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JGTC初期に出ていた「CCIあめんぼうシルビア」。乗っていたのが服部尚貴/大井貴之のベストモータリングコンビwつか、はっちゃんは今スーパーGTの競技長じゃなかったっけ?ハチマキにもあるように、運営はムーンクラフト(JTCCのジャックスアコードも同じムーンクラフトでゼッケン14でしたね)。空力関係は由良拓也氏デザインによるものなんだけど、S13純正グリルを残してるのは何か意味があったのかな?特筆すべきは現在のGT300にあたるGT2クラスではなく、GT500にあたるGT1クラスへの参戦
1997年全日本GT選手権JGTCGT300クラスRS☆Rシルビア1997年GT300クラスチャンピオンを獲得する。織戸学選手富士では3位表彰台。JGTCフル参戦初年で300クラスチャンピオンに輝く。福山選手(左)と織戸選手(右)のサイン寄せ書き福山英朗選手鳶&RS☆Rのお姉さん♡人気だった鳶のお姉さん♡TEAMFCJフェラーリ太田哲也/アンデルス・オロフソン組アンデルス・オロフソン選手のサインTEAMFCJフェラーリ山崎正弘/杉山正巳組
JUNオートからJGTCに参戦していたR32GT-R.BNR32なんですが、フロントヘビー改善のためにRB26を捨ててSR20に載せ換えています。GT500クラスへの参戦という無茶やら、SR20の熟成不足もあいまって全く結果を残せず、1年で撤退。でもGT300での参戦なら成績を残せたのかも?人気「だけ」はあるもののモデル化に恵まれてないので、どこか氏!モデル化をよろしくしてたも!
JGTC創世記に参戦する予定だったWESTコルベット。参戦前から自社開発版やIMSA車両などを用意していたものの、結局参戦には至らず。幻のGTマシンという存在に。WEST自体がコルベットなどを扱うチューニングショップであるために、ノウハウも生かせると踏んだのでしょうね。当時のスポーツモデルZR-1をベースに参戦する予定だったようですが…写真に写ってんのは市販車なんすけど。それでも暫定エントリーリストには名を連ねていて、ドライバーが「関谷正徳/星野薫」組とかトヨタ車と勘違いされる布陣に。
JGTCで走っていたFETパワークラフトスープラですな。オークションに出されていたようです。い、一億五千万円ですと?半年前よりもさらに値上げしたようですけど、正直これ一台なのと開発費とかを考えれば「安いもん」なんでしょうね。ロールケージって、こんな組み方なんですね。Aピラー周りのバーはよく見えるけど、Bピラーのあたりは見えないですからね。サードは豊田合成製のステアリングだったはずですが、FETはTRD製作車なので違うんですね。ちなみにこのFETパワークラフトスープラ、3S-G改エン
なんか、ちょっとヘンな感じwそんなアークテックのポルシェ968です。もともとはアウディ製の914から続く、伝統のFRポルシェなんです。市販車でトランスアクスルを採用していたりします。しかし、968から採用された直4エンジンを律儀に使ったためか、熟成不足もあり成績はふるわず。インタークーラーちっさwwwwwダウンフォース獲得のためか、フロントオーバーハングをえぐったデザインが美しいかどうかはさておき、素直に911GT3RSと同じエンジンを使っていたら面白いことになっていたかもしれないです
皆さんこんばんは。セルモです。さて題名にもありますが、エブロ(エムエムピー)が破産手続きをしたそうですね。まさかの出来事にビックリしました💦最近はやたらに値引いてミニカー売っていたし、なんか在庫一掃セール的な感じだったのでそんなに行き詰まってたのかなぁ~と。そして地元のエブロギャラリーはと言うとコチラ👇3月17日(日)をもって閉店だそうです。よくミニカー買いに行ってたなぁ~😅仕事終わった後とか、休みの日に開店と同時に行ったりとか。まぁエブロの生命線でもあったスーパーGTの版権がスパ
よく外国屋スカイラインって呼ばれますが、正式には「欧州車販売の外国屋スカイライン」です。「欧州車販売」なのに、中古のスカイラインを使ってるとかねw元々はホッチの乗ってたコレwそれが払い下げられて、JSSに。スポンサーは同じカルソニックですが、ロゴが小さいので額が少ないのかも?当時の記事がこちら。それが巡りめぐってJGTCのGT2クラス(当時)にきたものの、あまりにも強すぎて最終戦ではウエイトハンデ最重量の120kgを載せていました。ちょうど「ご先祖様」もモデル化されてることだし、コ
車高がアレですが、幅広くなってカッコいいロードスター。これ、実は…スーパーGTの前身である全日本GT選手権(JGTC)に参戦していた、「東京科学芸術専門学校ロードスター(通称・科芸専ロードスター)」を学生とともに製作したNOPROのスタッフさん。確かにJGTC参戦車はNA型初代ロードスターでしたが、NB型ロードスターでも似たようなフォルムですね。ただ、JGTCからスーパーGTへと変わっていくなかでレギュレーションも変わっていき、レースには出られないように…。「なら、ごった煮レース(だっ
1997年全日本GT選手権JGTC第4戦・富士この年からホンダがメーカーとしてJGTCに参戦を開始し、現在の3メーカー対決の構図が出来上がった。ピットウォークに加え「ドライバートークショー」も開催されるようになってファンサービスも盛況になって行った。これはドルフィンが平日休みだったため決勝観戦は滅多に行けなかったので、もっと以前から行われていたかもしれないが。GT500ドライバートークショーグランドスタンド裏のトランスポーター・ステージで行われた。それまでブースで個々に行わ
みんなご存じひらぴ~。平尾寿道というちゃんとした名前がありますが、そもそもこの方、元はブリッツの社員さん。参戦していたN1耐久用スープラをリファインしてJGTC初年度に参戦。この年の後半2戦くらいを2JZから3S-GTに換装して後付けオーバーフェンダー化したんだけど、画像がみつからず。N1耐久は基本的にTRDの市販エアロでしたからね。その後、今も続くKRAFTを興してキャバリエやMR2なんかでGT300クラスに参戦。とっくの昔にホモロゲが切れているはずのAE86で出てきたときには、けっ
マクラーレンF1GT-Rが襲来した1996年全日本GT選手権JGTC。ウエイトハンデもあり第3戦ではカストロール・セルモ・スープラが、観戦に行った第4戦・富士ではカルソニックスカイラインがマクラーレンを破って優勝した。ーが、第3&4戦で勝てなかったマクラーレンはウエイトが軽くなり、終盤戦怒涛の連勝を遂げるのだった…。優勝:カルソニックスカイライン星野一義/影山正彦組ZEXELスカイラインとのバトルを制しての優勝。↑トップの写真はシケインでZEXELを抜いた瞬間。
こちら、ゴルフじゃなくてGT選手権の方のJGTCに出ていたナックウエスト・シルビア。ウイングを見て「あ!世界のマスー選手だ!」とか言わないの!←この頃、流行ってたんですよね。非調整式のウイング。で、このマシン。なんとエンジンがFJなんです←なんでやねんうん。それはFJじゃなくてSJだね。たぶん燃料に混ぜて「タワー4階」に呼び出されるやつw←普通に失格とてもGT300とは思えない風体ですが、この頃なんてこんなもんよ←言い方注意しろよ後ろにデビュー戦をむかえた「つちやMR2」がいますが
耐久レースのRクラスで一生懸命走ってる、サバンナGTだったりRX-3だったりするコレ。グループ2をグループ5に合わせてウイングを装着したり、外装を仕立てています。ずいぶんと昔のことのように思えるけど…やってることはJGTC→スーパーGTもおんなじ事なんですよね←かかってる金額は全然違うけどなでも、そうやってカネがどんどんかかっていきメーカーの力も入ってくると、途端にレースがつまらなくなるわけでね。町の整備工場のおやじが組んだマシンがサーキットを走っている頃が、一番「競走」をしていたよう
1998年全日本GT選手権・JGTC開幕前・鈴鹿テスト当日は朝から雨で、鈴鹿サーキットのピットビル3階からの撮影でスタート。近年はテスト日は雨でもテラス席に上がれない事もあるが、昔は開放的だったのか上がることができて助かった。昔はフィルムだったので撮影できる枚数がデジカメほど多くはない。雨で失敗しやすいのであまり冒険できずにいた。土屋圭市選手/デンソーサードスープラGT大好きなドリキンさんは確実に押さえておきたい。撮影も慎重になるほど❝力んで❞失敗が多くなってしまうのだった。