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コッカレコード変遷考、第2回目は”国際工業株式会社”と”コッカ蓄音器レコード合資会社”をメインに綴っていきたいと思います。〇社名改称”国際工業株式会社”(画像6『桜川五郎蔵』京山小円E.K3066-A)昭和5年12月29日、社名を”国際工業株式会社”に改める(『官報1931年04月04日』)。社長小岸安昌、常務取締役中山熊吉、役員も国際セルロイド工業時代とあまり変わらない面々である。『化学工業博覧会要攬第3回』によれば昭和6年時点で社員124人、レコードの年間生産量は1
ウキウキと飛び跳ねるようにスウィングする屈託の無いピアノは”ケリー節“と謳われ、多くのモダンジャズ・ファンを魅了したWYNTONKELLY、実質的なレコード・デビューは1951年、BLUENOTEからでした。当時KELLYはDINAHWASHINGTONのバックを務めており、それが目に留まったものと思われます。この頃は未だBLUENOTEもSP盤の時代、10インチLP化されるのは1953年になってからでした。BORNTOBEBLUE/WHEREORWHEN(BLU
コッカレコード変遷考、第3回目は”コッカレコード株式会社”について記していきたいと思います。(画像22コッカレコードのトレードマーク)〇コッカレコード株式会社昭和11年12月1日”コッカレコード株式会社”が設立(『官報1937年02月23日』)。資本金10万円、住所は以前と同じく大阪府豊能郡庄内村菰江332番地。役員は中山熊吉、福山徳亮、細井勇、田代政次、橋本稔の5人で、社長には福山徳亮が選ばれた。監査役には福西由松、池田長弌の二人。役員の中にフィルモン音帯を研究開発した”
「もし彼が生きていたら・・・」と仮定の話をしても仕方がないけれど、34歳で夭折したWARDELLGRAYが、あと10年生きていたら、テナーサックスでは間違いなくSONNYROLLINSやJOHNCOLTRANE以上の存在になっていたでしょう。没後に出された『WARDELLGRAYMEMORIALVOL.1~2』(PRESTIGE7008~7009)はRVGがリマスタリングを担当していて音も良くマストですが、以前に取り上げているため、今回はその他のレコードやSP盤を・・・。