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少し沈黙したあと、エレノアが尋ねた。「そのエヴリンという女性、きれいだったんでしょう?」キャンディは困ったように笑った。「はい……ものすごく」エレノアが小さく笑った。「すらっとしていて、肌も髪もきれいで……」話しながら、あの日の自分を思い出す。買い物帰りの服、履き慣れた靴、風に乱れた髪。「それで、帰り道に自分の格好を見たら、なんだか急に恥ずかしくなって」エレノアがキャンディの手を握る。「でも安心したわ。あなたも普通の女の子なのね」エレノアはそう言うと意味深な笑みを浮かべ立ち
ウェディングドレスの最終チェックの日、キャンディはエレノアが指定した仕立て屋を訪れていた。大きな鏡の前に立ち、仮留めされていた最後の数か所を直してもらう。「そう。それくらいね」少し離れたところから全体を眺めていたエレノアが満足そうに微笑んだ。「きれいよ、キャンディ。……キャンディ?聞こえてる?」「あ、はい、すみません。ちょっと考え事をしてました……」我に返り慌てて返事を返す。このときキャンディは、数日前、自分がテリィに「私のこと、好き?」と聞いたことを考えていた。鏡の中のエレノアは、
夜はとうに更けていた。寝室のカーテンの隙間から、街の明かりが細く差し込んでいる。テリィは目を閉じたまま、しばらく眠ろうとしていた。隣からは、規則正しい寝息が聞こえている。テリィの頭の中では、帰宅後からずっと引っかかっていた言葉が何度も繰り返されていた。――私のこと、好き?あのときは、突然何を言い出すのかと思った。もちろん好きだと、何年待ったと思っている、と答えた。安心させるために言った言葉ではない。全部、本当のこと。けれど――。テリィは薄く目を開けた。思えば、キャンディがニューヨー
ペントハウスへ戻ったとき、部屋はまだ暗かった。キャンディは夕食の支度を始める。いつもと同じことをしているはずなのに、ときどき手が止まった。エヴリンの顔が浮かぶ。彼女が語った誰かは、どれも自分が知っているテリィと重なった。もし本当に、あのエヴリンがエヴリン・ハートなら。彼女はテリィの華やかな部分だけを見て好きになったのではない。自分が好きになったテリィを好きになったのだ。そのことが、キャンディの胸をいちばん落ち着かなくさせているのかもしれなかった。すると、玄関の向こうで音がした。鍵が回る。キ
シカゴ行きの列車へ乗り込むと、マーチン先生はすでに窓側の席へ腰を下ろしていた。キャンディの姿を見つけると、穏やかに笑う。「友だちとは会えたかね」その問いに、キャンディも自然と微笑んだ。「はい。会えました」短い返事だったが、それだけで十分だった。列車がゆっくりと動き出す。ホームが流れ、駅舎が遠ざかり、やがてニューヨークの街並みも窓の向こうへ消えていった。しばらくすると、二人の話題は自然と看護大会へ移っていた。発表の内容や質疑応答のこと。他州から来た看護師たちの研究報告のこと。
夜更け。ポニーの家は静かな眠りに包まれていた。子どもたちの寝息だけが、廊下の向こうからかすかに聞こえてくる。ジョシュアは眠れなかった。キャンディから聞いた言葉が、何度も胸の中で繰り返される。――私は、ジョシュアを信じてる。――みんな、あなたに幸せになってほしいって願ってる。うれしかった。それなのに、胸は苦しかった。喉の渇きを覚え、静かに部屋を出る。キッチンの扉を開けると、窓辺に一人の男が立っていた。月明かりに照らされた横顔。テリィだった。テリィが人の気配に気づき振り返る。「君も…
キャンディの言葉が途切れた時、部屋の中には静かな余韻だけが残っていた。テリィはゆっくりと手を伸ばした。そしてもう一度、キャンディを抱き寄せる。今度は先ほどとは違った。迷いもなければ、不安もない。失うことを恐れて手を伸ばせなかったものとも違う、もっと深いものでもっとしっかりとその存在を確かめるように抱きしめた。キャンディもそっと腕を回す。テリィの胸へ頬を寄せた。伝わってくる鼓動が心地よい。力強くて、温かい。その鼓動を聞いているだけで、長い旅の終わりに辿り着いたような気持ちになった。
雑誌『GENTEEL』、テリュース・グレアム特集の続きです!今回はこちら✨「BLACK&WHITE変わらない美しさ」というタイトルのモノクロのテリィです♡カラーもいいけれど……モノクロのテリィもこんなに素敵だなんて……😍なんと言いますか、色がなくなったぶん、目元や髪の流れ、表情がいっそう際立って見える気がするのは、私だけでしょうか?!そして、この頬杖ならぬ……口元にそっと手を添えたポーズ。ちょっと余裕のある感じ……。これは、反則です!!!(うれしいくせに)しかも
「……ファンから逃げたときだよ」「逃げたとき?」「劇場を出たところで見つかってさ。やっと振り切って駐車場まで来たと思ったら、別の連中が向こうから来た。また見つかったら面倒だと思って、隠れる場所を探したんだけど――」テリィは自分たちが座っている枝を軽く叩いた。「ちょうどいい木があった」キャンディは想像してしまった。ニューヨークの街で、大勢の女性たちから逃げ回り、最後には木の上へ避難しているテリィ。「あはは……それおかしい!」「俺は必死だったんだ」「それで?見つからなかった?」「
先ほどまで笑い声のあった部屋には、今は穏やかな静けさが戻っている。キャンディは白いシーツを胸元まで引き上げたまま、ベッドの上からテリィを見つめていた。ローブを羽織ったテリィは、鏡の前で髪を整えている。ほんの少し前まで、あんなに無防備な姿で笑っていた人とは思えないほど、すでに表情が変わり始めていた。今日は稽古の日、本番を目前に控え、ゲネプロまであと数日、劇団全体が最も張り詰める時期に入っていた。一つの場面、一つの立ち位置、一つの台詞の間、すべてを最後まで磨き上げる時期だった。主演であるテ
スザナ・マーロウの訃報が新聞各紙に載ったのは、その週の金曜日だった。年が明けたニューヨークの朝は冷たく、劇場街の歩道にはまだ昨夜の雪が薄く残っていた。新聞売り場には特別版が並び、人々はコートの襟を立てながら足を止める。ハムレットの成功以降、テリュース・グレアムは世間の注目を集める存在になっていた。だから彼に関わる出来事もまたニュースになる。スザナの死も例外ではなかった。劇場へ向かう途中、何人もの人が新聞を広げていた。誰も悪意など持っていない。ただ悲劇を惜しみ、若くして亡くなった元
午後の稽古を終えて楽屋へ戻ると、鏡台の上に一通の封筒が置かれていた。エヴリンはコートを脱ぎながら、それを何気なく手に取った。劇団の名が印刷されている。個人的な手紙ではない。封を切り、中のカードを引き出す。最初に目に入ったのは、披露宴の日時とその下に並ぶ二人の名前。エヴリンの指が止まった。彼に結婚を約束した女性がいることは、劇団から正式な通達があったので知っている。だから、いまさら驚くようなことではない。けれど、紙の上に並んだ二人の名前を見ていると、それまで頭で理解していたことが、突然、形を持
車が走り出してからしばらくの間、二人はほとんど言葉を交わさなかった。窓の外を流れていくニューヨークの夜景。街灯の光。行き交う人々。時折聞こえるクラクション。それらが静かな車内を埋めている。テリィは運転しながら何度も隣を見た。キャンディは黙って前を向いている。疲れているのがわかった。無理もない。泥で汚れた裾。雨に濡れたドレス。顔色もあまりよくない。だが、それ以上に気になったのは、どこか張り詰めた表情だった。まるで気を抜いたら倒れてしまいそうな、そんな危うさがあった。「ホテルまで送るよ」よ
ある日の昼休み。本来なら、とっくに昼食を終え、にせポニーの丘へ向かっている時間だった。ところがその日、キャンディは食堂を出たところでシスターに呼び止められた。「キャンディス、次回の当番のことだけれど」「あ、はい」「来週は礼拝堂の花を替えていただくことになるわ。それから――」ほんの数分で済む話だった。けれど、その「ほんの数分」が気になって仕方がない。(テリィ、もう丘にいるかな)ようやく話が終わると、キャンディは頭を下げた。「ありがとうございました!」そのまま早足で歩き、シスターが見
1930年の秋の夜。第三劇場の前はすでに熱気で溢れていた。高級車がひっきりなしに停まり、ドアマンの掛け声とともに着飾った紳士淑女が次々と降り立つ。「フランス演劇界の大家ヴァロワが、ブロードウェイに立つ」「相手はアメリカで一番勢いのある若手、グレアムか……」観客たちは期待を口にしながら、赤い絨毯の上を進んでいく。劇場ロビーは煌々としたシャンデリアの光に照らされ、チケットを手にした人々のざわめきが反響していた。最前列には記者席が設けられ、ニューヨーク・タイムズやヘラルド紙の記者たちが筆を
手紙は、それから何度も読まれた。最初の日は三回。翌日は二回。その次の日は一回だけ。けれど読まない日はなかった。診療所での忙しい一日を終え、部屋へ戻る。ランプに火を灯し、引き出しを開ける。そこにはいつも同じ封筒が入っていた。ニューヨークの消印。差出人は「T・G」。そして中には、テリィの手紙。文章は決して長くない。けれど行間には、言葉にならなかったものがたくさん残されている気がした。「あれから一年が過ぎた」「一年たったらきみに連絡しようと決めていた」「思いきって投函する」そして
ポニーの家の大きく開け放たれた窓からは、焼きたてのクッキーの甘い匂いが午後の風に乗って流れ、丸いテーブルには、湯気の立つ紅茶が静かに並べられている。そのテーブルを囲むように座っているのは、キャンディ、アニー、そしてパティの三人。それぞれが別々の場所で新しい時間を生き始めてから、以前のようにただ他愛もない話をしながら笑い合う時間は、いつの間にか少なくなっていた。だからこそ、こうして三人だけでゆっくり顔を合わせる午後が、たまらなく懐かしく感じられるのだ。ポニーの家の窓を揺らす風も、遠くから聞
カフェを出てから、キャンディは少し足を速めていた。思っていた以上に遅くなってしまっていたからだ。紙袋を抱え直しながら、人通りの増えた通りを急ぐ。夕食の支度もまだ何もしていない。テリィはもう帰っているだろうか。それとも、今日は稽古が長引いているだろうか。そんなことを考えながら歩いていたときだった。ふいに、さっき聞いた名前が頭の中に戻ってきた。――エヴリン。キャンディの足が、わずかに緩んだ。どこかで聞いたことがある。別れ際に彼女が名乗ったときにも、そんな気がした。けれど、話し込んでいたこ
畑を後にすると、二人はカートライト牧場へ向かった。夏の陽射しの下、緑の草原が広がっていた。キャンディは迷うことなく道を歩いていく。「ポニーの家は昔からカートライトさんにお世話になってるのよ」「へえ」テリィが興味を示す。「じゃあ、そこでも子どもの頃のきみの話も聞けそうだな」キャンディが足を止めた。「余計なこと聞かなくていいからね」「なんで?」「なんでも!」テリィは笑った。その反応だけで、聞かれて困る話がいくつもありそうだった。牧場へ着くと、カートライトは二人を温かく迎えてくれ
朝。鐘の音が石造りの寄宿舎に響きわたり、少年たちの眠りを乱暴に断ち切った。深秋の冷気が古い窓から忍び込み、布団を引き寄せても容赦なく体を刺す。テリィは頭から毛布をかぶり、しばらく動かなかった。(……また同じ朝だ。昨日と同じ、一昨日と同じ。明日もどうせ同じだろう)やがて渋々身を起こし、乱れた前髪を手ぐしでかき上げる。制服のボタンは二つ外し、ネクタイもゆるめたまま。規律を重んじるこの学院ではそれだけで「問題児」の烙印を押される。だが、直そうとする気は毛頭なかった。◇午前:ラテン語
受付へ辿り着いた時、テリィは珍しく息を切らしていた。階段を駆け下り、そのままロビーへ飛び込む。だが、そこにいたはずの人影はどこにもなかった。広いロビーには観客たちの姿がある。開演中の劇場特有のざわめきも聞こえる。けれど、マイケルが話していた女性の姿は見当たらない。テリィは辺りを見回した。もう一度、そしてもう一度。それでも見つからない。受付へ駆け寄る。「さっきの女性は?」受付係の男が顔を上げた。「グレアムさん?」「キャンディス・ホワイトという女性だ」男はすぐに思い出したらしい。「あ
スザナの葬儀から、数か月が過ぎていた。春が近づき、街の空気は少しずつ柔らかくなっていたが、テリィの周囲にはまだ、どこか冬の残り香のような静けさが残っていた。劇場の稽古場では、次の作品の準備が進んでいた。長いロングランを終えたばかりの彼にとって、新しい舞台は新たな出発でもあった。その日、劇団の一室で次作の発表会見が開かれていた。テリュース・グレアム主演、新作舞台。劇団にとっても大きな作品になる。フラッシュが焚かれ、記者たちの質問が続いた。「今回の役柄について教えてください」「前作の
キャンディたち家族が村を発ってから数日が過ぎた。ポニーの家も、診療所も、牧場も、いつもの穏やかな日常を取り戻している。けれどエリオットの心には、あの再会の余韻がまだ残っていた。十三年ぶりに再会したキャンディ。そして、その隣にいたテリュース・グレアム。長い年月を経てようやく見つけた答えが、今になって少しずつ胸の中へ染み込んでいく。診療所の窓から見える夏空を眺めながら、エリオットはふと昔を思い出していた。あれは、自分が大学の夏休みを利用してカートライト牧場へ手伝いに来ていた頃。まだ二十
インディアナ。午後になると空は薄く曇り始め、夕方には雪が降ることも珍しくない。その日も診療所の仕事を終えたキャンディは、ポニーの家の暖炉の近くへ置かれた新聞を何気なく手に取り、自室にいった。目に飛び込んできたのは、大きな舞台写真だった。思わず手が止まる。そこには見覚えのある横顔が写っていた。テリィだ。舞台衣装に身を包み、客席のどこかを見据えている。その表情は凛々しく、堂々としていて、まるで別人のようだった。記事には大きな見出しが躍っている。『SMT帰りの名優、ホリデーシーズンを席巻』『
秋が深まったニューヨークは、夏とはまるで別の街のようだった。空気は冷たく澄み渡り、空はどこまでも高い。その日の朝、テリィは朝食の席で何気ない調子を装いながら言った。「次の休み、出掛けようか」キャンディが顔を上げる。「どこへ?」「自由の女神」その言葉に、キャンディは少し驚いた。夏に一度行こうとして、雨で途中断念した場所だった。「あの日の続き。この時期雨も少ないし」テリィはコーヒーを口に運びながら言う。「今度こそ島まで行こう」確かにその日は雨の心配はないという予報だった。キ
朝食を終えると、ポニーの家にはいつもの朝が始まった。子どもたちは食器を片づける者、庭へ飛び出していく者、先生に呼び止められて渋々部屋へ戻る者。それぞれが思い思いに動き始める。キャンディはその様子を眺めながら、エプロンを外した。今日は夜勤、出勤まで先生たちの手伝いをしてから診療所へ向かうつもりでいる。それまでには、まだ時間があった。「先生、ちょっと丘へ行ってきます」ポニー先生が笑顔で送り出す。キャンディは外へ出た。朝の空気には、まだ少し涼しさが残っている。慣れた道を歩き、草の斜面を登っ
暖炉の火が静かに揺れていた。窓の外には夜のニューヨークが広がっている。部屋の中は穏やかだった。けれど、その穏やかさの奥に、まだ触れていない話題が残っていることを二人とも知っていた。テリィはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開く。「ところで」キャンディが顔を上げる。「うん?」「まだ聞いてなかった」テリィはまっすぐ彼女を見た。「きみがニューヨークへ来た理由」その言葉にキャンディの表情が少しだけ変わった。そうだった。結局まだ話していない。なぜここへ来たのか。なぜインディア
夜明けは音もなく忍び寄っていた。ランプの炎がほんの少しだけ頼りなく揺れた頃、窓の向こう側の闇がいつも間にか薄い灰色に変わっていることに、キャンディは気づいた。一晩中座り続けていたはずなのに、立ち上がった時、足の感覚は不思議なほど確かだった。その時。廊下の奥から足音が聞こえた。慌てないように自制しているが、だがかなり急いでいる足音。執事のクルーズの声が重なる。「先生、こちらでございます」ノックが聞こえ、扉が開いた。「先生がいらっしゃいました」主治医