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今日ご紹介するのは、Djavan(ジャヴァン)が作詞作曲したAçaí(アサイー)です。この曲を最初に歌ったのはGalCosta(ガル・コスタ)で、1981年のアルバムFantasiaに収録されています。共演はRoupaNova(ホーパ・ノヴァ)です。Djavan自身は翌1982年にリリースされた彼の5番目のスタジオ録音のアルバムLuz(ルース)に収録しています。LuzはAçaíの他、Sina、Capim、表題曲であるLuz、スティービー・ワンダーと共演し世界的なヒットとなったSamu
今日ご紹介するのは、EduLoboが作曲、GianfrancescoGuarnieriが作詞したUpa,Neguinhoです。EduLoboは今も現役の歌手として活動していますので、日本でもある程度の知名度がありますね。GianfrancescoGuarnieriはイタリアのミラノに生まれ、2歳の時に両親に連れられ、リオデジャネイロに移住しました。俳優や舞台監督、脚本家として活躍し、2006年に71歳で亡くなっています。この曲の歌詞は、一見たわいのないものです。世に知られるよう
今日ご紹介するのは、ViníciusdeMoraes作詞、AntônioCarlosJobim作曲の”SeTodosFossemIguaisaVocê”(もしみんながあなたと同じだったなら)です。あなたの人生を行けばその道は平和と愛あなたの人生は美しい愛の歌腕を広げて歌いましょう平和に愛するという究極の神聖な希望をもしみんながあなたと同じだったなら生きることは何て素晴らしいのでしょう野外での歌歌う女性歌い、微笑み、歌い愛の美しさを願う街太陽のごと
今回ご紹介するのはDjavan(ジャヴァン)のSinaです。この曲は1982年にリリースされたDjavanのアルバム”Luz”に収録されました。このアルバムは、表題曲のLuzのほか、Samurai、Açaí、Capimなど名曲揃いです。私はもちろん持っています。軽快なメロディとは裏腹に、Sinaとはポルトガル語で宿命を表す言葉です。そう言えば、fadoも元々は宿命を表す言葉でした。今は、ポルトガルの伝統音楽のジャンルとして有名ですけれどね。同じアルバムに収められたAçaíとSinaとの共
今日の曲は、GilbertoGilとJoãoDonatoの合作、LugarComumです。lugarComumとは、いつもの場所とか、ありふれた場所と言う意味です。浜辺いつもの場所から歩き始める他の浜辺に向かって浜辺全ての海は一つ歩き始める青い海の中に向かって水が弾け、風が吹く太陽の炎、主の塩全てはやって来て全ては去って行くGilbertoGilはBahia(バイーア)州の州都Salvador(サルバドール)で、父親が医者、母親が小学校教師の家庭に生まれまし
今日ご紹介する曲は、BadenPowell(バーデン・パウエル)作曲、ViníciusdeMoraes(ヴィニシウス・ジ・モライス)作詞のApelo(アペーロ)です。Apeloとは、呼びかけや愁訴と言う意味。天才ギタリストであったBadenPowellの特徴がよく現れた、ドラマチックな短調のメロディが心に響きます。Badenを始め、多くのギタリストの独奏でも知られるボサノヴァの名曲の一つです。特に狙ったわけではないですが、先週の”OQueMeImporta”と逆の立場です
明けましておめでとうございます!こちらのブログも何と1周年。我ながらよく続いたなと感慨深いです。さて、今日ご紹介するのは、CaetanoVelosoが1978年に作詞作曲した“ForçaEstranha”(不思議な力)です。1979年のTVドラマ”OsGigantes”のテーマ曲としてGalCostaが歌ったバージョンが最もよく知られています。しかし、カエターノがこの曲を書くきっかけとなったのは、RobertoCarlosとの出会いであり、歌詞の中に登場するアーティストとは
今日ご紹介するのは、GuilhermeArantes(ギリェルミ・アランチス)が作詞作曲したPlanetaÁguaです。PlanetaÁguaとは、水の惑星と言う意味。水が創造する自然の壮大さと厳しさを描いた作品で、1981年に行われたMPBShellFestivalでは2位を獲得したものの、1位となった曲を凌ぐほどのヒットとなったのでした。なお、PlanetaÁguaはギリェルミがバイーア州のBarradoJacuípeで運営しているNGOの名前でもあります。Guilh
ブラジルのフォーキーなバンド、ノヴォス・バイアーノスのアルバムをこれまで2作ほど記事にしたことがあります。このバンドの創設時からのメンバーで、多くの楽曲提供やボーカル/ギター演奏を担当していたモラエス・モレイラの存在は、このバンドの魅力の大きな一因となっていました。72年の2ndアルバム"AcabouChorare"『ノヴォス・バイアーノス~アコースティックな音を採り入れた70年代の代表作』ノヴォス・バイアーノス/AcabouChorareブラジルの
7/17に亡くなったJoãoDonato(ジョアン・ドナート)は、GilbertoGil(ジルベルト・ジル)との合作で、幾つもの名曲を残しています。例えば、以前ご紹介したLugarComumです。しかし、最も知られているのは、今日ご紹介するAPaz(平和)でしょう。いさかいの多い恋愛が終わった後に訪れた穏やかな日々。しかし、その恋愛を忘れられず、涙する心境を歌った歌です。ブラジルだけでなく、日本のブラジル音楽アーティストでも、この曲を演奏する人は多いです。名曲であることは確
今日ご紹介するのは、CartaaoTom74です。ViníciusdeMoraes(ヴィニシウス・ジ・モライス)が歌詞を書き、Toquinho(トッキーニョ)が作曲したボサノヴァの名曲です。ヴィニシウスは、ブラジルが生んだ最高の知性で、詩人、作家、ミュージシャンであり、外交官でもありました。TomとはAntônioCarlosJobim(アントニオ・カルロス・ジョビン)のことで、CartaaoTomとは、トムへの手紙と言う意味です。TomJobimは手紙魔で知られ、
DANIELASOLEDADEこんばんは今夜は久しぶりにDANIELASOLEDADEリオ出身、現在はフロリダを拠点に活動しているシンガーやはり定期的に聴きたくなりますライトな感じでスッと入ってきますねアルバム「PrettyWorld」から・EstaoVoltandoAsFlores・CircodaVida・BeijoNoArpoadorよければ聴いてみてください
今日は、ブラジル人なら誰でも知っているCarinhoso(カリニョーゾ)をご紹介します。この曲はPixinguinha(ピシンギーニャ)が1916年頃に作曲し、1928年に初録音されています。1937年に、JoãodeBarro(ジョアン・ジ・バッホ)が歌詞を作り、OrlandoSilva(オルランド・シウバ)が歌い空前のヒットとなりました。その昔、サンパウロのオフィスの同僚とやりとりをしていた時、メールの末尾にいつもComCarinhoの一文がありました。Carinhoとはポ
そろそろ紹介曲が多くなって来ましたので、リストにしてみました。AcenderasVelas/ZéKetiAcontece/CartolaAçaí/DjavanAdeus,Batucada/SynvalSilvaAFloreoEspinho/NelsonCavaquinhoAindaBem/MarisaMonteAlegria/AssisValenteAlguémCantando/CaetanoVelosoAmanhã
今日ご紹介するのは、MiltonMascimento(ミルトン・ナシメント)のPontadeAreia(砂の岬)です。Miltonはリオデジャネイロの生まれですが、幼くして孤児となり、裕福な家庭に養子として迎え入れられ、ミナスジェライス州で育ちました。この曲は故郷であるミナスの情景を歌ったものです。砂の岬バイーアからミナスへの自然街道の終点ミナスの港や海へと続く鉄道の列車を発車させる帽子をかぶった年老いた運転手は挨拶しに来た陽気な人々を思い出すタバコを燻らすマリアはも
東京は、雪こそ降ってはいませんが、ここんとこずっと寒くて、お布団から出るのが一苦労です。コロナがなければ、ブラジルに逃避したいくらい。早く春にならないかしら?さて、今日ご紹介する曲は、Djavan(ジャヴァン)の代表作の一つ、FlordeLis(百合の花)です。インストゥルメンタルで演奏されることがよくありますので、お聞きになったことがあるかもしれませんね。UpsideDownと言う英語のタイトルもついています。軽快なリズムとはうらはらに、歌詞は深刻ですけどね。一体彼は、何を
今回も引き続き、7/17に逝去したJoãoDonato(ジョアン・ドナート)の曲を紹介致します。今回紹介するのは、ARãと同じアルバム”QueméQuem”に収録されたAtéQuemSabeです。歌詞はジョアン・ドナートの弟のLysiasÊnioが書いています。1973年のこのアルバムが生まれた背景には、その前年に妻から離婚を切り出された出来事がありました。2人の間には娘がいましたが、妻はその子を連れて家を出て行ってしまい、彼に残されたのはピアノだけ。そんな現状を気の毒に思
昨年の9月に紹介したことがあるブラジルのロック系バンド、ノヴォス・バイアーノスの出世作"AcabouChorare"(1972年)はもともと評判が高いうえに、私自身、かれらの音楽から感じられる気取りのなさ、軽やかさ、屈託のなさを心地よく感じていました。そんなわけでまた当時のかれらのアルバムをまた聴いてみたいと思い、今回は翌73年に発表された次作になる3rdアルバムを記事にしたいと思います。ヒッピーだったかれらはアルバムが売れても田舎ぐ
今日ご紹介するのは、GilbertoGil(ジルベルト・ジル)の代表作の一つであるPalcoです。Palcoとはステージのこと。1981年にリリースされたアルバム”Luar(AGenteprecisaveroluar)に収録されました。軽快なリズムに、聴衆が思わず踊り出すような音楽なのですが、この曲が生まれた背景を、ジルはこのように述べています。-私は3日間、歌をやめることについて考えていましたが、その理由は歌に関係したものではありませんでした。私は退屈を感じており
今日はMarisaMonte(マリーザ・モンチ)のファーストアルバムからBemQueSeQuisをお届けします。この曲は元々イタリアのPinoDanieleの歌EPo'CheFa'に、NelsonMottaがポルトガル語の歌詞をつけたもの。語学フリークな私ですが、さすがにイタリア語は守備範囲でないため、歌詞をGoogle翻訳にかけてみたところ、全く違う内容であることが分かりました。以下はポルトガル語の歌詞の内容です。かなり翻訳に四苦八苦しました💦もしあなたが望むなら