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「私は、その”ただのテリィ”が、一番好き」「キャンディ……」その言葉に、テリィは目を細め、一瞬だけ黙り込む。そして、口元がゆっくりと悪戯っぽく持ち上がった。「……それが一番?」「え?なにが?」「じゃあ、二番は?二番目に俺の好きなところは?」「えっ?」突然の質問に、キャンディは目をぱちくりさせる。「えっと……それは」真剣に考え始めた彼女を見て、テリィは笑いを堪えていた。「一番があるということは、三番もあるってことだよな。三番は?」「えっ、ちょっと待って!」「どうせなら五番く
ホテル最上階のレストランでの食事は、思っていた以上にゆったりとした時間だった。窓一面に広がるマンハッタンの夜景を眺めながら、二人は語り合った。料理を分け合い、笑い合い、デザートの頃には互いの表情から緊張もすっかり消えていた。食事を終えると、会員だけが利用できる静かなバーへ少しだけ立ち寄った。重厚な木のカウンターと、柔らかな照明。流れるピアノの音色も、まるで今日という日を労ってくれているようだった。キャンディは温かなハーブティーを、テリィは軽くグラスを傾ける。舞台のこと、ポニーの家のこと
二人は劇場を出ると、裏手の駐車スペースへ向かった。そこにはテリィの愛車が静かに停まっている。助手席のドアを開けながら、テリィが微笑んだ。「どうぞ」「ありがとう」キャンディが乗り込むと、テリィは荷物を後部座席へ置き、自らも運転席へ腰を下ろした。エンジンが静かに唸り、車はゆっくりと劇場を離れる。クリスマスを間近に控えたブロードウェイは、色とりどりのイルミネーションに彩られ、街全体が温かな光に包まれていた。しばらくは、お互い何も言わなかった。その沈黙さえ心地よかった。半年という時間を埋める
ポニーの家の大きく開け放たれた窓からは、焼きたてのクッキーの甘い匂いが午後の風に乗って流れ、丸いテーブルには、湯気の立つ紅茶が静かに並べられている。そのテーブルを囲むように座っているのは、キャンディ、アニー、そしてパティの三人。それぞれが別々の場所で新しい時間を生き始めてから、以前のようにただ他愛もない話をしながら笑い合う時間は、いつの間にか少なくなっていた。だからこそ、こうして三人だけでゆっくり顔を合わせる午後が、たまらなく懐かしく感じられるのだ。ポニーの家の窓を揺らす風も、遠くから聞
稽古場は静まり返っていた。誰も動かず、誰も口を開かない。窓から差し込む朝の光が床を照らし、その光の中に立つ演出家だけが、ゆっくりと二人を見つめていた。テリィにも、自分の鼓動だけははっきりと聞こえていた。不思議なことに、緊張よりも静けさの方が勝っていた。ここまで来るまでにできることはすべてやった。結果がどうであれ、それはもう自分の手を離れている。だからこそ、今は待つしかなかった。演出家は小さく息を吐いた。その表情には安堵も迷いも混じっている。ここ数日、どれほど悩み続けたのかが伝
静かな夜だった。ロンドンの空は低く、霧が街灯の光をやわらかく滲ませている。タウンハウスの居間では、暖炉の火が小さく揺れていた。子どもたちはすでに眠り、家の中には二人の気配だけが残っている。テリィは、ソファの端に座ったまま、しばらく黙っていた。キャンディはその沈黙に気づき、隣に腰を下ろす。「どうしたの?」その声は、探るでもなく、ただ寄り添う音だった。テリィはすぐには答えなかった。炎を見つめ、ゆっくりと息を整えてから、低く口を開く。「最近よく……考えるんだ」キャンディは何も言わ
千穐楽の打ち上げは、大盛り上がりだった。半年近く続いた公演を無事に走り切った解放感もあり、劇団員たちはグラスを片手に笑い合い、あちこちで歓声が上がっていた。テリィは壁際の席で静かに飲み物を口にしていた。彼にとってはいつものこと、騒ぐより眺める方が好きだった。誰が言い出したのか、いつの間にか即席のモノマネ大会が始まっていたのである。若手のひとりが演出家の真似をすれば、「違う違う違う!感情はいい!もっと呼吸だ!」と大げさに身振り手振りを交えながら叫び、会場は大爆笑。別の団員はベテラン
長い救護活動を終え、ようやく自宅の扉を開けた。玄関を閉めた瞬間、耳にこびりついていたサイレンや人々の叫び声が、まだ頭の奥でこだまする。静けさが返ってきたはずの家が、むしろ不気味に思えた。マーサが振り返り、小声で「おかえりなさいませ」と言ってくれる。その目に浮かんでいたのは安堵と心配。彼女は眠る子を見守ったまま、気遣うように静かに立ち去った。ここは安全な場所だ。そうわかっているのに、胸の鼓動は荒く、肩は強張ったままだった。寝室へ入ると、ベビーベッドの中で長男が小さな寝息を立てていた。
【ブログ主より】テリィが舞台へ復帰するまでの道のり、スザナをささえた時間、そしてキャンディとテリィの互いが「もう二度と会うことはない」と思いながら、それでも前を向いて生きてきた歳月――。そうした積み重ねがあってこそ、この先に描かれる再会へと繋がっていきます。物語の中では長い年月が流れており、本来であれば、その一つひとつを丁寧に描きたいところですが、《キャンディ登場までのお話を短縮して》お届けしていきます。但し、はじまりは少し寄り道をしますが、その道のりも含めて見守っていただけたらうれしい
昼休みの学院。鐘の音が遠くに消えると、石造りの校舎の間を抜ける風が、草の匂いを運んでくる。キャンディが勝手に名付けた場所、「にせポニーの丘」。ここは本物の丘ほど広くはないが、学院の敷地の中で、ほんのわずかに“日常から外れた場所”だった。キャンディは芝生に腰を下ろし、膝を抱えるようにして空を見上げた。そして、珍しく大きなため息をつく。「……はあ」その音に、隣へ腰を下ろしたテリィが、片膝を立てて顔を向けた。「珍しいな。きみがそんな顔をするなんて」からかうようでもあり、心配している
朝食を終えたあとも、どこか夢の続きを見ているような時間だった。テリィは身支度を整え、コートを羽織る。キャンディは玄関まで見送りに来ていた。「じゃあ、行ってくる」ごく自然な口調だった。けれど次の瞬間、テリィは軽く身を屈めた。そしてキャンディの額へ――いや、その少し下。唇へそっと口づける。ほんの一瞬。触れるだけの優しいものだった。キャンディは固まり、目を丸くしている。テリィは思わず笑う。「そんな顔するなよ」「だ、だって……」「行ってくるのキスくらい普通だろ」とは言ってみたもののテリィも
6月末。夜の書斎では、かすかなランプの灯りだけが揺れていた。窓の外では春の夜風がカーテンをわずかに揺らし、遠くの街のざわめきがかすかに耳に届く。机の上に置かれた白い便箋を前に、テリィは長いことペンを持ったまま動けずにいた。「光、か……」劇団から渡された一枚の用紙には、たったひとこと“光という題で手紙を書いてください”と書かれていた。他の俳優たちがどんな手紙を書くのか、テリィは知らない。だが「自分で書いたものを読む」と明かされた瞬間から、心は落ち着きを失っていた。光――。思い浮かべ
10月10日、テリィは『BeforeDawn』ロンドン公演のために、イギリスに向かった。テリィがそろそろサウザンプトン港に到着するころのニューヨークで留守番をしていたキャンディは、ある兆候を覚え産婦人科を受診していた。診察を終えたキャンディの耳にはまだ「おめでたですよ」という医師の言葉が温かく響いていた。予定日は来年の三月。喜びと少しの不安が入り混じる中、彼女は真っ先にテリィへ知らせる手紙を書いた。その手紙がロンドンのホテルに届いた翌日から、テリィは変わった。いや、変わりすぎた。⸻
まだ夏の陽射しが残るニューヨーク。空は高く澄み、風は秋の気配を感じさせた。キャンディは、小さなスーパーで買い物をしていた。ここはテリィに最初に教わったお店。抱えているのは紙袋ひとつ。中には野菜と、焼きたてのパン、それからテリィが好きだと言ったチーズ。「今日はいいトマトが入ったよ」店主の陽気な声に、キャンディはにこやかに応じる。「ほんと?じゃあそれもいただくわ。主人が喜ぶの」まだ“主人”という言葉に自分で少し照れてしまう。それでも、幸せそうな笑顔は隠せなかった。店を出て、紙袋を
最後の拍手は、いつまでも鳴りやまなかった。客席は総立ちとなり、劇場中が割れんばかりの歓声と拍手に包まれている。何度目になるのか分からないカーテンコール。ロミオとジュリエットが並んで一礼するたび、客席から惜しみない拍手が送られた。やがて緞帳がゆっくりと下りる。舞台袖へ戻った瞬間、それまで張り詰めていた空気が一気に解けた。「終わった!」誰かの声をきっかけに、劇団員たちの間から自然と笑顔が広がる。抱き合う者、握手を交わす者、肩を叩き合う者。俳優も裏方も関係なく、皆がこの数か月をやり遂げた
ロンドンの空は、季節の割に重たく、雲が低く垂れ込めていた。グランチェスター公爵家のタウンハウスは、いつもより人の出入りが多いにもかかわらず、不思議なほど静かだった。オリヴァーとオスカーは、二階の子ども部屋で並んで絵本を広げていた。「ねえ……おかあさんは、いつ帰ってくるの?」小さな声でオスカーが言った。オリヴァーはすぐに弟の肩にそっと自分の肩を寄せた。「すぐ、だよ。きっと」そう言った声には、子どもなりの不安と、信じようとする必死さが混じっていた。そのとき、ドアが静かにノックされた。
イギリスから帰国したテリュース・グレアム。彼を取り巻く空気は、変わっていた。新聞が騒ぎ立てるものはないが、彼を取り巻く人々の間では、確かに小さな変化が起きていた。それは、彼へ向けられる女性たちの視線だった。これまでも彼は女性たちの憧れの的ではあった。だが渡英前の会見で、スザナとの長年の関係を否定したことで、多くの女性に希望を持たせた。ある夜、劇団を長年支援しているスポンサー主催のレセプションが開かれた。会場は、劇場街から少し離れたホテルの大広間だった。高い天井にはシャンデリアが輝き、壁際
ジョシュアは何も言えなかった。彼女が信じていたのは、都合のいい未来ではない。傷つくことも、苦しむことも知った上で、それでも前へ進むという自分自身の覚悟だった。その強さだけは、痛いほど伝わってきた。キャンディはそんなジョシュアを、優しく見つめる。「でもね、ジョシュア」その声は、今度は彼へ向けられていた。「あなたも今は、信じられる人たちに囲まれているでしょう?」ジョシュアが顔を上げる。「メイがいるし、ポニー先生も、レイン先生もいるわ」キャンディは穏やかに微笑んだ。「マーチン先生
最後の幕が下り、暗転。数秒の静寂のあと、客席から大きな拍手が湧き上がった。胸の奥に溜まった感情を一気に吐き出すような、熱のこもった拍手だった。照明が再び灯り、キャスト全員が横一列に並んで深く一礼する。舞台中央にはスタンホープ大尉を演じきったテリィ。軍服姿のまま、わずかに息を乱したその姿は、役を終えてもまだ戦場の空気をまとっているようだった。鳴りやまぬ拍手の中、テリィは中央で一礼し、顔を上げた。照明の向こう、暗がりに沈む客席の前方――そこに見慣れた面影を探す。そこでは、アルバートが
ストラトフォード・アポン・エイヴォンの雨は、音を立てずに降る。窓を叩くほど強くはないが、いつまでも止まらない。今日も細い雨が石畳を濡らし、エイヴォン川の水面に細かな皺を作っていた。劇場裏口の鉄階段には水気が残り、踏みしめるたび、靴底が鈍く鳴った。RSC。建物は、今日も静かだった。だが、その静けさの奥には、獣の檻のような緊張がある。テリュースは煙草を指先で回しながら、裏口から劇場へ入った。廊下ですれ違う俳優たちは、軽く会釈するだけだ。誰も愛想よくはない。歓迎されていない。その事実だけは、日
春のポニーの家。長い旅を終えたキャンディは、シカゴでの看護研修も終えて、ようやく村へ帰ってきていた。朝の空気はまだ冷たいが、庭の草花は芽吹いていた。いつもの景色、見慣れた診療所。ポニーの家の煙突から立ちのぼる白い煙。子どもたちの笑い声。何ひとつ変わっていない。──なのに。キャンディは診療所の窓を開けながら、小さく息を吸い込んだ。同じ空気のはずなのに、どこか違って感じる。風がやわらかく、空が少し高く見える。世界が少しだけ明るくなったような、不思議な感覚だった。「キャンディ、包
秋のニューヨークは、空気が澄んでいた。午後の陽射しが街路樹の葉を透かし、歩道には柔らかな光が落ちている。キャンディはその光の中を、テリィと歩いていた。「いい天気ね」隣を歩くテリィは、帽子を少し深くかぶり直す。その仕草にキャンディはくすっと笑う。ブロードウェイの俳優として名前が知られるようになったテリィと、こうして昼間の街を歩ける日は、案外少ない。通りの向こうから、小さな犬が駆けてきた。白と茶色の混じった、元気そうな犬だ。「かわいい!」キャンディが言うより早く、その犬はテリィの前でぴた
千穐楽の朝。ブロードウェイは、まだ朝早いというのに熱気に包まれていた。劇場前には開場を待つ観客が列をなし、新聞売りの少年たちは「本日千穐楽!」と声を張り上げながら劇場街を駆け回っている。ストラスフォード劇団『ロミオとジュリエット』。ホリデーシーズン最大の話題作。劇場の正面には、大きくロミオとジュリエットのポスターが掲げられている。その前では、記念写真を撮る人々が絶えなかった。「この舞台、本当に今日で終わりなのね」「もう一度観たかったわ」「ロミオ役はやっぱりテリュースでしょう」そんな
《《セントポール学院にて》》体育祭。午後はいよいよ最後の種目、400メートルリレー。この結果で総合優勝が決まる。赤チームは現在二位。一位の青チームとはわずか数点差。リレーで一位になれば逆転優勝だった。赤チームのアンカーは、三年生・テリュース・G・グランチェスター。そして青チームのアンカーは、同じ三年のアーチーボルド・コーンウェル。恋のライバルでもある(どちらかといえばアーチーのほうが対抗意識あり)二人。リレー走者たちは、ウォーミングアップを始める頃。テリィのスマホが震える。🍀キャ
その頃、テリィは劇場にいた。朝の稽古場にはいつもの活気が戻っている。俳優たちの発声練習、大道具係の掛け声、台本を読み合わせる声。昨日と変わらない光景だった。だが、テリィの頭の中だけはまったく違った。稽古場の片隅で団長と打ち合わせをしながらも、ふとした拍子に思い出すのはキャンディのことばかりだった。昨夜ソファで眠っていた姿、毛布を掛けた時の寝顔。今頃は起きただろうか。朝食は食べただろうか。そんなことばかり考えている自分に苦笑する。「テリュース?」団長に呼ばれて我に返った。「ああ
今さら・でも―キャンディキャンディいつもアクセスいただきありがとうございます©水木杏子/いがらしゆみこ画像お借りしますブログを最初から読む二次小説を最初から読む11年目のSONNET目次スピンオフ本編前本編後キャンディ雑談を読むFinalStoryの考察を読む考察①FinalStoryって?考察②新旧手紙の比較考察③あのひとは誰?考察④Finalと漫画の違い考察⑤テリィの手紙考察⑥男アルバートさん考察⑦
スザナの葬儀から、数か月が過ぎていた。春が近づき、街の空気は少しずつ柔らかくなっていたが、テリィの周囲にはまだ、どこか冬の残り香のような静けさが残っていた。劇場の稽古場では、次の作品の準備が進んでいた。長いロングランを終えたばかりの彼にとって、新しい舞台は新たな出発でもあった。その日、劇団の一室で次作の発表会見が開かれていた。テリュース・グレアム主演、新作舞台。劇団にとっても大きな作品になる。フラッシュが焚かれ、記者たちの質問が続いた。「今回の役柄について教えてください」「前作の
7月。夜のグランド・セントラル・ターミナルには、初夏の爽やかな風が吹き込んでいた。大理石の床に光が反射し、天井の星座が青白く輝いている。構内の時計が午後七時を指す頃、ニューヨーク発シカゴ行きの特急列車……『20thCenturyLimited』が、静かに入線した。プラットフォームには赤いカーペットが敷かれ、制服姿のポーターたちが乗客を出迎えている。テリィは帽子を軽く押さえながら微笑んだ。「さあ、乗ろう」オリヴァーは列車を見て目を輝かせた。「わあ……ながい!いくつもおうちがつながっ
春のニューヨークは、まだ冬の名残をわずかに残しながらも、確かに季節を進めていた。やわらかな陽射しが街を包み、通りを行き交う人々の足取りもどこか軽い。公園には色とりどりの屋台が並び、フリーマーケットは朝から賑わっていた。古いレコードや雑貨、手作りの焼き菓子。どこからともなくコーヒーの香りが漂い、子どもたちの笑い声が風に乗る。その喧騒の中に、ひときわ明るく弾む声があった。「こちら、まだありますよ!温かいうちにどうぞ」キャンディだった。白いエプロンの上に赤十字の印。手際よくカップを並べな
スザナの葬儀が終わった翌日。マーロウ邸は、音を吸い込んだように静まり返っていた。両親は、娘の面影が残るこの屋敷に留まることに耐えられなかったのだろう。葬儀が終わると同時に、使用人を伴ってフロリダの別荘へと発っていった。結果として、この広すぎる屋敷に残されたのは、テリュースひとりだった。与えられていた2階の客間で、彼は自分の私物を小さなトランクに詰めていた。ずっと、この屋敷へのテリュースの滞在の名目は「婚約者」だったが、その扱いは最後まで曖昧なままだった。今後についての話もなければ、引き止