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私と夫は当初新年宮中一般参賀に参列する予定だったので、1月2日は妹に母のナーシングホームに行ってもらうよう、頼んでいました。能登地震で一般参賀は急遽中止となりましたが、予定通り妹は母のナーシングホームに行ってくれました私は風邪を引いた夫から風邪をもらわないように距離を取りつつ夫と次男とあらためてお正月を迎えましたおせち料理を3人でいただき届いた年賀状を見たりテレビで格付けを観たりして、家で和やかにゆっくりと1日過ごす事が出来ました「今日はママどんな
税収の範囲内で支出する財政均衡主義という「教義」を掲げ、政治家や国民を洗脳する「ザイム真理教(財務省)」こそが、日本を貧困化させている元凶だと批判した本書。昨年末にステージ4の膵臓がん闘病を公表した経済アナリストが著し、ヒットを続けている。「日本を貧困化させている元凶だ」がん闘病を公表した経済アナリスト・森永卓郎による“財務省批判”(文春オンライン)-Yahoo!ニュース税収の範囲内で支出する財政均衡主義という「教義」を掲げ、政治家や国民を洗脳する「ザイム真理教(財務省)」こ
明朝の手術室への入室予定時間は朝8:30前日に入院PCR検査や様々なひとの訪問を受けて除毛に剃毛、そしてパスの説明時間は刻々と過ぎていく日没をゆっくりと眺めいつの間にか夜景になった外の景色を見ながら術後の自分を想像し、必要そうなものを使いやすく配置ああ、こんなこと昔もあったなぁ・・・あの頃をふと思い出すそう、思い起こせば30代前半私は甲状腺乳頭がんでこの病院で手術を受けた忘れもしないクリスマスシーズン人生初6日間の入院でした18時になると今回初の
大晦日の夜にも妹から今日の母について連絡がきました。「吸い飲み買って来たよ。いい感じだった。」【お取り寄せ】ピップ薬のみ器150cc介護介助楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}「良かった❗ママ、夜食べた❔」「半分。あとメイバランスを2口と、持って行った茶碗蒸しを4分の1。3分の1食べたら『もういらない』って言うから、昨日は全部食べたでしょって言ったら、あと少しだけ食べてそれでやっと半分。」「良かった。固形でも液体でも飲み込
皆さま♡こんにちは!お立ち寄り頂きありがとうございます◡̈⃝˖*•─────❋─────•今までの治療記録●20229月腹痛と排尿痛で泌尿器科を受診回復が見込めず紹介で総合病院を受診病理診断のため腹腔鏡手術&入院リンパ鼠径部に遠隔転移腹水からガン細胞発覚腹膜播種ありで高異型漿液性癌ステージⅣbと診断●10月化学療法スタートTC療法(パクリタキセル+カルボプラチン)2クール目よりアバスチン追加●11月TC療法3クール後CT
月曜日に2度目の入院をしたものの夕方に大量出血‼️止まらないーー緊急手術かも⁉️なんて状況から何とか出血も止まり水曜日には無事退院なんですが…昨日の夜トイレに行く度に出血があると…土・日・月と今回は3日もあくので病院に電話して急遽、救急で診てもらう事に21時過ぎに向かいました担当の先生が夜勤でいたので診てもらいました内診でやっぱり出血があるとのことで圧迫止血を施し貧血なので点滴をして23時過ぎに帰宅しました治療が進むと出血は止まると言ってたけど…出
手術を終えて病室に戻りどれくらい経ったのか異常な口の渇きに目が覚めましたどう表現したら良いかわからないほど口からのど、全体が砂漠のようくちびるから舌、のどが干上がり歯や舌の裏まで一滴のうるおいもない!!カラカラ過ぎて、苦しくて干上がってしまったのどの奥が痛む何とか少しでも唾が出てこないものかと咳払いをしてみても、くちびるを舐めてみても、もう、どうにもこうにも、おおげさではなく一滴の唾もでないうるおいが恋しい・・・とにかく少しで良いか
いつも訪問して読んでくださりありがとうございます🌺また少し間が開いてしまいました。。ダンナさんのガンの身体状態ですが、残念ながら、最近は良いとは言えず、週ごとの様子の変化が著しくなってきたように思います。今は、キモセラピー(抗がん剤治療)の4回目の地点で、週に2回の静脈点滴に通っています。今週は、以前にてんかんを起こし意識が飛んだこともあって、脳波の再検査、ガンの進行具合のスキャンも撮ります。1か月前頃は、点滴をすると約一日半くらいは少し元気が出てエネルギーチャージでき
お雑煮の大根や人参をすり潰しておだしで伸ばしたものでしたが、母はストレッチャーを少し起こしてみんなと食事を摂り、家族で無事お正月を迎える事が出来ましたホームでは母はいつも緑茶はいらないと言っていたのに、この日は「飲みたいな」と珍しく母が言ったので私はひと匙ずつ母に緑茶をあげて、母はなん匙か飲む事が出来ました私は甥っ子達にお年玉をあげたり、次男はいとこ達と喋ったりみんなでおせちを囲んで和やかなお正月を過ごす事が出来ましたこれが母と過ごせる最後のお正
「残念ながら、ステージⅣの進行がんです。治療は手術しかありません。」そのひとことを聞いた時、私は正直ほっとしました。なぜなら、もう手の施しようがありません、と言われる覚悟をしていたから・・・いつものように何ごともない顔で仕事を続けなければいけない環境でも、実は毎日眠れずに苦しみながら過ごす毎日に疲れきっていた私は本当に嬉しかった。だって、まだ戦う余地があると思えたから次に悩んだことは命を託すことになる病院と医師をどう選べば良いのか、ということでした。短い時間に決め
動き出すやはり、結論は変わらないステージ4の耳下腺がん術後の病理検査にて確定する私のがんの種類・・・顔面神経は残せず、全て摘出するため麻痺は確定多分、神経の断端は見つからないだろうから移植は無理だろう顔の半分は動かなくなるから、表情もつくれない開口障害や味覚障害、合併症や後遺症を挙げたらきりがないさて、どうする?!悩む時間も選択肢も私には残されていないことはわかってる「手術しか方法はないのです
今日は「さくらの日」なのですね若干風の強さは残るものの、とても暖かくなって今年も「春」を感じられることにこころから感謝ですさて、思い出すのはあの日のこと。PCR検査を行い、いざ病棟へ・・・手術前日に病院入りをして様々なひとの訪室が終わり夕方近くになった頃術前の準備不足に嘆いたことがありましたうっかりしたけれど、ショックだったことそれは「剃毛」!!手術する側の耳の周りの毛髪をカットし、バリカンで短く短く刈らなければならなかったのですもちろん、施術者は看護師さ
母の元日の一時帰宅では数々のアクシデントが発生しました福祉タクシーさんは朝9時にナーシングホームに母のお迎えに来てくれましたが、看護師さんが一時帰宅前に色々と見てくれた結果、元日の当日になって母が鼻から自発呼吸が既に出来なくなっている事が判明したのですレンタルしていた酸素ボンベは自発呼吸が出来れば7〜8時間もつけれど、自発呼吸が出来ない場合は1〜2時間しかもたないと看護師さんから言われました酸素ボンベのレンタル会社に問い合わせると、元日だから届けてくれるの
こんにちは私は2019年に、がん闘病の末に夫を亡くしました私が死別の辛さを乗り越え前を向いて歩けるようになるまでのことを時々、思いつくまま記していっています私の幸せが夫の幸せはじめの1年は、やはりとにかく辛いですこれは仕方ないですでも、辛い中でもこのまま辛い悲しいと言っているだけの人生でいいのか?という思いは常にありました亡くなったことが辛いじゃあ、亡くならなければいいのか?でも、人は必ずいつかこの世を去る日がきます誰で
こんばんは今日はなんだか眠れなくて。桜の開花のニュースを聞き春を感じるこの季節2年前のこの時期を思うと、眠れなくなる夜があります耳下腺癌cT2N2bMO第1に唾液腺導管がんを疑いますそんな表記から始まる同意文章でした強そうで、怖そうな、そんな名前・・・既にリンパ節に複数転移しており絵には大きな印が複数ありました全摘、そしてS字切開の説明図私はかなり大きく開かなくてはならず頸部郭清と顔面神経麻痺再建術は可能な状態であればとの注釈付き、気管切開の可能性など様々書
すでに満足しているお腹にメインを投入していきますメインはこの4品から1品選んで♪○牛フィレ肉のグリエ○真鯛のロティ○フォアグラ牛フィレトリュフソース+1500円オマール海老と真鯛のポワレ+1200円(真鯛のロティとポワレっておんなじじゃないの?)調べたわ?フライパン(ポワレ)で焼くかオーブン(ロティ)で焼くかの違いだってソテーやムニエル、ピカタだの色々あるわね貧乏根性丸出しおたまですもの、1200円追加のこれにするわよね~お肉は消化悪そうで今は食べていない
ずーっとずーっとかゆくてかゆくてしょうがなかったあそこ。それが約一年前(2017年9月)から灼熱感がある痛みを感じるようになりました。腫れている感じもあったし、かき傷からバイ菌が入っちゃって、炎症を起こしたのかなぁ〜…って思いました。もちろん婦人科に行きましたが、抗生物質の飲み薬や塗り薬をもらっても治る気配なし…あまりにも長い間痛みが引かないので、ちゃんと検査をしてみましょうということになり、今年の1月に香港の病院で生体検査を受けました。それで、やっと…本当にやっと、長い間苦
【膀胱がんBCG維持治療】第2クール2回目膀胱注入後1週間の早見表です。注入当日の頻尿回数は1回目より今回のほうが頻度が多くなりました。注入翌々日まで排尿時後半になると尿道に少しピリッとした痛みが走りますが薬なしでがまんできるレベルです。ロキソニンは微熱が出た時だけ飲みました。注入4日目からは仕事になり7日目まで普段の仕事をしていました。トイレ回数は5時頃にその日最初の尿をしてから20時までをカウントしていますが注入3日目以降はだいたい8回〜10回での推移となっています。【2クール
今日は午後から診察に行きます。今の私にとっては診察もちょっとしたイベント。帰りにはネット注文したコートをGUに取りに行かなければw今日も1日がもうすぐ終了。朝起きて薬を飲み、PCの前に座りコメントのお返事をして昼寝w起きてアマプラを見て夕方にはまた寝て、薬を飲み深夜に寝て1日が終わる。外出もせず何もせずあとは寝るだけ。本格的な無治療闘病生活を送っています(笑)2024年1月12日の診察でもう積極的治療は終了、がんの緩和ケア無治療生活を告げられ今日でまる2か月。何もしない事と痛みがこれほ
硬化性苔癬のことから話そうと思っていたのに、先日の婦人科の先生の診察でショックな一言を言われてしまい…それについて書きたくなっちゃった…私は今、婦人科、形成外科、皮膚科の三人の先生に診てもらってるんですが、がんの告知を受けたのは形成外科の先生から。話し方も穏やかで、手術だけで済みそうだということで本当にホッとしました。気持ちをしっかり持って、頑張っていこうと思えました。でも…今日、婦人科の先生に「がんは死ぬ病気だから」って言われた!!!私は香港在住20年、香港で正社員として仕事
ひと段落こんにちは。やっと戻って来られました・・・というのも、治療に専念し過ぎて・・・治療一色の生活を送っていました無我夢中とは、きっとこういうこと今年は年明けに頸が腫れて、検査を受けて告知から手術、そして放射線治療とあっという間に8か月が過ぎていこうとしています1年て早いなぁ・・・これからどうしたら良いかどうすべきなのか治療がひと段落した今、考える時にきたんだなと思います現状としては、開口障害・味覚障害・唾液がでない・涙目・角膜性乱視、皮
おはようございます。今日はちょっと寒いですかね。天気があまり良くありません。やはり晴れた方が気持ちが良いですね。これを書き終えたらスーパーに行って来ようと思っていますが後は予定なし。痛みを我慢しなくてよくなりそれだけで良いとも思っていますが、欲は出てくるもの、何か物足りなく感じています。食欲が無いうえ、歯も治療中。食べる事が出来ないので、今までのように外食で気晴らしが出来ません。最近は慣れましたが、悲しいドラマを観たり辛いニュース、がん患者さんのブログを読みますと涙が止まらない事が多くあり
先日、ガン闘病中だった夫が旅立ちました。今までブログを読んでいてくださってた方はえ?どういうこと?と思われると思います。あえて夫の事は書いてきませんでした。その話はまた追々と…最期は自宅で家族に見守られながら静かに息を引きとりました。穏やかな、笑っているようにさえ見える顔でした。遺影の写真は息子くんのウエディングフォトで撮影したものの中から子ども達が選びました。葬儀社の方がいい写真だと褒めてくださいました。今まで30年。いろんな事があったけどありがと
2023年12月14日明日から抗がん剤点滴2クール目始まります。前日の今日は夕方から娘を見に行く日娘が風邪ひいて今日は学校休んてるとのこと心配なので、14時過ぎにスーパーでバナナとお粥とばら寿司買って娘を見に行く。まさかの娘にお家の中に入ってこんといてと言われる風邪が移ったらあかんからとなんとか買ってきたものだけ置いていくと言い、お家の中に入れてもらって、バナナとお粥、ばら寿司、何でもいいから食べれる時に食べるようにと、本当にしんどくなったら電話してくるように約束するお家出た所
中路正恒も末期です【肝不全・末期】金バエ「静脈瘤もヤバい」・石川典行の糖尿・七原君の透析
癌と闘ってる人………ホンマに多すぎるほど多いよね環境も年齢も部位もまちまち………ステージも体調もまちまち………今日の体調は良くても明日の体調は判らない…。世間からの情報も溢れてて…たぶん💦正解らしき情報も有るけど💦情報は一般的なモノで、自分に当てはめても結果良しとならない事も多いから💦またまた不安が大きくなる。。まぁ💦癌に限らず人生の歩みに正解なんて無いし、人それぞれ自分を信じる!が大事だと思う。。けど💦………ぜーったいにムリしないこと!( ̄- ̄)ゞ私のように癌
先週、外陰ガンであると告知を受けました。検査結果が出る前から、その可能性が高いと言われてはいましたが、そうじゃない望みも捨てきれていなかっただけに、やっぱりショック…でも、幸運なことに転移はなく、切除手術だけで済みそうだということ。抗がん剤等の治療も必要なさそうで、最悪の中の最高の結果!!私は本当にラッキーだと思います。外陰ガンは女性がかかるガンの中ではとても珍しいガンで、本やネットから得られる情報はとても少ない…私の場合は硬化性苔癬(こうかせいたいせん)という病気から外陰ガンに
元日の午前中のことは上のブログに書いたことがすべてですので、よろしければお読み下さい。元日の午後から雪崩を打って母は容態が刻々と悪くなりました。母のがんがわかってから母が亡くなるまでの日々は、日々というよりも瞬間瞬間が、母と私と妹にとってはもっとも苦しくもっとも悲しく、それなのにもっとも幸せでもっとも掛け替えがなくて、なんだか神々しいような尊い時間でした。あの日々を私は一生忘れません。もっとも恐ろしい試練は誠に不思議な事に至高の恩寵でもあったので
たくさんの不安がありましたが一番は顔面神経麻痺術後で極端に唾液が少なくなるためこまめに歯磨きをするのですがその度に鏡の前まで行って座りまじまじと自分の顔を覗き込むわけです一部、つないで頂けたということでしたがやはり患側の顔半分が全く動かない・・・顔はパンパンに腫れあがっているのでまだ、あまり実感はありませんが口元もがガーゼの下の目元も下がり顔面神経麻痺の影響はすさまじく気持ちは落ち込んでいました耳は全く感じず、ついているか不安なほど患側