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癌は怖くない?いいえ、癌はまだまだ怖い病気でした。癌闘病の始まり2023.05.19札幌で一人暮らしをしている母が体調があんまりと聞き、忙しいGW期間中の仕事も一段落したので、顔見に行くがてら東京から札幌へ🛫その日に駅前内科で内視鏡の検査があったので、病院で母と待ち合わせ。3年前に甲状腺腫瘍の手術をしているので、きっとホルモンバランスとかが良くないんだろうなーと家族みんなが思っていました。内視鏡が終わり、診断結果が出るまで「今日はデパ地下で美味しい鰻でも買って一緒に食べよ」など呑気
在宅介護と在宅看取りの現実本人は望んでいても家族が…癌に限らず病気で入院している家族がいたら、ほとんど言われてるのかな?と思います「家に帰りたい」と…家族にそう言われたら帰してあげたいって思いますよねでも現実の壁は…私の母も入院生活において大体二言目が「家に帰りたい」でした前から常々言っていたので最後は家がいいと私も含め家族みんなが在宅介護を受けながら在宅看取りをしてあげたいと本気で思っていました今年の3月初め頃担当医の先生に聞いてみたことがあって私「在宅看取り
食道がんの治療について母のこれまでの食道ガン治療についてはこれからも何回にも分けて書いたりはしないのでこのページと次のページだけに書きますこのブログはあくまで闘病記録ではなくこれからの未来、食道がん自体がもっと認知され早期発見・早期治療が当たり前の病気になるために何か私にも出来ることがないかと始めたブログですいつか必ず国が推奨する5大ガン検診に食道がんも組み込まれるまで頑張ります国が推奨する規定も読んでいるので5+1ぐらいの推奨イメージでも嬉しいな5大検診+食道がんも率先し
元日の午前中のことは上のブログに書いたことがすべてですので、よろしければお読み下さい。元日の午後から雪崩を打って母は容態が刻々と悪くなりました。母のがんがわかってから母が亡くなるまでの日々は、日々というよりも瞬間瞬間が、母と私と妹にとってはもっとも苦しくもっとも悲しく、それなのにもっとも幸せでもっとも掛け替えがなくて、なんだか神々しいような尊い時間でした。あの日々を私は一生忘れません。もっとも恐ろしい試練は誠に不思議な事に至高の恩寵でもあったので
初孫誕生!|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」これまでの辛く苦しかった「がん闘病」①~白金製剤の抗がん剤「シスプラチン」治療と副作用~|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」②~「放射線治療」の副作用で辛さと苦しさの極み~|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」③~喉が痛い…味覚障害…手足の痺れ…冷え性…束の間の安心~|あんべさん♪
今回は残念ながら悪性の乳がんと判明し、私も旦那も無知なので、告知された後は「じゃあ、早く手術して、治療を始めよう!」と言う感じでしが、、そんなにトントン拍子では進められないのが現実でした。まずは、癌のタイプを調べたり、他に転移している所が無いかを調べたり、遺伝子を調べたり、治療法を話し合ったり。その間、約1週間と数日、大忙しで1日1日があっという間に過ぎては行くものの、体内に腫瘍があるのに、何もしないで放っておく事に最早、恐怖でしかありませんでした。この間に、どんどん腫瘍が大きくなって
母との最期の日々を思い出しながら書くのが段々しんどくなって来ましたが、書かないと一番哀切で一番掛け替えがなかった大切だった母との日々をどんどん忘れてしまうので、泣きながらでも少しずつでも、私は必ず書き上げます。1月4日は訪問診療のO先生に点滴について電話で確認して看護師のSさんとは真逆の回答を聞いて混乱したり、母が初めて誤嚥を起こして喉と鼻の吸引をしたりと、私にとっては混乱する事やショックな事が色々続きました。4日の母は食事の時以外はほぼ1日中
母のがんが発覚してから初めての旅行、色々危ぶまれましたが、母は楽しんで元気に帰ってきました。ご記憶の方も多いと思いますが、2018年は異常に暑い年でした。この年の桜は3月中に満開を迎えて、4月には散りはじめていましたが、遅い品種の桜も色々あって、綺麗だったようです。母の友人はデータで写真も送ってくれましたが母は「病気で衰えた姿をあまり見たくない」と言って見るのを拒みました。はたから見たらまだ十分元気そうでしたが…。とても楽しい旅行で、この頃治療もまあ
母が腰の痛みを訴えて最初に地元の整形外科を受診したのは昨年の春です。レントゲン撮影の結果腰に膿瘍があるから精密検査が必要だと医師から言われました紹介状をいただいて総合病院の整形外科を受診したところ、軽度の椎間板ヘルニアと診断され経過観察となりました。毎月MRIも撮影していたのですが、椎間板ヘルニアというのは実は医師の誤診でした。母の痛みがロキソニンの湿布と飲み薬では全く効かないほど耐え難いものになり、流石にこれはおかしいと言うことで同じ総合病院の内科
おはようございます。今日はちょっと寒いですかね。天気があまり良くありません。やはり晴れた方が気持ちが良いですね。これを書き終えたらスーパーに行って来ようと思っていますが後は予定なし。痛みを我慢しなくてよくなりそれだけで良いとも思っていますが、欲は出てくるもの、何か物足りなく感じています。食欲が無いうえ、歯も治療中。食べる事が出来ないので、今までのように外食で気晴らしが出来ません。最近は慣れましたが、悲しいドラマを観たり辛いニュース、がん患者さんのブログを読みますと涙が止まらない事が多くあり
おはようございます。お読みいただき感謝しております。昨日はヘルパーさんが初めてのお掃除に来てくれました。毎週月曜11時に来てくれるそうです。時間は1時間。テキパキと掃除機をかけてくれていましたが、ダイソンコードレス掃除機、バッテリーが切れました(笑)来週はコード式の掃除機を出しておいた方が良いのかな😓来てくれた方は契約に来てくれた方。スタッフさんは数人いるらしいのですが、今日来たのは経営者の女性です。自ら現場で率先して働く。偉いと思いますが中々大変なんだな~本やブログを読んでイメー
私は軽度肥満である。思春期の頃から太り始めて基本的にずっとぽっちゃり体系だ。若い頃はそんな自分が嫌で過酷なダイエットをしたりして、摂食障害のようになったこともある。30代を過ぎたあたりから極端なヤセ願望もなくなって、ほんの少しぽっちゃりな方も魅力があるなあと思い始めたそれでも自分のことは認められなくて極端な体重増減をし、そんなことを繰り返してたら鬱になって…本当に辛い10年間を過ごした精神障害者としてではあるけど、なんとか社会復帰も出来てさあ、ここから!と思った矢先に乳がん
妹の会社は毎月1日〜10日がとても仕事が忙しいです。けれど、1月5日は私は病院の予約が元々入っていた為、妹に母のホームに行ってもらう事になっていました。忙しい妹は当初5日は姪っ子に母のお世話を頼んでいて、段取りを把握してもらう為にあらかじめホームに姪っ子を連れて来て、赤ちゃんや子供のお世話も全くした事がない姪っ子に妹が食事を介助する様子を見てもらったりして、備えていました。ところが、4日に母が誤嚥を起こした為、もしも5日に母の容態が急変するような突
タイトル通り、1月4日の昼食時に母ははじめて誤嚥を起こしました私は急いで看護師さんをお呼びして、ホームの吸引器を使用してすぐに吸引していただいて事なきを得ました。今回は色んな偶然や幸運が積み重なったお陰で何事もありませんでしたが、まかり間違えば4日が母の命日になってもおかしくなかったし、この日の事が原因になり後々母が誤嚥性肺炎で亡くなってもおかしくありませんでした。この日のソフト食はとろみがとても強く、お茶さえもコップをひっくり返しても落ちて来ないほ
2018.11月に遠く離れた場所に住む友人から連絡があり。俺はガンになった!明日胃の全摘手術だ!お前は元気で頑張れよ!と突然のLINEその後何度かお見舞いに行ったり、手術後に元気になってこちらへバイク🏍で遊びにきた時は一緒に食事をしたり最近では連絡しても返信がなくインスタなどでは新しいバイク🏍を買った事など元気な姿も更新されていたので便りがないのは元気な証拠と安心していました2021.7月突然のLINE俺もう手の施しようがない。。。どのような治療を行なってきたのかは知りませんが。
とうとう麻薬系の痛み止めまで~放射線治療③~|あんべさん♪(ameblo.jp)前回からのこれまでの辛く苦しかった「がん闘病」①~白金製剤の抗がん剤「シスプラチン」治療と副作用~|あんべさん♪(ameblo.jp)続き2017年2月から始まった「がん闘病」「抗がん剤治療」ともう一つの「放射線治療」当時の入院日数は入院54日間の初日は2月24日(金)|あんべさん♪(ameblo.jp)54日間でしたが
ふたたび想定外のイテテ!|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」これまでの辛く苦しかった「がん闘病」①~白金製剤の抗がん剤「シスプラチン」治療と副作用~|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」②~「放射線治療」の副作用で辛さと苦しさの極み~|あんべさん♪(ameblo.jp)3件目ですさて2017年2月24日に入院し抗がん剤シスプラチンの投与を3クー
銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄です膵臓がんステージ4を公表した森永卓郎さんが、「膵臓がんじゃないんじゃないか?」と言ってましたね、、、森永卓郎氏「ステージ4の膵臓がん」診断に「お医者さんがどうも違うんじゃないかと」新たな病名は…-スポニチSponichiAnnex芸能ステージ4の膵臓(すいぞう)がん闘病を公表した経済アナリストの森永卓郎氏(66)が29日、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ!」(月~金曜後1・00)にスタジオ出演した。www.sponichi.c
先週、外陰ガンであると告知を受けました。検査結果が出る前から、その可能性が高いと言われてはいましたが、そうじゃない望みも捨てきれていなかっただけに、やっぱりショック…でも、幸運なことに転移はなく、切除手術だけで済みそうだということ。抗がん剤等の治療も必要なさそうで、最悪の中の最高の結果!!私は本当にラッキーだと思います。外陰ガンは女性がかかるガンの中ではとても珍しいガンで、本やネットから得られる情報はとても少ない…私の場合は硬化性苔癬(こうかせいたいせん)という病気から外陰ガンに
おはようございます、永島恵です。ブログに訪問頂きありがとうございます😊ふと思ったのですが…「おひとり様で乳がん闘病してる」って聞いてどう思いますか?「大変そう」とか「かわいそう」って思うのでしょうか…?まだ放射線治療が残ってますけど抗がん剤治療、手術を経て思うのは、不便だけど不幸じゃないなって事です。おひとり様か否かより、環境や経験、病状の影響の方が大きいと思います。1番は自分の気持ち不便は不便ですよ〜💦病院の方々も「家族ありき」で話しかけますからね。検査や入退院、手術
今日は去年から始めている抗がん剤点滴の16回目でした。今はペメトレキセド、テセントリクと吐き気止めのデキサートを点滴しています。点滴治療を始めた頃はカルボプラチンもあったので、点滴に時間が掛かりましたが、今はカルボプラチンがなくなったので、点滴も1時間と少しと早く終わるようになりました。がんで治療を開始するまで、あまり病院にお世話になることはなかったので、注射は平気な方だと思っていましたが、血液検査や点滴で注射をする機会が増え、注射は好きじゃないなと思うようになりました。最近は注射をし
明朝の手術室への入室予定時間は朝8:30前日に入院PCR検査や様々なひとの訪問を受けて除毛に剃毛、そしてパスの説明時間は刻々と過ぎていく日没をゆっくりと眺めいつの間にか夜景になった外の景色を見ながら術後の自分を想像し、必要そうなものを使いやすく配置ああ、こんなこと昔もあったなぁ・・・あの頃をふと思い出すそう、思い起こせば30代前半私は甲状腺乳頭がんでこの病院で手術を受けた忘れもしないクリスマスシーズン人生初6日間の入院でした18時になると今回初の
病室を出たわたしはエレベーター前で家族の代表1人と合流し手術室のあるフロアへと向かっていく静かにドアがひらき、看護師が先導する後ろを一緒に手術室の入り口を目指して歩くあゆみは若干遅めにお互い無口でもそれぞれの覚悟が伝わる「がんばれよ」「うん、頑張ってくる」にわかに点滴棒を携えた同じ術衣をまとったたくさんの仲間と大勢の看護師の姿人だかりが見えるああ、ここね。大きな総合受付のような待合に到着辿り着くと患者の
もう病院は暗く、看護師さんもあまりいませんでした。先生は若い先生でした。消化器内科です。先生は私たちが二人だけであることに驚いていました。兄たちや親戚は来ていませんでした。まさか検査当日中に最終告知までされるとは思っていなかったからです。そして告知が始まりました。母の腹部の各部のCT画像を見せながら、一気に説明されました。①進行したすい臓ガン。②肝臓にも転移、かなり進んでいる。③肺にも転移の可能性。④多発転移のため手術は不可能、抗がん剤治療になる
現在、家族(夫と子供)がいる外国にいますが、明後日の金曜日の便で日本へ戻らないといけません。去年5月より日本で続けている抗がん剤の点滴治療が次の月曜日にあるからです。現在、抗がん剤の点滴は3-4週間に一度のペースで進めています。その合間に都合がつけば、家族に会いに外国に行くというパターンになります。一昨年の8月に肺腺癌ステージ4が分かり、最初は家族がいる国で治療を受けていましたが、去年(2023年)4月より、日本の実家に滞在し、日本で治療を受けることにしました。完治の可能性はほぼ
4月15日月曜日に抗がん剤点滴16回目をしてから、1週間経ちました。今回は通常熱が出始める2日後の水曜日は何もなかったので、大丈夫かと思っていたら、次の木曜日、眠さが先に来て、熱も出始めました。木、金、土と3日間、解熱剤を飲みながら、仕事も最低限だけして、寝たり、ドラマを見ながら、ゴロゴロしていました。今日、日曜日は朝から熱も下がり、調子が戻ったようです。今回は熱もそれほど高くなく、3日間だけで終わってよかった!と安心しています。久しぶりに部屋の掃除もして、スッキリしました。熱が出ている間は
新しい主治医との出会い通い慣れたはずの病院の景色が・・・歪んで見える涙目になっているんだな、私。ドキドキしながら受付を済ませて順番を待つだって10年も前から知っていた「腫瘍」の存在良性だから問題ないって・・・大きさも変わらず変化はない主治医のことばを信じ過ぎた私。。。自分の甘すぎる判断をぐるぐると後悔しながら物思いに耽るどのくらい経ったか、呼び出しがかかったドアをノックして、さあ初対面
私の身近には今まで癌の人が少なかった。唯一、身近で癌になったのは母方の祖母ですが脳腫瘍により告知から7ヶ月で亡くなりました。だからこそ、癌=死というイメージが強かったのかもしれません。祖母の異変に気づいたのは、高校生だった私でした。過去にミス〇〇にも選ばれた美人でおしゃれなおばあちゃんでした。(私は父方に似ていますが..)おばあちゃんとデパートでご飯を食べる約束をしていたので、待ち合わせをするとそこに現れたおばあちゃんは服を後ろと前反対に着ていました。一緒に歩いているとどんどん私の方
母のすい臓がんは発覚する1年ほど前から大きくなっていたそうです。発覚が2017年12月だったので、出来始めは2016年12月、はっきりとした自覚症状が出始めたのは2017年9月の終わりくらいだったと思います。私にも食後にみぞおちの上あたりが痛むと相談がしていました。ちょうど季節の変わり目、暑→寒に切り替わる頃だったのでそれが原因と考えました。職場にも母と同年代で似たような症状の人がいるーと軽く返してしまいました。その痛みは座っているとマシだけど、横に寝ると痛むとい