ブログ記事1,343件
黒いタイツの頑固者たち突然ですが…プロレスラーのコスチュームで好きなデザインとかありますか?今は本当に色々なデザインのコスチュームを各選手の方は穿いてますよね?昔ながらのショートタイツからロングタイツショートボックス型やら褌!?までw他にも色々な形のタイツがありますが俺はやっぱり一番プロレスラーらしいなと思うのは黒のショートタイツです黒のショートタイツに黒のリングシューズこれだけで強そうに思えたりしますでもUWF系スタイルの黒のショートタイツにレガースもカッコいいです
ジャスト日本です。有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレス好きの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画「私とプロレス」。今回のゲストは、プロレス団体GLEAT代表であり、リデットエンターテインメント社長・鈴木裕之さんです。(画像は本人提供です)【インフォメーション】2024.4.17(水)新宿FACELIDETUWFVer.4開場17:30開始
俺達のプロレスラーDX第191回悲しくてやりきれない~嫌われプロレスバカの硬くて粘着質な一生~/剛竜馬転落したプロレスラーの末路は無性に哀れだ。リングで命を落とした者、障害を背負った者、生活ができないほどの貧困に喘ぐ者…。生きながらにして廃人となっていくのが彼等の末路だとしたら、夢と希望を売るエンターテイナーとは光と影の格差が激しい職種である。彼は自分の人生が破滅に向かっていることを悟っていたのかもしれない。彼はプロレス界の問題児であり、嫌われ者だ。それはキャラクターでは
ジャスト日本です。プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。プロレスとは何か?その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。有名無名問わ
前田日明が船木誠勝に対して、あの不穏試合の真相を語っている。プロレスの裏話の場合、ファンの話を鵜呑みにすることはしない。ファンは所詮当事者ではなく、人から聞いた話だ。やはり当事者が動画で真相を語っているというのが、一番真実に近いと思う。UWFが経営難だったとは、UWFファンだった私も全く知らなかった。理想を追い求める佐山聡と、現実を見る前田日明。いつしか意見の食い違いから直接会話できないほどの仲になってしまった。第三者を通じて話し合いを持つと、伝言ゲームのように意図
1984年9月11日、東京後楽園ホールで行われたUWF実力NO1決定戦。時間無制限1本勝負。スーパータイガーVS前田日明。この試合は本当に素晴らしい内容で、ガチガチの格闘技とプロレスリングのちょうど中間の「ミディアム」という感じの試合で、私の好みの格闘プロフェッショナル・レスリングだった。グローブをはめたらそれは総合格闘技でプロレスではないし、ショーアップし過ぎるのも好きではない。この時はまだ「不仲?」になる前だったので、互いにクリーンファイトで、格闘技色の強いプロレスだ
撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにありヴェルレエヌ太宰治(1909~1948)は、初期の作品『葉』の中でフランスの詩人ヴェルレーヌのこの言葉を引用し、作家としての才能に対する自負とそれ故の不安を吐露した。前田日明(1959~)は、第二次UWF旗揚げ時、この言葉を引用し、格闘技プロレスの開拓者としての自負とその実現への不安を口にした。松永里愛(2005~)は、Juice=Juiceを背負っていく自負とそんな自分にビビりまくる心情を表現す
前田の入場テーマ曲に『NUDE』収録の『Captured(キャプチュード)』を使用。オリジナルのプロレス技のスープレックスにも「キャプチュード」の名を用いた。前田がデビューした新日本プロレスの試合中継を行なっていた当時の親会社テレビ朝日制作チーム選曲担当が、キャメル等プログレッシヴ・ロックをレスラー入場曲に数多く使用していた為、前田の英国からの凱旋帰国にあわせ使用され、新日使用時には、マシンガン連射のような銃声の効果音が編集された。キャメル(Camel)は1973年にデビューしたイ
ゲイリー・オブライト1963年5月18日生~2000年1月7日没191cm、160kg私が初めてオブライトを見たのは、Uインターのリングだった。しかし日本初来日は1990年の6月、何と新日本のリングだったという。橋本真也とのシングル戦も組まれたというが、私の記憶には全く残っていない。恐らく、それほど目立つこともなく、TVや雑誌など、マスコミに大々的に扱われることもなかったのだろう。ところが翌年8月にUインターに来日すると、一気に台風の目に躍り出た!その要因となったのは大学時代にオ
1986年もこの大会が巡り来る。第4回IWGPヘビー級王座決定リーグ戦。いつもは総当たりリーグ戦なのだが、この年はAとBのブロックに分かれ、各ブロックの最高得点同士の優勝決定戦となる。Aブロックは、アントニオ猪木、坂口征二、藤原喜明、アンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・スーパースター、クラウス・ワラス。Bブロックは、藤波辰巳、前田日明、上田馬之助、ディック・マードック、ジミー・スヌーカ、ワイルド・サモアン、キューバン・アサシン。猪木と前田が別のブロックに分かれたことから