗がん剤テモゾロミドGW休みがあるため、ズレて、・5/8-放射線開始→土日を除く平日連日通いで60Gyを30日かけて実施しました。初回放射線まで空くため、再発してしまうのではないか、と不安で不安で先生に伝えたところ「先にはじめても休みで中断することになるなら、連続の方が良いという判断です」と言われ、気持ちを落ち着かせた記憶です。それまでに、あてる位置がずれないようにするためのかぶるマスクをつくりまし
つづき。初めて、2023年3月31日金曜日にCTを受け、診断できる医師が今日はいないから、翌週4/4火曜日に結果が出ると言われ、予約して帰社して40分程度で病院から電話がなる。オンラインにて営業商談中で出れず、番号を検索すると病院名がでて動揺する。忘れ物とも思わず、これも第六感。「もしかしたら」と思いながら、商談後すぐ折り返し。受付「先生がお話しがあるようなのでかわります」先生「みれる人がたまたまいて、17時までにこれるなら、結果お伝えできますが、どうしますか?」私「今から行きます
心配してくれていた会社の先輩と上司に深夜にも関わらず報告。自身も過去癌を経験し、その後現在は寛解している上司から。「この不安は本人しか分からないので、(私の名前)が自身で乗り越えるしかない。ただ、病気とその恐怖と戦うための心の準備としては、全ての事実を冷静に受け止めた上で、心身ともにポジティブであることがプラスであることは間違いないと思うので、当時のメモを読み返して私が個人的に効果的だったなと思う「気の持ちよう」を紹介します。-言霊の力が体に与える影響は大きいので、ネガティブワードは
2023年4月3日に膠芽腫とわかり、急がないと意味がないから、だいぶ先まで埋まっている日程調整するから待つよう言われ、不安でたまらない中待つ中、2023年4月13日に決定。入院は4月11日。転移性の腫瘍ではないか、他には癌はないか、などを全身PETで検査をしたり、麻酔科の説明に加え、今飲んでるサプリや薬の確認などがありました。他に怪しいところはなく、本当にほっとしました。自宅では、退院するまでの料理冷凍、銀行関連の引き継ぎなどをしながらあっという間にその日に。入院翌日の手術前日に再
初めてふわふわした感覚があった日のこと、渋谷の階段でなぜかつまずき転んだ日のこと、痺れのこと、などを話し、全てメモ。医師「詳しいことはこの画像だけじゃ分からないから、もっと良いMRIで造影剤で検査をする。」私「この時点では悪性か否かも分からないのでしょうか。」医師「わかってます。悪性です。とりあえず検査に出すのに診断名を書かないといけない。これは確定診断ではないから。インターネットには適当なことも含めて色々書いてあるけど、見ないこと。」と言われ、【膠芽腫】という名前を人生で初めてみ
次男へ今日は6回目の月命日です。次男が楽しみにしていた・・いや絶対、楽しみにはしてないだろうな高校の卒業アルバムが先日やっと届いたよすぐに見たよたぶんだけど、こんなに時間がかかって出来上がったのは、次男の卒業式の写真を載せてくれるために、時間がかかったんじゃないかと、親バカでかってに思っています。次男もいっぱい写ってたよ車椅子で通った学校上からの写真だけど、ここに車止めて、ここから車椅子で校舎に入って、ここで先生方がよく見送りに来てくれたなって思い出した。何回も次男と通ったか
【2020年4月25日危篤状態の朝】のつづきです。11時半ごろに訪看さんが帰り、ひとりになった私。シーンとした部屋には、母がハァーハァーと呼吸する音だけがしていました。母の手をとり、しばしボーっと母の顔を見つめてましたが、口を開けて息をしている母の唇が渇いているようだったので、マウスケア用スポンジで口の中を湿らし、唾液を吸引器で取り、また母の手をとっていろいろ話しかけていました。((呼吸は苦しそうに見えないので危篤状態にも思えず、このまま明日を迎えられる気がしていました
初めまして。主人がびまん性橋神経膠腫と診断されました。病気、治療に関して情報がほしくてブログを始めました。2024.3.7パパの脳幹に腫瘍があるとわかって2日が経過しました。こんなに辛い2日間は今までの人生で初めてでした。まとまりのない文章になると思いますが、記録用として自分の気持ちを形に残したいと思います。パパが体に異変を感じたのは2月の中旬。何だか目眩がする、立った時にふらつく。それが始まりでした。偏頭痛でかかりつけの脳外科を受診し、立ち上がった時に限局して起きている
いっちゃんがお星様になって9年が経ちました古参のフォロワーの皆様ともかれこれ7年のお付き合いになりますねながーーいお付き合い𝑻𝒉𝒂𝒏𝒌𝒚𝒐𝒖です今年はいつメン新社会人1年目みんな徐々に集まって例年通りワイワイ始まりました希望や期待やヤル気でお互いの仕事の話で盛り上が……るかと思いきや意外にもグチ大会が始まった笑今までの学生生活やと【対大人】は先生だったわけで持ち前の愛嬌や人懐っこさで失敗も不適合なことも上手くすり抜けたり凌いでこれ
こんばんは、ちょろママです。2024/3/14、ホワイトデーのこの日、特にバレンタインデーでなにかあげた訳でもなんでもないんですけど、(そもそも、その頃は夫元気だった)サプライズプレゼントがありました。主治医からのICです(笑)約束とかね、してたわけじゃないの。たまたまね、たまたま、主治医がナースステーションに居たのよ。居たらさ、声かけるじゃん?そこにいたら昨日の事聞きたいじゃん?『あっ!今奥さんお一人ですか?時間あります?少し話しましょうか』そう言われてナー
2023年4月14日※時差投稿です手術が終わり、2分くらい夫と会ったあと、麻酔が完全に切れた後は、ただひたすら痛くて痛くてたまらなかったです。脳は神経がないから痛くないはずとか、そんなに痛がる人初めてとか言われましたが、嘘でしょ?!?!時計が壊れているのかと思うほど時間が経つのが遅かったです…そして、翌日くらいから、腫れが。さらに、夕方になると熱が38度くらい出るように。夕方までは36度台、夕方以後37.8-38.5程度になり、それが術後1、2ヶ月続きました。追加で扁桃腺
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います病院はコロナ対策で面会禁止だった毎日かける電話の内容がパパの状況を知る全てトイレに歩いて行った食事を食べたと聞けば病気になる前のパパの姿を想像する自分の中で良い方
【2020年4月15日(水)①】水曜は介護ヘルパーさんは来ない日なので、母とゆっくり過ごし、午後1時半に訪看さんが来てくれました。昨日とは別の訪看さん。(訪看さんは4名でチームを作って母の看護をしてくださっていました)。で、来るなり玄関で渡されたのが、「これからの過ごし方について」という、最期の時までをどう過ごすかが書かれたパンフレット。(既に捨ててしまいましたが、タイトルとイラストを覚えていたので画像拝借)タイトルを見ただけじゃ何のパンフかわからず、
こんにちは。過去を振り返って書いてます。3月1日いよいよ卒業式当日の朝です。次男は8時に目が覚めてトイレへ行きいつも通り、薬を飲んで最後の学生服を着る。今日は私も嫁さんも、「どう大丈夫?学校行ける?」なんて聞きませんでした。ただ見るかぎり気力だけは充実していました次男にとっては、今日が人生の最大なるイベントだということを本人も感じているようでした最後になる学生服を着て、いつもの帽子をかぶり準備万端でした。私も久しぶりスーツを着た。3人で車に乗り学校へ向かいました。バック
こんにちは。過去を振り返って書いてます。2021年4月12日今日は次男の3回目の腫瘍摘出手術である。私は朝6時に目が覚め7時30分には東京の病院に到着し次男のいる病棟の待合室で待機した。早く次男に会いたかった。手術をすればもしかしたら私の事が、わからなくなってしまう。記憶がなくなってしまう。喋れなくなってしまう。歩けなくなってしまう。そうなる可能性は十分にあったし、そうなるかも知れないとも言われていた。なので、手術前の次男を一生忘れないよう心の中へ刻もう、そんな
今年も残り数日ですね…21日、病院でした…今回は単純MRIのみ、9時15分〜MRI、11時〜が先生の診察。MRIも少々混んでおり、終わったのが10時過ぎ…その後脳外外来の受付へ行くと、先生の診察60分待ちとの事…2時間待つのか…今回は結果からお話しします。「変化なし!」と期待しておりましたが単純MRIの画像、一年前、半年、今回と比べてみると、私の目にも分かる位、増大してるかな、と…はぁ…先生の説明も、この増大はあまり芳しくない、かなと。で、テモダールを勧められましたが
こんにちは。過去を振り返って書いてます。2021年7月7日昼過ぎに次男が嘔吐した。ビックリした。午後すぎに遺伝子パネル検査のため暑い中車椅子をおして病院へ向かった。到着したが、次男の様子がおかしいすごくしんどそうだ。「どない気分悪い?」と聞くと「しんどい」と言った。看護師に緊急でベッドに寝かせてもらった。遺伝子パネル検査の診察中次男はずっーと寝ていた。あまりにも回復しないので再度東京G病院へ連絡して、T先生に診察してもらいにいった。急に外に出て階段を
帰宅してからも全然眠る気になれなかった朝になるといつも通り洗濯をした家族が多い事もあるけど大量で毎日しないと溜まってしまう天気のいい空を眺めながらこんな時も洗濯するんだなぁ…とか色々な事を考えていた青空でいつもと変わらない景色すごく不思議な感覚だった午後に他県の義父と待ち合わせて葬儀屋で打ち合わせをした待ち合わせ場所に行く途中次男から電話が来る模擬試験会場へ向かっていた次男会場を間違えて迷子になったらしい正しい会場を調べ電話で案内しながら待ち合
2024.3.9娘の高校受験が無事に終わったこともあり、昨日の夜に子供達にパパの病気のことを伝えました。伝える前は緊張と恐怖でパパも私も躊躇いましたが、それでも伝えることを決めたのは私達。病気について、医師から告げられた余命、これからの治療、今から出る症状。全て伝えました。中3の娘、中1の息子、小3の息子。当然受け止めきれることはなく泣きじゃくりました。こんなに泣いてるのは赤ちゃんの時ですらなかったように思います。もちろん、パパは生きるよ、絶対に病気に負けない。そう子供たちに言い
2013年11月から2014年3月までの5ヶ月間、元気に登校して楽しい楽しい学校生活を再開できたいっちゃん髪の毛も少しずつ増えてきて、毎日鏡で見ながら『お母さん!ここ撮って』と、放射線で薄くなったところをよく撮らされました(笑)少しずつ濃くなっていくのを見るのが、至極の喜びだった様ですカワイイ❤︎また、彼にとっては恐怖のステロイド薬リンデロンも飲まないで良くなったので、副作用のムーンフェイス、こちらも少しずつでしたが改善してきました病気のせいで顔の形は変わってしまった
23日に6度目の月命日を迎えました遺族年金は無事受給する事ができました受給権が発生してからすぐに次男は18歳になり成人したことで最初より支給額が減ってしまったけれどパパが亡くなってもなお充分に私達を守ってくれてると感じます遺産分割協議は進みません今は裁判所へ特別代理人選任の申立中ですなかなか時間がかかるものです相続税の申告期限まであと3か月どうにか期限までには終えられるだろうとは思っています大学生の長男と進学先が決まった高3の次男は自由に青春の日々を送って
こんにちは。7月10日高校サッカー部3年生が8人次男に会いに来てくれた。言葉がでない次男なんでどうなるのか心配だったが、笑い声がいっぱい聞こえたみたいだ。(嫁談)サッカー部の子らには入院中も励まし続けてもらい、退院してすぐに会いに来てくれたり本当にありがとうと伝えたい。部活動をする意味というのを教えてもらった。7月12日テモダール投薬1日目今日学校へ行った。7か月ぶりだ。3年生のクラスメイトは会ったことがないのでいきなり教室は恥ずかしがって、別室でリモートで授業をきいた。
【2020年4月22日(水)~24日(木)】4月17日に意識障害(半昏睡状態)になり、土日も入れて毎日訪看さんが来てくれていました。血圧も脈もSpO2(酸素)も変わりなく熱も平熱だった母だけど、20日に発熱(38℃以上)、21日は落ち着き、22日にはまた38℃という感じで上がったり下がったり。尿の量も減ってきていたけど尿パッドにオシッコが出てると「あ~生きてる」とホッとしていました。(点滴はしていなかったけど、ステロイドなど座薬を使用)痰も絡むようになり、訪看さんやヘルパーさん
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います2023年11月~12月この頃は毎日のように喧嘩になっていたどちらかというと私がいつも文句を言ってパパが聞き流しているような感じこの間にパパの誕生日があった我が家は誕生日の夕食は主役が決めるパ
こんにちは。過去を振り返って書いてます。2月26日7時59分発の新幹線に乗って3人で、東京へ向かった。1カ月前とは全然違う気持ちで新幹線に乗った再発していたらどうしようという緊張感はなかったなんとかしてくれるそんな気持ちだった。到着して、知人の方に東京駅まで迎えに来ていただき久しぶりに会えて次男も元気がでた。そのまま病院まで送っていただいた。次男はすぐにMRI検査へ待ち時間の間次男が携帯で「ICU」と見せていた本人はやはり体調の変化が一番わかっているので、手術する