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キャンディを見送ってから数日が過ぎていた。ニューヨークの冬は相変わらず冷たかったが、テリィの心は不思議なくらい軽かった。もちろん寂しくないわけではない。むしろ逆だった。朝起きればキャンディのことを思い出し、夜になれば今頃どこで何をしているだろうと考える。手紙はまだ届いていない。投函しても届くのに数日かかるのだから。それでも郵便受けを見る回数が増えている自分に気づき、苦笑することもあった。そんなある朝、テリィはいつものように劇場へ向かった。ホリデーシーズンを控えた劇場街は活気に満ちている。
翌々日の夜、キャンディはこの日も机に向かっていた。開かれているのは、フランス語の詩集。文字を追っているはずなのに、意味が頭に入ってこない。(フランス語も教えてくれるって言ってたけど、ほんとに来るのかしら……?)そう思ったとき。――カツン。小さな音。「……来た!」思わず、口元が緩む。窓を開けると、バルコニーの床に散らばる小さな石。あの日と同じだ。そして、下から抑えた声。「今から大丈夫か?」「ええ!」キャンディは周囲を確かめ、用意してあったシーツロープをすぐに垂らし、彼を部屋へ
キャンディは何度も思い出していた。ホームの上を走るテリィ。大きく手を振る姿。そして最後に見えた、少し寂しそうな笑顔。そのすべてが胸に焼き付いている。やがて車掌に促されるように客室へ向かう。通路を歩き、自分の番号の部屋を見つけると、ようやく小さく息を吐いた。扉を閉めて荷物を棚へ置く。そして窓際の椅子へ腰を下ろした。列車はすでに速度を上げ始めていた。窓の外を流れていくニューヨークの街並み。少しずつマンハッタンが遠ざかっていく。キャンディは膝の上に切符を置いた。何気なく見つめる。駅でのやり
駅へ向かう車の中は、不思議なくらい静かだった。気まずいわけではない。話したいことがなくなったわけでもない。むしろ逆だった。話したいことなら山ほどある。伝えたいこともある。けれど、それを口にしてしまえば、本当に別れの時間が来てしまう気がした。だから二人とも、どこか言葉を選んでいた。窓の外を流れるニューヨークの街並み。昨日は二人で歩いた場所も見える。ほんの数日前までは存在しなかった思い出だった。やがて車は駅へ到着する。巨大な駅舎は今日も人で溢れていた。ホームへ降りると、すでにシカゴ行きの寝
列車の最後尾が見えなくなっても、テリィはしばらくホームに立ち尽くしていた。白い蒸気だけが冬の空へ溶けていく。先ほどまでそこにいたキャンディの姿はもうどこにも見えない。それでも視線を動かせなかった。8年前の別れを思えば、今回の別れはまったく違う。今度は終わりではない。想いは伝え合った。手紙を書く約束もした。また会う約束もある。それなのに胸の奥が妙に寂しかった。「行くなよ……」思わず漏れた言葉に、自分で苦笑する。列車が出発してまだ10分も経っていない。まだニューヨーク市内を抜けても
『ヴェニスの商人』千穐楽の翌朝。舞台袖で浴びたあの温かな拍手の残響が、まだ耳の奥にこびりついている。客席の笑い声、アントーニオとして交わした視線の重み。長く溜めた沈黙が、言葉より雄弁に感情を伝えるあの感覚は、演じ手としての快感でもあった。だが――今日からは違う。書斎の机に置かれた台本。題名には太い活字で『人間ぎらい』とある。アルセスト。皮肉と憤りを吐き出し続ける男。最初のページを開いただけで、彼の長く鋭い台詞が眼前に迫ってくる。テリィは試しに読み上げた。「ええ、私は人間の習
さらに別の日の稽古場。大きな窓から差し込む陽射しに、黒いグランドピアノが鈍い光を返していた。譜面台には《別れの曲》が置かれている。テリィが弾き終えると、クラークは静かに頷いた。「悪くありません。技術的に大きな難所は少ない。問題は――どれだけ“歌わせる”かです。旋律をただ正確に並べるだけでは意味がない。感情を込めて響かせること。そこは役者であるあなたの強みですね」テリィは小さく肩を揺らし、苦笑する。「……つまり、音で芝居をするということですか」「その通りです」次に置かれた譜面は《ノ
翌朝は、穏やかな時間が流れていた。朝食を終えたあとも、二人とも慌ただしく支度をする気にはなれなかった。キャンディが帰る列車は午後三時発。まだ時間はある。だからこそ、その限られた時間が愛おしかった。暖炉の火は小さく燃えている。冬の朝の陽射しが窓から差し込み、リビングを柔らかく照らしていた。二人はソファに並んで腰を下ろしていた。静かな時間だった。ふと、キャンディの視線が本棚へ向く。何かを思い出したように立ち上がった。「ねぇ、テリィ」「ん?」「どうしてピーター・ラビットがあるの?」テリィは一
1927.年3月、病院の廊下は静まり返っていた。夜明け前の薄暗い光が、磨き上げられた床を鈍く照らしている。二日前から始まった前駆陣痛が、この日とうとう本格的な波となって押し寄せていた。テリィは病室の外の長椅子に腰掛け、足を組み替えてはほどき、落ち着かぬ様子で時計を見上げる。分針の動きがやけに遅く感じられた。廊下の端から、エレノアが息を切らしながら駆けてくるのが見えた。毛皮のコートの下からは、夜通しの移動で少し乱れたドレスの裾がのぞいている。「間に合ったわね?」その声には安堵と緊張
最後の幕が下り、暗転。数秒の静寂のあと、客席から大きな拍手が湧き上がった。胸の奥に溜まった感情を一気に吐き出すような、熱のこもった拍手だった。照明が再び灯り、キャスト全員が横一列に並んで深く一礼する。舞台中央にはスタンホープ大尉を演じきったテリィ。軍服姿のまま、わずかに息を乱したその姿は、役を終えてもまだ戦場の空気をまとっているようだった。鳴りやまぬ拍手の中、テリィは中央で一礼し、顔を上げた。照明の向こう、暗がりに沈む客席の前方――そこに見慣れた面影を探す。そこでは、アルバートが
テリィはゆっくりとキャンディから身体を離した。けれど手だけは離さない。そのままソファへ座らせ、自分も隣へ腰を下ろす。暖炉の火が静かに揺れていた。部屋の中には二人だけ。テリィはキャンディの手を握りなおした。細い指、そして看護婦として働いてきた年月を感じさせる手。その手を包むように握りながら、真っ直ぐに彼女を見た。「ここまで来たのは……やっぱり俺に会いに来てくれたんだね?」キャンディは一瞬だけ目を伏せた。そして小さく頷く。「うん」その答えだけで胸がいっぱいになる。キャンディは続けた。「
長い救護活動を終え、ようやく自宅の扉を開けた。玄関を閉めた瞬間、耳にこびりついていたサイレンや人々の叫び声が、まだ頭の奥でこだまする。静けさが返ってきたはずの家が、むしろ不気味に思えた。マーサが振り返り、小声で「おかえりなさいませ」と言ってくれる。その目に浮かんでいたのは安堵と心配。彼女は眠る子を見守ったまま、気遣うように静かに立ち去った。ここは安全な場所だ。そうわかっているのに、胸の鼓動は荒く、肩は強張ったままだった。寝室へ入ると、ベビーベッドの中で長男が小さな寝息を立てていた。
1929年1月下旬の午後。外は冬の冷たい風が吹き抜けていた。曇天に覆われたブロードウェイの街並みには、前夜の雪がところどころに残り、道端の排気にまみれて灰色に変わっている。稽古場の窓ガラスも白く曇り、息を吐けばすぐに曇りが広がった。その稽古場に、いつになく多くの俳優とスタッフが集まっていた。長机を円形に並べ、その周りに椅子を置き、全員が台本を手にして座っている。空気は重く、誰もが落ち着かない様子だった。理由はひとつ――今日は《コリオレイナス》の初めての全員読み合わせの日であり、そして劇団
シカゴから戻った翌朝、村はいつもと同じ顔をしていた。朝霧が低くたれ込み、牧草地の向こうで鶏が鳴く。ポニーの家の教会の鐘は、変わらず同じ時刻に鳴った。それなのにキャンディだけが、世界とほんの少しずれていた。ハッピー・マーチン診療所。消毒薬の匂い。白衣の擦れる音。患者を呼びこむ声。すべてが慣れ親しんだはずなのに、彼女の意識は、何度も遠のいた。包帯を巻きながら、手元が止まる。薬瓶を戻そうとして、違う棚に置きかける。カルテの文字を、間違える。「……キャンディ?どうかしたの?」同僚の
満席の客席。夏の夜。ストラスフォード劇場のロビーは、開演前から熱気に包まれていた。プログラムを手にした観客たちは口々に囁き合う。「今日はソネットを音楽で彩るんですって」「去年のショパンを思い出すな……あの夜、テリュースがピアノを弾いた瞬間、鳥肌が立ったよ」「ほら、舞台袖にピアノが置かれてる。やっぱり今夜も彼は弾くんじゃない?」期待と憶測が入り混じり、誰もが「また何か驚かせてくれるに違いない」と確信していた。観客の視線は舞台の奥に置かれた黒光りするピアノに吸い寄せられる。やがて客席の
テリィ―『コリオレイナス』最後に現れたのは、テリュース・グレアムだった。一歩、また一歩と舞台中央へ進み出るその姿に、場内の空気が変わる。客席から洩れる衣擦れの音さえ消え、ただ彼の足音だけが劇場を支配していた。幕が開き、暗闇の奥から一人の影が歩み出る。赤いマントが揺れ、革の胸甲が舞台の光を受けて鈍く輝いた。剣を腰に佩き、逞しい腕と鍛えられた脚を露わにして、テリィが現れる。場内が暗転し、太鼓が鳴り響いた。舞台に火花のような照明が走り、戦場のざわめきが流れ込む。鎧に身を包んだ兵士役
10月。澄みきった秋空の下、街路樹は少しずつ色づき始めていた。ニューヨークにしては珍しく静かな朝だった。スザナは原稿用紙へ向かっていた。机の上には書きかけの脚本。その隣には冷めかけた紅茶。以前なら考えられなかった光景だった。舞台へ立てなくなった日、自分の人生は終わったと思った。けれど終わらなかった。最初は苦しかった。女優としての自分を諦めることは、自分自身を諦めることに近かったからだ。それでも少しずつ。少しずつ前へ進んできた。最近では劇団の若手が自分の脚本を読んでくれるようにも
ポニーの家の大きく開け放たれた窓からは、焼きたてのクッキーの甘い匂いが午後の風に乗って流れ、丸いテーブルには、湯気の立つ紅茶が静かに並べられている。そのテーブルを囲むように座っているのは、キャンディ、アニー、そしてパティの三人。それぞれが別々の場所で新しい時間を生き始めてから、以前のようにただ他愛もない話をしながら笑い合う時間は、いつの間にか少なくなっていた。だからこそ、こうして三人だけでゆっくり顔を合わせる午後が、たまらなく懐かしく感じられるのだ。ポニーの家の窓を揺らす風も、遠くから聞
熊本で起きた大地震で被災された方々不安な時を過ごされてる皆さま心よりお見舞い申し上げます淡々とニュース記事をシェアさせて戴きます落ち着いた頃にでも目を通して戴ければ幸いですTedCruzdemandsFaucifacejailtime,labelshimAmerica's'mostdamagingbureaucrat'TedCruzsaysAnthonyFaucishouldfacecontemptcharges
6月末。夜の書斎では、かすかなランプの灯りだけが揺れていた。窓の外では春の夜風がカーテンをわずかに揺らし、遠くの街のざわめきがかすかに耳に届く。机の上に置かれた白い便箋を前に、テリィは長いことペンを持ったまま動けずにいた。「光、か……」劇団から渡された一枚の用紙には、たったひとこと“光という題で手紙を書いてください”と書かれていた。他の俳優たちがどんな手紙を書くのか、テリィは知らない。だが「自分で書いたものを読む」と明かされた瞬間から、心は落ち着きを失っていた。光――。思い浮かべ
ストラトフォード・アポン・エイボンの朝は、ニューヨークとは違っていた。窓を開けると、湿った風が頬を撫で、遠くで教会の鐘が鳴っていた。テリィは静かに目を閉じる。その音を聞いていると、自分が本当にイギリスへ戻ってきたのだと実感した。シェイクスピアが生まれた町。演劇人にとっての聖地。そして今の自分にとっては戦場だった。テーブルの上には昨日渡された台本が置かれている。『RomeoandJuliet』表紙を見つめながら、テリィは小さく息を吐いた。オーディションは終わったが、本当の勝負はここから
テリィに手を引かれ、キャンディは人通りの少ない石畳を歩く。立ち止まった先には、小さな看板がひとつ。「……ここなの?」問いかけに、彼は片眉を上げて笑った。「そうさ。入ってみろ」階段を降りて重い扉を押すと、レンガの壁と琥珀色のランプに照らされた地下の空間が広がった。低い天井、革張りのソファ、そして奥には黒光りするグランドピアノ。外の世界とは切り離された、秘密めいた空気が漂っている。カウンターに立っていたのは、白髪混じりの初老の男だった。「おや……テリュースじゃないか」「久しぶりで
ハムレットの夜から、ロンドンは変わった。次の日の朝、新聞売り場には早くから人だかりができ、劇評欄にはまるで申し合わせたように同じ名前が躍っていた。『新たなハムレット』『ブロードウェイのスター、英国を沈黙させる』『王子の再来』『帝王、誕生』オールドウィッチ劇場の前では、前夜の余韻に酔った人々が足を止め、「あの“Tobe”を聞いたか」「いや、“尼寺へ行け”だ」「あんな沈黙は初めてだった」と興奮気味に語り合い、その熱はロンドンの街角から街角へと波のように広がっていった。そして、二週間にわたる
キャンディは、その場に立ち尽くしていた。声も出ず、足も動かない。ただ、風に揺れる草の匂いと、西の空に傾いた夕陽だけが、現実を知らせていた。長く伸びた影が、一歩ずつ、そこにいる人の輪郭を浮かび上がらせていく。それはまるで、夢が形を取っていくようだった。雑誌の見出しで目を引くあの名前。舞台の評判とともに語られる俳優、テリュース・グレアム。けれど今、シロツメクサの丘に立つその人は、どんなに大人びていようと、間違いなく彼女の知る“テリィ”だった。あの頃と変わらぬ、やわらかな眼差し。ただ、彼
あの日々を思うと――今が不思議でたまらない。目覚めれば、すぐ隣に彼がいて、少し寝癖のついた髪でこちらを見て微笑む。朝食を一緒にとって、ほんの何気ない会話を交わし、午後には肩を並べてお茶を飲む。夜、帰ってきた彼を「おかえり」と迎えると、必ず「ただいま」と返ってくる。そのひとつひとつが、私にとっては奇跡の連なり。もう二度と会えないと思っていた。お互い、別々の道を歩くのが当然だと信じていた。それなのに、運命はふたたび私たちを結びつけた……。いえ、きっと初めから決まっていたのかもしれな
九月初旬、ブロードウェイの小会議室。長方形のテーブルの両側に、ストラスフォード劇団の上層部と制作スタッフが向かい合って座っていた。壁際には広報担当や衣装デザイナーも控え、熱気よりも、どこか張り詰めた空気が漂っている。年配の広報部長が紙束を置きながら言う。「うちの看板は何かと問われれば、やはりシェイクスピアです。ブランドを守るためにも、来春は原点に戻りましょう」団長ロバートが静かに頷いた。「我々は“アメリカでシェイクスピアをやるならここ”と呼ばれてきた。その誇りを途切れさせるわけにはいか
ニューヨーク、マンハッタンの一軒家。ブロードウェイの喧騒から少し離れた住宅街に、テリィとキャンディ、そして第一子のオリヴァーが暮らしていた。生後9か月のオリヴァーは、リビングの窓辺で木製のガラガラを振り回し、楽しげに声を上げている。その隣でキャンディは、机いっぱいに積まれた荷物を見てため息まじりに笑った。「……まぁ、ニューヨークまでよくぞこれだけ届いたわね」送り主は二つの家――テリィの父であるグランチェスター公爵家と、キャンディの養父のアードレー家。久方ぶりの男子誕生に、両家の祖父は
ニューイヤーまで数日に迫ったその日、ストラスフォード劇団の会報誌が、各新聞社、雑誌社などにも届けられたのは、昼下がりのことだった。『劇団からのお知らせ』の欄、最後の一行、短い文章。「このたび、当劇団所属のテリュース・グレアムが結婚いたしましたのでお知らせいたします。」芸能欄の記者たちは、一瞬呆気に取られた。「テリュースが結婚?いつの間に?」「どこの女優だ?一般人なのか?相手は誰だ?」寝耳に水とはまさにこのことだった。噂も前触れもない、突然の報せ。今期もブロードウェイの舞台で主演を務
今さら・でも―キャンディキャンディいつもアクセスいただきありがとうございます©水木杏子/いがらしゆみこ画像お借りしますブログを最初から読む二次小説を最初から読む11年目のSONNET目次スピンオフ本編前本編後キャンディ雑談を読むFinalStoryの考察を読む考察①FinalStoryって?考察②新旧手紙の比較考察③あのひとは誰?考察④Finalと漫画の違い考察⑤テリィの手紙考察⑥男アルバートさん考察⑦
仕事終わりにテレビ見て、また地震のニュースに驚きました。被害がひどくなりませんように。訪問ありがとうございます😊子育て終わりのアラカンです。春夏秋はガーデニングメイン、冬は弘前の暮らしの四方山話を書いてます。弘前公園の桜に魅せられて、転勤族⇒Iターン移住しました。行ってきました動き出す浮世絵展https://share.google/GV1bRYOkMQ1269l8W青森丨動き出す浮世絵展|UkiyoeImmersiveArtExhibition立体映像空間で浮